『お父様、違いますわ!』結婚したい相手を間違えられた侯爵令嬢は、離婚したいに決まってる

栗皮ゆくり

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少しだけ、知った夜

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 ――トントン。

 私はぎこちなく扉をノックした後、少し緊張した面持ちで寝室に入った。

 ロマンティックに蝋燭が灯された薄暗い部屋の中は、やたらと花や香りで演出されている。

 「ア、アベル様……」

 「何かお話がありそうですね。そんな所に突っ立ってないで、ここへどうぞ」

 穏やかなアベル様の表情に、喉の奥が締め付けられ、言葉がうまく出てこない。

 「さ、先ほど、ロ、ロベル様が現れて……やっぱり、確かに私に縁談を申し込んだと」

 (やはりな。アイツも諦めが悪い。何の変哲もない男爵家の次男にとっては、二度とない大きなチャンスだったろうからな)

 「で? あくまでも僕と離婚したいと?」

 「ええ。こういうことは、ハッキリさせておいた方がいいと思って」

 「なるほど。では、逆に、この結婚を覆すほどの揺るぎない想いが、お二人にはあると言うことですね?」

 「それは……」

 アベル様は私の瞳を捉えたまま、静かに続けた。

 「仮に願いが叶ったとして、宰相がロベル卿を受け入れ、家督を譲るでしょうか? 名門貴族の醜聞に、世間は口さがなく噂するでしょうね。家臣たちの心も離れるかもしれませんよ」

 「驚いた……アベル様は、思ったより真面目な方なのですね」
 
 「あのねぇ、自分がしようとしている事の重大さを分かっていますか? 宰相と私を責める前に、本当にロベル卿に問題がないと言えますか? まったく……恋愛に気を取られ、どうして他の可能性を考えないんだ?」

 「他の可能性……? それは、ロベル様に私の知らない何か問題があるということ? それとも、ジョセフのせい……」

 (ジョセフ? ドット公爵のことか? 宰相は、二人は親密じゃないと言っていたが、違うのか?)

 「何か思い当たることがあるようですね」

 私はアベル様の問いかけにも気づかず、ジョセフとロベル様の行動を思い返していた。

 (ジョセフがあのイヤリングを贈ってきたせいで、お父様がジョセフを牽制すると仰っていたわ。この結婚はそのせいなの? どうしてロベル様ではいけなかったのかしら? 私の知らない何かがあるの?)

 「ユージェニー?」

 「アベル様は何をご存じなのですか?」

 「知っていることを全て話してあげたいけど、僕は理由も分からず、ただ宰相に頼まれただけなんだ。あっ、だからって、僕の気持ちは疑わないでよ。ハハ、それにロベル卿とは騎士学校での同期というだけさ」

 (『影狼』のことは言えないし、ロベルの本当の顔を他人から聞かされても信じないだろう。よけいに気持ちが焦がれるだけだ)

 「そうなのね……。でも、正直に教えてくれて、ありがとうございます。アベル様は信用できそうな気がするわ」

 「さっきまで僕に『逆玉の輿』と吠えていたのに、もう信用するのかい? 危なっかしいなぁ。それで……まだ僕と離婚したい?」

 「それは……ほ……保留で」

 私はそう言ったものの、内心では気まずさでいっぱいだった。

 「ハハハ、猶予ができただけでも僕にとっては嬉しいよ」

 (とにかく、この結婚――任務がいつまで続くか分からないが、当面の安全は確保できただろう。だが、やはり気になるな。宰相は何を考えているんだ? ったく、目的がはっきりしないと守れないだろうが!)

 「アベル様、ごめんなさい……急に……すごく……眠くなって……」

 「ん? 今日は疲れただろう。それに心も追いついていないみたいだから……今夜はこのまま休もう。僕は、疲れたレディに無理をさせるような野獣じゃないよ」

 アベル様の声が聞こえた気がしたけれど、遠のく意識に抗えずそのまま眠りに落ちてしまった。


 ――眠たそうにしていたユージェニーの頭が前後にグラグラしたかと思うと、急にベッドに突っ伏した。

 「わっ! すごい勢いで倒れ込むから驚いたよ。そんなに眠たかったとは……だ、大丈夫だよな?」

 心配になったアベルは、恐る恐るユージェニーの手首を取り、脈を調べてみた。

 「正常……だな。本当に最後まで人騒がせな令嬢だな。白い結婚が約束だったから、色々と面倒な言い訳もせずに済んだし、逆に良かったよ。あー、僕も疲れた!」

 大きな伸びをしながら、アベルもユージェニーの隣にドサッと倒れ込んだ。

 ユージェニーの安心しきった寝顔を見ながら、今日一日のドタバタを思い返し、深い溜め息をついた。

 「疲れた……ある意味、戦場の方が楽かもしれないな。先が思いやられるよ。どうしてこの任務を引き受けてしまったのか……ハハ、陛下の命令を断るなんてできるわけないよなぁ。辺境伯家の次男も辛いよ……ん?」

 隣で気持ちの良い寝息をたてているユージェニーの口元から、かすかに睡眠薬の香りがする。

 「アハハハ、宰相にはしてやられたよ。先に眠ってしまえば、手を出す隙もないからね。守るためには手段を選ばない……か」

 寝室へ向かわせる前に、あの食えない執事に命じて、軽い睡眠薬を入れた紅茶でも飲ませたのだろう。

 「いくら可愛い娘とはいえ、まったく、過保護にも程がある。彼女が幼い頃に夫人を亡くしているようだが……。父親は政務で忙しい、母親もいないとなれば、この幼さは仕方ないのか? いや、でも……」

 緊張の糸も切れ、さすがのアベルにも睡魔が襲って来た。

 「あー、もう、やめ、やめ。おやすみ……世間知らずのお嬢様」

 アベルはユージェニーに布団をしっかり掛けてやると、自分は背を向けて眠りについたのだった。
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