嗜虐的に恋して咬みついて

石月煤子

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 木製の扉を開けば小気味よく鳴った昔懐かしいベルの音色。

「すみません、今、準備中なんです」

 前掛けのエプロンを身につけ、テーブルを拭いていた細身の男性が声をかけてくる。

 扉にぶら下がっていた「準備中」というプレートを無視し、入店した伊吹生と目が合うと、彼は微かに息を呑んだ。

「伊吹生……君?」

 久し振りに会う義兄の菖に伊吹生は小さく笑いかけた。



「あのとき、俺に咬みついてもよかったのに」

 煉瓦造り風の外壁。入り口には店名の入った看板が掲げられている。こぎれいな店内の内装はレトロ感があって、居心地のいい雰囲気だった。

「どうして奪ってくれなかったんだろう?」

 四人掛けのテーブル席についていた伊吹生は、向かい側に座る菖を再度見やった。

「あのとき、俺、突き放されて何もできなかった。これまでにないくらい頭が真っ白になって……伊吹生君が血を流すのを見ていることしかできなかった」
「……兄さん」

 日曜日の昼下がりだった。

 店主は買い出しに出かけていて、二人きりの店内にしばし流れた静寂。

「……ふ」

 余所余所しくすらあった束の間の静けさは、思わず吹き出した二人の笑い声によって破られた。

「伊吹生君、だって。いい年した弟に」
「俺も。兄さんなんて初めて呼んだ」
「法事のときだって素っ気なく帰っちゃうし、あんまりにも久々だから。どんな風に話していたか、お互い、忘れてたみたいだね」

 伊吹生より二つ年上の菖は、ブラウン系の落ち着いたカラーに髪を染め、五指の爪を短く綺麗に整えていた。清潔感に気を遣っているのがよくわかる身だしなみで、線の細い見た目、それでいて場を和ます朗らかな笑い方は昔と変わりなかった。

「もっと気軽に帰ってきたらいいのに」

 数年の会社員時代を経て、現在は地元に帰ってきて父の洋食レストランを継ぐつもりだという独身の菖は、さっぱりとした笑顔で続けた。

「今までもこれからも、ずっと、俺達は大切な家族同士なんだから」

 ――それから伊吹生は兄と他愛ない話をした。戻ってくるなり仰天した義理の父親に手土産を渡せば、気を遣わなくていいのにと、分厚い手で何回も背中を叩かれた。




 久々に訪ねた地元への感慨もそこそこに伊吹生は新幹線で日帰りの帰路についた。

 最寄りの駅に到着すると、自宅、事務所とは違う方向のバスに乗車し、あまり馴染みのない市街地へ。

 見通しのいい整然とした景観。近辺にキャンパスを構える九鳥居大学の学生らしき若者と何回か擦れ違う。

 暮れゆく街中、交通量の多い表通り沿いを進んでいた伊吹生は、新築のデザイナーズマンションの前で足を止めた。

「僕の家に用ですか」

 伊吹生は特に驚くでもなく振り返る。

「お前の方こそストーカーみたいだな」

 行きの新幹線に乗る前から、一定の距離をおいて追跡してくる凌貴には気づいていた。

「これ以上、俺をつけ回すのも大変だろうと思って、お前の家までお前を送り届けてやった」

 嫌味のつもりで言ってやれば、黒いキャップを被った凌貴は表情一つ変えずに「家がどこにあるか、拓斗君から聞いたんですね」と然して興味もなさそうに口にした。

 念入りに神経を巡らせ、心春の尾行がないことを確認し、伊吹生は菖の元を訪れていた。ただ凌貴に関しては放置した。すでに調査員から情報を得ている彼を警戒するのは今更なような気がしたのだ。

「どうぞ。せっかくなので寄っていってください」

 路上に面した、植栽の陰になっている一階の玄関ドアを解錠して、凌貴は伊吹生を部屋へ招く。

 気乗りしないお招きに伊吹生は仕方なく乗じた。

「お邪魔します」

 開放感ある吹き抜けの空間に出迎えられた。

 光沢を放つフローリング。高い天井。一人暮らしには持て余しそうなL字型のレザーソファがリビングを陣取っている。照明は天井のシーリングライトのみ、テレビもパソコンもテーブルも見当たらない。

 スケルトン階段が壁に沿ってメゾネットの上階へと続いており、その途中で猫が寝そべっていた。

「お前が拓斗に咬みついた猫か」

 肩からトートバッグを提げた伊吹生は目を瞑った黒猫に文句をぶつける。

「ひどい奴だな。飼い主に似たのか」
「僕は飼い主じゃありません」
「野良猫まで拉致っているのか?」
「いちいちひどい言い方をしますね。餌は余所でもらっているようです。ここには休みにくるだけ。だから名前もつけていません」

 キャップを外した凌貴は、前屈みになって黒猫を覗き込んでいる伊吹生に寄り添う。ネクタイを緩めてワイシャツを腕捲りした、いつもと同じスタイルの司法書士に取引を持ちかけた。

「貴方が僕に抱かれてくれるのなら、高岡心春さんを攻撃しないであげてもいいですよ」




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