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銀鼠の霊薬師 番外編
11 白い獣
しおりを挟む「ごめんね……私が山に登るって言い出さなきゃっ……うぅっ。こんな事にならなかっ……」
ついに泣き出し、涙で頬を濡らしながらしきりに謝るさえを、菖蒲は懸命になだめる。
「大丈夫だから、泣かないで」
泣くのも体力を消耗する。今は少しでも消耗を避けなければと思った。
「ううっ……でも、菖蒲ちゃんに怪我までさせちゃって」
「こんなの平気だって」
あの町で物乞いの真似事や掏摸をしながら生きていた時は、もっと痛い思いをしていた。それと比べれば、なんて事はない。
なにより、今は独りじゃない。
再び脳裏に玄の顔が浮かび、その後を追うように桔梗や白銀の笑顔が浮かんだ。
途端、菖蒲の目頭も熱くなる。
いけない、自分だって泣いている場合じゃない。
菖蒲は泣いているさえの背中を慰めるようにさすりながら、あたりを見回した。
あっという間に吹雪き始めた雪は、さっきまで見えていた目の前の藪すらすでに白い壁で隠してしまっていた。心細さに拍車がかかる。
じりじりと、死神がにじり寄って来ているようで寒さとは関係のない悪寒が背中を走った。
とにかく、どこか風と雪を凌ぐげる場所を探さなければ。それから二人で身を寄せ合えば、助けが来るまでなんとかなるかもしれない。
ふたりがこの山に登った可能性に、誰かが気がついてくれれば……。
そして、自分たちが生きている間にこの場所を突き止めてくれれば……。
「…………」
その確率は一体どのくらいなのだろう。
不安をかき消そうと、菖蒲は立ち上がろうとした。
「──っ!!」
が、立ち上がろうとした途端痛めた足に激痛が走る。
「あ……」
これでは移動はおろか、立ち上がる事すら難しそうだ。
絶望感が菖蒲を襲った。
その時だった。
ガサリ、と。目の前の藪が激しく揺れる音がした。
ハッと身構える菖蒲を、さえは不安げな表情で見る。
吹雪で揺れた感じではなかった。どちらかというと、何かが藪をかき分けたような音。
ピリッとした緊張が背中を走る。
獣だろうか? 音の感じからして、小さくは無さそうだ。
猪? もしくは……熊?
熊だとしたら最悪だ。
ゴクリと生唾を飲み込もうとしたが、緊張のせいでカラカラの喉は空気を送り込むだけだった。
──もし熊だとしたら?
足を怪我して動けない自分は、どうせ逃げられない。
──私が囮になって、さえちゃんを逃すしか……。
覚悟と共にもう一度唾を飲み込んだ。
前を凝視する菖蒲の目の前に突如、吹雪をかき分けるようにヌッと大きな白い獣の脚が飛び込んできた。
──山……犬?
ハッハッと白い息を吐きながら姿を現したのは、大きな白い山犬だった。
耳をピンと立て、ゆっくりと二人に近づくとすぐ傍でぴたりと歩みを止める。灰色の眼がじっとこちらを見据えた。
山犬の姿を見た途端、蘇る記憶。
「俺は小さい時、あの山で山犬に拾われて育てられたんだ。そのうち、菖蒲にも会わせてやるよ」
白銀の言葉だ。
山犬は再びゆっくりと近づいてくる。その鼻先が、菖蒲の顔に近づこうとした時だった。
「駄目っ!!」
さえが山犬から庇うように、菖蒲に抱きつく。
「──っ!!さえちゃんっ⁉」
「食べるなら、私を食べてっ!!菖蒲ちゃんは駄目っ!!」
突然のさえの言動に、菖蒲は目をぱちくりさせる。目の前の山犬は困ったように大きな耳を後ろに寝かせた。
さえが身体を張ってくれた事が嬉しく、山犬の様子が可笑しかったのもあり菖蒲は思わず笑ってしまう。
「大丈夫」
こんな緊迫した状況なのに笑顔で自分の肩に手を置く菖蒲に、さえは怪訝な顔をした。
「白銀さんが“お爺ちゃん”って呼んでる人……じゃないか、山犬だよきっと」
この山の最後の生き残り。
たった一匹でいるのはきっと寂しいだろうと、その話を白銀に聞いた時に思った。
「だよ……ね?」
菖蒲は山犬の目を見ながら問うと、彼は自身の身体を菖蒲に擦り付けながら前脚を折り曲げ伏せる格好をした。
どうやら乗れと言っているらしい。
吹雪はどんどん酷くなり、ふたりの身体にはあっという間に雪が降り積もっていく。このままこの場に留まっていても、雪に埋もれて身動きが取れなくなる事は容易に想像ができた。
考えている暇はない。
「菖蒲ちゃん⁉」
躊躇なく山犬にまたがる菖蒲に、さえは驚いて声をあげた。
「ほら、さえちゃんも」
菖蒲に手を差し伸べられたさえは、戸惑いながら山犬を見る。
伏せたままのそれは、大人しく菖蒲を背に乗せたまま視線をこちらに向けていた。さえは意を決したように頷き、自分も山犬にまたがる。
「うわっ……」
山犬は立ち上がると、二人を落とさないようにゆっくりと歩き出した。
吹雪で周りが見えない中歩く山犬は、まるで山の事は知り尽くしているかのように何の迷いも無く進んでいく。どこをどう進んだのか、いつの間にか知っている道に出ていた。
「ここ……真っ直ぐ行けば里に戻れるね」
後ろでさえの安堵のため息が聞こえた。菖蒲もほっと胸をなでおろす。
ふと山犬の頭を見ると、結構な雪が積もっていた。ほんとうなら、身体を震わせ雪を振り落とすのだろうが、二人を乗せているためそれも出来ないのだろう。気の毒に思った菖蒲は自分の手の届く限りの雪を払いのけてやった。
その時自分の手が、寒さで真っ赤になっているのに気がついた。途端に寒さを感じ息を吹きかけ手を温める。もう、感覚も無い。
ふと、何か聞こえた気がした。
「……?」
気のせいだろうか。息を潜めて耳に意識を集中させる。
「──菖蒲っ‼」
菖蒲は目を見開く。
吹雪の中からかろうじて聞こえてくるこの声は、間違いなく……。
真正面の吹雪の向こうに、ゆらりと人影が見えた。
「玄っ‼」
思わず名を呼ぶ。
「菖蒲っ!?」
向こうにもこちらの声が届いたらしい。影が急速に近づきてきた。
横殴りの雪を防ぐように、片手で顔をかばう玄の姿が見えた。
菖蒲は駆け寄りたくて山犬の背から降りたが、挫いた足に痛みが走りその場でうずくまってしまった。
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