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* 死神生活三年目&more *
第328話 死神ちゃんとパン屋
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「最近、ダンジョン内で探しものをしている人がいるらしいのよ」
「そんなの、いつものことじゃあないか?」
そう言って死神ちゃんが首を傾げると、マッコイも首を傾げた。
「それがね、アイテム掘りをするでもなしに、ひたすらダンジョン内を彷徨くだけらしいのよ」
「設置宝箱でも探し歩いているんじゃあないのか?」
「それも、どうやらスルーするらしくて。……一体、何の目的でダンジョンに来ているのかしら」
変な冒険者などごまんといるのだが、それでもある程度の〈目的〉は端から見ていて察することができる。だから、さっぱり分からないという者は珍しかった。小さな子供であれば危険な場所だと知りもせずにうっかりと迷い込んでしまうということもあろうが、大人であればそれもないだろう。一体、その者は何を得たくてこのダンジョンにやって来ているのか。
死神ちゃんが「おかしいやつもいるもんだな」と呟くのと同時に、出動要請が発せられた。死神ちゃんはよっこらせと重い腰を上げると、ダンジョンへと降りていった。
死神ちゃんがダンジョンに降りていくと、同僚たちがモニターブースに集まってきた。死神ちゃんが出動するとブースに集まって鑑賞会を行うというのは、すっかりと死神課内の定番となっていた。ふよふよとダンジョン内を漂う死神ちゃんはきょとんとした顔を浮かべると、一転して悪い笑みを浮かべた。それを見ていた同僚の一人が「お」と声を上げた。
「もう〈担当のパーティー〉を見つけたみたいだな」
「薫ちゃん、こういうときって本当に、死神らしいあくどい笑みを浮かべるよな」
「おお、いつも通り、天井づたいに近づいていって急降下か」
次の瞬間、モニター内から死神ちゃんの「ぎゃあ」という絶叫が響いた。死神ちゃんは冒険者と思しきおっさんに両手でわっしと顔を掴まれ、鼻先数ミリの距離まで詰め寄られていた。
「お前かあああああああ……ッ!」
「何!? 何だよ!? 離せったら!」
「お嬢ちゃん、美味しそうな香りをさせているねえ……。それ、ちょっとおじさんに分けてくれないかなあ……?」
死神ちゃんはおっさんの手を振りほどくと「そんなものはない」と言いながら、天井すれすれのところまで浮かび上がった。おっさんは闇を抱えているような暗く淀んだ瞳を死神ちゃんに向けると「嘘は良くないなあ」と狂気に満ちた笑みを浮かべた。
同僚たちは顔をしかめると「また変なのに捕まったなあ」と呟いた。マッコイだけは怪訝な表情を浮かべており、同僚の一人がどうしたのかと尋ねると、彼はモニターを操作しながら首を傾げた。
「いえ、ちょっと、この冒険者、見覚えが……。――あっ、これこれ! この人! この人だわ!」
冒険者をドアップにしてしげしげとモニターを眺めていたマッコイは、合点がいったというような表情を浮かべた。周りにいた同僚たちが首をひねると、彼はモニター内の冒険者を指差しながら続けた。
「この人が、先ほど薫ちゃんと話していた〈目的不明の冒険者〉よ。――今回はね、目撃情報をもとに作成された人相書きがあるのよ。ほら、これよ」
同僚たちは差し出された人相書きを見つめて一層眉をしかめると、ぼんやりとモニターに視線を戻して言った。
「薫ちゃんのこと、探してたみたいね……。ということは、ただの幼女フェチ?」
「いやでも、ポーチの中がどうのって言っていたぜ? ――あ、薫ちゃん、逃げ始めた」
「ねえ、班長。薫ちゃんのアレ、いいの? 私たちって、冒険者を追いかけるのが仕事でしょう? なのに、めっちゃ逃げ回ってるけど」
マッコイは苦笑いを浮かべると「とり憑きは完了しているから」と言葉を濁した。モニターの中では、死神ちゃんが何かにとり憑かれでもしたかのような感じの危ないおっさんから必死に逃げ惑っていた。
「そもそも、美味しそうな香りって何だよ!? 俺、今、そんなもの持ってないし、持っていたとしてもしっかり蓋してあるから臭いが漏れることもないんだが!」
「私をごまかせるとでも思っているのか! こしゃくな幼女め! お前だろう!? お前なんだろう!? マンマを虜にするほどのパンを焼くことのできる人の娘さんというのは!!」
死神ちゃんも待機室の同僚たちも、揃って「はい……?」と声を漏らした。おっさんは膝をつくとおいおいと泣き始めた。死神ちゃんがどうしたのかと尋ねると、おっさんは大げさに頭を振りながら悲嘆に暮れた。
街で食堂を営むマンマは、以前死神ちゃんからミートパイのお礼にとイングリッシュマフィンを頂いたことがある。その際、マンマは「この街では食べることができないようなパンで、とても美味しい」と感想を述べると、お母さんに是非ともうちの店で働いてもらいたいと死神ちゃんに懇願した。その後もマンマはマフィンの味が忘れられず、自分でも何度も焼いてみたそうなのだが、味の再現ができないと悔しそうだった。そして秋の南瓜イベントの際にも、パイのレシピを死神ちゃんのお母さんが監修していると知ると「うちで働いてもらうことは、どうしても無理なのか」と死神ちゃんに詰め寄った。
実は、そのマンマの〈死神ちゃんのお母さんへの思い〉はこのおっさんにとって相当な重荷となっていたらしい。彼は街のパン屋だそうで、マンマの食堂にもパンを卸しているのだそうだ。だが、マンマが〈ダンジョンで遭遇する可愛らしいお嬢ちゃんのお母さんが作るパン〉を食べて以降、マンマに〈これじゃないんだよなあ〉というような顔をされるようになったらしい。さらには「最近、自分でも焼いてみているから」ということで発注量が減ったのだそうだ。また、マンマの食堂で提供されるパンがこのパン屋のものではなくマンマお手製のものになったことを疑問に感じた常連がその理由を尋ねた際、マンマは〈ダンジョンで食べた美味しいパンの話〉をお客に話して聞かせたのだとか。そのせいで、パン屋に過度の期待とプレッシャーが街中からかかるようになったのだそうだ。
「パン屋なんだから〈おうちのお母さん〉の味になんて楽勝で勝てるだろうとか、プロなんだから再現できるだろうとか。そもそも、マンマ以外はそのパンを食べたことがないだろうに、うちのパンをひとかじりして『まだまだだな。あの味には到底及ばないよ』とか言い出すやつなんかもいて! 私だって、そのパンの味を知ってさえいれば研究だって再現だってできるさ! ていうかね、私はパン作りに命をかけている! 美味しいパンを作ろう。食べた人が生き生きとするようなパンを作ろう。むしろ生き生きとしている、生きたパンをだね――」
「ホラーかよ! 生きてるパンって、食べたら叫ぶのか? こう、かじった途端にギャーッてさあ! 嫌だよ、そんなパン!」
「モノの例えだろう!? いいかい、お嬢ちゃん! パンというのはね、コシが命なんだよ! そのコシを出すには、とても管理の難しい製法を用いるのだがね――」
おっさんは淀んでいた瞳に火を灯すと、熱心にパンの作り方について語り始めた。死神ちゃんはそれを適当に受け流した。すると突如、おっさんは死神ちゃんに向かって何やらを振り下ろした。それを躱した死神ちゃんは、苦い顔を浮かべて言った。
「食べ物をそのように扱うんじゃあありません!」
「私の魂のこもったバケットだ。お話をきちんと聞かない子にはお仕置きだよ。さあ、食らいなさい」
「食らいなさいの意味が違う! やめろよ! やめ―― うわあ……」
思わず、死神ちゃんは低く呻いた。おっさんは攻撃対象をモンスターに変えると、硬いバケットでモンスターを殴り倒したのだ。モンスターを討伐できるほどの硬さと、〈仮に「食え」と言われても、武器として使用されたものなんてもう食べたくないな〉という思いで死神ちゃんがドン引いていると、パン屋は血走った目でにやりと笑いながら「次は貴様の番だ」と宣った。
死神ちゃんはヒッと小さく悲鳴を上げると、一目散に逃げ出した。途中、おっさんは襲い掛かってくるモンスターをハードタイプの丸パンを投げたり、バケットで叩き潰したりして撃退した。
「それ、よろしくないですよねえ!?」
「私とパンは一心同体! つまり、パンでガツンとやるのも、私の拳でやるのも、同じことなのだよ!」
「ガツンとやるのは胃袋相手にだけにしておけよ!」
「いいから! いい子だから、おじさんにその美味しい香りのものを渡しなさい!」
「だから、もうないんですってばーッ!!」
おっさんに掴みかかられた死神ちゃんは、ポーチから無理やり保存容器を引きずり出された。おっさんは中身の入っていないそれを愕然とした表情で見つめると、世界の終わりとでもいうくらいの絶望に満ちた表情で膝をついた。死神ちゃんはスンスンと鼻を鳴らしながら、おっさんを睨みつけた。
「ついさっき、おやつとして最後の一個を食べ終えたところなんだよ! だから、もう無いって言ったのに!」
「無いだなんて……。そんな、まさか……」
おっさんはおもむろに顔をあげると、再び死神ちゃんに掴みかかった。「だったらお母さんに会わせてくれ」と詰め寄るおっさんを呆れ顔で眺めながら、待機室の同僚はマッコイに苦い顔を浮かべた。
「ねえ、つまりさ、マコさんが原因ってことだよね、これ」
「班長、責任持って助けてあげたほうが良いんじゃあないの?」
「誰か、冒険者のフリしておっさんを斬り捨てにいくか?」
マッコイは頬を引きつらせると、のそのそとメールを打ち始めた。送信先は死神ちゃんで、メール受信に気がついた死神ちゃんは送り主がマッコイと分かると、おっさんに分からないようにこっそりとメールを見た。そして、グズグズと鼻を鳴らしながら、おっさんを見上げて幼女ぶった口調で言った。
「お母さんね、今度、ダンジョン内でお店をプレオープンさせるんだって。だから、その……」
「それは本当かい!? 本当なんだね!? で、いつなんだ? 今月か? 来月か!?」
激しくガクガクと揺さぶってくるおっさんに、死神ちゃんは必死にうなずくしかできなかった。おっさんは勝手に〈来月〉と解釈したようで、鼻息荒く「来月なんだな」と言って死神ちゃんから手を放した。
「お母さんに言っておくんだな! 来月、首を洗って待っていろと! いいか! 小麦を愛し! 小麦と会話し! 小麦と思いを通じあわせている私こそが! 美味しい美味しい――」
おっさんは強調するように語尾を強く発し、そのたびに死神ちゃんを力強く指差した。言いながら後ろ歩きしつつその場から去ろうとしていたおっさんは、まるでコントのように落とし穴に落ちていった。
**********
死神ちゃんが待機室に戻ってくると、同僚たちが同情するように美味しそうなお菓子や飲み物で出迎えてくれた。死神ちゃんはそれをありがたく頂くと、しょんぼりと肩を落としながらお菓子にかぶりついた。
マッコイは両手で顔を覆い、背中を丸めてうなだれていた。同僚の一人がニヤニヤと笑みを浮かべてマッコイを軽く小突いた。
「これ、〈来月プレオープンは嘘でした〉となったら、また薫ちゃんが追い掛け回されるパターンだよな」
「向こうが勝手に〈来月〉って勘違いしたんじゃない。アタシ、そんなこと一言も言ってない――」
「あの様子だと、パン屋がマンマに伝えて、他の冒険者の耳にも入るだろうな。来月、ダンジョン内パン屋を求めてたくさん冒険者が来るだろうな」
「ちょっと待って。アタシにもスケジュールってものが――」
翌月のシフト編成はすでに済んでいた。もう組み直すということも間に合わなかったため、マッコイは週休二日のうちの一日を犠牲にしてパン屋をオープンすることになったという。
――――翌月、狂気に満ちたパン屋がダンジョンを徘徊する販売ワゴンを度々襲ってくるということで、ギルドから〈ワゴンを守れ〉という緊急ミッションが発令されたそうDEATH。
「そんなの、いつものことじゃあないか?」
そう言って死神ちゃんが首を傾げると、マッコイも首を傾げた。
「それがね、アイテム掘りをするでもなしに、ひたすらダンジョン内を彷徨くだけらしいのよ」
「設置宝箱でも探し歩いているんじゃあないのか?」
「それも、どうやらスルーするらしくて。……一体、何の目的でダンジョンに来ているのかしら」
変な冒険者などごまんといるのだが、それでもある程度の〈目的〉は端から見ていて察することができる。だから、さっぱり分からないという者は珍しかった。小さな子供であれば危険な場所だと知りもせずにうっかりと迷い込んでしまうということもあろうが、大人であればそれもないだろう。一体、その者は何を得たくてこのダンジョンにやって来ているのか。
死神ちゃんが「おかしいやつもいるもんだな」と呟くのと同時に、出動要請が発せられた。死神ちゃんはよっこらせと重い腰を上げると、ダンジョンへと降りていった。
死神ちゃんがダンジョンに降りていくと、同僚たちがモニターブースに集まってきた。死神ちゃんが出動するとブースに集まって鑑賞会を行うというのは、すっかりと死神課内の定番となっていた。ふよふよとダンジョン内を漂う死神ちゃんはきょとんとした顔を浮かべると、一転して悪い笑みを浮かべた。それを見ていた同僚の一人が「お」と声を上げた。
「もう〈担当のパーティー〉を見つけたみたいだな」
「薫ちゃん、こういうときって本当に、死神らしいあくどい笑みを浮かべるよな」
「おお、いつも通り、天井づたいに近づいていって急降下か」
次の瞬間、モニター内から死神ちゃんの「ぎゃあ」という絶叫が響いた。死神ちゃんは冒険者と思しきおっさんに両手でわっしと顔を掴まれ、鼻先数ミリの距離まで詰め寄られていた。
「お前かあああああああ……ッ!」
「何!? 何だよ!? 離せったら!」
「お嬢ちゃん、美味しそうな香りをさせているねえ……。それ、ちょっとおじさんに分けてくれないかなあ……?」
死神ちゃんはおっさんの手を振りほどくと「そんなものはない」と言いながら、天井すれすれのところまで浮かび上がった。おっさんは闇を抱えているような暗く淀んだ瞳を死神ちゃんに向けると「嘘は良くないなあ」と狂気に満ちた笑みを浮かべた。
同僚たちは顔をしかめると「また変なのに捕まったなあ」と呟いた。マッコイだけは怪訝な表情を浮かべており、同僚の一人がどうしたのかと尋ねると、彼はモニターを操作しながら首を傾げた。
「いえ、ちょっと、この冒険者、見覚えが……。――あっ、これこれ! この人! この人だわ!」
冒険者をドアップにしてしげしげとモニターを眺めていたマッコイは、合点がいったというような表情を浮かべた。周りにいた同僚たちが首をひねると、彼はモニター内の冒険者を指差しながら続けた。
「この人が、先ほど薫ちゃんと話していた〈目的不明の冒険者〉よ。――今回はね、目撃情報をもとに作成された人相書きがあるのよ。ほら、これよ」
同僚たちは差し出された人相書きを見つめて一層眉をしかめると、ぼんやりとモニターに視線を戻して言った。
「薫ちゃんのこと、探してたみたいね……。ということは、ただの幼女フェチ?」
「いやでも、ポーチの中がどうのって言っていたぜ? ――あ、薫ちゃん、逃げ始めた」
「ねえ、班長。薫ちゃんのアレ、いいの? 私たちって、冒険者を追いかけるのが仕事でしょう? なのに、めっちゃ逃げ回ってるけど」
マッコイは苦笑いを浮かべると「とり憑きは完了しているから」と言葉を濁した。モニターの中では、死神ちゃんが何かにとり憑かれでもしたかのような感じの危ないおっさんから必死に逃げ惑っていた。
「そもそも、美味しそうな香りって何だよ!? 俺、今、そんなもの持ってないし、持っていたとしてもしっかり蓋してあるから臭いが漏れることもないんだが!」
「私をごまかせるとでも思っているのか! こしゃくな幼女め! お前だろう!? お前なんだろう!? マンマを虜にするほどのパンを焼くことのできる人の娘さんというのは!!」
死神ちゃんも待機室の同僚たちも、揃って「はい……?」と声を漏らした。おっさんは膝をつくとおいおいと泣き始めた。死神ちゃんがどうしたのかと尋ねると、おっさんは大げさに頭を振りながら悲嘆に暮れた。
街で食堂を営むマンマは、以前死神ちゃんからミートパイのお礼にとイングリッシュマフィンを頂いたことがある。その際、マンマは「この街では食べることができないようなパンで、とても美味しい」と感想を述べると、お母さんに是非ともうちの店で働いてもらいたいと死神ちゃんに懇願した。その後もマンマはマフィンの味が忘れられず、自分でも何度も焼いてみたそうなのだが、味の再現ができないと悔しそうだった。そして秋の南瓜イベントの際にも、パイのレシピを死神ちゃんのお母さんが監修していると知ると「うちで働いてもらうことは、どうしても無理なのか」と死神ちゃんに詰め寄った。
実は、そのマンマの〈死神ちゃんのお母さんへの思い〉はこのおっさんにとって相当な重荷となっていたらしい。彼は街のパン屋だそうで、マンマの食堂にもパンを卸しているのだそうだ。だが、マンマが〈ダンジョンで遭遇する可愛らしいお嬢ちゃんのお母さんが作るパン〉を食べて以降、マンマに〈これじゃないんだよなあ〉というような顔をされるようになったらしい。さらには「最近、自分でも焼いてみているから」ということで発注量が減ったのだそうだ。また、マンマの食堂で提供されるパンがこのパン屋のものではなくマンマお手製のものになったことを疑問に感じた常連がその理由を尋ねた際、マンマは〈ダンジョンで食べた美味しいパンの話〉をお客に話して聞かせたのだとか。そのせいで、パン屋に過度の期待とプレッシャーが街中からかかるようになったのだそうだ。
「パン屋なんだから〈おうちのお母さん〉の味になんて楽勝で勝てるだろうとか、プロなんだから再現できるだろうとか。そもそも、マンマ以外はそのパンを食べたことがないだろうに、うちのパンをひとかじりして『まだまだだな。あの味には到底及ばないよ』とか言い出すやつなんかもいて! 私だって、そのパンの味を知ってさえいれば研究だって再現だってできるさ! ていうかね、私はパン作りに命をかけている! 美味しいパンを作ろう。食べた人が生き生きとするようなパンを作ろう。むしろ生き生きとしている、生きたパンをだね――」
「ホラーかよ! 生きてるパンって、食べたら叫ぶのか? こう、かじった途端にギャーッてさあ! 嫌だよ、そんなパン!」
「モノの例えだろう!? いいかい、お嬢ちゃん! パンというのはね、コシが命なんだよ! そのコシを出すには、とても管理の難しい製法を用いるのだがね――」
おっさんは淀んでいた瞳に火を灯すと、熱心にパンの作り方について語り始めた。死神ちゃんはそれを適当に受け流した。すると突如、おっさんは死神ちゃんに向かって何やらを振り下ろした。それを躱した死神ちゃんは、苦い顔を浮かべて言った。
「食べ物をそのように扱うんじゃあありません!」
「私の魂のこもったバケットだ。お話をきちんと聞かない子にはお仕置きだよ。さあ、食らいなさい」
「食らいなさいの意味が違う! やめろよ! やめ―― うわあ……」
思わず、死神ちゃんは低く呻いた。おっさんは攻撃対象をモンスターに変えると、硬いバケットでモンスターを殴り倒したのだ。モンスターを討伐できるほどの硬さと、〈仮に「食え」と言われても、武器として使用されたものなんてもう食べたくないな〉という思いで死神ちゃんがドン引いていると、パン屋は血走った目でにやりと笑いながら「次は貴様の番だ」と宣った。
死神ちゃんはヒッと小さく悲鳴を上げると、一目散に逃げ出した。途中、おっさんは襲い掛かってくるモンスターをハードタイプの丸パンを投げたり、バケットで叩き潰したりして撃退した。
「それ、よろしくないですよねえ!?」
「私とパンは一心同体! つまり、パンでガツンとやるのも、私の拳でやるのも、同じことなのだよ!」
「ガツンとやるのは胃袋相手にだけにしておけよ!」
「いいから! いい子だから、おじさんにその美味しい香りのものを渡しなさい!」
「だから、もうないんですってばーッ!!」
おっさんに掴みかかられた死神ちゃんは、ポーチから無理やり保存容器を引きずり出された。おっさんは中身の入っていないそれを愕然とした表情で見つめると、世界の終わりとでもいうくらいの絶望に満ちた表情で膝をついた。死神ちゃんはスンスンと鼻を鳴らしながら、おっさんを睨みつけた。
「ついさっき、おやつとして最後の一個を食べ終えたところなんだよ! だから、もう無いって言ったのに!」
「無いだなんて……。そんな、まさか……」
おっさんはおもむろに顔をあげると、再び死神ちゃんに掴みかかった。「だったらお母さんに会わせてくれ」と詰め寄るおっさんを呆れ顔で眺めながら、待機室の同僚はマッコイに苦い顔を浮かべた。
「ねえ、つまりさ、マコさんが原因ってことだよね、これ」
「班長、責任持って助けてあげたほうが良いんじゃあないの?」
「誰か、冒険者のフリしておっさんを斬り捨てにいくか?」
マッコイは頬を引きつらせると、のそのそとメールを打ち始めた。送信先は死神ちゃんで、メール受信に気がついた死神ちゃんは送り主がマッコイと分かると、おっさんに分からないようにこっそりとメールを見た。そして、グズグズと鼻を鳴らしながら、おっさんを見上げて幼女ぶった口調で言った。
「お母さんね、今度、ダンジョン内でお店をプレオープンさせるんだって。だから、その……」
「それは本当かい!? 本当なんだね!? で、いつなんだ? 今月か? 来月か!?」
激しくガクガクと揺さぶってくるおっさんに、死神ちゃんは必死にうなずくしかできなかった。おっさんは勝手に〈来月〉と解釈したようで、鼻息荒く「来月なんだな」と言って死神ちゃんから手を放した。
「お母さんに言っておくんだな! 来月、首を洗って待っていろと! いいか! 小麦を愛し! 小麦と会話し! 小麦と思いを通じあわせている私こそが! 美味しい美味しい――」
おっさんは強調するように語尾を強く発し、そのたびに死神ちゃんを力強く指差した。言いながら後ろ歩きしつつその場から去ろうとしていたおっさんは、まるでコントのように落とし穴に落ちていった。
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死神ちゃんが待機室に戻ってくると、同僚たちが同情するように美味しそうなお菓子や飲み物で出迎えてくれた。死神ちゃんはそれをありがたく頂くと、しょんぼりと肩を落としながらお菓子にかぶりついた。
マッコイは両手で顔を覆い、背中を丸めてうなだれていた。同僚の一人がニヤニヤと笑みを浮かべてマッコイを軽く小突いた。
「これ、〈来月プレオープンは嘘でした〉となったら、また薫ちゃんが追い掛け回されるパターンだよな」
「向こうが勝手に〈来月〉って勘違いしたんじゃない。アタシ、そんなこと一言も言ってない――」
「あの様子だと、パン屋がマンマに伝えて、他の冒険者の耳にも入るだろうな。来月、ダンジョン内パン屋を求めてたくさん冒険者が来るだろうな」
「ちょっと待って。アタシにもスケジュールってものが――」
翌月のシフト編成はすでに済んでいた。もう組み直すということも間に合わなかったため、マッコイは週休二日のうちの一日を犠牲にしてパン屋をオープンすることになったという。
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