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しおりを挟むソファの前で柚木はぎこちなく振り返った。
ネクタイの結び目を大至急想定し、精悍な顔よりやや下に視線を定めた。
「柚木は俺のことが苦手だろう」
ネクタイの結び目と想定した先には凹凸豊かな喉仏があり、それすら見るのに躊躇して顔を伏せた柚木は……耳を疑った。
「は……い……?」
「目が合ったら逸らされる。一年のときからずっとそうだ」
(はい~~~!?)
「俺がマストになってからは話してくれるようになった、でも、やっぱり目を合わせてくれない」
柚木は俯いたまま両目をヒン剥かせる。
すっかり見慣れたつむじを視界の中心に据え、比良は話を続けた。
「意識が一時的に遮断されて、目が覚めたとき。そばにいてくれた柚木はいつも素っ気なく離れていく」
「そ……素っ気なく……」
「マストの俺には膝枕してくれていたのに」
「床に寝かせたら、頭、痛くなるかなぁって……」
「俺に触られるのも嫌がる」
「えっ?」
「空き教室で俺が噛み痕を確認していたら、すぐに腕を引っ込めた」
「っ……だから、それは……」
(変なこと思い出しちゃって、比良くんに申し訳なかったから……)
逆だよ、誤解だよ。
ずっと拝んできたよ。
むしろ憧れてきたんだよ?
ご尊顔を直視するなんて恐れ多いんだよ、苦手だなんてそんな、大いなる勘違いだよ、比良くん……!!
「ッ……ッ……ッ」
頭の中では目一杯弁解しつつも何一つ言葉にできずに、柚木は限界まで項垂れた。
(……とてもじゃないけど恥ずかしくて本人には言えません……)
やり場のない自己嫌悪が込み上げてくる。
ベージュ色のベストを握り締め、返答に迷って、束の間の沈黙に押し潰される……。
「……もう帰るから」
比良のその声に柚木の心はぐしゃりと拉(ひしゃ)げそうになった。
「今日は無理を言ってお邪魔して本当に悪かった」
教室に気持ちよく響く挨拶、誰もが聞き惚れる滑らかな音読からはかけ離れた、色褪せた声色。
ケージの中の大豆を撫でる比良の横顔を窺い、柚木は酸欠の金魚みたいに口をパクパクさせた。
(このまま比良くんを帰していいのか?)
片道一時間くらいの帰り道を淋しい気持ちのまま行かせるのか?
おうちに帰っても、淋しい気持ちのままだったらどーするんだ?
(でも、ずっと憧れてたなんて言えない、恥ずかしすぎる)
薄暗くなってきたリビング、目の前を横切ってスクールバッグを拾い上げた比良の背後に柚木は近寄った。
チェック柄のズボンにインしているブルーの長袖シャツを遠慮がちに握る。
「柚木? どうした……?」
(何か言わないと)
しかし、なかなか上手い言葉が見つからない。
不思議そうに見下ろしてくる比良に早く何か言わなければと焦った柚木は。
「誕生日おめでとう!!!!」
大豆がびっくりするくらいの大声で連休中に誕生日を迎えていた比良を藪から棒に祝福した。
「みどりの日が誕生日でしょ!? 五月四日! 元々は国民の休日! おっ、おめでとう!! 十七歳おめでとう!!」
本日、同級生や部活仲間からもお祝いの言葉をたくさんもらっていた比良は。
やたら「おめでとう」を連呼してくる柚木に、くすぐったそうに笑った。
「ありがとう、柚木、嬉しい」
色褪せていた声色を仄かな昂揚で弾ませ、悄然としていた面持ちを和らげてくれた彼に、柚木は思う。
(……後光が差して見える……)
自分の頭を撫でようとして、逡巡している掌に気がつくと、柚木は思い切って胸の内の一部を伝えた。
「おれっ……比良くんのこと苦手じゃないよ」
「……無理してるんじゃないのか?」
「んなまさかっ……いやいや、ほんとに……断じて……あ……」
柚木の頭にそっと着地した掌。
自分と同じ黒髪だが、艶も質も違う、オメガ男子の天辺を比良は優しく撫でた。
「大豆の毛玉がついてた」
一つまみの毛玉を取り除いて微笑む<別格のアルファ>に柚木はまんまと視線を奪われる。
「それから、柚木、苦手じゃないのなら俺と連絡先を交換してくれないか……?」
いつにもまして丁寧な物腰でお願いされると、怖いくらい胸が高鳴って、比良にまで聞こえてしまうんじゃないかとソワソワした……。
「それじゃあ、大豆、また遊びにくる」
二人はメールアプリの連絡先を交換した。
ケージの中で構ってほしくて鳴く大豆に声をかけ、比良は玄関へ、柚木は見送りのために後をついていった。
「比良くん、そろそろ言った方がいいと思う」
手入れを欠かさない革靴に爪先を馴染ませた彼は、体ごと振り返って柚木と向かい合う。
天井に点された明かり。
玄関ドアのすりガラスは夕闇で塗り潰されていた。
「両親が忙しくて、なかなか話す機会がないんだ」
(比良くんのお父さんは確か大学の先生だった)
ウチと同じで共働きなんだ、さすがにお母さんが何の仕事してるのかまでは知らないな。
だけどマストになってもう一ヶ月。
いくら何でも打ち明けるのを先延ばしにし過ぎなんじゃあ……。
「それに最近、学校がとても楽しいんだ」
「え? あ、そうなんだ……」
小学生みたいな意外な返答に柚木はちょっとまごついた。
(マストになったのに学校が楽しいって、どーいう心境なんだろ、よくわかんないな)
「柚木、よくわからないって顔してる」
柚木は素直に赤面した。
リビングで交わした会話を踏まえ、恐縮しながらも憧れのクラスメートと視線を合わせて「帰り、気をつけて」と言葉をかけた。
「ああ。お邪魔しました」
(あ。比良くんの髪にも大豆の毛が……)
「待って、比良くん」
玄関ドアの取っ手を掴もうとしていた比良はくるりと振り返った。
「頭、大豆の毛がついてーー……」
不意に、日が暮れて深みの増していた黒曜石の瞳が柚木の目の前に迫った。
今にもキスしそうな距離で視線が重なって思わず硬直してしまう。
呼吸の仕方まで忘れかけた。
「とってくれるか?」
「っ……えっ、あっ、ハイ……」
屈んでいた彼の頭に手を伸ばし、漆黒の髪にくっついていた大豆の毛を取り除く。
「ありがとう。柚木は優しいな。じゃあ、また学校で」
比良は柚木家を去っていった。
(大袈裟だよ、さっき比良くんだって取ってくれたじゃん……)
数多のハートを射止める笑顔の残像が視界に尾を引いて、柚木は、しばし玄関で放心していた。
(比良くん、また遊びにくるって言ってた)
連絡先まで交換してしまった。
国宝並みに貴重なアカウントだ、しばらく寝る前に拝ませてもらおうっと。
「……」
口元を綻ばせて携帯を覗き込んでいた柚木は、ふと数回瞬きし、閉ざされた玄関ドアを見つめた。
「……おれの方こそ勘違いしちゃだめだ……」
同じクラスでも住む世界が違う。
月とスッポン。
自分自身と比良をそう区別してきたオメガ男子は制服ズボンのポケットに携帯を仕舞う。
(おれはマストくんの欲を解消させるための性処理係、それ以上でも以下でもない)
比良くんは誰にも分け隔てなくて、みんなに優しい。
おれだけが特別扱いされてるわけじゃない。
「おれは池の底を這うスッポンへっぽこオメガ……お月様には一生届かない……」
極端なまでに卑屈になった柚木は、家族が帰ってくるまでの間、薄明るい玄関に一人ぼんやり立ち尽くすのだった。
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