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銀鼠の霊薬師 番外編
2 玄
しおりを挟む「どこまで付いて来る気?」
臙脂色の着物の男は、いつまでも自分を追いかけてくる菖蒲に視線はくれないまま声をかける。
「責任とってよ」
「……何のだい?」
「あんたのせいで、こっちは住む場所無くしたんだ。その責任」
男は、溜め息をつきこの時やっと菖蒲を見下ろす。
ギクリとした。
すっと開けられた瞳は、まるで血で染められたように真っ赤だったから。
月明かりを反射し、真紅に光るその眼は菖蒲には禍々しく見えた。
「僕はこの辺りで掏摸が横行しているから、なんとかしてくれって依頼を受けただけだよ。人の物を盗む暮らしなんて、長く続くわけない。遅かれ早かれお前はこうなる運命だったんだ。そんなものに、責任なんて負う義務は僕には無いよ」
だいたい、と男は続ける。
「お前のような餓鬼が、この先どうなろうが僕の知ったことじゃない」
冷たく言い放たれ、菖蒲の脚は止まった。その通りだ、反論のしようも無い。
遠ざかっていく臙脂色の背中を見つめながら、途方に暮れる。
──それでも……。
気がつくと菖蒲は走っていた。
その気配に赤目の男は振り返る。菖蒲が男の袖の裾を掴み見上げると、男は迷惑そうな顔でこちらを見下ろした。
この地方の冬は厳しい。家の無い子供が冬を越すというのは絶望的な状況だ。
どう言えば伝わるのか、言葉が出ない分必死な思いで菖蒲は男を見つめた。
まだ死にたくはないから。
「しつこいよ」
男は袖を引いて、その手を振り払おうとするので、菖蒲は離すまいと更に力を込めた。
彼は小さく舌打ちをすると、彼女の手首を掴み力を入れる。すると菖蒲の手の力が抜け、裾が離れた。
痛みに顔を歪ませる菖蒲の顔を、男は冷ややかな目で見ていた。が、不意に彼は自身が掴んでいる手首に視線をやる。直後その紅い瞳が驚いたように開いた。袖から覗く菖蒲の腕には、働きが良くなかった時に兵助につけられた痣や火傷の痕が無数に残っていたのが見えたからだ。
それに気がついた菖蒲は、男の手を振り払うと袖を引っ張り腕を隠した。
何だか、恥ずかしい物を見られたような気がして俯く。
「…………」
彼は眉を顰めその様子を見ていたが、片手で顔を覆いながら空を仰ぎ大きな溜め息を吐くと、長身の身体をくの字に曲げ、菖蒲と視線を合わせた。
「名前は?」
先程より若干穏やかになった男の声色に、菖蒲は顔を上げた。
真っ赤な双眸が菖蒲を静かに見つめている。
「あ……菖蒲……」
「……花の……名前だね」
ふーん、と言いながら彼は姿勢を直す。その時僅かに男の口元が緩んだような気がした。
「ついておいで」
言うと、彼は歩き出した。
「ひとり……増えたんだけど、構わないかい?」
男が宿泊しているのであろう宿屋に着くと、彼はそこの主人らしき人物にそう訪ねた。
「その分のお代を貰えるんなら、こっちは構いませんよ。……どうしたんですか? その子供」
宿屋の主人は勘定場から少し身を乗り出し菖蒲を見る。
「うん、ちょっと訳ありでね。そうだ、店主。この町でこの子が住み込みで働けるところは無いかい?」
「奉公先を探してるのか? うーん……今のところ心当たりは無いねえ。……まあ、伝手が無いわけじゃない。聞いてみるよ」
「頼む」
彼はそのまま二階への階段を上がって行ったので、菖蒲もその後へ続いた。
襖を開けると、部屋の真ん中に寝転がる用なのか座布団が三枚並べてあった。「さあ、入って」と男は座布団の一枚を隅に積んである座布団の山に放り、残った二枚は間を開けて並べると、その一枚の上に胡座をかいた。
「ほら、座りなよ」
男に促され、菖蒲は素直にそこに正座した。
「……連行されていった男は君の父親かい?」
「……違う」
「ふーん、じゃああの男は君の何?」
菖蒲は、親に捨てられ兵助に拾われてからの事をぽつぽつと話した。
ただ男達の夜の相手をしていた事は、言いたくなかったので省いた。
それを、黙って聞いていた男は癖毛の頭を掻きながら大きく息を吐く。
「じゃあ、その身体の傷もあいつに付けられたって事か」
「…………」
菖蒲が無言で頷くと、目の前の男は腕組みをしながら眉間に皺を寄せた。暫くそうして菖蒲を見ていたが不意に口を開く。
「僕、ある程度仕事は終えたから明日から暇なんだ。だから、君が生きていける場所を一緒に探してあげるよ。たぶん、どこかの奉公になるとは思うけど……見つかるまでは付き合ってあげるから」
言うと、「まずは風呂に入っておいで。その後晩飯にしよう」と、彼は仲居を呼び菖蒲の浴衣と手拭いを持ってこさせた。
「これ……全部食べていいの?」
箱膳の上の用意された食事を見て、菖蒲は目を輝かせる。今まで食事は兵助の分も自分が用意していたが、料理というものを教えてもらった事がない菖蒲はまともに出来るのが焼き魚くらいだった。辛うじて飯は炊けたから、それで申し分ないと思ってはいたが……。
配膳された目の前の料理は、口にしたことが無いものばかりで菖蒲は興奮した。
「勿論、全部食べていいよ。おかわりも好きなだけするといい。ああ、金の心配はいらないよ、君の言う“責任”ってやつをとらせて貰うから」
料理を前にして目を輝かせている菖蒲に思わず口元を緩めた男を、彼女はじっと見つめた。
「最初は冷たい奴だと思ったけど……本当はいい奴なんだな、あんた」
「……玄だ」
「え?」
「僕の名前。玄」
ぽかんと口を開けたまま、男の自己紹介を聞いていた菖蒲は、そう言えば彼の名前を聞いていなかったという事に気がついた。
「うん、ありがとう。玄」
「さあ、冷める前に食べよう」
玄と名乗った男は、そう促すと箱膳の前で両手を合わせた。
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