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銀鼠の霊薬師 番外編
10 白狼山
しおりを挟む「あー、だから婆ちゃん最近見かけないんだ」
太陽が真南にさしかかり、そろそろ昼どきだろうかという時間。菖蒲はさえの家で“おはじき”をして遊んでいた。
何気なく今朝あった話をさえにしたら、思った以上に食いついてきた。
「それじゃあ道雄さんも困っているだろうなあ……」
赤い硝子のおはじき越しに菖蒲を覗くように見ていたさえは、「原料は何が足りないって言ってたの?」と訊く。
「茸だって。白狼山の木に生えるらしいんだけど、場所は白銀さんしか分からないって」
それを聞いたさえは「茸……」と小さく呟いた後、ふたりの間にある沢山のおはじきを散らすように両手をついて対面の菖蒲に身を乗り出す。
「な……何⁉」
驚いた菖蒲が距離をとるように、背をのけぞらせた。
「私、その茸のある場所知ってるかも」
「え?」
「前に薬草採りの手伝いをした時、白銀さんに教えてもらったの。……ねえ、今から一緒に採りに行かない?」
「え? 今から?」
さえの突飛な案に、菖蒲は目をぱちくりさせた。
「でも、ふたりだけで白狼山に入るのは危険なんじゃ……。それにさえちゃん、ずっと前にあの山で迷子になったって聞いたけど」
子供だけで白狼山に行くことは、里では禁じられていた。
「あ……あーまあ、小さい時ね。あの時は白銀さんに助けてもらったっけ」
それを聞いて菖蒲は眉根を寄せる。
その顔を見たさえは、慌てて両手の平をひらひらと振った。
「あの時はまだ山の事知らなかったから。今は桔梗様のお手伝いで、白銀さんとよく山に入るから平気だって」
それにさ、とさえは続ける。
「桔梗様もきっと喜ぶと思うよ」
その言葉に、菖蒲は目を大きく見開く。
桔梗は長老が腰痛で寝込んでいると聞いて心を痛めていた。どうにか治してやりたいと思っているだろう。それこそ、霊薬を作ろうとするくらいに。
さえの言うように、薬の原料である茸を持って行ったらきっと喜んでくれるに違いない。
この里に来て以来、ここの人達にはとても良くしてもらっている。玄は勿論のこと、桔梗や白銀には特に。
いつか恩返しがしたいと、ずっと思っていた。でもその方法が思いつかないでいたのだが……。
菖蒲は胸の中に言い知れない高揚感が、湧き上がるのを感じた。
「……うん、行こう」
少しでも桔梗の役に立ちたい。
彼女の喜ぶ顔を想像しながら、菖蒲は大きく頷いた。
ふたりだけの入山は多少不安を覚えるが、何度も山に入っているというさえと一緒なら大丈夫だろう。
「じゃあお昼ごはん食べたら、山の入口に集合ね」
そういうさえは、何故だかとても嬉しそうだった。
※
「桔梗ちゃん。菖蒲見なかった?」
昼食を一緒に食べてから菖蒲の姿が見当たらない。玄は、桔梗の所かも知れないと訪ねてみたのだが。
「菖蒲? いや、見ていないが……」
「……そう」
いつもこの時間は桔梗のところか、仲の良いさえと一緒に居るのだが。そういえば、そのさえの姿も見ていない。
「なんだ? 居なくなったのか?」
桔梗が玄関に立つ玄へと歩み寄る。
「心配だな。私も探すのを手伝おう」
桔梗は言うと、山の方角を指さした。
「見つけるなら早い方がいいぞ」
玄が桔梗の指さす方を見る。真っ黒な雲が見えた。いずれこの里の空も覆うだろう。
「雪が降りそうだ」
「…………」
桔梗の言葉に何だか妙に胸がざわつきだす。
玄は空を見上げながら眉を潜めた。
※
踏みつけた枯れ枝がパキリと乾いた音をたてて折れた。歩くたびに鳴る枯れ葉の音とふたりの呼吸の音以外、何も聞こえない。
ついこの間まで鳥や虫が鳴いていたのが嘘のように、山は静寂に包まれている。
「もう少しで茸のある場所だよ」
白い息を吐きながら、さえは歩く方向を指さした。菖蒲もその方角を見ると枯れた木々の間から灰色の空が覗いていた。
──さっきまで晴れてたのに。
ちゃんと防寒をして来た筈だが、少し山を登っただけで里より気温が低く感じる。
「早く採って帰ろう」
菖蒲はそう言うと、首に巻いた布を口元まで引き上げた。
※
「……ちゃん。……やめちゃん……」
遠くで誰かの声がした。
「あやめちゃん……」
だんだんと近づいてくるその声は……。
──私を呼んでる?
「菖蒲ちゃんっっ‼‼」
ハッと目を開ける。
瞬間、自分の名を呼んでいた人物の顔が必死の表情でこちらを見ていた。
「……さえちゃん?」
状況が飲み込めず、ぼーっとした目でさえを見る。彼女は安心したようにほっと息を吐いた。
仰向けで倒れている菖蒲の顔に冷たいものがしきりに落ちてくるのに気がつく。気を失っている間に、上空を雪雲が覆ったのか大粒の雪が降ってきていた。
「良かった、このまま菖蒲ちゃんが目を覚まさなかったらどうしよかと思ったよ……」
さえは力なく言う。
──ああ、そっか。私たち崖から落ちたんだった……。
目的の茸は、結構すぐに見つけることができた。ただ、その場所が悪かった。
茸の生えた木は崖すれすれに立っており、さえがその茸に手を伸ばした時、兎か何か小さな生き物が木の陰から飛び出して来た。それに驚いたさえは足を踏み外し、さえを助けようと手を伸ばした菖蒲ごと崖から落ちた。
「ごめんね菖蒲ちゃんまで落ちちゃって……」
涙声のさえに、「大丈夫だから気にしないで」と言いながら起き上がろうとした時だ。右足に痛みが走る。
「──痛っ‼」
落ちるときに挫いたのだろう。藁で編んだ雪靴を脱いで確かめると、すっかり腫れ上がっていた。
「足っ……怪我したの⁉」
痛々しい菖蒲の右足を見たさえが、声をあげる。その顔は今度こそ泣きそうだ。
立って歩けるだろうかと試みてみたが、右足を地面につけた途端、激痛が走りたまらず菖蒲は倒れ込む。そんな事をしている間にも、雪はひっきりなしに降ってきて周りの景色を真っ白に染めようとしている。見ると、さえの頭や肩も雪で白くなっていた。
このまま、ここで動かずにいたらふたりとも凍えて最悪死んでしまう。
菖蒲の背中を気温とは関係のない寒気が走る。
山に入ってからどのくらい経ったのか、太陽の位置が確認できないので知る術が無い。
自分たちが居なくなって、里の者たちは心配しているのではないか。
不意に、玄の顔が脳裏に浮かぶ。
何故、彼に何も言わずに来てしまったんだろう。菖蒲は今更ながらその事を悔やんだ。
徐々に風も出てきた。
このままだと吹雪になるだろう。
まるで石でも飲み込んだかのように胃の辺りが重くなる。
冷たい雪を頬に受けながら、菖蒲は途方にくれ容赦なく雪を浴びせる灰色の空を仰ぎ見た。
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