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十四
覚悟-6
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「え……!?」
驚いて音のした方を見ると、なぜか五階のベランダに、エリンが立っていた。
こちらを睨む顔は蒼白で、なんだか随分疲れているみたいに見える。そういえば、神出鬼没の彼が現れるときに音を立てるなんて珍しい。
絶対怒っていると思いつつ、無視できる状況でもないので慌てて窓を開ける。
「エ、エリン……あの……」
ゲオルグは何か言い訳しようと口を開きかけたが、エリンは無言で部屋に足を踏み入れた。ゲオルグに構おうとせず無言のままユラリと主人の傍に歩み寄ると、崩れ落ちるようにその傍らに跪いた。
「アーシュラ」
エリンが呼びかけると、魔法が解けたように少女は目を覚ます。
目を開けて、ゲオルグでなくエリンの顔が目に入ったので、不思議そうに首を傾げた。
「エリン……ここは、城ではなくてよ……」
よっぽど安らかに眠っていたのだろうか。寝ぼけたような甘い声に、エリンは深いため息をついて言った。
「……ご無事で良かった」
「お前……どうしてここに……」
「帰りましょう」
主の問いに答えるつもりのないらしいエリンは、言いながら皇女を抱えて立ち上がる。彼の意図するところを理解したらしい彼女はもがいた。
「嫌よ……下ろしなさい、自分で歩けるし、自分で帰ります!」
「眠くなるくらい歩き回ったのならそろそろ体力の限界です。これ以上動かれると、明日は熱を出します」
「構わないわ!」
「いけません」
「嫌だってば! ゲオルグ、助けて!」
じたばたしながら手を伸ばすアーシュラに、どうして良いか分からないゲオルグ。エリンは冷たい顔で少年を睨んだ。思えば随分酷いことをして城を抜け出してきたのだ。そりゃそうだよな、と、ゲオルグは納得しつつ笑顔を作る。
「じゃあ、折衷案として。僕も城まで一緒に行くよ。それでどう?」
「不要です」
「アーシュラは?」
「……それなら良いわ」
「エリン?」
ゲオルグはあくまで笑顔を崩さずエリンを見た。どうやら、彼はエリンがどうすれば何を拒めないのか、コツのようなものを掴んだ様子だった。
「…………」
エリンは不満の塊に顔を描いたような表情でゲオルグを見ていたが、やがて、
「……次はありませんから」
そう、忌ま忌ましげに呟いた。
「結局寝ちゃったね、アーシュラ」
エリンの腕の中で子供のように眠る少女を隣から覗きこんで、ゲオルグはのんびりした調子で言った。
今にもポトリと落ちてきそうな、月の大きな夜だった。
「……あれからずっと街を歩き回っておられたのなら、無理もありません。この方はそんなに動くように出来ていないのです」
エリンはすっかりいつも通りの調子に戻って、愛想のない顔で、ゲオルグの方を見ようともしない。だが、彼が自分を無視しているわけではないことは経験上理解していたので、ゲオルグは特に気にする様子もなく続けた。
「でも、今日はとても楽しそうだったよ?」
「それはそうでしょう……あなたがおいでになるのを、この方がどんなに待ちわびていたか」
「なのに、君が邪魔をするわけだ」
冗談めかして恨み言を口にしてみるが、エリンは涼しい顔のまま表情を変えない。もう少し面白い反応をしてくれてもいいのにな、と、ゲオルグは内心がっかりする。先刻は珍しく焦っていた風だったのに、エリンは彼女さえいれば他のことはどうでもいいのだろう。
やはり、彼らと居ると妙な疎外感を抱いてしまう。彼女は間違いなく、自分の恋人なのに。彼はあくまで、ただの従者なのに。
「……あなたは、この方を愛することの意味がまだ、お分かりでない」
エリンが言った。そしてようやくゲオルグの方を見る。
「この方は次のエウロ皇帝です」
「そんなこと……」
「この方の御子は、その次だ」
「え……」
「そういうことですよ。カルサス様」
彼はたぶん、彼自身と同じ覚悟を自分に求めているのだろう。ゲオルグはそう思った。
彼女が好きだ。運命だと今は信じている。だけど、この恋にこの先の人生全部を賭けられるのだろうか。
――それは正直、まだ、分からないのだ。
月明かりはエリンのすんなりとした金髪を白く浮かび上がらせ、整った容姿に陰影を落とす。こちらを見る皇女の剣は、ぞっとするほど美しかった。
驚いて音のした方を見ると、なぜか五階のベランダに、エリンが立っていた。
こちらを睨む顔は蒼白で、なんだか随分疲れているみたいに見える。そういえば、神出鬼没の彼が現れるときに音を立てるなんて珍しい。
絶対怒っていると思いつつ、無視できる状況でもないので慌てて窓を開ける。
「エ、エリン……あの……」
ゲオルグは何か言い訳しようと口を開きかけたが、エリンは無言で部屋に足を踏み入れた。ゲオルグに構おうとせず無言のままユラリと主人の傍に歩み寄ると、崩れ落ちるようにその傍らに跪いた。
「アーシュラ」
エリンが呼びかけると、魔法が解けたように少女は目を覚ます。
目を開けて、ゲオルグでなくエリンの顔が目に入ったので、不思議そうに首を傾げた。
「エリン……ここは、城ではなくてよ……」
よっぽど安らかに眠っていたのだろうか。寝ぼけたような甘い声に、エリンは深いため息をついて言った。
「……ご無事で良かった」
「お前……どうしてここに……」
「帰りましょう」
主の問いに答えるつもりのないらしいエリンは、言いながら皇女を抱えて立ち上がる。彼の意図するところを理解したらしい彼女はもがいた。
「嫌よ……下ろしなさい、自分で歩けるし、自分で帰ります!」
「眠くなるくらい歩き回ったのならそろそろ体力の限界です。これ以上動かれると、明日は熱を出します」
「構わないわ!」
「いけません」
「嫌だってば! ゲオルグ、助けて!」
じたばたしながら手を伸ばすアーシュラに、どうして良いか分からないゲオルグ。エリンは冷たい顔で少年を睨んだ。思えば随分酷いことをして城を抜け出してきたのだ。そりゃそうだよな、と、ゲオルグは納得しつつ笑顔を作る。
「じゃあ、折衷案として。僕も城まで一緒に行くよ。それでどう?」
「不要です」
「アーシュラは?」
「……それなら良いわ」
「エリン?」
ゲオルグはあくまで笑顔を崩さずエリンを見た。どうやら、彼はエリンがどうすれば何を拒めないのか、コツのようなものを掴んだ様子だった。
「…………」
エリンは不満の塊に顔を描いたような表情でゲオルグを見ていたが、やがて、
「……次はありませんから」
そう、忌ま忌ましげに呟いた。
「結局寝ちゃったね、アーシュラ」
エリンの腕の中で子供のように眠る少女を隣から覗きこんで、ゲオルグはのんびりした調子で言った。
今にもポトリと落ちてきそうな、月の大きな夜だった。
「……あれからずっと街を歩き回っておられたのなら、無理もありません。この方はそんなに動くように出来ていないのです」
エリンはすっかりいつも通りの調子に戻って、愛想のない顔で、ゲオルグの方を見ようともしない。だが、彼が自分を無視しているわけではないことは経験上理解していたので、ゲオルグは特に気にする様子もなく続けた。
「でも、今日はとても楽しそうだったよ?」
「それはそうでしょう……あなたがおいでになるのを、この方がどんなに待ちわびていたか」
「なのに、君が邪魔をするわけだ」
冗談めかして恨み言を口にしてみるが、エリンは涼しい顔のまま表情を変えない。もう少し面白い反応をしてくれてもいいのにな、と、ゲオルグは内心がっかりする。先刻は珍しく焦っていた風だったのに、エリンは彼女さえいれば他のことはどうでもいいのだろう。
やはり、彼らと居ると妙な疎外感を抱いてしまう。彼女は間違いなく、自分の恋人なのに。彼はあくまで、ただの従者なのに。
「……あなたは、この方を愛することの意味がまだ、お分かりでない」
エリンが言った。そしてようやくゲオルグの方を見る。
「この方は次のエウロ皇帝です」
「そんなこと……」
「この方の御子は、その次だ」
「え……」
「そういうことですよ。カルサス様」
彼はたぶん、彼自身と同じ覚悟を自分に求めているのだろう。ゲオルグはそう思った。
彼女が好きだ。運命だと今は信じている。だけど、この恋にこの先の人生全部を賭けられるのだろうか。
――それは正直、まだ、分からないのだ。
月明かりはエリンのすんなりとした金髪を白く浮かび上がらせ、整った容姿に陰影を落とす。こちらを見る皇女の剣は、ぞっとするほど美しかった。
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