紫灰の日時計

二月ほづみ

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十七

家族-1

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 その年、六一五年の年明けを、アヴァロン城は華やかな夜会で迎えていた。
 雪の舞う中集まった大勢の招待客達のために、広間は暖められ、そして春の庭かと見まごうほどに沢山の花が飾られていた。
 ホール全体に清々しい花の香りが満ち――分厚い外套を脱いだ客達は、その心地よさに安堵したような息をつく。近頃では定期開催されるようになった、皇女の夜会である。
 そんな、この日の趣向のために用意された緑の絨毯を踏んで、偽物の春を大股に渡る者がいる。
 一人で現れた彼を、歓談に興じていた貴族たちは皆、振り返って見た。あからさまな視線を、しかしベネディクトは意にも介さない。
 柔らかい金の髪に、少女とも見える端正な横顔。しかし彼は唇を固く結び、きつい目で正面を見据えている。
 ベネディクトはその夜ようやく、分家の日から一度も足を踏み入れなかった生家、アヴァロン城を訪れたのだった。

「新年おめでとうございます、姉上」
 外野のざわめきを無視して跪いた弟に、アーシュラは少しだけ驚いた表情を見せたが、すぐに嬉しそうに目を細めた。今まで、彼は何度夜会に招いても顔を見せなかったのだ。
「ようやく来てくれたのね。嬉しいわ」
 待ち望んだ、弟とのおよそ半年ぶりの再会である。
「ランスでの暮らしが落ち着かず、申し訳ありませんでした」
 言って、ベネディクトは口元を歪める。
 それは、優しい少年が今まで見せたことのないような、不自然で、悪意の籠もった――笑いの形だった。
「……良いのです。元気そうな顔が見られてホッとしたわ」
 人が変わったような弟の表情を不審に思いながらも、アーシュラはにこやかに答える。二人の様子を、招待客達は表向きいつもどおりのパーティを楽しみながら、興味深げに見守っていた。この半年で、貴族界には皇女と元皇子の不仲の噂がすっかり浸透していたからだ。
「殿下にひとつご報告があります」
 少年は顔を上げ、そして、姉の言葉を待たない。
「先日、結婚をいたしました」
「え……っ!?」
 思いもよらぬ言葉に、アーシュラは思わず驚き声を上げた。次の瞬間、広間が一斉に静まり返る。ベネディクトはゆっくりと立ち上がって、自分と姉を遠巻きにする貴族たちを一瞥する。
「今日は姉上と、皆様に……ご報告を」
 そして、今度は自然に、彼らしく優雅でやさしい――笑顔をみせた。

 クーロとバシリオが死んで、少年は知ったのだ。
 人生の困難から自分を守ってくれるものなど、存在しない。
 祖父も、両親も、エリンも、姉すらも、誰も僕を顧みない。助けてくれない。バシリオの言った通りだ。自分の身は自分で守らなければいけないのだ。
 あの夜、見てはいけないものを見てしまった。本来であれば、影の剣は目撃者を生かしはしないはずだ。けれど、エリンは自分を置いて去っていった。それが何故だったのかは知らない。
 とにかくベネディクトは茫然自失のままランスへ戻り、城に籠もって二週間は泣き暮らして、二週間は考え続けた。
 今まで聞かされたことのなかった、アヴァロン家の歴史も学んだ。
 自分が生まれてくるまでに、祖父アドルフが何人の親族を葬ってきたのかを知ると、貴族たちが何故あんなに祖父を恐れるのか、ようやく合点がいった。
 意に従わない家をいくつも潰し、血の繋がった兄妹までも死に追いやった。人の道に反する、おぞましい行為だ。そんな化け物の血を引いているのだと思うと虫酸が走る。
 ――けれど、自分は生まれ、ここにいるのだ。
 生きねばならない。進まねばならない。間違いを正さねばならない。自分のためよりも、なにより、死んだ友のために!
 クーロは大切な友達だったし、誰からも咎められるいわれのない、善良で、普通の子供で……つまり、アヴァロンが愛し、慈しむべき大切なエウロ市民の一人だったはずだ。
 奪ったのはエリンで、奪わせたのはアーシュラだ。
 これは罪だ。許されて良いはずのない大罪だ。
 バシリオは言った。自分の身は、自分で守らなければならないのだと。
 だからベネディクトは決めたのだ。立ち向かうことを。そして、友人の無残な死を忘れない。決してアヴァロンを――尊敬するアーシュラを、許しはしない。

 そう思い至った後は、結婚を迷うことも無かった。すぐに自らリアデンス候の元を訪れ、ベアトリーチェと婚約し、結婚式は春を待って領民も大勢招いて行いたいという建前で、時間を置かずに入籍をした。
 ことを急いだのは、万一、社交界でバシリオの死がアヴァロンの剣によるものだという噂が立ち、それがリアデンス候の耳に入ったら、結婚の話が流れてしまうのではないかと恐れたからだ。この縁談は、バシリオの遺志のような気がしていたから、何としても成功させなければならないと思っていた。
 初めて会った日の印象通り、内気なベアトリーチェは自分との結婚を喜んではいないように見えたけれど、妻にしたからといって彼女の生活や好みに口を出すつもりは無い。彼女はこれからリアデンス侯爵家を継いで家を盛り立てていかねばならない立場であり、お互いに利益のある関係なのだから、信頼はこれから築いていけばいいだろう。
 やっぱり、バシリオの言った通りだと思った。
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