君の声の残響で — Echoes of Your Voice

梵天丸

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残響は君の温度

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 柔らかな風が吹き抜ける駅のホーム。
 夕暮れの光に染まった空は淡く霞み、行き交う人々の足音が遠くに溶けていく。
 碧は無意識に、スーツケースを引く涼介の背中を追っていた。
 近くにいるはずなのに、もう遠くへ行ってしまうような感覚が胸を締めつける。
 発車ベルの音が遠ざかるように響いて、碧は無意識に涼介の背中を追った。

 黒いスーツケースを引きながら歩き出す彼の姿は、どこまでも頼もしく、そして遠かった。
 人混みに飲まれていくその背中を見ていると、喉の奥が詰まってしまう。
 泣きそうになるのを、ぐっと堪える。

「またすぐ会えるから」



 そう笑って振り返った彼の表情は、最後まで穏やかで。
 なのに、碧の胸の奥では、不安と寂しさが渦巻いていた。

「身体…気をつけて」
「ありがとう。碧もな。着いたら連絡する」
「うん…」

 ──離れても、終わらせない。
 それはほんの数日前、二人で交わした約束だった。

 列車のドアが閉まる。
 ガラス越しに映った涼介の唇が「大丈夫」と動いた気がした。
 耳の奥に残ったその声が、残響のように響き続ける。
 胸に焼きつくのは、確かにそこにあった温もりだった。



 碧と涼介が出会ったのは、一年前のこと。
 都内のデザイン事務所に勤める碧は、グラフィックデザイナーとして新しい案件を任されていた。
 クライアント企業の営業担当として現れたのが、片桐涼介。

 会議室の扉を開けて入ってきた彼は、落ち着いたスーツ姿に爽やかな笑みを浮かべ、まっすぐに名刺を差し出してきた。

「はじめまして。片桐と申します」

 低く、よく通る声。その瞬間、碧は少しだけ息を呑んだ。
 仕事相手としてしか出会えないはずなのに、心臓が跳ねた。

 ──こんな人がいるんだ。
 それが、最初の印象だった。

 案件が進むうちに顔を合わせる機会は何度もあった。
 真面目で誠実な仕事ぶりと、ふとした瞬間に見せる柔らかい笑み。
 それが、次第に碧の心を侵食していった。

 偶然も重なった。
 資料を届けた帰りに、エレベーターで二人きりになったこと。
 深夜、コンビニの自動ドアを抜けたとき、同じタイミングで彼が現れたこと。
 その度に、自然と会話が弾んでしまう。

「こんな時間まで仕事?」
「うん。そっちも?」
「そう。デザイン修正、ちょっと手こずってて」

 ささやかな会話の積み重ねが、いつの間にか心の距離を縮めていた。

 ある日、打ち合わせ帰りに涼介から声をかけられた。

「このあと、少し時間ある?」

 碧に断る理由なんてなかった。二人は小さなビストロに足を運んだ。

 小さなビストロのテーブルには、グラスが二つ。
 表面に浮いた水滴が、灯りに照らされてきらめいていた。
 涼介が自然に注文してくれたワインは、淡い黄金色で、グラスの中でゆっくりと揺れている。

 碧は緊張を隠すように、一口だけ水を飲んだ。
 冷たい液体が喉を通る音が、自分にだけ大きく響いた気がする。

 料理の香ばしい匂いが漂ってくる。焼き立てのパンの香りと、ガーリックをきかせたアヒージョの匂い。
 それなのに、目の前の男に意識を奪われて、味がほとんど分からなかった。

「休日は何してるの?」
「うん……映画とか、展覧会に行ったり。インドアかも」
「いいじゃん。俺も映画好き。今度、一緒に行こうか」

 ワインのグラスを片手に、涼介が穏やかに笑う。
 その表情を見ているだけで、胸の奥が熱くなっていくのを碧は止められなかった。

「俺、碧くんのこと……いいなって思ってた」

 唐突に告げられた言葉に、心臓が跳ねた。
 涼介の目は冗談を言うときのものじゃなかった。
 碧はグラスを持つ指が震えるのを隠せなかった。



 その夜、帰り道。
 街灯の下で涼介が足を止めた。

「付き合ってほしい」

 まっすぐな瞳に射抜かれた瞬間、碧の世界は一変した。

「うん…」

 気がつくと、碧はそう答えていた。
 男同士だとか、そんなことも障害には感じなかった。
 たぶん碧も、ずっと涼介のことが好きだったのだと思う。

 息を呑む間もなく、涼介の顔が近づく。
 唇が触れ合った瞬間、時間が止まったように感じた。
 温かくて、柔らかくて、信じられないほど優しかった。



 それからの三ヶ月は、夢のようだった。
 休日のたびに映画館や美術館に行き、お互いの部屋を行き来して過ごす。
 朝まで語り合っては眠り、また会いたいと願う日々。

「大人になってから、こんなに誰かに夢中になるなんて」

 碧は何度もそう思った。
 大学時代に彼女がいたことはあったけど、いつの間にか距離ができていて、半年後には別れを切り出された。
 その時のトラウマもあって、以来、恋愛には慎重になっていた。

 涼介の恋愛経験も聞いてみたけど、同じような経験をしていたらしい。
 そういう部分も、お互いに思いやりがもてる理由なのかもしれない。
 涼介は碧を不安に差せることがない。
 マメに連絡もくれるし、時間を作っては会ってくれる。
 だから、碧は安心して彼と一緒にいることができた。

 だが──幸せの絶頂期に、その知らせは訪れる。



 三ヶ月目の夜。
 二人で碧の部屋に並んで座り、何気ない会話をしていたときだった。
 テレビの音が小さく流れる中で、涼介がふと口を閉ざした。

「……どうしたの?」
「いや……」

 言いかけて、涼介は一度視線を落とした。
 膝の上で握った自分の手を見つめ、しばらく沈黙が流れる。

 やがて小さな声で切り出した。

「来月から、福岡に転勤することになった」

 碧は一瞬、耳を疑った。
 意味は分かるのに、現実感が追いつかない。

「……そっか」

 それ以上、言葉が出なかった。
 笑顔を作ろうとしても、頬の筋肉が引きつるばかりで、上手く動かない。

「ごめん。こんな大事な時期に」

 涼介は苦しそうに眉を寄せた。
 碧は視線を逸らし、テーブルの上のコースターを指先でなぞる。
 心の奥が、ひんやりと冷えていくようだった。

「でも……離れても、終わらせない。そう決めたいんだ」

 涼介はそう言って、碧の手を掴んだ。
 大きな掌の温もりだけが、冷たい現実を押し返してくれていた。

「うん…」

 碧も、涼介の手を強く握り返した。
 すぐに涼介の大きな腕が、碧の身体を包み込んだ。



 駅のホーム。
 発車ベルが鳴り響く。
 碧は唇を噛みしめながら、遠ざかる背中を見つめた。

 ──離れても、終わらせない。
 約束の言葉が、声の残響となって胸に刻まれる。

 そして碧は思った。
 どんなに離れても、また必ず会えると。


**************

このお話は、YouTubeで配信中の楽曲「残響は君の温度」をベースにしています。良かったら、楽曲の方も聴いてみてくださいね♫

「残響は君の温度」はこちら⇒https://youtu.be/N1nXtOuUsus
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