78 / 126
十三
蜜月-5
しおりを挟むベネディクトが、ベアトリーチェ・リアデンスと初めて会ったのは、バシリオが彼のもとに縁談を持ち込んでから、暫く時間の経った、ある秋の日のことである。
「ごらん下さい、あるじ様、丘が金色に!」
双子を伴って訪れたリアデンス侯爵領には、見渡す限りの葡萄畑が広がり、紅葉した葡萄の葉によって、全部が黄金に染まったように見える。クロエが指さした先を覗きこんで、ベネディクトは感心したように言った。
「本当だ。こちらも随分と葡萄畑が多いんだね」
「ここの人たちはみな葡萄ばかり食べるのですか?」
「そうじゃないよ、これはみんなワイン用だから」
「ぶどう酒……」
「あはは、カラス、みんながワインばかり飲んでいるのではないからね」
「そうなのですか?」
「エウロのワインは、どこの自治区に持って行っても高く売れるんだよ」
「へぇ……」
見渡すかぎりの葡萄畑はどこも皆収穫を終えた後のようで、人々は別の作業に忙しいのだろう、広大な畑に人の姿はほとんど無い。ベネディクトの領内にも、同じような光景が多く見られた。バシリオの言うとおり、ふたつの家が治める領地は、エウロの中央に横たわる、ひとつづきの豊かな農地なのだ。
そして、秋空の下で、バシリオの仲立ちにより、ベネディクトはリアデンス侯爵家の長女ベアトリーチェと顔を合わせた。年上であり、娘ばかりのリアデンス家で、家督を継ぐことが決められた長女だと聞いていたから、きっと、随分しっかりした人なのだろうと想像していたのだけれど――
「……ご機嫌麗しゅうございます、公爵殿下」
ベアトリーチェは消え入りそうな声で言い、作法の通りにお辞儀をした。明るい栗色の髪を上品にまとめ、身につけているドレスもさほど派手なものではない。
決して不器量な女ではなかったけれど、そこに居るだけで輝くような存在感のあった姉を見慣れていたベネディクトにとって、彼女は、拍子抜けするほど大人しく、地味な印象の娘であった。
「はじめまして。お会いできて嬉しいです」
ベネディクトは、どことなくホッとしたような心地で、柔和に答えた。彼が笑うと、ベアトリーチェも安心したように微笑む。
「さあさ殿下、田舎の城で恐縮ですが、お入り下さい」
バシリオの隣で愛想笑いをしていた当主が前に出る。
「あの……よろしければ先に、この辺りの葡萄畑を見せて頂いても構いませんか?」
「畑ですか? それは、構いませんが……」
ベネディクトの申し出に、リアデンス候は不思議そうに首を傾げる。
「僕の領内も、今丁度こんな風に一面葡萄の紅葉が美しいのですけれど、実はまだ、土地のことに詳しくなくて。ゆっくり見て回る機会も無かったのです。今日は、天気も良いですから……」
清々しい秋の空気と、素朴な印象の娘に気持ちが落ち着いたらしいベネディクトは、素直に笑って言った。
「なるほど。それならば娘に案内させましょう」
父親に促され、ベアトリーチェはおずおずと前に出る。二人が並んで畑の方へと歩いてゆくのを、大人たちは期待の籠もった眼差しで見送る。
その期待の重さが、ベアトリーチェには辛いのだろうか。ベネディクトの目からは、彼女が浮かない顔をしているように見えた。
「ご迷惑でしたか? 案内なんて頼んでしまって」
気遣わしげにそう言うと、ベアトリーチェは怯えたように顔を上げる。
「とんでもございません、殿下。お会いできて光栄でございます……」
やっぱり、そよ風にもかき消されてしまいそうな声だった。気弱な娘なのだろうか。ベネディクトは少し笑う。彼は、こういうタイプの相手は得意なのだ。
「葡萄畑、お嫌いですか?」
「えっ……?」
たぶん、鳥や動物を慈しむ気持ちと根っこは同じだ。優しくしてやらないといけないという気持ちになる。野鳥の傍に寄って観察するときのように、穏やかに、脅かさないように。
「お好きでいらっしゃる?」
「……はい。この季節は特に」
「僕もそう思います。葡萄の紅葉を初めて見て、ようやく自分の領地を好きになれたような気がしましたから」
「……古くから、この地方は『黄金の丘』と呼ばれます。ですが秋は、他にも……」
「というと?」
「キノコ狩りなども……」
俯いたままの言葉に、ベネディクトは不思議そうに目を丸くする。
「きのこ……って、食べるきのこですよね?」
「ま、毎年……使用人が総出で採りに出かけますので、私も……」
「へぇ、それは面白そうですね」
「そう……ですか?」
「はい」
ベネディクトが笑うと、ベアトリーチェも恥ずかしそうに微笑んだ。
正直な気持ちとして、まだ彼女を結婚相手としては見られる気はしない。けれど、それはなんとなく、好ましく思える笑顔だった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
そのご寵愛、理由が分かりません
秋月真鳥
恋愛
貧乏子爵家の長女、レイシーは刺繍で家計を支える庶民派令嬢。
幼いころから前世の夢を見ていて、その技術を活かして地道に慎ましく生きていくつもりだったのに——
「君との婚約はなかったことに」
卒業パーティーで、婚約者が突然の裏切り!
え? 政略結婚しなくていいの? ラッキー!
領地に帰ってスローライフしよう!
そう思っていたのに、皇帝陛下が現れて——
「婚約破棄されたのなら、わたしが求婚してもいいよね?」
……は???
お金持ちどころか、国ごと背負ってる人が、なんでわたくしに!?
刺繍を褒められ、皇宮に連れて行かれ、気づけば妃教育まで始まり——
気高く冷静な陛下が、なぜかわたくしにだけ甘い。
でもその瞳、どこか昔、夢で見た“あの少年”に似ていて……?
夢と現実が交差する、とんでもスピード婚約ラブストーリー!
理由は分からないけど——わたくし、寵愛されてます。
※毎朝6時、夕方18時更新!
※他のサイトにも掲載しています。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
白い結婚のはずが、旦那様の溺愛が止まりません!――冷徹領主と政略令嬢の甘すぎる夫婦生活
しおしお
恋愛
政略結婚の末、侯爵家から「価値がない」と切り捨てられた令嬢リオラ。
新しい夫となったのは、噂で“冷徹”と囁かれる辺境領主ラディス。
二人は互いの自由のため――**干渉しない“白い結婚”**を結ぶことに。
ところが。
◆市場に行けばついてくる
◆荷物は全部持ちたがる
◆雨の日は仕事を早退して帰ってくる
◆ちょっと笑うだけで顔が真っ赤になる
……どう見ても、干渉しまくり。
「旦那様、これは白い結婚のはずでは……?」
「……君のことを、放っておけない」
距離はゆっくり縮まり、
優しすぎる態度にリオラの心も揺れ始める。
そんな時、彼女を利用しようと実家が再び手を伸ばす。
“冷徹”と呼ばれた旦那様の怒りが静かに燃え――
「二度と妻を侮辱するな」
守られ、支え合い、やがて惹かれ合う二人の想いは、
いつしか“形だけの夫婦”を超えていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる