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第11話 月下の刃
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墨俣の戦いから数日。
砦の周囲には、まだ戦の痕跡が色濃く残っていた。
黒く焦げた木片、矢の突き刺さった塀、兵たちの荒い息遣い。
だが、その空気の中にも、確かな達成感と誇りが漂っていた。
「ようやく……息をつけるな」
藤吉郎に肩の包帯を巻き直されながら、僕は深く息を吐いた。
「まだまだこれからだよ! 信長様が目指すのは、美濃一国どころか天下なんだから!」
「確かに」
美濃を制圧することは、信長様が天下を取ることのほんの序章に過ぎない。
これからも、幾度となく戦を越えていかねばならないのだ。
家中でも、今回の勝利に対する反応はさまざまだった。
光秀は冷静に戦況を振り返り、長秀は補給の確認に余念がない。
勝家は「まだまだ戦えるぞ!」と豪快に笑い、藤吉郎は「次はもっと面白いことを考えてやるさ!」と胸を張る。
それぞれがそれぞれの持ち味を発揮し、この戦を勝利へと導いたのだ。
「殿と共にあらば、天下すら夢ではない!」
勝家の声が高らかに響く。
「だが慢心は禁物です」
光秀が淡々と釘を刺す。
「兵糧と退路は整えてあります。次の戦も万全に備えましょう」
長秀は冷静に告げる。
「ふふ、墨俣ができたってことは、美濃はもう半分取ったようなもんだろ!」
藤吉郎は屈託なく笑った。
信長様は皆を見渡し、短く言葉をかけた。
「よくやった。これで美濃は我らの手に近づいた」
その声は、兵たちの胸をさらに熱くした。
◆
「蓮、手当は済んだのか?」
信長様に聞かれ、僕はうなずいた。
「はい、藤吉郎が丁寧にやってくれました」
「そうか。此度の功績に対して褒美をやらねばならぬと考えている。欲しいものはあるか? 好きなものを申してみろ」
「え……ほ、褒美ですか……」
「そうだ。何が欲しい?」
急に言われ、僕は言葉に詰まった。
「僕は……今のまま、信長様のもとで働かせてもらえたら、それで十分です」
「欲がないな」
「生活の面倒はすべて見てもらってますし。特に欲しいものは……」
信長様はわずかに口角を上げると、一振りの剣を差し出した。
「では、これをやろう」
「これは……宗三左文字ではありませんか!」
今川義元を討ち取った際に、信長様が手にした名刀。
宗三左文字――後に「天下取りの刀」と呼ばれるものだ。
今の僕にふさわしいとは思えない。けれど、信長様の手から渡されるという事実だけで、胸が震えた。
(こういうのって、豚に真珠ってやつだよな…)
やっぱり断ろう。僕は意を決して、信長様を見つめた。
「こんな大事なもの……僕には恐れ多すぎます」
「主の褒美が受け取れぬというのか?」
「いえ……ただ、僕にはまだ……」
慌てて首を振る僕に、信長様は鋭い眼差しを向けた。
「ならば、欲しいものを申せ」
「……馬がほしいです! どんな馬でもいいので、乗りこなせるようになりたいです!」
「なるほど、馬か……」
信長様は一拍置き、再び剣を僕に差し出した。
「だが、それだけでは足りぬ。刀も受け取れ」
「えっ……!」
「主の言葉に二言はない。これは命令だ」
僕はひざまずき、震える手で刀を受け取るしかなかった。
ずしりとした重みが、胸にのしかかる。
「……ありがとうございます」
◆
一方その頃、稲葉山城。
斎藤義龍は病床に伏していた。
「……信長……」
苦しげな息の合間に、その名を吐き出す。
戦の敗北と病が重なり、壮健だった体はすっかり衰えていた。
「奴の勢いを……止められぬ……」
天井を睨む瞳に、悔恨の光が宿る。
「父上……道三……私では、果たせなかった……」
やがてその声はかすれ、途切れた。
稲葉山城に、重く深い静寂が落ちる。
義龍の死は、美濃斎藤家の行く末を大きく揺るがすこととなった。
◆
墨俣に戻った夜。
僕は一人、砦の櫓から月を仰いでいた。
澄んだ夜気の中、戦の喧噪が嘘のように静まり返っている。
「……信長様の夢は、確かに現実へ近づいている」
そう思うと胸が熱くなる。
けれど同時に、言いようのないざわめきが心に広がっていた。
僕はある程度の戦国時代の歴史は把握している。
だけど、全てじゃない。
それに、この世界が、史実の通りに進むとは限らない。
だから、自分の知識を過信しすぎないようにしようと思う。
「これが僕の元に来たってこと自体、もう歴史が変わってることになるもんな…」
断り切れずに受け取ってしまった宗三左文字。
嬉しさもあるけれど……それ以上に責任と、少しの不安がのしかかった。
「剣の使い方も、覚えないと…」
ふと背後に気配を感じ、振り返る。
だがそこには誰もいない。
(……気のせい、か?)
首を振り、再び月を仰ぐ。
だがその瞬間――遠い闇の中、松の影でなにかがきらりと光った。
刀の刃か、あるいは冷たい瞳の輝きか。
胸騒ぎは、消えるどころか強まっていく。
――美濃を巡る戦いは、これで終わりではない。
◆
数日後、稲葉山からの急報が届いた。
斎藤義龍――死去。
広間にざわめきが広がる。
信長様はただ一言、「そうか」とだけ呟いた。
その声音には歓喜も嘆きもなく、ただ冷徹な現実を受け止める強さがあった。
「義龍は去った。これで、美濃の道は大きく開けた」
そう言い放つ金の瞳は、すでに稲葉山の先、天下を見据えていた。
◆
夜。
墨俣の櫓から見下ろせば、城下の人々が笑い合い、子どもたちが走り回っている。
つい先日まで戦場だったこの地に、ようやく日常が戻りつつあった。
「……終わったんだな」
僕は胸の奥で呟いた。
だが同時に、心の奥でざわめきがくすぶり続けている。
義龍が消えても、戦国の世が止まるわけではない。
信長様が掲げる「天下布武」の旗――それを支えるためには、僕自身もさらに強くならなければならない。
「僕はもう、ただの異邦人じゃない。信長様の夢に賭ける、一人の家臣だ」
そう強く心に刻み、月明かりに照らされた宗三左文字の重みを確かめた。
――美濃編、終幕。
だが、天下への戦いはここから始まる。
***********
今回のお話は、YouTubeで配信中の楽曲「月下の刃 ― Sword Beneath the Moon戦国Re:verse 信長編 #11」にリンクしています。良かったら、楽曲の方も聴いてみてくださいね♫
「月下の刃 ― Sword Beneath the Moon戦国Re:verse 信長編 #11」はこちら⇒ https://youtu.be/8n3pekEYh8E
砦の周囲には、まだ戦の痕跡が色濃く残っていた。
黒く焦げた木片、矢の突き刺さった塀、兵たちの荒い息遣い。
だが、その空気の中にも、確かな達成感と誇りが漂っていた。
「ようやく……息をつけるな」
藤吉郎に肩の包帯を巻き直されながら、僕は深く息を吐いた。
「まだまだこれからだよ! 信長様が目指すのは、美濃一国どころか天下なんだから!」
「確かに」
美濃を制圧することは、信長様が天下を取ることのほんの序章に過ぎない。
これからも、幾度となく戦を越えていかねばならないのだ。
家中でも、今回の勝利に対する反応はさまざまだった。
光秀は冷静に戦況を振り返り、長秀は補給の確認に余念がない。
勝家は「まだまだ戦えるぞ!」と豪快に笑い、藤吉郎は「次はもっと面白いことを考えてやるさ!」と胸を張る。
それぞれがそれぞれの持ち味を発揮し、この戦を勝利へと導いたのだ。
「殿と共にあらば、天下すら夢ではない!」
勝家の声が高らかに響く。
「だが慢心は禁物です」
光秀が淡々と釘を刺す。
「兵糧と退路は整えてあります。次の戦も万全に備えましょう」
長秀は冷静に告げる。
「ふふ、墨俣ができたってことは、美濃はもう半分取ったようなもんだろ!」
藤吉郎は屈託なく笑った。
信長様は皆を見渡し、短く言葉をかけた。
「よくやった。これで美濃は我らの手に近づいた」
その声は、兵たちの胸をさらに熱くした。
◆
「蓮、手当は済んだのか?」
信長様に聞かれ、僕はうなずいた。
「はい、藤吉郎が丁寧にやってくれました」
「そうか。此度の功績に対して褒美をやらねばならぬと考えている。欲しいものはあるか? 好きなものを申してみろ」
「え……ほ、褒美ですか……」
「そうだ。何が欲しい?」
急に言われ、僕は言葉に詰まった。
「僕は……今のまま、信長様のもとで働かせてもらえたら、それで十分です」
「欲がないな」
「生活の面倒はすべて見てもらってますし。特に欲しいものは……」
信長様はわずかに口角を上げると、一振りの剣を差し出した。
「では、これをやろう」
「これは……宗三左文字ではありませんか!」
今川義元を討ち取った際に、信長様が手にした名刀。
宗三左文字――後に「天下取りの刀」と呼ばれるものだ。
今の僕にふさわしいとは思えない。けれど、信長様の手から渡されるという事実だけで、胸が震えた。
(こういうのって、豚に真珠ってやつだよな…)
やっぱり断ろう。僕は意を決して、信長様を見つめた。
「こんな大事なもの……僕には恐れ多すぎます」
「主の褒美が受け取れぬというのか?」
「いえ……ただ、僕にはまだ……」
慌てて首を振る僕に、信長様は鋭い眼差しを向けた。
「ならば、欲しいものを申せ」
「……馬がほしいです! どんな馬でもいいので、乗りこなせるようになりたいです!」
「なるほど、馬か……」
信長様は一拍置き、再び剣を僕に差し出した。
「だが、それだけでは足りぬ。刀も受け取れ」
「えっ……!」
「主の言葉に二言はない。これは命令だ」
僕はひざまずき、震える手で刀を受け取るしかなかった。
ずしりとした重みが、胸にのしかかる。
「……ありがとうございます」
◆
一方その頃、稲葉山城。
斎藤義龍は病床に伏していた。
「……信長……」
苦しげな息の合間に、その名を吐き出す。
戦の敗北と病が重なり、壮健だった体はすっかり衰えていた。
「奴の勢いを……止められぬ……」
天井を睨む瞳に、悔恨の光が宿る。
「父上……道三……私では、果たせなかった……」
やがてその声はかすれ、途切れた。
稲葉山城に、重く深い静寂が落ちる。
義龍の死は、美濃斎藤家の行く末を大きく揺るがすこととなった。
◆
墨俣に戻った夜。
僕は一人、砦の櫓から月を仰いでいた。
澄んだ夜気の中、戦の喧噪が嘘のように静まり返っている。
「……信長様の夢は、確かに現実へ近づいている」
そう思うと胸が熱くなる。
けれど同時に、言いようのないざわめきが心に広がっていた。
僕はある程度の戦国時代の歴史は把握している。
だけど、全てじゃない。
それに、この世界が、史実の通りに進むとは限らない。
だから、自分の知識を過信しすぎないようにしようと思う。
「これが僕の元に来たってこと自体、もう歴史が変わってることになるもんな…」
断り切れずに受け取ってしまった宗三左文字。
嬉しさもあるけれど……それ以上に責任と、少しの不安がのしかかった。
「剣の使い方も、覚えないと…」
ふと背後に気配を感じ、振り返る。
だがそこには誰もいない。
(……気のせい、か?)
首を振り、再び月を仰ぐ。
だがその瞬間――遠い闇の中、松の影でなにかがきらりと光った。
刀の刃か、あるいは冷たい瞳の輝きか。
胸騒ぎは、消えるどころか強まっていく。
――美濃を巡る戦いは、これで終わりではない。
◆
数日後、稲葉山からの急報が届いた。
斎藤義龍――死去。
広間にざわめきが広がる。
信長様はただ一言、「そうか」とだけ呟いた。
その声音には歓喜も嘆きもなく、ただ冷徹な現実を受け止める強さがあった。
「義龍は去った。これで、美濃の道は大きく開けた」
そう言い放つ金の瞳は、すでに稲葉山の先、天下を見据えていた。
◆
夜。
墨俣の櫓から見下ろせば、城下の人々が笑い合い、子どもたちが走り回っている。
つい先日まで戦場だったこの地に、ようやく日常が戻りつつあった。
「……終わったんだな」
僕は胸の奥で呟いた。
だが同時に、心の奥でざわめきがくすぶり続けている。
義龍が消えても、戦国の世が止まるわけではない。
信長様が掲げる「天下布武」の旗――それを支えるためには、僕自身もさらに強くならなければならない。
「僕はもう、ただの異邦人じゃない。信長様の夢に賭ける、一人の家臣だ」
そう強く心に刻み、月明かりに照らされた宗三左文字の重みを確かめた。
――美濃編、終幕。
だが、天下への戦いはここから始まる。
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