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十七
家族-3
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アーシュラが夏の時間を離宮で過ごしたいと言い出したのは、弟の結婚を知った日からさほど間を置かずのことであった。
ジュネーヴからレマン湖に沿って東へ、ヴヴェイという街の郊外に、アヴァロン家の離宮がある。
遠くアルプスを臨む美しい高原で、代々の皇帝やその家族たちが静かな夏を過ごした場所なのだが、身体の弱かったアーシュラは生まれてから一度も訪れたことがなかった。彼女はそこに、エリンと身近な使用人を伴い、それから、ゲオルグも誘って、出かけることにしたのだ。
「ねぇー……どうして僕はあっちの車じゃないの?」
身を乗り出して、前を走る黒い車を恨めしそうに見つめつつ、ゲオルグが不満気に目を細めた。
「皇女殿下と使用人が同じ車で移動するわけがありません」
隣に座ったリゼットに睨まれても、ゲオルグはめげない。
「僕、アーシュラの使用人じゃないし。エリンはあっちに乗ってるよ?」
「エリン様は当たり前です」
「納得いかない……」
「では、ミラノにお帰りなさいませ」
「それは嫌」
皇女が離宮で夏を過ごすということは、既にニュースとして報じられていた。恋人の存在を公にしていない以上、堂々と彼を連れて移動をするわけにはいかなかったのだ。
「……だったら、離宮の敷地に入るまでは、我慢してください」
呆れた様子で諭されて、ゲオルグはため息をついて窓の外に目をやる。くっきりとした青空の下、明るい初夏の町並みが流れてゆく。恋人のことで頭がいっぱいのゲオルグは、罪深いことに隣のリゼットが切なげに自分の横顔を見つめていることに気付かない。
アーシュラはこういう時、どんな顔をするのだろうか。はしゃぐのだろうか、それとも、疲れて眠っているだろうか。車酔いをしていたら可哀想だ。一緒に居たなら、とっておきの車酔い解消法があるから、教えてあげられるのに。
一度だけ城を抜け出してデートした以外は、アヴァロン城でしか一緒に過ごしたことがないので、ただの移動だといっても、傍に居られないのが口惜しいのだ。
フットマンの仮装でリゼット達に付いてきたけれど、こんなことなら、運転手に化けておけばよかったと、ゲオルグは心からそう思った。
短い夏のはじめ、高原の緩やかな斜面は一面の白に覆われる。まるで雪のようだと称されるそれは、もちろん冷たい雪ではなく、可憐な花だ。浅い森に囲まれた丘一つがアヴァロン家の私有地で、この季節は一面の花畑となるのだ。
「まぁ、随分と山が近いわ!」
車を降りるなり、遠くそびえる山々を見渡し、気持ちよさそうにアーシュラが言った。エリンも周囲を見回し、少し安堵して頷いた。
「とても良い場所ですね。見通しが良くて」
「エリン、そういうのじゃないくて、ちゃんと見なさい」
「……何をでしょうか?」
「まぁ、呆れた。仕方のない子ね」
アーシュラが呆れた様子で苦笑する。エリンが腑に落ちない様子で首を傾げるので、少女は白い手でまっすぐに空を指す。
「この夏は、一度しか無いのよ」
言って、彼女は笑うのだった。
皇女達とほとんど同時に離宮に着いていたのに、何故かリゼットに荷運びを手伝わされて、ゲオルグが解放されたのは到着後、一時間ほど後のことだった。
「アーシュラ!」
天気も良いし、着いたら一緒に花を見に出かけようと約束していたのだけれど、彼に知らされたのは――
「倒れたって!?」
疲れたのか、彼女はあっけなく体調を崩し、初めて訪れた離宮で早速床に伏せる羽目になってしまったのだった。
「……大げさよ」
血相を変えてやって来た恋人に、点滴に繋がれたアーシュラは微笑んだ。ゲオルグの心配をよそに、彼女は案外元気そうに見える。
「大丈夫? 車に酔ったとか?」
「乗り物に酔いそうな時は、歌を歌っていると平気なのよ」
「歌ってたの?」
「ずっとね」
「きっとそれで疲れちゃったんだよ、全く。でもちょっと、聴いてみたかったな」
「何を?」
「君の歌」
「歌ってあげましょうか?」
「今はだめ。はやく元気になって」
ベッドサイドに腰掛けて彼女の頬に触れる。ぼうっと熱くて、血色が良く見えたのは熱のせいなのだと思った。
「そういや、エリンは?」
「今、ここの建物を見て回ってるわ」
「建物?」
「新しい場所に来ると、一通り回らないと落ち着かないみたいなの」
「猫みたいだなぁ」
「ゲオルグ、あのね、お願いがあるんだけど」
ひやりと冷たいゲオルグの手に指を絡め、アーシュラは唐突に真面目な顔になって切り出した。
「なに?」
ゲオルグが気安く答えると、アーシュラは何やら、大切にそうに隠し持っていたらしい、手紙を取り出したのだった。
ジュネーヴからレマン湖に沿って東へ、ヴヴェイという街の郊外に、アヴァロン家の離宮がある。
遠くアルプスを臨む美しい高原で、代々の皇帝やその家族たちが静かな夏を過ごした場所なのだが、身体の弱かったアーシュラは生まれてから一度も訪れたことがなかった。彼女はそこに、エリンと身近な使用人を伴い、それから、ゲオルグも誘って、出かけることにしたのだ。
「ねぇー……どうして僕はあっちの車じゃないの?」
身を乗り出して、前を走る黒い車を恨めしそうに見つめつつ、ゲオルグが不満気に目を細めた。
「皇女殿下と使用人が同じ車で移動するわけがありません」
隣に座ったリゼットに睨まれても、ゲオルグはめげない。
「僕、アーシュラの使用人じゃないし。エリンはあっちに乗ってるよ?」
「エリン様は当たり前です」
「納得いかない……」
「では、ミラノにお帰りなさいませ」
「それは嫌」
皇女が離宮で夏を過ごすということは、既にニュースとして報じられていた。恋人の存在を公にしていない以上、堂々と彼を連れて移動をするわけにはいかなかったのだ。
「……だったら、離宮の敷地に入るまでは、我慢してください」
呆れた様子で諭されて、ゲオルグはため息をついて窓の外に目をやる。くっきりとした青空の下、明るい初夏の町並みが流れてゆく。恋人のことで頭がいっぱいのゲオルグは、罪深いことに隣のリゼットが切なげに自分の横顔を見つめていることに気付かない。
アーシュラはこういう時、どんな顔をするのだろうか。はしゃぐのだろうか、それとも、疲れて眠っているだろうか。車酔いをしていたら可哀想だ。一緒に居たなら、とっておきの車酔い解消法があるから、教えてあげられるのに。
一度だけ城を抜け出してデートした以外は、アヴァロン城でしか一緒に過ごしたことがないので、ただの移動だといっても、傍に居られないのが口惜しいのだ。
フットマンの仮装でリゼット達に付いてきたけれど、こんなことなら、運転手に化けておけばよかったと、ゲオルグは心からそう思った。
短い夏のはじめ、高原の緩やかな斜面は一面の白に覆われる。まるで雪のようだと称されるそれは、もちろん冷たい雪ではなく、可憐な花だ。浅い森に囲まれた丘一つがアヴァロン家の私有地で、この季節は一面の花畑となるのだ。
「まぁ、随分と山が近いわ!」
車を降りるなり、遠くそびえる山々を見渡し、気持ちよさそうにアーシュラが言った。エリンも周囲を見回し、少し安堵して頷いた。
「とても良い場所ですね。見通しが良くて」
「エリン、そういうのじゃないくて、ちゃんと見なさい」
「……何をでしょうか?」
「まぁ、呆れた。仕方のない子ね」
アーシュラが呆れた様子で苦笑する。エリンが腑に落ちない様子で首を傾げるので、少女は白い手でまっすぐに空を指す。
「この夏は、一度しか無いのよ」
言って、彼女は笑うのだった。
皇女達とほとんど同時に離宮に着いていたのに、何故かリゼットに荷運びを手伝わされて、ゲオルグが解放されたのは到着後、一時間ほど後のことだった。
「アーシュラ!」
天気も良いし、着いたら一緒に花を見に出かけようと約束していたのだけれど、彼に知らされたのは――
「倒れたって!?」
疲れたのか、彼女はあっけなく体調を崩し、初めて訪れた離宮で早速床に伏せる羽目になってしまったのだった。
「……大げさよ」
血相を変えてやって来た恋人に、点滴に繋がれたアーシュラは微笑んだ。ゲオルグの心配をよそに、彼女は案外元気そうに見える。
「大丈夫? 車に酔ったとか?」
「乗り物に酔いそうな時は、歌を歌っていると平気なのよ」
「歌ってたの?」
「ずっとね」
「きっとそれで疲れちゃったんだよ、全く。でもちょっと、聴いてみたかったな」
「何を?」
「君の歌」
「歌ってあげましょうか?」
「今はだめ。はやく元気になって」
ベッドサイドに腰掛けて彼女の頬に触れる。ぼうっと熱くて、血色が良く見えたのは熱のせいなのだと思った。
「そういや、エリンは?」
「今、ここの建物を見て回ってるわ」
「建物?」
「新しい場所に来ると、一通り回らないと落ち着かないみたいなの」
「猫みたいだなぁ」
「ゲオルグ、あのね、お願いがあるんだけど」
ひやりと冷たいゲオルグの手に指を絡め、アーシュラは唐突に真面目な顔になって切り出した。
「なに?」
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