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八
恋の季節-4
しおりを挟む「ああ、もう、やっと戻ってきたわね、遅いわ」
その後、ようやく部屋に戻ったエリンに、アーシュラが、待ちかねたように口をとがらせた。今朝は当分顔を見せるなとうるさかったのに、勝手な主人である。
鏡台の前に座って、鏡の前に何やら並べているようだ。
「ねぇ、髪が絡まって、気持ち悪いわ」
「あんなに庭ではしゃいでは、仕方がないでしょう」
ため息をついて櫛に手を伸ばす。柔らかい髪は散々風に吹かれたせいであちこち絡まって、エリンは時間をかけて梳き整えなければならなかった。
少女が鏡台に並べていたのは、今日ゲオルグが持ってきたどこかの土産のようだった。色とりどりの美しいガラスの小瓶で、中には何か入っているようだった。
「その瓶は?」
「ゲオルグが持ってきてくれたの。冬の間訪れていた、ムースウエストのお土産なのよ」
「土産……瓶がですか?」
「香水が入っているのよ。南の島の、色々な花の香りですって。ええと……これが、プルメリア……」
勧められるまま、磨りガラスの白い小瓶に顔を寄せると。濃密な甘い香りが広がる。確かに、アヴァロン城の花々には無い香りだ。
「いい香りでしょう、ゲオルグはね、この中で一番好きだって」
「左様で」
「ゲオルグはここに並んでいるお花、全部実物を見たことがあるのよ」
その夜、アーシュラは食事中も、入浴中も、ベッドに入った後さえも、ゲオルグがゲオルグがと、嬉しそうに話し続けた。
「それでね……ちょっと、エリン、エリンってば」
「……聞いております」
「聞きたくない、って顔をしてるわ」
エリンにしてみれば、特に聞きたくもない話を延々と聞かされているのだから、当たり前である。
「そう思うのでしたら、いい加減お休みください」
しかし、不機嫌な顔を見せるなんて、普段感情を表に出さないエリンには極めて珍しいことだ。
「エリン……」
アーシュラは口をつぐんで、むっとした様子の従者をまじまじと見つめる。それから、何かを思いついたように目を見開くと、にっと笑って彼の襟ぐりを掴んで引き寄せ、白い腕を首に絡めて、従者の頭をぎゅっと抱きしめた。
「知らなかったわ。お前でもやきもちを焼くことがあるのね」
耳元でフフフと笑われて、されるがままのエリンは不本意そうに主の腕を引き剥がす。
「そういうものではありません」
「そうかしら?」
「断じて違います」
「嘘ね」
「何ですかそれは」
エリンの頑なな返答に、アーシュラは余計面白そうに笑う。ああ、これでは違うと説明するだけ逆効果ではないか。違うのに。
――違うのか?
自問した瞬間、違わないことを悟ってしまう。そうなのだ、自分はただ、主人をあの少年に取られてしまったような気がして、気に入らないだけなのだ。けれど、そんなこと、言えるはずがない。
自分はただの守護者で、主のなすことに口を出すような立場では――
「……もし、そうだと言ったら、あの方と会うのをやめてくださるのですか?」
口をついた言葉が意に反しているのか、そうでないのか、分からなかった。アーシュラは少しだけ考えて、そして、当たり前のような顔できっぱりと答えた。
「お前がそう願うなら、会うのをやめるわ」
「え……」
「どう?」
少年は途方に暮れた。けれど、そんなことを問われたら、答えなどひとつしか無い。
「……私がそれを望むことは、ありません」
自分が望むのは、いつだって目の前のこの人の幸せなのだから。
剣の言葉を聞いた姫は、少し切なげに俯いて、そして、溶けるように甘く微笑んだ。
「忘れないでね、エリン。わたくしは、何があろうと、どんな時でも、お前を拒むことは無いわ」
白い指がエリンの冷たい頬をなぞり、瞳の色を隠すため伸ばした前髪をそっとよけて、美しい左の目を顕わにする。心のなかを覗きこまれたような気がして、少年は、切れ長の目をほんの僅かに細めて、笑った。
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