戦国Re:verse ― 織田信長編《紅蓮の覇者》

梵天丸

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第32話 影は火の手となりて

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 夜更けの二条御新造。
 廊の角を曲がった瞬間、耳に馴染んだ声が、肌の内側を冷やした。

「久しぶりですね、蓮」

 僕は全身で警戒した。忘れもしない――松永久秀の声だ。
 振り返ると、あどけない笑みを浮かべた小柄な少女が、灯の輪の縁に立っていた。見た目は幼い。けれど、これまで信長様を「信長」と呼び捨てにし、幾度も織田を手こずらせてきた“影の立役者”に他ならない。

「そんな顔しないで。今日は、あなたにとっても悪くない情報を持ってきたのだから」

 その言葉を信じて良いのか、迷いが喉にひっかかる。
 久秀は一歩、影の濃い方へ下がり、幼い口調で針を刺す。

「信じられないって、顔ね。だけど、織田の軍師になるつもりなら、どんな情報でも入手して、自分で精査するくらいはしないと」

 確かに、その通りだったが…。

(なぜ僕が、織田の軍師を目指していることを知っている…?)

 やはり彼女は侮れない存在だ。
 しかし今は、その言葉に耳を傾けるべきだろう。
 僕は息を整え、短くうなずいた。

「……お話を、お聞きしましょう」

 久秀はくすっと笑い、井戸の縁に腰かけて足をぶらぶらさせた。

「三好の残党がね。京の西で動いている。まだ寄せ集めだけど、ほっとけば牙になる」

「……どのあたりですか」

「教えてほしい?」

 首を傾げる仕草は子どもそのもの。けれど、瞳の奥は油のように濃い。

「覚えておいて。――あの人たちは、必ず“将軍”を狙う。義昭を担ぎ出した信長は、彼らにとって憎むべき相手だから」

 胸がざわめく。脅しか忠告か、判別できない。
 久秀は無邪気に小石を弾き、さらりと言葉を落とす。

「もちろん、わたしは敵じゃない。京が乱れたら面倒だもの。だから教えるだけ」

「信用していいんですか」

「信用するもしないも、あなた次第。情報は刃物。握ったまま震えるくらいなら、最初から捨ててしまえばいい」

 去り際にふと振り返り、ぞっとする笑みを浮かべた。

「ねえ蓮。――もし将軍様が斬られたら、そのときは“あなた”が座に座ればいいじゃない」

 足音は軽く、灯の外へ溶けた。
 残ったのは、幼い声の残響と、不穏な影だけ。

(久秀は…僕が義昭様から婿に望まれたことすら知っている…織田の中枢の人間しか知らないことをなぜ…?)



 報せを受けた信長様は、すぐに軍議を開いた。
 広間に地図が広がり、駒が置かれる。光秀殿が静かに眉を寄せ、長秀さんが補給の帳面を滑らせる。勝家さんは無言で槍を立て、利家は落ち着きなく足を揺らした。

「摂津西の河原――寄り合いの兵、数は多くないが、地の利を得れば鬱陶しいのう」

 腕組みをしてうなる勝家さん。

「この芽は早く摘んだ方がよい。放置すれば“将軍の権威は口だけ”と触れ回られます」

 明快な指摘を口にする光秀殿。

「うちの娘っ子斥候たちが、もう少し奥まで覗いてきますよ!」

 まるで遊びに出かけるような調子で言う藤吉郎。

 信長様は扇を開かず、黄金の瞳で駒を見下ろした。

「義昭様の御威光を、絵札にしてはならぬ。速やかに鎮め、都の耳目に“織田は動くと決めたら速い”と刻め」

「先鋒、拙者が相手つかまつる!」

 利家が身を乗り出す。

「勢いだけで押すな、又左。道を作るのはお前だが、潰すのは秩序だ」

 信長様の一言に、利家は歯を見せて笑い、うなずいた。

 視線が僕に来る。

「蓮。影の出どころを見たそなたの目、借りる。地取りと合図を任せる。光秀、采配はおぬし。長秀は糧道、藤吉郎は市の相場と町口の火の気を抑えよ。勝家は予備、槍を固く」

 呼吸が一段深くなる。
 僕は「はい」と答え、地図の川筋に指を滑らせた。

「……ここ。河原の中州を無人に見せかけて、伏せを置いています。右手のやぶが薄い。太鼓を二つ、旗を白から赤へ――合図で半月に割り、光秀殿の鉄砲を“間”に入れれば、前のめりになった敵の脇腹を刺せます」

 光秀殿が小さく頷いた。

「理に適う。……殿、お預かりいたします」

 信長様は短く「よい」とだけ。



 薄曇りの昼、河原に旗が立った。
 三好の旗指物は寄せ集めだが、太鼓はやけに高鳴っている。焦りが音に出る。

「俺が道を割る! 続けぇ!」

 利家の咆哮とともに、前田勢の槍衾が水を蹴った。矢が走り、土が跳ねる。
 僕は鼓手の肩に手を置き、耳で風を測る。

「まだ……今。二つ!」

 太鼓が二度、鋭く鳴った。
 隊列が扇のようにすべり、右手が畳まれ、川上へ流れる。
 中州に引き寄せられた敵が前に出た瞬間――

「鉄砲、間に!」光秀殿の声。

 火縄の閃きが一列、乾いた破裂音が連鎖した。
 敵の先頭が崩れ、脇腹を押さえた瞬間を、利家の槍が貫く。

「おらぁッ! 抜かすな、詰めろ!」

 利家の槍の石突きが砂を砕き、旗が一本、二本と倒れる。
 勝家さんの予備が静かに出て、乱れた波を押し返した。

 僕は呼吸を数え、旗の色で視界をつなぎ直す。
 長秀さんの荷駄がぴたりとつき、藤吉郎の手配した市の人足が負傷兵を素早く運ぶ。雑音が少ない。――織田の戦は、やはり“秩序”で勝つ。

 やがて敵太鼓が乱れ、川下へ旗が流れはじめた。
 追撃の声が上がるより先に、光秀殿が手を上げる。

「追うな。見せれば足りる」

 利家が舌打ちして槍を肩に担ぎ直し、勝家さんは「よう仕舞うた」と低く言って槍を立てた。



 夕刻、二条への帰還。
 義昭様は上段から身を乗り出し、目を輝かせた。

「蓮殿……都は、これでまた静かになりますね!」

 子どものような、真っ直ぐな笑顔。
 僕は膝をつき、微笑み返した。

「はい。義昭様の旗の下で、皆、安んじて暮らせるでしょう」

 ――本当は、織田の秩序が保っている静けさだ。けれど、今はそれでいい。
 義昭様の無邪気は、都合がいい。同時に、胸のどこかをひどく刺す。

 光秀殿が滑らかに段取りを告げ、長秀さんが補給の帳面を回す。藤吉郎は市の笑顔をひとつ、ふたつ集め、利家は大声で笑って空気を軽くした。

 信長様は、ほとんど言葉を発さない。
 ただ一歩下に控え、義昭様の背中を、黄金の瞳で真っ直ぐに支える。
 数人の公家が、そこに視線をすべらせ、すぐに逸らすのを僕は見た。

(表は義昭様――柱は、信長様)



 夜、祝盃の声が御新造を満たす。
 表は華やか、門外では槍が夜風を切り、警固の足音は途切れない。
 宴の熱から逃れるように、僕は縁へ出た。夜気に木の匂いが濃い。

「……怖くなったか」

 肩越しに声が降りる。振り向けば、信長様。
 薄羽織の袖が風に鳴り、横顔は篝火の光で硬くも柔らかくも見えた。

「少し。京は、火の気が多すぎます」

「火の気は、消すのではない。置き場を決めて、燃やすのだ」

 短い言葉が、やけに深く落ちる。
 僕は迷いを飲み込み、久秀の接触を報せた。信長様は眉ひとつ動かさず、最後まで聞いた。

「久秀は、こちらに貸しを作ったつもりだろう」
「はい。……けれど、あの人は、貸し借りの数でしかものを見ていない気がします」

「ならば、勘定に強い方が勝つ。あれも利用すればいい」
「久秀は利用されるような人間ではない気がします」
「利用されたいと思うような餌をまけば良いのだ。中途半端な忠誠心の臣よりも信じられる」

(中途半端な忠誠心…)

 臣が増えるほど、裏切り者も増える。
 僕が織田家に来てからも、裏切り者は定期的に出た。
 きっとこれからも、そういうことは増えていくだろう。
 僕はふと思い出し、信長様に告げる。

「そういえば…久秀は、僕が義昭様から婿にと望まれたことまで知っているようでした」
「ふむ…それは聞き捨てならないな」
「はい。久秀の間者が、織田の中枢に紛れ込んでいる可能性があるかと」
「気分は悪いが、いずれ久秀がその者を差し出すだろう。今は泳がせておけばいい」
「確かに…そうですね…」

 もしも久秀が織田につくのなら、その時の『貢ぎ物』として間者を差し出すのは容易に想像がつく。

「そなたはなぜか、おなごに絡まれることが多いな…」
「え? そうでしょうか…?」
「自覚がないのが、また厄介だな…」

 信長様はそう言って深いため息をついた。

「す、すみません…」
「……」

 何も言わない信長様。
 もしかして、怒っているのだろうか…そう思って上目遣いに見ると、信長様は笑っていた。

「それがそなたの良きところかもしれぬ。用心はしつつも、あまり気にするな」
「は、はい…? 分かりました…」

 信長様の言葉の意味は半分ぐらいしか分からなかったけど。
 微笑んで僕を見るその姿が「このままでいい」と言ってくれているようで嬉しかった。

***************

戦国Re:verse ― 織田信長編《紅蓮の覇者》は、各エピソードごとに YouTubeで公開されるオリジナル楽曲 が1曲ずつ連動しています。

今回のお話は、YouTubeで配信中の楽曲「影火 ― Shadows and Flame」とリンクしています。良かったら、楽曲の方も聴いてみてくださいね♫

「影火 ― Shadows and Flame」はこちら ⇒ https://youtu.be/OrsY2V9ekhY
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