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まさか話をしたその日の翌日に拓斗がノスフェラトゥへ出向くとは思いもしなかった。
「今日、あの子はお泊まりで出かけているんです」
日中は業務で立て込んでいて夕刻に「マツモリ食堂」を訪れた伊吹生は密かに後悔する。
(もっとちゃんと言い聞かせておくべきだった)
午後六時を回り、席はほぼ埋まっている店内。拓斗の父親は黙々とオーダーをこなしていく。料理を運んできた母親は、常連の伊吹生にくすぐったそうに笑ってみせた。
「金曜の夜だし、手伝ってほしかったんですけど。拓斗がワガママ言うなんて珍しいし、期末テストも終わって友達と遊びたいだろうから……」
――店を出た伊吹生は携帯で「ノスフェラトゥ」を検索した。例のカーニバル・デイが今日だとわかると、事務所に戻らずにタクシーを拾った。営業時間は午後六時まで。時間外の相談予約もなく、拓斗を探そうと即決した。
(友達と遊ぶよりも店の手伝いを優先してきた子だ)
忙しい週末に手伝いを投げ出すのは考えづらい。生き餌バイトは今夜で間違いないだろう。
帰宅ラッシュで混雑する都心部を抜け、三十分程バイパス道路を走り、シカなどの野生動物が生息する「月鳴岳(つきなりおか)」という山へ。左右に山林が広がる曲がりくねった峠道を慎重に上れば。
「ノスフェラトゥ」が宵闇に光り瞬く夜景を丘の上から見下ろしていた。
ゴシック調の外観が印象的な洋館。かつてリゾートホテルであったのを大々的にリフォームした、宿泊できるVIPルームも備えた巨大なナイトクラブ。
辺鄙な場所にありながらも収容人数、スケール、音響設備など他を抜きん出ており、不定期で開催される異例のイベント「カーニバル・デイ」が不動の人気を定着させていた。
タクシーを降りた伊吹生は仰々しいアーチ付きの門扉を潜り、初めて訪れる「ノスフェラトゥ」と対峙した。
(まだ八時、目玉イベントを始めるには早過ぎる)
正面には鮮やかなネオンカラーでライトアップされた屋外プールがある。多くの若い男女が矢鱈と大きくてカラフルな浮き輪を利用して泳いでいたり、大音量の音楽が流れるプールサイドで酒を飲み交わしていたりと賑わっていた。
金曜日の夜だった。
履き慣らした革靴で石畳の上を進もうとした伊吹生は、はたと足を止める。
視線を感じた。
頭上を仰ぎ、二階のバルコニーに目を留める。騒々しい音楽に合わせて踊るグループ、密着する恋人同士、露骨にはしゃぐ「吸血種」の中に彼はいた。
欄干に腕を乗せて両手を組んでいる。暗闇に溶け落ちそうな黒ずくめのコーディネートに深黒の髪。顔はわからない。
ただ見られているのは嫌でもわかった。
「――甫先生?」
プールサイドで背後から名を呼ばれて伊吹生はハッとする。
振り返れば拓斗が立っていた。
「なんで、ここに?」
心底驚いた様子の拓斗は、すぐに表情を曇らせて俯いた。
「結局、先生も客なんじゃん。カーニバル・デイに来たんだろ」
ラフな私服を着た拓斗のそばには正装姿の男が立っていた。「吸血種」のみで構成されている「ノスフェラトゥ」のスタッフだ。他にも本日の生き餌バイトと見受けられる「普通種」が複数人いた。
「帰ろう、拓斗。家まで送る」
拓斗は肩を震わせた。顔を上げるや否や、伊吹生が差し出した手をまたしても振り払う。
「ガキ扱いすんな、先生」
もう契約した。覚悟は決まっている。怯えた目をしながらも、拳を握り、拓斗は自分を迎えにきた伊吹生を拒んだ。
「部外者の方はお引き取り願えますか」
スタッフが慇懃無礼に「帰れ」と命じてくる。他の「普通種」は伊吹生に助けを求めたそうな者もいれば、我関せず、無表情で突っ立っている者もいた。
揉めている輪から外れ、フードを目深に被り、どんな容貌をしているのか全くわからない「普通種」もいた……。
「俺はこの子の知り合いだ。部外者じゃない」
「もしも彼が誓約書の内容に違反するというのでしたら違約金が発生します」
いつの間にか伊吹生の真後ろにもスタッフが迫っており、物々しげな雰囲気に拓斗は慌てたように口を開く。
「甫先生、もういいって。俺は平気だから。大丈夫。一晩なんか、あっという間に終わるよ……」
家族のため自分に何かできることはないか。どうにも思い詰めていたらしい拓斗が、スタッフの先導で他の「普通種」と共に洋館の裏手へと移動していく。
(お前と、お前の家族のことを思うと、俺は大丈夫でいられない)
後を追おうとした伊吹生を、すかさず他のスタッフが止めに入った。中に入るだけだと言えば、会員証か招待状の提示を求められた。
「ああ……家に忘れてきた」
「会員証および招待状はウェブ上で発行されたものです。今、携帯をお持ちではありませんか」
埒が明かない。伊吹生は強行突破を試みた。しかし二人のスタッフに喰い止められ、駆けつけてきた三人目のスタッフに羽交い締めにまでされた。
それでも伊吹生は諦めきれなかった。
結果、揉み合いの末に勢い余ったスタッフに突き飛ばされ、煌びやかなプールへ落下した。
高く上がった水飛沫。
近くにいた「吸血種」は歓声を響かせて不意打ちのアクシデントに沸き立った。
プールの底に頭をぶつけた伊吹生は、ただ一人、静かに水底へ横たわる。
ぼやける視界に最後に映り込んだのは、自分に向かって差し伸べられた、死神じみた深黒の両腕だった。
「今日、あの子はお泊まりで出かけているんです」
日中は業務で立て込んでいて夕刻に「マツモリ食堂」を訪れた伊吹生は密かに後悔する。
(もっとちゃんと言い聞かせておくべきだった)
午後六時を回り、席はほぼ埋まっている店内。拓斗の父親は黙々とオーダーをこなしていく。料理を運んできた母親は、常連の伊吹生にくすぐったそうに笑ってみせた。
「金曜の夜だし、手伝ってほしかったんですけど。拓斗がワガママ言うなんて珍しいし、期末テストも終わって友達と遊びたいだろうから……」
――店を出た伊吹生は携帯で「ノスフェラトゥ」を検索した。例のカーニバル・デイが今日だとわかると、事務所に戻らずにタクシーを拾った。営業時間は午後六時まで。時間外の相談予約もなく、拓斗を探そうと即決した。
(友達と遊ぶよりも店の手伝いを優先してきた子だ)
忙しい週末に手伝いを投げ出すのは考えづらい。生き餌バイトは今夜で間違いないだろう。
帰宅ラッシュで混雑する都心部を抜け、三十分程バイパス道路を走り、シカなどの野生動物が生息する「月鳴岳(つきなりおか)」という山へ。左右に山林が広がる曲がりくねった峠道を慎重に上れば。
「ノスフェラトゥ」が宵闇に光り瞬く夜景を丘の上から見下ろしていた。
ゴシック調の外観が印象的な洋館。かつてリゾートホテルであったのを大々的にリフォームした、宿泊できるVIPルームも備えた巨大なナイトクラブ。
辺鄙な場所にありながらも収容人数、スケール、音響設備など他を抜きん出ており、不定期で開催される異例のイベント「カーニバル・デイ」が不動の人気を定着させていた。
タクシーを降りた伊吹生は仰々しいアーチ付きの門扉を潜り、初めて訪れる「ノスフェラトゥ」と対峙した。
(まだ八時、目玉イベントを始めるには早過ぎる)
正面には鮮やかなネオンカラーでライトアップされた屋外プールがある。多くの若い男女が矢鱈と大きくてカラフルな浮き輪を利用して泳いでいたり、大音量の音楽が流れるプールサイドで酒を飲み交わしていたりと賑わっていた。
金曜日の夜だった。
履き慣らした革靴で石畳の上を進もうとした伊吹生は、はたと足を止める。
視線を感じた。
頭上を仰ぎ、二階のバルコニーに目を留める。騒々しい音楽に合わせて踊るグループ、密着する恋人同士、露骨にはしゃぐ「吸血種」の中に彼はいた。
欄干に腕を乗せて両手を組んでいる。暗闇に溶け落ちそうな黒ずくめのコーディネートに深黒の髪。顔はわからない。
ただ見られているのは嫌でもわかった。
「――甫先生?」
プールサイドで背後から名を呼ばれて伊吹生はハッとする。
振り返れば拓斗が立っていた。
「なんで、ここに?」
心底驚いた様子の拓斗は、すぐに表情を曇らせて俯いた。
「結局、先生も客なんじゃん。カーニバル・デイに来たんだろ」
ラフな私服を着た拓斗のそばには正装姿の男が立っていた。「吸血種」のみで構成されている「ノスフェラトゥ」のスタッフだ。他にも本日の生き餌バイトと見受けられる「普通種」が複数人いた。
「帰ろう、拓斗。家まで送る」
拓斗は肩を震わせた。顔を上げるや否や、伊吹生が差し出した手をまたしても振り払う。
「ガキ扱いすんな、先生」
もう契約した。覚悟は決まっている。怯えた目をしながらも、拳を握り、拓斗は自分を迎えにきた伊吹生を拒んだ。
「部外者の方はお引き取り願えますか」
スタッフが慇懃無礼に「帰れ」と命じてくる。他の「普通種」は伊吹生に助けを求めたそうな者もいれば、我関せず、無表情で突っ立っている者もいた。
揉めている輪から外れ、フードを目深に被り、どんな容貌をしているのか全くわからない「普通種」もいた……。
「俺はこの子の知り合いだ。部外者じゃない」
「もしも彼が誓約書の内容に違反するというのでしたら違約金が発生します」
いつの間にか伊吹生の真後ろにもスタッフが迫っており、物々しげな雰囲気に拓斗は慌てたように口を開く。
「甫先生、もういいって。俺は平気だから。大丈夫。一晩なんか、あっという間に終わるよ……」
家族のため自分に何かできることはないか。どうにも思い詰めていたらしい拓斗が、スタッフの先導で他の「普通種」と共に洋館の裏手へと移動していく。
(お前と、お前の家族のことを思うと、俺は大丈夫でいられない)
後を追おうとした伊吹生を、すかさず他のスタッフが止めに入った。中に入るだけだと言えば、会員証か招待状の提示を求められた。
「ああ……家に忘れてきた」
「会員証および招待状はウェブ上で発行されたものです。今、携帯をお持ちではありませんか」
埒が明かない。伊吹生は強行突破を試みた。しかし二人のスタッフに喰い止められ、駆けつけてきた三人目のスタッフに羽交い締めにまでされた。
それでも伊吹生は諦めきれなかった。
結果、揉み合いの末に勢い余ったスタッフに突き飛ばされ、煌びやかなプールへ落下した。
高く上がった水飛沫。
近くにいた「吸血種」は歓声を響かせて不意打ちのアクシデントに沸き立った。
プールの底に頭をぶつけた伊吹生は、ただ一人、静かに水底へ横たわる。
ぼやける視界に最後に映り込んだのは、自分に向かって差し伸べられた、死神じみた深黒の両腕だった。
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