紫灰の日時計

二月ほづみ

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十二

奇跡-2

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 二人は、いつもはゲオルグの帰路である旧市街の坂道を下り、そこからいつもと違う道に入って、人影のまばらな喫茶店に腰を落ち着けた。
「あの方のご様子ですが……」
「う、うん」
 飲み物が運ばれてくるなり、前置きなしに本題を切り出すリゼットに、レトロな店内の様子を見回していたゲオルグも、パッと表情を変えて座り直す。
「確かにあまり良い状態ではありませんでした」
「そ……そうなんだ、やっぱり……あの日、すごい熱だったから、心配してたんだよ……」
 コーヒーカップを両手に持って、ゲオルグはしゅんとして肩を落とす。リゼットは、そんな少年の様子を、表面上は難しい顔で観察していた。
「……小さいころから、身体弱いって言ってたよね。こういうこと、珍しくないの?」
「はい」
「いつも元気だったのに……」
「……この一年の健康状態が、あんなに安定していらっしゃったのが、珍しいくらいなのです」
「…………」
 生まれてこの方、病気なんて風邪くらいしか知らないゲオルグには、身体が弱くて普通の生活すらままならないような、そんな暮らしは想像も出来ない。しかも、彼女は想い人なのだ。どうしても余計に心配で、余計に可哀想で、つまり、ここでこうしてのんびりコーヒーを啜っているなんておかしい。好きなのに。
「お見舞いくらい……少しでもさ、会えないかな?」
「無茶を仰らないでくださいまし」
「うう……」
 ゲオルグは情けない声を上げてテーブルに突っ伏してしまった。
 エリンは――彼は今頃、アーシュラの傍で彼女の看病をしているのだろうか。
 彼はあくまで彼女の従者で、しかも、あの左目の色を見る限り、おそらくはアヴァロン家の縁者だ。
 親戚ということなら、ライバルにはなり得ない。たぶん。
(でも、貴族って縁者同士で結婚したりするしなあ……いや、あれ、そうじゃなくて……ライバルって何だよ、僕が皇女殿下とどうにかなれるとでも?)
 近所の女の子を好きになるのとはわけが違うのだ。多少仲良くなったとしても、早合点してその気になるのは間違いだ。分かっている。
 だけど、それでも、せめてひと目会いたい。そう思ってしまうのは自然なことだろう? だから、今彼女の傍に居るであろうエリンの顔を思い浮かべると、嫉妬でどうにかなってしまいそうなのだ。
「そんなに、会いたいですか?」
 どことなく、思いつめたような声が落ちてきた。顔を上げると、リゼットが怖い顔でこちらを見ている。
「そりゃあね」
 短く答えると、リゼットはキリッと太い眉根を寄せ、低い声で言った。
「……では、会わせて差し上げます」
「えっ!?」
 意外過ぎる台詞に、少年は勢いよく身を起こす。
「ホントにっ!?」
 今すぐ城へ走って行ってしまいそうなゲオルグに、リゼットは少し笑った。
 ――本当はそれは、とても切ない笑顔であったのだけれど、彼女の主人への献身は、浮ついた想いを上手に隠してしまう。だから、ゲオルグには分からない。
「落ち着いてください、カルサス様。今日これからすぐに、というわけではございません」
「じゃあ……いつの話?」
「殿下は……ここ最近ようやく快方に向かわれております。回復を待ってから、久しぶりに大勢お客様をお招きしての夜会が開かれることになっております。招待客リストを管理しているのはち……その、知っている者ですので、カルサス様のお名前を追加してもらうよう、頼んでみれば……」
「……頼んでくれるの?」
 堅物のリゼットが、随分と大それた不正を持ちかけている。ゲオルグは目を丸くして言った。
「嬉しいけど、それ、君に迷惑をかけない?」
 心配そうなゲオルグを、リゼットは睨む。
「そのようなお気遣いは無用です」
「そういうわけにはいかないよ。そりゃ、殿下には会いたいけど、そのせいで君が怒られたりするのは本意じゃないし……」
「そもそも、カルサス様ではなくて、殿下のためにすることです」
 少女は力を込めて言った。そして、まだ口を挟もうとするゲオルグを目で押しとどめる。
「……大丈夫です。リストの管理はその……父がやっておりますし、頼めば話は聞いてくれます」
「それ……本当に?」
 真面目な顔で見つめられて、リゼットは少し困ったように頬を赤らめ、目を伏せて小さな声で言った。
「お役に……たてますか?」
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