魔王の娘、幻覚の中で嘘を抱く

スッタ

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第二部

2.2

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鎖が外れた瞬間、
エルナは――自由になったとは思えなかった。

鉄が床に落ちる音は、やけに軽い。

長いあいだ骨の奥まで染みついていた重みが消えたはずなのに、身体の内側には、まだ何かが絡みついている。

「歩けるな?」

兵士の声は確認というより、ほとんど命令だった。

エルナは黙ってうなずき、立ち上がる。

足はわずかにふらついた。
だが、倒れない。

倒れることすら、許されない気がした。

「……はい」

短い返事。
それだけで十分だったらしい。

兵士は通路の奥を顎で示した。

地下牢を出る通路は長かった。

歩くたび、エルナは自分の足が震えていることに気づく。

恐怖ではない。
疲労でもない。

――外に出るのが、怖い。

世界がまだ、そこにあることが。


通された部屋は、牢よりはましだった。

だが、“客室”と呼ぶにはあまりにも無機質だ。

窓は小さく、外の景色は見えない。
扉の外には、常に見張りが立っている。

ほどなくして、高官が現れた。

机を挟み、書類をめくりながら言う。

「これから、お前は魔王討伐に向かう」

エルナは何も言わない。

「魔王リュナの討伐。
成功すれば、自由と名誉を与える」

自由。

その言葉が、妙に軽く聞こえた。

「失敗したら?」

エルナは静かに訊く。

高官は一瞬だけ目を伏せた。

「……記録から消えるだけだ」

やはり。

「拒否したら?」

「地下牢に戻る。
あるいは――処分だ」

選択肢は、最初からない。

エルナは少しだけ考えた。

そして答えた。

「……分かった」

従うためではない。

生き残るためでもない。

(真実を知る)

アレンは本当に死んだのか。
誰が、何を隠したのか。
リュナは、なぜ魔王になったのか。

それを知らずに終わるくらいなら、
この国に使われる方が、まだましだった。


同じ頃。

城下町の外れで、ミラは身を潜めていた。

協会の紋章は外し、装備も最低限。

かつて“正義”を名乗っていた立場は、今や追われる側だ。

「……皮肉ね」

小さく呟く。

勇者パーティの一員。
魔王討伐を“見届けた”暗殺者。

それなのに。

「全部、私の責任だなんて」

ミラは空を見上げた。

魔王は生きている。

しかも――“勇者だった少女”が。

協会は言った。

「報告が誤っていた」
「虚偽、あるいは錯誤」
「責任は、お前にある」

ミラは、確かに見た。

血にまみれたアレン。
倒れ伏す魔王。
動かないリュナ。

あの光景は、あまりにも現実だった。

それでも――

リュナは生きていた。

「……別人が名乗っている?」

小さく首を振る。

その可能性も考えた。

けれど。

「……そんな気もしないのよね」

ミラは静かに息を吐いた。

答えは出ない。

でも、確かめるしかない。

彼女は歩き出した。


地下牢の扉が閉じる音が、やけに大きく響いた。

――外に出た。

それだけで、足元が少し不安定になる。

エルナは手を握り、開く。

鎖はない。

それが事実だと理解するまで、少し時間がかかった。

「……久しぶりの自由は、どう?」

背後から、柔らかな声。

振り返ると、黒髪の少女が立っていた。

フードを外し、灰色の瞳でこちらを見ている。

穏やかな微笑み。
だが、どこか作り物めいていた。

「誰?」

エルナは距離を取ったまま訊く。

「ミラ。元・協会所属。元勇者パーティよ」

さらりと言う。

エルナの眉がわずかに動いた。

――協会所属の勇者パーティ。

勇者を選び、管理する組織。

魔王討伐を導く者たち。

「……暗殺者?」

「ええ。正確には“だった”だけど」

ミラは肩をすくめる。

「今は追われる側。
あなたと似たようなものね」

「私は何もしてない」

「それでも鎖に繋がれていたでしょう?」

ミラの声は柔らかい。

「あなたが私を知っているように、
私もあなたを知っているの。
当然よ」

エルナは黙る。

事実だった。

「……それで」

エルナが言う。

「何の用?」

「確認よ」

ミラは即答した。

「あなたが“本気”かどうか」

「何の?」

「魔王を殺す気があるかどうか」

空気が少し冷える。

エルナの胸の奥で、何かが動いた。

「……あの魔王」

少し間を置く。

「本当に、殺すべき?」

ミラの瞳が、わずかに揺れた。

「あなた、見たんでしょう」

エルナは続ける。

「アレンとリュナと、魔王の死に様」

ミラはゆっくり息を吐いた。

「……見たわ」

「確信してる?」

「……あの出血量なら、生きているはずがない」

「“見たもの”が本当ならね」

ミラの表情が少し硬くなる。

「何が言いたいの?」

「分からない」

エルナは言う。

「兄は死んだって言われた。
でもリュナは生きてる。魔王になって」

「……」

「だったら」

エルナは静かに続けた。

「何かが違う」

ミラは黙る。

自分の報告。
協会の判断。
そして今の現実。

辻褄が合わない。

「……疑い深いのね」

ミラが言う。

エルナは少し笑った。

冷えた笑み。

「あの兄の妹だから」

その一言で、ミラは理解した。

――感情の種類が違う。

この少女は、正義でも使命でも動いていない。

もっと個人的で、逃げ場のない理由。

「私は、真実を知りたい」

エルナは言う。

「兄が殺されたなら、その理由。
生きてるなら、その居場所」

そして。

「そのためなら」

静かな声で言い切る。

「魔王も、国も、協会も壊す」

沈黙。

ミラは目を伏せた。

(……似てる)

思い出す。

勇者パーティの中で、
一番危うくて、一番優しかった少女。
そしてそれを支え続けていた少年。

二人の勇者に。

「……いいわ」

ミラは言った。

「私は魔王を殺したい。
それが今の私の生き方だから」

「目的は違う」

「ええ。でも行き先は同じ」

利害の一致。

エルナは少し考えて、うなずいた。

「……裏切ったら?」

「殺せばいいわ」

ミラは微笑む。

「あなたも私も、できるでしょう?」

エルナは答えない。

ただ前を見る。

曇った空。
遠くで鳴る戦の気配。

鎖は外れた。

だが、自由ではない。

それでも。

エルナは一歩踏み出す。

「行こう」

ミラが訊く。

「どこへ?」

エルナは空を見上げた。

そして言う。

「兄が死んだ場所」

その言葉に、ミラの心臓がわずかに跳ねた。

――そこは。

彼女が、あの報告を書いた場所だった。
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