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魔王様、淫紋学校に行く。
しおりを挟む「リリィ王子、観念して俺の花嫁になれ」
「お、お前は……っ⁉」
世界で一番美しい国とされる鏡の王国の王子は、間近で見ても美貌の王子だった。
雪月を思わせる白銀の髪にアズライト色の瞳。細い顎に形の良い滑らかな額。花弁が乗りそうな長い睫毛を震わせながら、端正な顔が綺麗に歪んでいくのを見て、エドガーはほくそ笑んだ。
「俺は魔王。お前は俺が魔王になって初めての花嫁になるんだ。光栄に思っていい」
「魔王……っ!? まさかっ」
エドガーは魔王になって初めての征服国はここにしようと決めていた。
まだエドガーが次期魔王後継者という立場だった頃。前魔王に連れられ鏡の王国に観光に来たことがあった。
気まぐれで入ったお土産屋さんには様々なグッズが置いてあったが、中でも売れ筋なのは鏡の王国の王室メンバーの姿が映し出される『映し鏡』というものだった。
エドガーはなんとなく一番人気、と書いてあった『映し鏡』を手に取った。すると、そこには百合の花に囲まれて、ほっそりとした少年がこちらに向かって微笑んでいる姿が映しだされた。エドガーはその花が綻ぶような可憐さに、思わず観賞用保存用普及用と三枚買った。
そしてそれこそが、目の前でエドガーを睨みつけているリリィ王子その人だった。
「魔王様。国王、女王、第一皇女、全員捕えました」
部下の報告を聞き、エドガーは満足げに頷いた。
「ご苦労。と、いうことだ。この国は既に俺の手中にある。お前が俺のモノになるなら、特別に他は見逃してやってもいい」
「なんて卑怯なっ!」
リリィが柳眉を逆立て、唇を震わす。その美しさに舌鼓を打ちながら、エドガーは低く笑った。
「さぁ、どうする? お前一人の犠牲でこの国を征服するのを見逃してやると言っているのだが」
リリィは暫く無言の抵抗をしていたが、やがて僅かに頷いた。
エドガーは嬉々としてリリィを押し倒すと、絹の上着を乱暴に捲ってその滑らかな下腹を剥き出しにした。
「ひっ」
「──白いな」
思わず呟きながらそこに手をかざす。リリィの下腹に光の粒が集まり、それはやがて心臓をモチーフとした淫紋へと変化した。魔王の淫紋は花嫁の証。この先一生リリィはエドガーの花嫁兼性奴隷として暮らしていくのだ。エドガーが満足げなため息をつきそれを眺めると、恐怖に引き攣った声が聞こえてきた。リリィを見ると強張った顔で淫紋を凝視している。
無理もない。魔王の淫紋が施されたのだ。嗜虐的な気分でそこを撫でようとすると、なんと手を払い除けられた。
「なっ」
「いやぁぁぁぁっぁあぁぁぁぁッ!」
リリィがパニックを起こしたように叫びだした。可憐な花嫁のわりにちょっと声が煩い。思わず怯むと逆に花嫁に胸ぐらを掴まれた。物凄く力が強い。
「なにこのだっっさいマーク! ねぇっ⁉ なんなのっ」
「えっ」
ダサいと言われたような気がしたが、気の所為だろうか。理解できないでいると、リリィが苛々した様子で更に捲し立ててきた。
「このスライムの落書きみたいなマークはなんのつもりだって言ってんだよ」
ドスが聞いた低い声で詰め寄られ、思わず答えた。
「え、えっと。一応、い、淫紋のつもりで、描いたんですけど」
リリィはあからさまに大きなため息を付く。胡乱な瞳で見つめられ、初めて目が合ったことにドキリとしたが、向こうはそんなことはどうでも良さそうだ。
「魔王の淫紋っていったら、世界の淫紋師が目指すべき最高峰の淫紋じゃん。どんなに美しい淫紋かとちょっとドキドキしたら、とんでもねぇ汚物みたいなマークを入れられた僕の気持ち分かる? 黒猫っぽい見た目激好みの魔王から淫紋入れられちゃう♡ってなったトキメキを返せよっ!」
ときめいていた事に驚いたが、それよりも落書きから汚物になってしまった事のショックの方が大きかった。
「す、すいません……」
「先代の魔王はどうしたの?」
「えっと、先月引退しました」
「ふーん。先代さんがうちの国に観光にきたときあったんだけどさ」
「あ、はい」
そこに自分もいました、とは言えない雰囲気だ。
「連れてきた花嫁の淫紋があまりにも綺麗だったから、鏡に映してしばらく城に飾ってたことあるよ」
鏡の王室メンバーは鏡に映したものを、絵画のように保存する能力があるらしい。お土産屋で売っていた自分たちの映し鏡も王室メンバー自らせっせと内職しているそうだ。意外に商魂逞しい国だ。
「先代、凄い淫紋上手だったじゃん。教わらんかったの?」
「えっと、パパ、じゃなくて先代は俺が淫紋描くといっつも天才だって褒めてくれて」
「典型的な馬鹿親じゃん」
そんな。いつも何をしても天才だと言ってくれたパパの言葉は嘘だったという事なんだろうか。でも、そう言われてみると試しに家臣に淫紋を入れてやろうとすると全員にやんわり断られた気もする。あれは恐れ多くてと思っていたが、まさかエドガーの淫紋が下手すぎて嫌だったということなのだろうか。
リリィはもう一度大きなため息を付く。エドガーはビクビクとリリィの一挙一動を見守った。
「とりあえず、このうんこ消して」
最早うんこになってしまった。
「は、はい」
慌ててエドガーがもう一度手をかざすと、そこは元通り何も描かれていないまっさらな肌へと戻った。
「あのさ、僕って綺麗?」
「え、は、はい」
綺麗な顔がずいっと目の前に迫って聞いてきた。思わず赤くなりながら答えると、リリィは満足げにもう一度問いかけてきた。
「世界一、綺麗?」
「う、は、はい。そう思います」
そう思ったから第一花嫁にしたいと思ったのだ。解答に満足したのか、リリィはニコリと微笑んだ。釣られてニコリと微笑むと、突如リリィが般若の表情で怒り出した。
「じゃあ、世界一美しい僕に、うんこを入れようとしたわけ⁉ 世界一美しい僕に似合うのは、世界一美しい淫紋だって幼児だって分かると思うんですけどっ⁉ お前は赤ん坊かッ⁉ バブーッって言ってみろっ」
物凄い煽られかたをして、エドガーはもう立っているのもやっとだった。甘やかされて育ったので、こんなに怒られたのは産まれて初めてだったのだ。正直チビリそうなほど震えていると、リリィが怒り冷めやらぬ勢いで壁に掛けてあった姿鏡の前に立った。
「ウィーントン校長室に繋いで」
不機嫌にそう言うと、鏡は雫を落としたように波うち、白い髭を生やした老人が映し出された。
「リリィ王子。これはこれは驚きました。今生でまたそのお姿を拝見出来るとは。この爺、明日死んでも悔いはございません」
「戯言はいいよ。今日はお前に頼みがあるんだ。一人、お前の学校に編入させて欲しい奴がいる」
「おやおや。珍しい頼み事ですな。しかし、お言葉ですが我が校は世界から一流の学生が集まるエリート校ですぞ。よっぽどの実力がないと途中編入は難しいかと。それとも、その方はよっぽど、なのですかな?」
「……素質はあるはずだ。今はクソみたいな実力だけど」
「ほほほっ。何やら訳ありなご様子。よろしい。王子には恩がございます。編入手続きは済ましておきますよ。お名前お伺いしても?」
リリィに顎をしゃくられ、自分の名前を聞かれているのだと気付き慌てて名乗る。
「えっと、エドガー・ネクロファデスだ」
名乗った途端、向こうの老人の動きが一瞬止まった。
「……なるほど。全て理解しました。お名前はエドガー・ネロとお名乗りになるとよろしいでしょう」
それだけ言うと鏡は大きく歪み、中の老人はもういなくなっていた。
「なんで姓を変えるんだ? 魔王の由緒正しき姓なのだが」
「魔王が淫紋学校に通ってるなんてバレたらまずいだろ」
「え、なんて?」
「淫紋学校だ。お前はこれから淫紋学校に行け」
「……っ⁉︎」
驚きで声も出せないでいると、リリィは厳しい顔でピシリとエドガーを指さして言った。
「ただの淫紋学校じゃない。鏡の国には淫紋学校が数多くあるがウィーントン淫紋学校はその中でも世界随一のレベルを誇る学校だ。この学校で首席になれば即ち世界一と同等と言えるだろう。お前はここで世界一の淫紋師になれ」
「世界、一の淫紋師?」
リリィの真っ直ぐな瞳が、エドガーを貫く。
「そうだ。僕は世界一の淫紋しか入れるつもりはない。僕に淫紋を施したいなら、お前が世界一の淫紋師になるんだ」
「淫紋師……」
自分は泣く子も黙る魔王なのだ。淫紋師といえば、人間の中でちょっと闇魔法が使えるくらいの者の職業で、闇魔法の権化たる自分が今更淫紋師の学校に行くなんてあり得ないにも程がある。
「そのかわり。お前が世界一の淫紋師になったあかつきには、僕に絶対消える事がない『トゥージュール』を入れてもいい」
リリィの口からあり得ない単語が出てきて、驚いて問い返した。
「それを、何故……?」
「前魔王が第一花嫁に施した淫紋は『トゥージュール』なんだろう? 花嫁から聞いたんだ。絶対に消えない、永遠の約束みたいな淫紋だと」
そう。通常淫紋は一週間から一ヶ月ほどで薄くなり、重ね付けしたり違うものに変えたりするものだ。だが、魔王家だけに伝わる秘伝の淫紋『トゥージュール』は、別名永遠の約束と言われ、一度入れれば魔王本人でさえも二度と取ること出来ない究極の淫紋だった。
前魔王も、いままで施したのは第一花嫁ただ一人のはず。
「『トゥージュール』を……俺が、お前に?」
「そうだよ。この世界一美しい僕に、お前だけが一生残る紋を付けるんだ」
リリィがエドガーの手を取り、自分の下腹に触れさせた。キメ細く白い肌は吸い付くように滑らかだ。この肌に、自分だけの消えない紋を入れる。
思わずゴクリと喉を鳴らすと、リリィは嫣然と微笑んだ。エドガーはまるで悪魔に魅入られるようにリリィを見た。
「行くよな? 淫紋学校に」
もうエドガーは、頷く事しか出来なかった。
※※※
「我がウィーントン校は世界最高峰の淫紋学校です。昔は魔族が人間を従属させる事でしか使用されなかった淫紋ですが、今やその需要は多岐に渡ります。ウィーントン校の卒業生は生殖医療機関、冒険者、政府機関、芸術家と活動の場も様々ですが、いずれも社会の中枢を担う優秀な人物ばかりです。本来は一年で闇魔法の基礎、教養を学び、二年でその応用、また淫紋制度の法律。三年で実技などとなっていくわけですから途中編入などは本来あり得ないわけです」
様々な淫紋が飾られた廊下を、先が尖った眼鏡をしたおばさんに続いてひたすら歩く。バックミュージックはおばさんのお小言のような説明だ。ようは、エドガーが編入してきた事が不満らしい。
編入するにあたり伸ばしていた黒髪も切り、魔族の証である尖った耳と牙も人間と同じに見えるよう魔法を掛けた。おばさんからしたら、何の変哲もないように見える人間が何故権威あるウィーントン校に編入してきたのか理解しがたいのだろう。本体ならば殺してしまってもいいほど不敬な態度だが、魔王が淫紋学校に通っているとバレるわけにもいかないのでかろうじて耐えた。
「さ、ここが校長室です。お入りなさい」
金色のプレートで校長室、と書かれた部屋に案内され中に入る。まず目に入ったのは壁一面に飾られた鏡だった。ただの鏡ではない。ひとつひとつ様々なデザインの淫紋が中に映っている。
「素晴らしいでしょう」
デスクに座っていた校長が立ち上がって隣に立った。校長は案内のおばさんに目配せして下がらせると、黒い応接ソファにエドガーを座らせた。
「全て王室の方にご協力頂いた映し鏡です。どれも一級品の淫紋で、売れば億もくだらないでしょう。もちろん、そんな勿体ないことはしませんが。そら、それが私の一番のお気に入りです」
校長がソファから一番近い壁に飾ってある鏡を指差す。見るとそれは真紅色の見覚えのある淫紋だった。
「これ、先代の……」
「そうです。先代魔王が、第一花嫁に施した『トゥージュール』の写しです。リリィ様に無理を言って譲って頂きました」
では、これが校長が言っていた『恩』の正体なのだろう。第一花嫁、すなわちエドガーの母の淫紋だが。こんなにきちんと眺めて見たことはなかった。確かに、美しい。
「本当に見事な淫紋です。これ以上の淫紋を私は見たことがない。これが、貴方のお父上が描いた世界一と言われる淫紋です」
校長がはっきりと前魔王のことをエドガーの前で父上と呼んだのでドキリとした。魔王が淫紋学校に通うことに対して、この校長はどう思っているのだろうか。
「これを」
校長が目の前の机に羊皮紙を置いた。
「試しにここに淫紋を描いてみてください。学生が練習で使うものです」
人間の皮膚と似た構成成分で作られた特別な紙なのだという。エドガーは一瞬躊躇った。だが、すべて察しているのだろうこの男に今更取り繕ったところで仕方ないと思い、先日リリィに入れたものと全く同じものを羊皮紙描いた。
「……なるほど」
校長は難しい顔で頷いた。
「この色は、何故赤なのですか」
リリィに言われたように酷く貶されることを覚悟をしていたので、色の理由を聞かれて拍子抜けした。
「何故って……なんとなく、淫紋といえば赤かなって」
「そうですか。でも、赤と言っても様々な種類がありますね。薔薇の色、躑躅の色、瑪瑙の色。どれも素晴らしい色だが、どの色が貴方が淫紋を入れんとする方にもっとも相応しいか考えましたか」
エドガーは言葉を無くした。赤の種類なんて、考えたこともなかった。何も言えないエドガーを見て、校長は静かに頷いた。
「考えていなかったなら、是非考えてみましょう。この学校は、考える為の材料を学ぶ場です。ですが、それを活かして淫紋を作り出すのはあくまで貴方だ」
校長が飾られている『トゥージュール』をもう一度指さした。
「御覧なさい。これを見れば貴方のお父様が花嫁をどう思っていたのか、まさに肌で感じられるような気がします」
第一花嫁の『トゥージュール』を見つめながら、校長が惚れ惚れといった様子で呟いた。深紅色の花模様を基調とした淫紋は鮮やかで美麗だが、先代の想いとやらまではエドガーには分からなかった。
「どういうことだ?」
尋ねると、校長は意味深に笑って言った。
「貴方はまず、自分の気持ちと向き合うことから始めるといいでしょう。勉学に励みながら、なぜ自分がここにいるのかよく考えて御覧なさい」
納得できないまま促されて校長室を出ようとすると、外には先程のおばさんが控えていた。エドガーを教室に案内する為に待っていたらしい。おばさんに着いていこうとしたが、ふと思い立ち校長のほうを振り返って聞いた。
「なあ、さっきの俺の淫紋どうだった?」
校長はにっこりと微笑んで言った。
「うんこです」
※※※
「エドガー、カフェテリアに休憩に行こうぜ」
「ごめん、マシュー。このスケッチだけ済ませちゃいたいんだ」
「まったく、真面目だなお前は。分かった。コーヒーだけ貰ってきてやるよ。ミルクなし砂糖三本でオーケー?」
「サンキュー。恩に着るよ」
マシューの背中にお礼だけ言って、目線を手元に戻す。
いま書いているスケッチは卒業制作のものだ。教授にエスキース(下絵)を提出して、A評価を得たものだけが実際にモデルに淫紋を施し卒業となる。
どうしても、右上の百合のモチーフの部分が納得出来ず唸っていると、今度は後ろからトーマスが声を掛けてきた。
「凄いな。そのデッサン。卒業製作かい?」
「うん。どうしも納得出来ないところがあって」
「君は本当に完璧主義だな。聞いたぞ。あのINMON社から誘いが来てるんだって?」
「ああ、それは断ったよ」
「何だって⁉ 冗談だろ。なあ、じゃあまさかあの噂も本当なのか? 君が世界的モデルIKKAのオファーも断ったっていうのは」
「ああ、うん……」
嘘だろ、っと大袈裟に天を仰ぐ友人に辟易しながら仕方なく答えた。
「IKKAはたまたま先週うちの学校に来たとき俺の卒業制作のラフを見たみたいなんだ。それで、卒業制作のモデルを自分にしろって言ってきて。それは無理だって断っただけだよ」
「なんで断ったんだっ⁉ インステのフォロワー四億の、あのIKKAだぞ。彼が君の淫紋を入れたと知られりゃ世界中からオファーが来るだろうに」
「うーん、有難いけど俺の卒業制作のモデルはもう決まってるから」
「なんだって⁉︎ 誰なんだいその幸運な女神は」
大きく手を挙げて驚いてみせるトーマスの肩を、カフェから帰ってきたマシューが珈琲を持っているのとは反対の手で叩いて制した。
「おい、馬に蹴られたくなきゃやめておけ」
マシューから珈琲を受け取りながら、ありがとうと言うと肩をすくめてウィンクされた。トーマスは気のいい男だが、噂好きなところがある。その点マシューは思慮深く口が固い。卒業後一緒に冒険者にならないかと誘われたので、マシューにだけ自分が淫紋学校に通っている理由を話した。勿論自分が魔王なことは伏せてだが。
マシューだけではない。色々な人が卒業後に一緒に活動しようと誘ってくれた。この二年たくさんの友人が出来たし学校の授業はどれも刺激的で面白かった。みんなで行った修学旅行もデザインの勉強になったしとても楽しかった。淫紋学校はエドガーにとって素晴らしい体験となったが、全てはひとつの目的のためでしかない。
「あ」
ふと思いつき、右上に百合モチーフの王冠を描いた。あの王子の頭上にこそ相応しい、純白の百合の王冠。
「エドガー、それ凄くいいよっ」
トーマスが横から覗いて歓声を上げた。マシューも深く頷いている。
「──行くんだな」
静かな瞳でマシューが言った。エドガーの目的がこの学校を卒業することではなく、唯一無二の淫紋を作り上げることなのだということをマシューは分かっていた。そして、今。そのときがやってきたのだ。
エドガーは緊張と期待で胸を震わせながら、マシューに頷き返して言った。
「今夜にでも」
※※※
鏡の王宮は二年前に訪れたときと変わらず、洗練された美しさを保っていた。
だが、寝室に横たわる王子だけは違った。二年を経て、更に美貌に磨きが掛かっていたのだ。月明かりに照らされた王子のあまりの美しさに呆気にとられ、部屋の窓から一歩も動けないでいたエドガーに向こうのほうから声を掛けてきた。
「そろそろ来ると思ってたんだ。中にお入りよ」
その言葉におずおずと部屋の中に入る。間近で見るリリィ王子は二年前よりスラリと背が伸び、その美貌の迫力に息を呑んだ。
「校長からお前の頑張りは聞いてたよ。もう立派に世界一を名乗れる腕前のようだね」
「お前に『トゥージュール』を入れるんだから、それくらい当然だ」
エドガーはずっと手に握りしめていた先程完成させたばかりのスケッチをリリィに差し出した。ところが、リリィはそっと首を振る。スケッチを見ても貰えないのかと絶望で顔を引き攣らせると、リリィが笑って言った。
「誤解しないでよ。そうじゃなくて、今までのお前の作品は鏡ごしに全部知ってるんだ。お前が今までどんなにか努力してきたかって、分かってるつもりだよ。僕は僕なりに、そんなお前に『トゥージュール』を入れてもらえる日を楽しみにしてた。スケッチじゃなくて、僕の体に入れた『トゥージュール』をちゃんと見せてくれよ」
リリィがそっとエドガーの手を取り、自分の下腹に触れさせた。気のせいか、リリィの眦が仄かに赤い。
エドガーは興奮で手が震えそうになるのを必死で堪え、低い声で念を押した。
「いいのか? 『トゥージュール』は一度入れたら二度と消すことは出来ない淫紋だぞ」
エドガーの真剣な眼差しを真正面から受け止めて、それでもリリィはこくりと頷いた。エドガーはぶるりとひとつ武者震いすると、大きく息を吐いた。二年間、待ち望んでいた瞬間だ。気分は高揚しているはずなのに、不思議と心は凪いでいた。
ベースはベージュがかった薄紅色だ。リリィの白い肌をより際立たせる色味を選んだ。一般的に淫紋は黄金比が美しいとされるが、細身のリリィに合わせて第二金属比で描く。その分計算が少し複雑になるが、リリィの下腹にはこちらの方がよりフィットする筈だ。
土台となるベースの心臓の形を描いた後は、中に模様を描き込んでいく。その細かさにリリィが息を呑んだ気配がした。
この細かさこそ、エドガーの淫紋の持ち味だ。淫紋は細く入れようとしてもなかなか出来るものではない。細くしたぶん、練り込んだ魔力が弱くなり、すぐに儚く消えてしまうのだ。それをエドガーは元来の魔力の強さを利用して糸のような細さで丁寧に練り込んでいく。一見ボタニカル模様のようでいて、そのひとつひとつに意味のあるモチーフを織物のような細かさで入れ込んでいった。あくまで外側の形は心臓だが、心臓の中には数えきれないほどの『想い』がある。
──パパも、こうやって花嫁に淫紋を描いたのだろうか。
一生のうち、ただ一人に。究極の呪いで、想いで、そして絆。
はじめて会ったとき、校長は「まずは自分の気持と向き合え」と言った。なぜ魔王ともあろうものが、わざわざ淫紋学校に通うのか。いまとなっては、答えは明白だ。二年間ずっと、リリィに入れる淫紋の事だけ考えてきた。魔王である自分は、きっと言葉にはしないけれど。この淫紋に全てを込める。
淫紋にはじめて火魔法の概念を持ち込んだ偉人シェイクスマラは「淫紋とは世界で一番ロマンチックな魔法である」という言葉を残した。今の自分も同じ意見だ。
最後に純白の百合の王冠を描く。百合の意味は「永遠の豊かな愛」。エドガーがただ一人に捧げる純白の王冠だ。
「綺麗だね……」
リリィが吐息混じりに呟いた。ずっと聞きたかったその言葉に、エドガーは思わず視界が潤んだ。
「あ……っ、綺麗なだけじゃない。すごく、強力だ……っ」
勿論美しいだけではく、本来の淫紋の役割も強力な魔法で付与してある。自分で施しておきながら、頬を染めて身悶えたリリィの姿に動揺した。
「エドガー……」
涙目で名を呼んでくるリリィに、吸い込まれるように身を寄せた。すると、耳元でリリィが低い声で呟いた。
「お疲れ様」
「え?」
次の瞬間。下腹部に燃えるような熱さが走った。見ると、先程リリィに施したはずの淫紋が自分の下腹部に浮き出ている。どういうことかと混乱しながらリリィに目を向けると、リリィの下腹部は元通りのなにもない白い肌へと戻っていた。
「ど、どうして……?」
「魔王家と同様、我が王家にも秘伝の魔法が存在するんだよ。その名も『移し鏡』。まるで鏡みたいに傷や呪いを他人に移すことが出来るんだ。勿論淫紋も可能だよ」
「そ、そんな……あうっ」
なんて事をしてくれたんだと詰め寄りたいが、淫紋の効果がそれを許してくれない。恐ろしい事に尻穴がどうしようもなく疼いて苦しくて仕方ない。今すぐ中をペニスで擦り上げて欲しくて悲鳴をあげたい衝動に駆られる。
「ん……んんッ! い、いやだあっ……ひあんッ!」
「『トゥージュール』は施したが最後。魔王でも消せないもんね。せっかく僕の為に作ってくれたのにごめんね。でも、この方がお前が作ってくれた淫紋が間近でよく見えるよ。ああ、本当に美しいね」
リリィが淫紋を手でなぞると、それだけでエドガーは粗相するほど感じてしまった。
「おやおや。お前の淫紋は凄いね。それとも、元々敏感なのかな?二年間も頑張って勉強して僕のために作った淫紋を自分に施してしまうなんて、お前ってなんて可哀想なんだ」
リリィが既に怒張している自分のモノを取り出した。それはリリィの顔に似合わない、凶悪な代物だった。ビキビキと音が聞こえてきそうなほど反り上がったものが、エドガーのそこにあてがわれる。絶望しなければいけないのに、エドガーには喜びの感情しか湧いてこなかった。早く。早く、中を精液で満たして欲しい。
「ああ……可哀想で、本当に可愛いね。はじめてお前が僕の国に来たときから、絶対モノにしようと思ってたよ。これからは、僕が毎日精液を注いであげるからね」
そして、世界一の淫紋を施された魔王は、その絶大な威力を自分の体で思い知る事となった。
──勿論、永遠の豊かな愛の意味も。
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