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第9話 走れ、砦の炎
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墨俣一夜城が完成したのは、まさに奇跡のような出来事だった。
しかし当然、それを黙って見過ごすほど、斎藤義龍は甘くない。
間もなく「墨俣の砦に兵を差し向ける」という報せが届いた。
◆
広間では、さっそく義龍軍に対抗するための軍議が開かれた。
「今なら、一気呵成に攻め立てることができるはず」
「いや、前回の敗戦を思い出せ。義龍軍はなかなかやりおるぞ」
家臣たちの声が飛び交う中、ひときわ落ち着いた声が響いた。
「……その前に、兵糧と退路を確保せねばなりませぬ」
場が静まり、皆の視線が声の主に集まる。
まだ若いが、端正な顔立ちに冷静さを湛えた武将――丹羽長秀だった。
織田家中では目立たぬ存在だが、その言葉には確かな重みがあった。
「いかに墨俣の城を拠点としようと、兵糧が尽きれば籠城も出陣もできませぬ。
また退路を失えば、一度の敗北が織田家の命運を断ちます」
淡々とした言葉に、場の空気が引き締まる。
信長様は目を細め、口角をわずかに上げた。
「……さすがだ、長秀。抜かりのない策、よく申した」
豪快な勝家、理知的な光秀、奇策を誇る藤吉郎。
そこに長秀の堅実さが加わることで、軍議はようやく形を成したように見えた。
僕は密かに息を呑んだ。
――この人は派手さこそないけれど、織田軍の土台を支える存在なんだ。
信長様はしばし考え、長秀を真っ直ぐに見据えた。
「兵糧の管理と退路の確保――その一切、長秀に任せる。抜かりなく整えておけ」
「はっ」
長秀は静かに頭を下げる。その姿は派手さこそないが、織田軍を底から支える堅実さがあった。
ーーこうして。軍議は粛々と進み、義龍軍との再戦に向けて、具体的な作戦が固まった。
◆
「戦か……ようやく血が騒ぐわ!」
腕を組んで豪快に笑ったのは、織田家随一の猛将・柴田勝家さんだった。
大柄な体躯に分厚い鎧、その存在感は戦場そのものだ。
そんな勝家さんが、ふいに僕へ視線を向けてきた。
「相馬。お前も戦場に出るのだろう?」
「は、はい! ただ僕は剣も槍も満足に扱えなくて……」
「分かっておる。だからこそ、少しでも死なぬ工夫を叩き込んでおく」
そう言って、勝家さんは槍を一本差し出した。
「斬る」ではなく「払う」ための構えを、繰り返し叩き込む。
敵の刃をまともに受けるのではなく、体をひねっていなす――それだけでも生存率は格段に上がるのだと。
「お前は武功を立てる必要はない。ただ、生きて伝令を届けること。
それが何よりの働きだ」
勝家さんの言葉は荒っぽいが、温かみがあった。
僕は必死に頷き、短い稽古を叩き込まれた。
運動は嫌いではないし、不得意でもない。
高校時代には柔道の授業もあったけど、勝家さんから教わる技術は、まるでレベルが違った。
だけど、必死に食らいつく。
簡単に死ぬわけにはいかないし、何より、少しでも信長様の役に立てる男になりたかった。
他の武士たちに比べれば、剣術ができるわけでもなく、馬を乗りこなせるわけでもない。
それでも…役に立ちたかった。
(相手が、織田信長だから…?)
歴史上のカリスマ的な人物だから、僕は認められたいのだろうか…?
(いや、違う…)
この気持ちを、うまく言い表すのは難しそうだった。
(とにかく今は…目の前のことに集中しよう…)
◆
そして、戦の日が来た。
斎藤方の軍勢は五千。
織田軍は二千あまり、城という拠点の利があるとはいえ、数では大きく劣っていた。
「怯むな! 墨俣は我らの手で築いた砦ぞ!」
信長様の澄んだ声が城に響き、兵の士気を押し上げる。
そして戦端は開かれた。
◆
僕は伝令役として、砦の中を駆け回った。
矢が雨のように降り注ぎ、土煙が舞う。
その時――背後から敵兵が斬りかかってきた。
「っ……!」
とっさに槍を構え、勝家に教わった通りに体をひねり、刃をいなした。
刃はかすめ、腕に浅い傷を負ったが――致命傷は免れた。
「うそ……できた……!」
驚きと安堵で息が詰まった。
その隙に味方の兵が駆け寄り、敵を斬り伏せてくれた。
「伝令殿、無事か!」
「は、はい……! 行かないと!」
傷を押さえながら、僕は再び走った。
勝家の教えがなければ、今ごろここにはいなかっただろう。
土煙で視界は霞み、矢羽の唸りが耳元をかすめるたび、心臓が凍りつきそうになる。
息は荒く、胸は焼けつくように苦しい。
それでも――伝令を届けなければ、戦は崩れる。
「走れ……走れ、僕……!」
歯を食いしばり、足を前へと突き出した。
◆
戦は激しく続いたが、藤吉郎の築いた砦は強靭で、容易には崩れない。
義龍方は何度も攻め寄せるが、そのたびに撃退され、やがて退却していった。
「……持ちこたえたな」
勝家が槍を担ぎ、満足げに息を吐く。
その傍らで信長様が金の瞳を輝かせた。
「見事だ。これで美濃への道が開ける」
兵たちの歓声が砦に響いた。
◆
戦の後、勝家さんが不意に僕の肩を叩いた。
「よく生きて戻ったな、蓮。死なずに役目を果たせたなら、上出来だ」
これまで「相馬」と呼んでいた彼が、初めて「蓮」と名を呼んだ。
その声音は荒っぽくも、確かに僕を仲間と認めてくれた証だった。
(……僕は、ようやく仲間として認めてもらえたんだ)
「勝家さんの稽古のおかげです。本当に、ありがとうございます」
勝家は「ふん」と鼻を鳴らしたが、口元はわずかに緩んでいた。
そして、信長様も僕を見つめる。
その瞳は厳しい光を宿しながらも、どこか優しさを含んでいた。
「そなたも武士に近づいてきたな、蓮」
「え……」
「次はもっと頼りにするぞ」
そう言った後、ほんの一拍置いてから信長様は小さく付け加えた。
「……藤吉郎にも、負けるなよ」
その声音は何気ないようでいて、胸の奥を熱く震わせる響きを持っていた。
――僕は、確かに進んでいる。
信長様の夢の隣に立つために。
************
今回のお話は、YouTubeで配信中の楽曲「走れ、砦の炎ー Run with the Flame of the Fortress」にリンクしています。良かったら、楽曲の方も聴いてみてくださいね♫
「走れ、砦の炎ー Run with the Flame of the Fortress」 はこちら⇒ https://youtu.be/kDUbPUjjeNE
しかし当然、それを黙って見過ごすほど、斎藤義龍は甘くない。
間もなく「墨俣の砦に兵を差し向ける」という報せが届いた。
◆
広間では、さっそく義龍軍に対抗するための軍議が開かれた。
「今なら、一気呵成に攻め立てることができるはず」
「いや、前回の敗戦を思い出せ。義龍軍はなかなかやりおるぞ」
家臣たちの声が飛び交う中、ひときわ落ち着いた声が響いた。
「……その前に、兵糧と退路を確保せねばなりませぬ」
場が静まり、皆の視線が声の主に集まる。
まだ若いが、端正な顔立ちに冷静さを湛えた武将――丹羽長秀だった。
織田家中では目立たぬ存在だが、その言葉には確かな重みがあった。
「いかに墨俣の城を拠点としようと、兵糧が尽きれば籠城も出陣もできませぬ。
また退路を失えば、一度の敗北が織田家の命運を断ちます」
淡々とした言葉に、場の空気が引き締まる。
信長様は目を細め、口角をわずかに上げた。
「……さすがだ、長秀。抜かりのない策、よく申した」
豪快な勝家、理知的な光秀、奇策を誇る藤吉郎。
そこに長秀の堅実さが加わることで、軍議はようやく形を成したように見えた。
僕は密かに息を呑んだ。
――この人は派手さこそないけれど、織田軍の土台を支える存在なんだ。
信長様はしばし考え、長秀を真っ直ぐに見据えた。
「兵糧の管理と退路の確保――その一切、長秀に任せる。抜かりなく整えておけ」
「はっ」
長秀は静かに頭を下げる。その姿は派手さこそないが、織田軍を底から支える堅実さがあった。
ーーこうして。軍議は粛々と進み、義龍軍との再戦に向けて、具体的な作戦が固まった。
◆
「戦か……ようやく血が騒ぐわ!」
腕を組んで豪快に笑ったのは、織田家随一の猛将・柴田勝家さんだった。
大柄な体躯に分厚い鎧、その存在感は戦場そのものだ。
そんな勝家さんが、ふいに僕へ視線を向けてきた。
「相馬。お前も戦場に出るのだろう?」
「は、はい! ただ僕は剣も槍も満足に扱えなくて……」
「分かっておる。だからこそ、少しでも死なぬ工夫を叩き込んでおく」
そう言って、勝家さんは槍を一本差し出した。
「斬る」ではなく「払う」ための構えを、繰り返し叩き込む。
敵の刃をまともに受けるのではなく、体をひねっていなす――それだけでも生存率は格段に上がるのだと。
「お前は武功を立てる必要はない。ただ、生きて伝令を届けること。
それが何よりの働きだ」
勝家さんの言葉は荒っぽいが、温かみがあった。
僕は必死に頷き、短い稽古を叩き込まれた。
運動は嫌いではないし、不得意でもない。
高校時代には柔道の授業もあったけど、勝家さんから教わる技術は、まるでレベルが違った。
だけど、必死に食らいつく。
簡単に死ぬわけにはいかないし、何より、少しでも信長様の役に立てる男になりたかった。
他の武士たちに比べれば、剣術ができるわけでもなく、馬を乗りこなせるわけでもない。
それでも…役に立ちたかった。
(相手が、織田信長だから…?)
歴史上のカリスマ的な人物だから、僕は認められたいのだろうか…?
(いや、違う…)
この気持ちを、うまく言い表すのは難しそうだった。
(とにかく今は…目の前のことに集中しよう…)
◆
そして、戦の日が来た。
斎藤方の軍勢は五千。
織田軍は二千あまり、城という拠点の利があるとはいえ、数では大きく劣っていた。
「怯むな! 墨俣は我らの手で築いた砦ぞ!」
信長様の澄んだ声が城に響き、兵の士気を押し上げる。
そして戦端は開かれた。
◆
僕は伝令役として、砦の中を駆け回った。
矢が雨のように降り注ぎ、土煙が舞う。
その時――背後から敵兵が斬りかかってきた。
「っ……!」
とっさに槍を構え、勝家に教わった通りに体をひねり、刃をいなした。
刃はかすめ、腕に浅い傷を負ったが――致命傷は免れた。
「うそ……できた……!」
驚きと安堵で息が詰まった。
その隙に味方の兵が駆け寄り、敵を斬り伏せてくれた。
「伝令殿、無事か!」
「は、はい……! 行かないと!」
傷を押さえながら、僕は再び走った。
勝家の教えがなければ、今ごろここにはいなかっただろう。
土煙で視界は霞み、矢羽の唸りが耳元をかすめるたび、心臓が凍りつきそうになる。
息は荒く、胸は焼けつくように苦しい。
それでも――伝令を届けなければ、戦は崩れる。
「走れ……走れ、僕……!」
歯を食いしばり、足を前へと突き出した。
◆
戦は激しく続いたが、藤吉郎の築いた砦は強靭で、容易には崩れない。
義龍方は何度も攻め寄せるが、そのたびに撃退され、やがて退却していった。
「……持ちこたえたな」
勝家が槍を担ぎ、満足げに息を吐く。
その傍らで信長様が金の瞳を輝かせた。
「見事だ。これで美濃への道が開ける」
兵たちの歓声が砦に響いた。
◆
戦の後、勝家さんが不意に僕の肩を叩いた。
「よく生きて戻ったな、蓮。死なずに役目を果たせたなら、上出来だ」
これまで「相馬」と呼んでいた彼が、初めて「蓮」と名を呼んだ。
その声音は荒っぽくも、確かに僕を仲間と認めてくれた証だった。
(……僕は、ようやく仲間として認めてもらえたんだ)
「勝家さんの稽古のおかげです。本当に、ありがとうございます」
勝家は「ふん」と鼻を鳴らしたが、口元はわずかに緩んでいた。
そして、信長様も僕を見つめる。
その瞳は厳しい光を宿しながらも、どこか優しさを含んでいた。
「そなたも武士に近づいてきたな、蓮」
「え……」
「次はもっと頼りにするぞ」
そう言った後、ほんの一拍置いてから信長様は小さく付け加えた。
「……藤吉郎にも、負けるなよ」
その声音は何気ないようでいて、胸の奥を熱く震わせる響きを持っていた。
――僕は、確かに進んでいる。
信長様の夢の隣に立つために。
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