銀鼠の霊薬師

八神生弦

文字の大きさ
60 / 65
銀鼠の霊薬師 番外編

11 白い獣

しおりを挟む

「ごめんね……私が山に登るって言い出さなきゃっ……うぅっ。こんな事にならなかっ……」

 ついに泣き出し、涙で頬を濡らしながらしきりに謝るさえを、菖蒲あやめは懸命になだめる。


「大丈夫だから、泣かないで」

 泣くのも体力を消耗する。今は少しでも消耗を避けなければと思った。

「ううっ……でも、菖蒲ちゃんに怪我までさせちゃって」

「こんなの平気だって」

 あの町で物乞いの真似事や掏摸すりをしながら生きていた時は、もっと痛い思いをしていた。それと比べれば、なんて事はない。

 なにより、今は独りじゃない。

 再び脳裏にくろの顔が浮かび、その後を追うように桔梗ききょう白銀しろがねの笑顔が浮かんだ。
 途端、菖蒲の目頭も熱くなる。

 いけない、自分だって泣いている場合じゃない。

 菖蒲は泣いているさえの背中を慰めるようにさすりながら、あたりを見回した。
 あっという間に吹雪ふぶき始めた雪は、さっきまで見えていた目の前のやぶすらすでに白い壁で隠してしまっていた。心細さに拍車がかかる。
 じりじりと、死神がにじり寄って来ているようで寒さとは関係のない悪寒が背中を走った。

 とにかく、どこか風と雪を凌ぐしのげる場所を探さなければ。それから二人で身を寄せ合えば、助けが来るまでなんとかなるかもしれない。

 ふたりがこの山に登った可能性に、誰かが気がついてくれれば……。
 そして、自分たちが生きている間にこの場所を突き止めてくれれば……。

「…………」

 その確率は一体どのくらいなのだろう。
 不安をかき消そうと、菖蒲は立ち上がろうとした。

「──っ!!」

 が、立ち上がろうとした途端痛めた足に激痛が走る。

「あ……」

 これでは移動はおろか、立ち上がる事すら難しそうだ。
 絶望感が菖蒲を襲った。

 その時だった。

 ガサリ、と。目の前の藪が激しく揺れる音がした。
 ハッと身構える菖蒲を、さえは不安げな表情で見る。

 吹雪で揺れた感じではなかった。どちらかというと、何かが藪をかき分けたような音。
 ピリッとした緊張が背中を走る。
 獣だろうか? 音の感じからして、小さくは無さそうだ。

 猪? もしくは……熊? 
 熊だとしたら最悪だ。
 ゴクリと生唾を飲み込もうとしたが、緊張のせいでカラカラの喉は空気を送り込むだけだった。

 ──もし熊だとしたら?

 足を怪我して動けない自分は、どうせ逃げられない。

 ──私がおとりになって、さえちゃんを逃すしか……。
 
 覚悟と共にもう一度唾を飲み込んだ。

 前を凝視する菖蒲の目の前に突如、吹雪をかき分けるようにヌッと大きな白い獣の脚が飛び込んできた。

 ──山……犬? 

 ハッハッと白い息を吐きながら姿を現したのは、大きな白い山犬だった。
 耳をピンと立て、ゆっくりと二人に近づくとすぐそばでぴたりと歩みを止める。灰色の眼がじっとこちらを見据えた。

 山犬の姿を見た途端、蘇る記憶。

「俺は小さい時、あの山で山犬に拾われて育てられたんだ。そのうち、菖蒲にも会わせてやるよ」

 白銀の言葉だ。


 山犬は再びゆっくりと近づいてくる。その鼻先が、菖蒲の顔に近づこうとした時だった。

「駄目っ!!」

 さえが山犬から庇うように、菖蒲に抱きつく。

「──っ!!さえちゃんっ⁉」

「食べるなら、私を食べてっ!!菖蒲ちゃんは駄目っ!!」

 突然のさえの言動に、菖蒲は目をぱちくりさせる。目の前の山犬は困ったように大きな耳を後ろに寝かせた。
 さえが身体を張ってくれた事が嬉しく、山犬の様子が可笑しかったのもあり菖蒲は思わず笑ってしまう。

「大丈夫」

 こんな緊迫した状況なのに笑顔で自分の肩に手を置く菖蒲に、さえは怪訝な顔をした。

「白銀さんが“お爺ちゃん”って呼んでる人……じゃないか、山犬だよきっと」

 この山の最後の生き残り。
 たった一匹でいるのはきっと寂しいだろうと、その話を白銀に聞いた時に思った。

「だよ……ね?」

 菖蒲は山犬の目を見ながら問うと、彼は自身の身体を菖蒲に擦り付けながら前脚を折り曲げ伏せる格好をした。
 どうやら乗れと言っているらしい。

 吹雪はどんどん酷くなり、ふたりの身体にはあっという間に雪が降り積もっていく。このままこの場に留まっていても、雪に埋もれて身動きが取れなくなる事は容易に想像ができた。

 考えている暇はない。

「菖蒲ちゃん⁉」

 躊躇なく山犬にまたがる菖蒲に、さえは驚いて声をあげた。

「ほら、さえちゃんも」

 菖蒲に手を差し伸べられたさえは、戸惑いながら山犬を見る。
 伏せたままのそれは、大人しく菖蒲を背に乗せたまま視線をこちらに向けていた。さえは意を決したように頷き、自分も山犬にまたがる。

「うわっ……」

 山犬は立ち上がると、二人を落とさないようにゆっくりと歩き出した。
 吹雪で周りが見えない中歩く山犬は、まるで山の事は知り尽くしているかのように何の迷いも無く進んでいく。どこをどう進んだのか、いつの間にか知っている道に出ていた。

「ここ……真っ直ぐ行けば里に戻れるね」

 後ろでさえの安堵のため息が聞こえた。菖蒲もほっと胸をなでおろす。
 ふと山犬の頭を見ると、結構な雪が積もっていた。ほんとうなら、身体を震わせ雪を振り落とすのだろうが、二人を乗せているためそれも出来ないのだろう。気の毒に思った菖蒲は自分の手の届く限りの雪を払いのけてやった。
 その時自分の手が、寒さで真っ赤になっているのに気がついた。途端に寒さを感じ息を吹きかけ手を温める。もう、感覚も無い。

 ふと、何か聞こえた気がした。

「……?」

 気のせいだろうか。息を潜めて耳に意識を集中させる。

「──菖蒲っ‼」

 菖蒲は目を見開く。
 吹雪の中からかろうじて聞こえてくるこの声は、間違いなく……。

 真正面の吹雪の向こうに、ゆらりと人影が見えた。

「玄っ‼」

 思わず名を呼ぶ。

「菖蒲っ!?」

 向こうにもこちらの声が届いたらしい。影が急速に近づきてきた。

 横殴りの雪を防ぐように、片手で顔をかばう玄の姿が見えた。
 菖蒲は駆け寄りたくて山犬の背から降りたが、挫いた足に痛みが走りその場でうずくまってしまった。

 
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

降っても晴れても

凛子
恋愛
もう、限界なんです……

恋愛の醍醐味

凛子
恋愛
最近の恋人の言動に嫌気がさしていた萌々香は、誕生日を忘れられたことで、ついに別れを決断。 あることがきっかけで、完璧な理想の恋人に出会うことが出来た萌々香は、幸せな日々が永遠に続くと思っていたのだが……

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

処理中です...