51 / 126
九
揺れる心-2
しおりを挟む
翌日、夜。
「分かっているわ、朝までお部屋で大人しくしているから、安心しなさい」
「約束ですよ、殿下。絶対に――」
「くどい」
心配が過ぎて何度も何度も念を押すエリンに、アーシュラはいい加減ムッとした様子で言った。
「エリン様、ご安心ください。私がちゃんとお側におりますから」
見かねたリゼットが真面目な顔で言い添えると、エリンはしぶしぶ納得して口を閉ざす。
今晩は、エリンは一人城を出て、コルティスの屋敷を探ることになっていた。そこまで疑ってかかる必要があるのかどうかエリンには疑問だったが、アーシュラが、何となく気になる、といって譲らなかったのだから、従わない理由はなかった。
「分かりました……リゼット、くれぐれもよろしく頼みます」
「お任せください」
そして今夜はエリンの代わりに、リゼットがアーシュラの部屋に泊まりこむことになった。
別に、アーシュラが一人で朝まで過ごしても問題はないはずなのだが、こちらはエリンがどうしてもと譲らなかったのだ。彼女の体調が急に変わるかもしれないのに、誰も傍に居ないのでは困る。
「夜の間は、先生も陛下のお部屋から出ていらっしゃらないと思いますから、部屋を出なければ、気付かれることは……たぶん、ないと思います」
「情けない子ね、断言出来ないの?」
「できません」
ベネディクトの立場をこれ以上悪くしないために、この計画は三人だけの秘密であった。特に、アドルフに悟られることだけは、避けなければいけない。
城内の誰にも気付かれず城を出ることは、今のエリンにはもう容易なことであったけれど、ツヴァイの目を盗むことだけは別である。
三歳で城に入ってからずっと、あの人について学んできたのだ。自分だってもう未熟者ではないと自負してはいるが――それでも、こればかりはやってみないと分からない。
「とにかく……行ってまいります。くれぐれも、二人で朝まで大人しくしていてくださいますよう」
二人に見送られ、バルコニーに出たエリンは、月明かりに光る金の髪を隠すように、黒いフードのついた外套を目深に被り、ヒラリと手すりを乗り越えると、そのまま、闇に溶けるように消えていった。
「行っちゃったわね」
従者の姿が消えていった方を目を凝らして見つめたまま、アーシュラがどことなく寂しそうに言う。
「やはり、お心細いですか?」
リゼットは、部屋を見回してマントを見つけると、主人の細い肩に着せかける。刹那、ざわと庭の木が揺れる音がして、ひんやりした夜風が二人の髪や衣服をはためかせた。春とはいえ、まだ夜は寒い。
「大丈夫よ、こういうことって、今まで無かったって、思ってただけ。今夜は……」
「わっ」
アーシュラは今リゼットが持ってきたばかりの上着をふわっと広げて、妹分を包み込むようにしてぎゅうと抱きつく。
「あなたがいるものね」
「で、殿下っ……!?」
ふわふわして細い主人の身体をどう扱って良いか分からず、リゼットはおろおろと手を彷徨わせる。アーシュラはメイドの困惑などお構いなしに、暖かい胸に体を預けた。
「大きくなったわねえ、リゼット。もう、今月十四歳だものね」
アーシュラがしみじみと呟く。年下のリゼットだが、背はもうアーシュラよりも高かった。
「……全部、殿下のおかげです」
「まぁ、そんなことは無いわよ、わたくしこそ、あなたには感謝しているの。だって、たった一人の、女の子のお友達だもの」
皇女はニコニコと笑う。リゼットは恥ずかしそうに俯いた。
「もったいないお言葉です……皇女殿下」
「お友達なんだから、二人の時はそんなに畏まらないで、ゲオルグみたいに普通にお話してくれたら良いのに」
「なっ……」
突然ゲオルグの名前が飛び出し、どうしてかリゼットは慌てた様子で顔を上げると、怒ったような顔で言った。
「あ、あんないい加減な方と……一緒にしないでください!」
「そう?」
「そうです……だ、だいたい、カルサス様は殿下の覚えが良いのをいい事に、殿下に対してとんでもなく無礼なこと、平気で言っちゃうし、城内でもいつも好き放題で、わ、私にだって……」
リゼットの台詞は、だんだんボリュームを小さくしていく。本当はその時、彼女の健康そうな顔は耳まで赤くなっていたのだけれど――夜のおかげでそれは見えなかった。
「分かっているわ、朝までお部屋で大人しくしているから、安心しなさい」
「約束ですよ、殿下。絶対に――」
「くどい」
心配が過ぎて何度も何度も念を押すエリンに、アーシュラはいい加減ムッとした様子で言った。
「エリン様、ご安心ください。私がちゃんとお側におりますから」
見かねたリゼットが真面目な顔で言い添えると、エリンはしぶしぶ納得して口を閉ざす。
今晩は、エリンは一人城を出て、コルティスの屋敷を探ることになっていた。そこまで疑ってかかる必要があるのかどうかエリンには疑問だったが、アーシュラが、何となく気になる、といって譲らなかったのだから、従わない理由はなかった。
「分かりました……リゼット、くれぐれもよろしく頼みます」
「お任せください」
そして今夜はエリンの代わりに、リゼットがアーシュラの部屋に泊まりこむことになった。
別に、アーシュラが一人で朝まで過ごしても問題はないはずなのだが、こちらはエリンがどうしてもと譲らなかったのだ。彼女の体調が急に変わるかもしれないのに、誰も傍に居ないのでは困る。
「夜の間は、先生も陛下のお部屋から出ていらっしゃらないと思いますから、部屋を出なければ、気付かれることは……たぶん、ないと思います」
「情けない子ね、断言出来ないの?」
「できません」
ベネディクトの立場をこれ以上悪くしないために、この計画は三人だけの秘密であった。特に、アドルフに悟られることだけは、避けなければいけない。
城内の誰にも気付かれず城を出ることは、今のエリンにはもう容易なことであったけれど、ツヴァイの目を盗むことだけは別である。
三歳で城に入ってからずっと、あの人について学んできたのだ。自分だってもう未熟者ではないと自負してはいるが――それでも、こればかりはやってみないと分からない。
「とにかく……行ってまいります。くれぐれも、二人で朝まで大人しくしていてくださいますよう」
二人に見送られ、バルコニーに出たエリンは、月明かりに光る金の髪を隠すように、黒いフードのついた外套を目深に被り、ヒラリと手すりを乗り越えると、そのまま、闇に溶けるように消えていった。
「行っちゃったわね」
従者の姿が消えていった方を目を凝らして見つめたまま、アーシュラがどことなく寂しそうに言う。
「やはり、お心細いですか?」
リゼットは、部屋を見回してマントを見つけると、主人の細い肩に着せかける。刹那、ざわと庭の木が揺れる音がして、ひんやりした夜風が二人の髪や衣服をはためかせた。春とはいえ、まだ夜は寒い。
「大丈夫よ、こういうことって、今まで無かったって、思ってただけ。今夜は……」
「わっ」
アーシュラは今リゼットが持ってきたばかりの上着をふわっと広げて、妹分を包み込むようにしてぎゅうと抱きつく。
「あなたがいるものね」
「で、殿下っ……!?」
ふわふわして細い主人の身体をどう扱って良いか分からず、リゼットはおろおろと手を彷徨わせる。アーシュラはメイドの困惑などお構いなしに、暖かい胸に体を預けた。
「大きくなったわねえ、リゼット。もう、今月十四歳だものね」
アーシュラがしみじみと呟く。年下のリゼットだが、背はもうアーシュラよりも高かった。
「……全部、殿下のおかげです」
「まぁ、そんなことは無いわよ、わたくしこそ、あなたには感謝しているの。だって、たった一人の、女の子のお友達だもの」
皇女はニコニコと笑う。リゼットは恥ずかしそうに俯いた。
「もったいないお言葉です……皇女殿下」
「お友達なんだから、二人の時はそんなに畏まらないで、ゲオルグみたいに普通にお話してくれたら良いのに」
「なっ……」
突然ゲオルグの名前が飛び出し、どうしてかリゼットは慌てた様子で顔を上げると、怒ったような顔で言った。
「あ、あんないい加減な方と……一緒にしないでください!」
「そう?」
「そうです……だ、だいたい、カルサス様は殿下の覚えが良いのをいい事に、殿下に対してとんでもなく無礼なこと、平気で言っちゃうし、城内でもいつも好き放題で、わ、私にだって……」
リゼットの台詞は、だんだんボリュームを小さくしていく。本当はその時、彼女の健康そうな顔は耳まで赤くなっていたのだけれど――夜のおかげでそれは見えなかった。
0
あなたにおすすめの小説
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない
くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、
軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。
言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。
――そして初めて、夫は気づく。
自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。
一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、
「必要とされる存在」として歩き始めていた。
去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。
これは、失ってから愛に気づいた男と、
二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。
――今さら、遅いのです。
辺境伯夫人は領地を紡ぐ
やまだごんた
恋愛
王命によりヴァルデン辺境伯に嫁ぐことになった、前ベルンシュタイン公爵令嬢のマルグリット。
しかし、彼女を待っていたのは60年にも及ぶ戦争で荒廃し、冬を越す薪すら足りない現実だった。
物資も人手も足りない中、マルグリットは領地の立て直しに乗り出す。
戦しか知らなかったと自省する夫と向き合いながら、少しずつ築かれていく夫婦の距離。
これは、1人の女性が領地を紡ぎ、夫と共に未来を作る「内政×溺愛」の物語です。
全50話の予定です
※表紙はイメージです
※アルファポリス先行公開(なろうにも転載予定です)
【完結】あなたを忘れたい
やまぐちこはる
恋愛
子爵令嬢ナミリアは愛し合う婚約者ディルーストと結婚する日を待ち侘びていた。
そんな時、不幸が訪れる。
■□■
【毎日更新】毎日8時と18時更新です。
【完結保証】最終話まで書き終えています。
最後までお付き合い頂けたらうれしいです(_ _)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる