紫灰の日時計

二月ほづみ

文字の大きさ
93 / 126
十六

剣-4

しおりを挟む
「父さん、殿下、何時頃着くかなあ」
「晩餐に間に合うようにと仰っていたから、夕方だろう。気になるなら、列車の時間を調べて駅までお迎えに行ってきなさい」
 そわそわと落ち着かない息子に、帰宅したばかりのバシリオは言った。つい先日までクーロがランスに遊びに出かけていたのに、今度はベネディクトの方がこちらを訪れると言う。
「本当に仲がいいな、お前たちは」
 苦笑する父に、クーロは無邪気に頷いた。
「ランスのお城に、僕の部屋を用意してくださったんですよ」
「それはすごい」
「いつでも来ていいって」
 久しぶりに帰宅した父に、クーロは嬉しそうに、休暇中の出来事についていろいろと話す。バシリオはそれを満足そうに聞いていた。
「有り難いことだな。お前、学校を移るか?」
「ええっ!?」
「ははは、冗談だよ。だが、殿下は私たちにとって大切なお方。これからも仲良くして頂けるよう、よく尽くしなさい」
「はい!」





 ――獲物が、ようやく巣に戻ってきてくれた。
 待ちかねていたエリンは喜んだ。
 ここに来ることは師と決めたことだった。
 主の敵とみなした相手に、剣が余計な手順を踏むことはない。エリンの使命はただ、バシリオの暗殺だった。
 無人のセキュリティシステムしか配備されていない、コルティス家の広い庭には、エリンが身を隠せる場所はいくらでもあった。彼らが身につけている衣服は、ただ武器を隠しやすいだけではなく、監視レーダーに対する強力なステルス性をもつ。長い時間をかけて培われた彼らの装備は、超人的な運動能力と組み合わさることによって、その比類無き個の力を維持していた。少なくともエウロの中においては、影の剣に忍び込めない場所は無いに等しい。
 けれど、アーシュラに無断で城を出て、今日で四日目。こんなに長く主の元を離れたのは初めての経験だ。
 バシリオ・コルティスがジュネーヴの屋敷に滞在するのは、月のうち十日も無い。そう聞いていたから、下手をすればまだ時間が掛かると覚悟していた。だから、彼を乗せた車が屋敷の玄関を通って行くのを見て、エリンは、フッと胸が軽くなるような奇妙な気分を味わっていた。
 あとはアレバシリオを消し去ってしまえば城に帰れる。それならば容易いことだ。早く全てを終わらせて、彼女の元へ帰りたい。
 とにかく、夜が待ち遠しかった。





「ねぇ、ツヴァイ」
 ゲオルグを見送った後、ツヴァイと並んで渡り廊下をトボトボと歩きながら、アーシュラが言った。
「エリン、本当はどこに行ったの?」
「……私が隠したとでも思っていらっしゃいますか?」
「ええ」
「それは、困りましたね」
 甘やかすような口調で誤魔化すツヴァイを、アーシュラは睨む。
「お前はいつまでもわたくしを子供扱いするのね」
「申し訳ありません」
「否定しなさい」
「ほんの少し前お生まれになったばかりのような気がしておりますので」
「もう……」
「私から見ても、孫のようなものなんですよ。姫も、皇子も」
 横顔で笑うツヴァイの白い髪が、夕日の色に輝いて見える。
 主人と随分年の差のある彼の来歴を、アーシュラは知らない。そもそも、生まれたときから城にいる彼のことを、そんな風に疑問に感じることはなかった。
 祖父の大切な宝物、白の剣ツヴァイ。アーシュラもベネディクトも、優しい彼が昔から好きだった。
 だけど、自分は生まれながらの皇女だけれど、彼らは剣としてこの世に生まれるわけではない。エリンだってそうだ。今、ここでこうして並んで歩いていることも、決して当たり前のことでは無いのだろう。
「……全然似てないと思っていたけど、ツヴァイとエリンは似ているわね」
「おや、そうですか? どこがでしょう?」
「笑うのが、下手なところがよ」
 ツヴァイはいつでも笑っている。だけど、その笑顔が本当は仮面であることを、唐突に悟った気がしていた。
「下手ですか?」
「そう。エリンの方が素直で可愛いわ」
「これは手厳しい」
 男は、やはり笑った。
「姫こそ、アドルフそっくりですよ。皇子もですけど」
「そう?」
「ええ。ご子息方よりも、姫たちの方が似ていらっしゃいます」
「わたくし、あんなに四六時中怖い顔をしていないわよ?」
「聞き捨てなりませんね。あの方はね、ああ見えてとっても寂しがり屋さんなのですよ」
「まあ、わたくしが寂しがり屋だって言いたいの?」
「ふむ……確かに、そうとも言えます」
「ツヴァイ!」
「ふふふ、すみません。違いますよ」
 そしてツヴァイは、なにか懐かしいものを見るような目で、アーシュラを見る。
「あなたのその、知らない方が幸せなことに限って、気がついてしまうような、損な性分がです」
 二人が歩く渡り廊下に、沈みゆく太陽の最後の一筋が、まるで名残を惜しむかのように差し、そして、まもなく消えてゆく。
 アーシュラの元にまた、エリンのいない夜が来る。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

そのご寵愛、理由が分かりません

秋月真鳥
恋愛
貧乏子爵家の長女、レイシーは刺繍で家計を支える庶民派令嬢。 幼いころから前世の夢を見ていて、その技術を活かして地道に慎ましく生きていくつもりだったのに—— 「君との婚約はなかったことに」 卒業パーティーで、婚約者が突然の裏切り! え? 政略結婚しなくていいの? ラッキー! 領地に帰ってスローライフしよう! そう思っていたのに、皇帝陛下が現れて—— 「婚約破棄されたのなら、わたしが求婚してもいいよね?」 ……は??? お金持ちどころか、国ごと背負ってる人が、なんでわたくしに!? 刺繍を褒められ、皇宮に連れて行かれ、気づけば妃教育まで始まり—— 気高く冷静な陛下が、なぜかわたくしにだけ甘い。 でもその瞳、どこか昔、夢で見た“あの少年”に似ていて……? 夢と現実が交差する、とんでもスピード婚約ラブストーリー! 理由は分からないけど——わたくし、寵愛されてます。 ※毎朝6時、夕方18時更新! ※他のサイトにも掲載しています。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

白い結婚のはずが、旦那様の溺愛が止まりません!――冷徹領主と政略令嬢の甘すぎる夫婦生活

しおしお
恋愛
政略結婚の末、侯爵家から「価値がない」と切り捨てられた令嬢リオラ。 新しい夫となったのは、噂で“冷徹”と囁かれる辺境領主ラディス。 二人は互いの自由のため――**干渉しない“白い結婚”**を結ぶことに。 ところが。 ◆市場に行けばついてくる ◆荷物は全部持ちたがる ◆雨の日は仕事を早退して帰ってくる ◆ちょっと笑うだけで顔が真っ赤になる ……どう見ても、干渉しまくり。 「旦那様、これは白い結婚のはずでは……?」 「……君のことを、放っておけない」 距離はゆっくり縮まり、 優しすぎる態度にリオラの心も揺れ始める。 そんな時、彼女を利用しようと実家が再び手を伸ばす。 “冷徹”と呼ばれた旦那様の怒りが静かに燃え―― 「二度と妻を侮辱するな」 守られ、支え合い、やがて惹かれ合う二人の想いは、 いつしか“形だけの夫婦”を超えていく。

処理中です...