紫灰の日時計

二月ほづみ

文字の大きさ
51 / 126

揺れる心-2

しおりを挟む
 翌日、夜。
「分かっているわ、朝までお部屋で大人しくしているから、安心しなさい」
「約束ですよ、殿下。絶対に――」
「くどい」
 心配が過ぎて何度も何度も念を押すエリンに、アーシュラはいい加減ムッとした様子で言った。
「エリン様、ご安心ください。私がちゃんとお側におりますから」
 見かねたリゼットが真面目な顔で言い添えると、エリンはしぶしぶ納得して口を閉ざす。
 今晩は、エリンは一人城を出て、コルティスの屋敷を探ることになっていた。そこまで疑ってかかる必要があるのかどうかエリンには疑問だったが、アーシュラが、何となく気になる、といって譲らなかったのだから、従わない理由はなかった。
「分かりました……リゼット、くれぐれもよろしく頼みます」
「お任せください」
 そして今夜はエリンの代わりに、リゼットがアーシュラの部屋に泊まりこむことになった。
 別に、アーシュラが一人で朝まで過ごしても問題はないはずなのだが、こちらはエリンがどうしてもと譲らなかったのだ。彼女の体調が急に変わるかもしれないのに、誰も傍に居ないのでは困る。
「夜の間は、先生も陛下のお部屋から出ていらっしゃらないと思いますから、部屋を出なければ、気付かれることは……たぶん、ないと思います」
「情けない子ね、断言出来ないの?」
「できません」
 ベネディクトの立場をこれ以上悪くしないために、この計画は三人だけの秘密であった。特に、アドルフに悟られることだけは、避けなければいけない。
 城内の誰にも気付かれず城を出ることは、今のエリンにはもう容易なことであったけれど、ツヴァイの目を盗むことだけは別である。
 三歳で城に入ってからずっと、あの人について学んできたのだ。自分だってもう未熟者ではないと自負してはいるが――それでも、こればかりはやってみないと分からない。
「とにかく……行ってまいります。くれぐれも、二人で朝まで大人しくしていてくださいますよう」
 二人に見送られ、バルコニーに出たエリンは、月明かりに光る金の髪を隠すように、黒いフードのついた外套を目深に被り、ヒラリと手すりを乗り越えると、そのまま、闇に溶けるように消えていった。

「行っちゃったわね」
 従者の姿が消えていった方を目を凝らして見つめたまま、アーシュラがどことなく寂しそうに言う。
「やはり、お心細いですか?」
 リゼットは、部屋を見回してマントを見つけると、主人の細い肩に着せかける。刹那、ざわと庭の木が揺れる音がして、ひんやりした夜風が二人の髪や衣服をはためかせた。春とはいえ、まだ夜は寒い。
「大丈夫よ、こういうことって、今まで無かったって、思ってただけ。今夜は……」
「わっ」
  アーシュラは今リゼットが持ってきたばかりの上着をふわっと広げて、妹分を包み込むようにしてぎゅうと抱きつく。
「あなたがいるものね」
「で、殿下っ……!?」
 ふわふわして細い主人の身体をどう扱って良いか分からず、リゼットはおろおろと手を彷徨わせる。アーシュラはメイドの困惑などお構いなしに、暖かい胸に体を預けた。
「大きくなったわねえ、リゼット。もう、今月十四歳だものね」
 アーシュラがしみじみと呟く。年下のリゼットだが、背はもうアーシュラよりも高かった。
「……全部、殿下のおかげです」
「まぁ、そんなことは無いわよ、わたくしこそ、あなたには感謝しているの。だって、たった一人の、女の子のお友達だもの」
 皇女はニコニコと笑う。リゼットは恥ずかしそうに俯いた。
「もったいないお言葉です……皇女殿下」
「お友達なんだから、二人の時はそんなに畏まらないで、ゲオルグみたいに普通にお話してくれたら良いのに」
「なっ……」
 突然ゲオルグの名前が飛び出し、どうしてかリゼットは慌てた様子で顔を上げると、怒ったような顔で言った。
「あ、あんないい加減な方と……一緒にしないでください!」
「そう?」
「そうです……だ、だいたい、カルサス様は殿下の覚えが良いのをいい事に、殿下に対してとんでもなく無礼なこと、平気で言っちゃうし、城内でもいつも好き放題で、わ、私にだって……」
 リゼットの台詞は、だんだんボリュームを小さくしていく。本当はその時、彼女の健康そうな顔は耳まで赤くなっていたのだけれど――夜のおかげでそれは見えなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

そのご寵愛、理由が分かりません

秋月真鳥
恋愛
貧乏子爵家の長女、レイシーは刺繍で家計を支える庶民派令嬢。 幼いころから前世の夢を見ていて、その技術を活かして地道に慎ましく生きていくつもりだったのに—— 「君との婚約はなかったことに」 卒業パーティーで、婚約者が突然の裏切り! え? 政略結婚しなくていいの? ラッキー! 領地に帰ってスローライフしよう! そう思っていたのに、皇帝陛下が現れて—— 「婚約破棄されたのなら、わたしが求婚してもいいよね?」 ……は??? お金持ちどころか、国ごと背負ってる人が、なんでわたくしに!? 刺繍を褒められ、皇宮に連れて行かれ、気づけば妃教育まで始まり—— 気高く冷静な陛下が、なぜかわたくしにだけ甘い。 でもその瞳、どこか昔、夢で見た“あの少年”に似ていて……? 夢と現実が交差する、とんでもスピード婚約ラブストーリー! 理由は分からないけど——わたくし、寵愛されてます。 ※毎朝6時、夕方18時更新! ※他のサイトにも掲載しています。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

白い結婚のはずが、旦那様の溺愛が止まりません!――冷徹領主と政略令嬢の甘すぎる夫婦生活

しおしお
恋愛
政略結婚の末、侯爵家から「価値がない」と切り捨てられた令嬢リオラ。 新しい夫となったのは、噂で“冷徹”と囁かれる辺境領主ラディス。 二人は互いの自由のため――**干渉しない“白い結婚”**を結ぶことに。 ところが。 ◆市場に行けばついてくる ◆荷物は全部持ちたがる ◆雨の日は仕事を早退して帰ってくる ◆ちょっと笑うだけで顔が真っ赤になる ……どう見ても、干渉しまくり。 「旦那様、これは白い結婚のはずでは……?」 「……君のことを、放っておけない」 距離はゆっくり縮まり、 優しすぎる態度にリオラの心も揺れ始める。 そんな時、彼女を利用しようと実家が再び手を伸ばす。 “冷徹”と呼ばれた旦那様の怒りが静かに燃え―― 「二度と妻を侮辱するな」 守られ、支え合い、やがて惹かれ合う二人の想いは、 いつしか“形だけの夫婦”を超えていく。

処理中です...