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十七
家族-2
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「――――ちょっと、聞いているの? エリン」
いかにも不機嫌な主の声に、エリンはようやく顔を上げる。夜会が終わり部屋に引き上げてきて、緊張を解いたあたりから、そういえばアーシュラの声を聞いていなかった。けれど、いつの間にか彼女が脱いだドレスの後片付けをしていて……どうやら、手はちゃんと動いていたらしい。
「申し訳ありません。聞いていませんでした」
素直に怒られるつもりで言ったのだけれど、目が合うと主人はホッとした顔で微笑んだ。
「お前、最近無理をしすぎよ。ツヴァイだっているのだし、城の中でまでそんなに警戒することはないと思うわ」
優しい言葉に、エリンは目を丸くする。
「無理など、しておりません」
それは別に嘘ではなかった。バシリオ・コルティスを葬ってからというもの、皇女が狙われることは無くなっていた。城の中がほぼ安全といえる状況なのも、アーシュラの言うとおりだ。だから、エリンがいつも以上に神経を使う必要はない。
「だったら、何か気がかりでも? わたくしがこんなに一生懸命お話をしていたのに」
「……申し訳ありません」
「別に怒ってないわ」
「以後気をつけますので」
「エリン……」
アーシュラは気に入らない様子で、しかし怒らず不安げに肩を落とす。
「絶対おかしいわ。お前も……ベネディクトも」
その名が出た瞬間、エリンの背がぞわりと粟立つ。
「皇子が……何か……」
「お前、もしかして聞いていなかったの? あの子、結婚したって」
「あ……いえ……」
慌てて取り繕う。
「伺っておりました。その……喜ばしいことであると……」
実際に、結婚したと言われてもエリンには何の実感も湧かないし、感想の述べようが無い。
「あの子、きっと好きでもない方と結婚をしたのだわ」
「どうしてお分かりに?」
「分かるわよ。様子が変だったし……第一、お相手が、わたくし、会ったことのない方なんだもの」
愛のない政略結婚など、選ばなくても良かったのに、と、アーシュラは悲しむように言った。
「……皇子が決められたことでしょうし」
「冷たいわ。お前だってあの子の友達でしょ」
「友達……」
喉をギュッと掴まれたようになって、言葉が詰まる。
「……エリン?」
手のひらに蘇る、あの感触。少年の小さな心臓に、アーシュラのための刃を押し込んだ。
あれは、いつかベネディクトが言っていた――彼の友人。
「も……うしわけ、ありません」
動揺を悟られまいと、どうにか声を押し出す。
「やはり、少し疲れたようです。隣に控えておりますので、何かあれば参ります」
そして、今まで決して言わなかったような台詞を口にして、エリンは顔を上げずに自分の部屋に入ってしまった。
「ちょ……」
呼び止めようとする主の声も届かない。扉を閉めて、ひとりきりになった気配に、エリンは深く深く息をついた。
あの夜、バシリオだけでなく、幼いその息子クーロ・コルティスを手にかけたことについて、エリンはまだアーシュラに話せずにいた。
ベネディクトが突然結婚をしたことについては、やはり、エリンにはよく分からない。けれど、今夜の彼は確かに今までとは別人のようだった。だとしたら、このひと月あまりで、彼がすっかり変わってしまったということなのだろう。
かつての彼は、大人たちが集まる華やかな場が苦手で、いつも挨拶を済ませるとさっさと逃げ出していたのに。
衝撃と絶望に声も無く立ち尽くしていた皇子を、エリンは血と死の中に置き去りにして逃げた。優しいベネディクト。あれから彼がどうしたのかを、想像することは恐ろしかった。
彼は思ったはずだ。自分がコルティスの屋敷に現れたのは、アーシュラの意思であるのだと。姉が恩人の排除を命じたのだと。
アーシュラは彼を分家させた時、その理由を語らなかった。事実を知らせなかったのは彼女なりの真心だった。だから、決して姿を見られてはいけなかったのに。
バシリオの思惑はどうあれ、ベネディクトはランスからわざわざあの屋敷を訪れるくらいには、あの親子に親しんでいたのだろう。祖父の暴力に耐えていた彼が、嬉しそうに友人ができたのだと話してくれたことは、もちろんよく覚えている。
今更誤解なのだと弁解は出来ない。アヴァロンを出る日、僕を嫌いになったのかと姉に迫ったベネディクトの疑念に、最悪の形で応えてしまったのだ。
取り返しの付かないことだ。アーシュラの言う通り、エリンもベネディクトが好きだった。同い年だったこともあり、幼い頃からずっと、本当に友人のように優しくしてもらった。怪我をしたときは心配もしてくれた。彼が家族や臣下の者達を、心から愛し信頼していたことを、知っていたのに。
(皇子……)
あの夜の出来事を経て、怒るでもなく、悲しむでもなく、あんな風に笑って、貴族たちの中に立つなんて。
アーシュラには話せない。決して。
そして、主に隠し事などしたことのないエリンにとって、その秘密は辛い重荷だった。
いかにも不機嫌な主の声に、エリンはようやく顔を上げる。夜会が終わり部屋に引き上げてきて、緊張を解いたあたりから、そういえばアーシュラの声を聞いていなかった。けれど、いつの間にか彼女が脱いだドレスの後片付けをしていて……どうやら、手はちゃんと動いていたらしい。
「申し訳ありません。聞いていませんでした」
素直に怒られるつもりで言ったのだけれど、目が合うと主人はホッとした顔で微笑んだ。
「お前、最近無理をしすぎよ。ツヴァイだっているのだし、城の中でまでそんなに警戒することはないと思うわ」
優しい言葉に、エリンは目を丸くする。
「無理など、しておりません」
それは別に嘘ではなかった。バシリオ・コルティスを葬ってからというもの、皇女が狙われることは無くなっていた。城の中がほぼ安全といえる状況なのも、アーシュラの言うとおりだ。だから、エリンがいつも以上に神経を使う必要はない。
「だったら、何か気がかりでも? わたくしがこんなに一生懸命お話をしていたのに」
「……申し訳ありません」
「別に怒ってないわ」
「以後気をつけますので」
「エリン……」
アーシュラは気に入らない様子で、しかし怒らず不安げに肩を落とす。
「絶対おかしいわ。お前も……ベネディクトも」
その名が出た瞬間、エリンの背がぞわりと粟立つ。
「皇子が……何か……」
「お前、もしかして聞いていなかったの? あの子、結婚したって」
「あ……いえ……」
慌てて取り繕う。
「伺っておりました。その……喜ばしいことであると……」
実際に、結婚したと言われてもエリンには何の実感も湧かないし、感想の述べようが無い。
「あの子、きっと好きでもない方と結婚をしたのだわ」
「どうしてお分かりに?」
「分かるわよ。様子が変だったし……第一、お相手が、わたくし、会ったことのない方なんだもの」
愛のない政略結婚など、選ばなくても良かったのに、と、アーシュラは悲しむように言った。
「……皇子が決められたことでしょうし」
「冷たいわ。お前だってあの子の友達でしょ」
「友達……」
喉をギュッと掴まれたようになって、言葉が詰まる。
「……エリン?」
手のひらに蘇る、あの感触。少年の小さな心臓に、アーシュラのための刃を押し込んだ。
あれは、いつかベネディクトが言っていた――彼の友人。
「も……うしわけ、ありません」
動揺を悟られまいと、どうにか声を押し出す。
「やはり、少し疲れたようです。隣に控えておりますので、何かあれば参ります」
そして、今まで決して言わなかったような台詞を口にして、エリンは顔を上げずに自分の部屋に入ってしまった。
「ちょ……」
呼び止めようとする主の声も届かない。扉を閉めて、ひとりきりになった気配に、エリンは深く深く息をついた。
あの夜、バシリオだけでなく、幼いその息子クーロ・コルティスを手にかけたことについて、エリンはまだアーシュラに話せずにいた。
ベネディクトが突然結婚をしたことについては、やはり、エリンにはよく分からない。けれど、今夜の彼は確かに今までとは別人のようだった。だとしたら、このひと月あまりで、彼がすっかり変わってしまったということなのだろう。
かつての彼は、大人たちが集まる華やかな場が苦手で、いつも挨拶を済ませるとさっさと逃げ出していたのに。
衝撃と絶望に声も無く立ち尽くしていた皇子を、エリンは血と死の中に置き去りにして逃げた。優しいベネディクト。あれから彼がどうしたのかを、想像することは恐ろしかった。
彼は思ったはずだ。自分がコルティスの屋敷に現れたのは、アーシュラの意思であるのだと。姉が恩人の排除を命じたのだと。
アーシュラは彼を分家させた時、その理由を語らなかった。事実を知らせなかったのは彼女なりの真心だった。だから、決して姿を見られてはいけなかったのに。
バシリオの思惑はどうあれ、ベネディクトはランスからわざわざあの屋敷を訪れるくらいには、あの親子に親しんでいたのだろう。祖父の暴力に耐えていた彼が、嬉しそうに友人ができたのだと話してくれたことは、もちろんよく覚えている。
今更誤解なのだと弁解は出来ない。アヴァロンを出る日、僕を嫌いになったのかと姉に迫ったベネディクトの疑念に、最悪の形で応えてしまったのだ。
取り返しの付かないことだ。アーシュラの言う通り、エリンもベネディクトが好きだった。同い年だったこともあり、幼い頃からずっと、本当に友人のように優しくしてもらった。怪我をしたときは心配もしてくれた。彼が家族や臣下の者達を、心から愛し信頼していたことを、知っていたのに。
(皇子……)
あの夜の出来事を経て、怒るでもなく、悲しむでもなく、あんな風に笑って、貴族たちの中に立つなんて。
アーシュラには話せない。決して。
そして、主に隠し事などしたことのないエリンにとって、その秘密は辛い重荷だった。
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