タイガーカットの願いごと

三屋城衣智子

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後背の君子 〜設定伴侶がいても君の首をはむ〜

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 あの夢を見たのは、これで9回目だった。

 仲間からは見えぬ、 床とこの間の下、その 地袋じぶくろの中で。
 隣で疲れ、果てて眠りについた愛しい人の吐息を肺いっぱいに吸っている。
 この時間が好きだ。

 忘れられて久しい、簡易な丸いLEDライトをつけ割と明るい中で、眠りにつく前まで最愛の人は甘く切ない声を響かせていた。
 私たちは雛人形という人形であるから、もちろん体液などはない。
 けれど感じるという器官というか感覚はあるらしかった。
 これは、想いが通じあったからこそ知れたことだ。

 まぐわえぬ、けれど魂の交わりの時間。
 触れえる肌という肌を丁寧に愛撫しあい。
 その白磁のようでいて、質感のしっとりとした首筋に歯を立て舌を 這わせる。
 服の上からでもその輪郭を空想し 舐ねぶり、互いの気持ちを交差させる。

 この時間が堪らなく、また夢のようだった。
 二人、泥の中を 這うかのように貪り、疲れ、気を失うようにして達し、いつの間にか眠っていたようで。
 私が目を覚ましたのは、ほんのつい先ほどのことだ。

 瞼を上げるまで、もう見ることはないと思っていた夢を見た。
 想いの通じた今となっては、もう必要がないと思っていた、夢。
 隣に眠る愛しい人の髪を、ゆるりと指先で何度も何度も 梳きながら、私は夢を見ていた頃を思い出していた。



 周りがお 内裏だいり様、と呼ぶ存在である私が、意識というものを獲得したのは割と早い段階だったように思う。

 私やその仲間たちは、木目込み人形としてこの世に生を受けた。

 木目込み人形とは、桐の木の粉と糊とを混ぜ、型に詰めて成形し作った土台に切り込みを入れ、そこへ 友禅ゆうぜんなどの布を入れ込んでいく技法で作られた人形だ。

 その首が形作られた段階で、私の意識は 顕現けんげんした。

「あ、うっそ待って。これってどっちかって言ったら、落ち着いた色じゃん!」

 かしましい声が頭の中で突如響いたが、私の声ではなかった。
 目の端に映ったのは、ぽってりとした顔に晴れやかな笑顔をのせた、木の棒に刺された生首。
 そして今まさに、服を着せられようとしている女性の人形の体。
 もしかして、あの人形から?
 そうは思えど、私の方が頭の中でつらつらと考えた内容は、相手に伝わってはいないようだった。

 思案している間に、彼女の方は全てが整い体へとその首がつく。
 ついで私の番のようだった。
 既にあった雅な布が差し込まれた体へと、頭が取り付けられ、私が出来上がっていく。

 それでもまだ、彼女の声は私の頭にこだまし、私の声は相手に届かないようだった。
 なぜわかったかというと、相手がこれだけうるさく心の声を出し続けているのだから、何か彼女に向けた言葉を頭に思い浮かべれば、拾っての反応があると思い。
 それはもう考えつく限りの、下品な言葉を並べ立ててみたからである。
 しかし、それだけの言葉を羅列しようとも、私が頭の中でつらつらと連ねたことに関して彼女が感想を言うことはなかった。

 それから、 仕丁しちょうの三人、 随身ずいじんの二人、 五人囃子ごにんばやしが次々と作られていき。

 次の瞬間だった。

  三人官女さんにんかんじょの一人目。
 その女性。
 そのうなじの白く、絹のようなきめ細やかさといったら。
 まるで大福のその表皮のようだった。
 植毛された後れ毛の一本一本が、まるで私を誘うようにそよそよと、また頼りなげに揺れていた。
 それをまとめて結え、見えなくなったことに激しい寂しさと、強い安堵を覚える。
 これでもう誰にもみられることはなくなったのだ、と。

 私は私のこの考えに震えた。
 何を一体、馬鹿なことを。

 冷静になるために、私はしばらく眠ることを決めた。



 私が目を覚ましたのは、大分経ってのことだった。
 気づけば、夜、隣のお姫様 ひいさまと呼ばれる人形は動けるようになっていた。
 三人官女もそれぞれ動けるようになっており、甲斐甲斐しくそのお姫様の世話をしたり、おしゃべりに興じたり。
 夜の自由な時間を、もうずっと前から堪能しているらしかった。

 その様子を観察しているうち、あの彼女はどうやら随分と世話焼きであることがわかった。
 名前を、クワエというらしい。

 この前は、お姫様が段下へと転がり落ちそうなところを、必死になってあげていた。
 こちらに転がり戻ってきたものだから、動けないなりになんとかクッションの代わりでも、と腐心した。

 怪我がなくて何よりだったが、それにしてもお姫様 ひいさまのお転婆ぶりには困ったものである。
 あれでは、クワエの命がいくらあっても足りぬ。
 動けないことを……悔しく、とても恨めしく思うようになっていた。

 そう思えど、動けない日々は続き。
 その間にも仕丁 しちょう 五人囃子ごにんばやしなどが動き、話せるようになっていく。

 目の前にある彼女の艶やかな後ろ髪を眺めては、手を差し入れその奥にある筋を、表皮を、指でなぞることができたならばと夢想する日々。

 何度願っても、まだ、私の小指一本すら動くことが叶わない。
 なぜ。
 目の前で、クワエと五人囃子のうちの一人が、仲の良さそうに話すを、じっと耳に入れねばならぬ。
 なぜ。
 仕丁の一人が、デレデレとクワエに話しかけあまつさえその、白くほっそりとした手をなんとか触ろうとするを、黙ってみておらねばならぬ。

 夜になるたびに、そんな思いを抱えては、まんじりともしない昼の時間を過ごす。
 一段上から見下ろす、彼女の頭頂部。
 そこから下へのライン。
 黒々とした長い髪の下にあるだろう、そのしなやかでほっそりとした首筋。
 幾度 渇望かつぼうしようとも、吸い付けるはずもなく。
 そのうち、イライラしすぎて、昼間にうとうととするようになってしまった。

 眠ると、決まって私は籠の前にいた。

 中にはあられも無い姿となって所在なさげに膝を抱え、心細そうにこちらを 窺うかがう彼女。
 私だけが籠の鍵を持ち。
 ゆっくりと鍵穴に差し込んだそれを、 殊更ことさら時間をかけて回し。
 かちゃり、と開く音がしたと同時に勢い扉を開けその中へと飛び込んだ。
 怯える彼女。
 その彼女への身勝手な苛立ち。
 そしてそんな彼女の瞳に自分だけが映っているという優越感。
 彼女の肢体を心ゆくまで眺めても、誰にも邪魔されない恍惚感。



 1回目のその夢で、私はただひたすらに彼女の存在を眺めていた。



 2回目のその夢の中では、私はついに彼女に触れることにした。
 頬、首筋、鎖骨、乳房、脇腹、腰。
 ゆるゆると触れるか触れないかのギリギリのところで、上から下へ、下から上へと、その存在をなぞる。
 何度も何度も。
 何度も何度も繰り返しても満足できぬまま目が覚めた。

 3回目は足の指の間を一つ一つ触る。
 そして踵から足首、ふくらはぎ、太もも、臀部。
 やはりゆるゆると触れるか触れないかのギリギリに、指先数本を使ってやわやわと触れる。
 上へと到達すれば下へ。
 下へと到達すれば上へ。
 ぺたりと座り込んだままだった彼女は、されるがまま、段々と身が後ろへと倒れ横たわる。
 大理石で出来た籠の底に、黒く絹糸のような髪の毛が散らばった。
 その中にあって、熟れはじめた桃のような色を纏いはじめた肌色。

 彼女の身じろぎが、やがて吐息を含むまで。
 何度も何度も。
 何度も何度も繰り返し繰り返し繰り返し満足できぬともひたすらに愛撫を繰り返した末に目が覚めた。

 4回目で少し虚しくなった。
 どれだけ夢で触れることが叶っても、現実の私は彼女に声をかけることが叶わない。
 触れることさえ。
 それでも夢で彼女に会える 愉悦ゆえつ 抗あらがえない。
 ただひたすらに、彼女を抱き抱えその柔らかな胸に顔を埋めて時を過ごし、目覚めた。

 夜になると、誰かと楽しそうに話すクワエが目に入る。

 嗚呼、いっそほんとうに籠の中に閉じ込めてしまい、私とだけ話し、私とだけ一緒にいる存在になったのなら。
 その暗い楽しみに、私はついに夜の眠っていない時にも夢中になった。
 籠の中でどうやって過ごすか。
 一日中彼女を貪ってやろうか。
 それともただひたすら体を寄せ合って、他愛ない話に興じていようか。
 人間と同じように、真似事で、一緒に食事をするふりをしてみるのも面白いかもしれない。
 ひたすら方々にキスをしてみたい。
 ただ見つめ合い時間を消費するのも有りかもしれない。

 なれど。

 わかっている。
 それは彼女の笑顔の 潰ついえる日々だ。
 お 姫様ひいさまお姫様と、何くれと世話を焼く彼女が、一番輝いていることは……一番見ている私が。
 私こそが。
 私だけが知っていた。

 だから我慢しよう。
 今はただ、彼女の笑顔のためにこそ、私の愛はある。
 君のその伸びやかな姿。
 それごと愛せるようになったなら、この体も動くだろうか。
 業火にも似たこの薄暗い欲望や嫉妬をうまく隠せるようになったなら、言葉を交わすことも叶うだろうか。

 けれど、今は無理だ。
 私はクワエの声を聞いた男どもを一人残らずこの世から消してしまいたいし、少しでも触れたやつの男の証をちょん切ってしまいたい。
 やってはならぬことだとわかっていても、クワエの瞳に私だけを映したいその衝動が抑えられない。

 だから今は。
 暗い夢の中、その愛の形を変えられるように。
 その暗い夢を、また5回、6回と重ねながら、秘する想いを膨らませた末のこの私の愛を隅々まで。
 そうして私がこの本能のような想いを昇華させたなら。



 いつか必ず、クワエのうなじに口づけを。





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