紫灰の日時計

二月ほづみ

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十一

追放-2

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「ベネディクトを?」
 私室を訪れ、突然弟の分家について進言をしたアーシュラに、アドルフは僅かに驚いた様子で顔を上げた。
「はい。お祖父様、なるべく早くに、この城を出て新しい領地に入れるよう、お願いしたいのです」
 こうして彼女が言い出さなくとも、いずれアドルフはベネディクトをアヴァロンの外に出したと思う。けれどそれはまだ先の、弟が成人した後の話になる。それでは遅いと、アーシュラは考えたのだ。
「なぜ急ぐ、あれはまだ幼い。成人してからでも遅くはないであろう」
「それでは遅いわ。お祖父様」
 弟を守るためには、今すぐ、彼をアヴァロンの外へ出さなければ。
「遅い?」
「ええ!」
 アーシュラは力を込めて言った。
「あの子は、この家を出て、新しい領地で、善き領主となる勉強をはじめなければいけません。他の家では、跡取りの子は幼い頃から領地と領民に親しんで育つのですから。だから……あの子も、分家させるならば、早いほうが良いのです」
 アーシュラは、ベネディクトの立場をこれ以上悪化させることなく彼を守ろうと決めていた。だから、弟の分家を望む本当の理由は語らなかった。
「自然の豊かな、気候の良い土地を与えてやってください、お祖父様。賢くて優しいわたくしの弟ならば、きっと、土地をさらに栄えさせ、民を幸せにしてくれることでしょう」
 嘘をついたつもりはない。ベネディクトはきっと、家を出たほうが幸せになる。確かにそう思っていた。
 断じて、嘘ではないのだ。

 孫の言葉にアドルフは黙って耳を傾け、そして、彼女の申し入れを受け入れた。
 ベネディクトが城を出る日はすぐに決められた。領地も、エーベルハルトが持て余していた広大なベイフェルト公爵領の一部を譲り渡す形で取り決められ、新しい居城も、そこで彼の世話をする使用人も、全てが新しい領地で手配された。
 だから、ベネディクトはほとんど訳もわからないうちに、双子だけを伴って、生家を出ることになったのだった。

 別れの日、アーシュラは弟を見送りに出た。
 少年を乗せる馬車はもう菫の紋章を掲げていない。皇子でなくなった彼を見送りに来た者は、彼女とエリン、それから、クヴェンと身の回りの世話をしていた少数の使用人のみ。それは、とても、寂しい旅立ちであった。
「姉上……」
 沈んだ心と正反対の、抜けるような青空を背負い、少年は口を開く。
「きょ……今日のことは、姉上がお決めになったと伺いました」
 不安からか、怒りからか、悲しみからか。ベネディクトの表情は硬く、その声は微かに上ずり、震えていた。
「どうして……僕に分家せよと?」
 気弱なベネディクトが、言いにくい言葉を必死で絞り出しているのが分かる。
「それは……」
 問われるだろうとは思っていたのだ。けれど、今は本当のことを話すつもりはない。向かい合ったアーシュラは目を細める。
「……あなたに必要だと思ったからよ。ベネディクト。よく勉強をして、善き領主となりなさい。あなたの務めです」
 それは彼女が自分で思っていたよりも、突き放すような冷たい言葉として響いた。もう少し優しい言葉を選ぶことも出来たのかもしれないと、言ってしまってから思ったけれど、発した言葉を取り消すことは出来ない。ベネディクトははっと目を見開いて、それから、色を失った唇をわなわなと震わせる。
「あ、姉上は……姉上も……僕のこと、疎ましいと……思っていらっしゃったのですか?」
 掠れた声が、突き刺さるようだった。
「そんな……!」
 皇女は思わず声を荒らげ、口をつぐむ。
 まだたった十六歳。小さい頃から家族思いの優しい弟なのだ。突然こんなことを言い渡され、準備に追われたせいで毎年欠かさなかった誕生日の晩餐会も今年は開けずじまい。アヴァロンから捨てられるような心細い気持ちになるのも無理は無いし、とても……とても可哀想だ。
 けれど今は、弟を平和に送り出したい。
 信じた相手に騙されているなんてことを知るよりは、自分を憎んでくれた方がましなのだ。そう、頭ではわかっているのだけれど。
「違う……違うわ、ベネディクト。そんなわけ無いでしょう。わたくしが、あなたのことを……」
「だったら! なぜ、僕に出て行けと仰るのですか!? お祖父様でなく、姉上が!」
「それは……」
「僕が嫌いになったのですか? 姉上、どうして……」
「違うわ!」
「では、なぜ!?」
「それは……」
 ごめんなさいと、言ってはいけない。
 それは、アヴァロンが彼を否定することを、認めてしまう言葉だ。
「……あなたのためなの。全部」
 それ以上はもう、何を言っても弟を傷つけてしまうような気がした。
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