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小咄
身代わり濃姫(小咄)~明智光秀の乱・四~
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「の、信長様……た、頼まれていた……もの……を……」
三日三晩徹夜をして考えた策をまとめた書類を信長に手渡すと、光秀は力尽きたように倒れた。
「光秀……大丈夫か?」
書類を受け取った信長が聞いてみても、光秀は倒れたまま答えず、動きもしない。
信長は光秀の手首に触れてみる。
「脈はあるようだな……坊主ではなく医者を呼べ」
とりあえず脈を取ってみて脈があるのは確認できたので、信長は医者を呼ぶように小姓に命じた。
光秀が提出した書類を確認していると、信長に命じられて彼の様子を見に行っていた藤吉郎が戻ってきた。
「光秀殿はとりあえず過労と睡眠不足ということで、病の疑いはないそうでござりました。今はぐっすりと眠っておられます」
「そうか、あやつはいつになったら加減というものを覚えるのだろうな……」
「光秀殿は集中されると周りも見えなくなってしまうようでござりますから……でも、あそこまで集中できるのは、尊敬できるところでもあるかもしれません」
「そんなところは尊敬しなくて良いぞ、藤吉郎。むしろ、光秀がそなたから学ぶべきだ」
「は、はい……わ、分かりました……」
信長は書類から目を離し、ため息をつく。
「まあ、後で見舞ってやるか。何か精のつきそうなものを見繕っておいてくれ」
「はい、かしこまりました」
藤吉郎が出て行くと、信長は再び目の前の書類に目を向ける。
光秀を見舞うにしても、ひとまず目の前の仕事を片付けてしまわなくてはならなかった。
ようやく仕事を片付け終えた夜、信長は光秀の部屋へ行き、彼を見舞った。
光秀は青白い顔をして、布団の上に横たわっている。
溜まりに溜まった睡眠不足を解消するように、光秀はまるで死人のように静かに眠っていた。
しかし、信長が傍に座ると、光秀は目を覚ましたようだった。
「起きたか」
信長が声をかけると、光秀はまだぼんやりとしていた。
「信長様……? それに私はどうしてここに……」
どうやら光秀は、今の状況がよく理解できていないようだった。
「倒れたのだ、そなたは。覚えておらぬのか?」
信長がそう告げると、光秀はようやく思い出したようだった。
「ああ……そうだったのですね。申し訳ありません……本日の業務が……」
起き上がろうとする光秀を、信長は押しとどめる。
「良い。そのまま寝ておけ」
「は、はい……無様な姿をお見せして申し訳ありません……」
「そんなことは気にせず、とにかく休養せよ。今日だけでなく明日も休養するが良い。とりあえず頼んでいたものは仕上げてくれているし、明日一日そなたが休養したところで問題はない。今日も明日も、そなたは仕事をしてはならぬ」
そんな信長の言葉に、光秀は不服そうに眉を寄せる。
「しかし、せっかく休暇をいただけるのでしたら、溜まっている仕事を片付けてしまいたいのですが……」
「そういうことをするから、そなたはこのように倒れるのだ。いい加減に気づかないか」
信長が静かに……しかし強く叱責すると、光秀は少し怯んだような顔をする。
光秀は不思議な気持ちになる。
信長は自分よりも年下だし、とても子どもっぽく見えることもあるのに、時折こうして主としての器を見せることがある。
そうした時、光秀は今までに感じたことのない畏怖を感じ、自分らしくもなく怯んでしまうことがこれまでにも何度かあったのだった。
今もそうした不思議な畏怖のようなものを感じている。
「俺としても、そなたに倒れてもらっては困る。今の織田家はそなたに頼るところも大きい。負担もかけているであろうが、そなたがいてこそ、俺もこうして十六であっても何とか当主としてやっていけるのだ」
「信長様……」
「だから身体を労って養生せよ。明日いっぱいまでは仕事は禁止だ。良いな」
あの仕事、この仕事……とさまざまな気がかりはあったが、主にここまで言われてしまっては、光秀もそれ以上抗単語うことはできなかった。
「分かりました。では、今日と明日一日、静養に努めさせていただきます」
光秀がそう告げると、信長はようやく笑みを浮かべる。
「うむ、それで良い。回復したらまたやってもわらなくてはならないことが山積みだ。しっかり静養せい」
「はい」
「それから、これは見舞いだ。どうせそなたのことだから、食事にもさほど気を遣っておらぬのであろう。滋養のつくものを集めさせたから、栄養を補給しておけ」
「これは……ありがとうございます。では、後でいただきます」
信長は光秀に頷くと、部屋を出て行った。
それと当時に、光秀は肩をすくめ、ため息をつく。
「まったく……なぜか逆らえない時があるのですよね、あの人には……」
将来的には信長を弑して自分がこの織田家を乗っ取り、天下を取るつもりでいるのだから、こんなことではいけないと思いつつも、気がつけば信長の手のひらの上で転がされてしまっているような自分を感じるときがある……。
「本気で天下を取るつもりなら、もっと精進しなければなりませんね、私も」
そう呟いてから光秀は、信長の置き土産を見た。
「何か食べ物や薬がいろいろ入っているようですが……気力を回復するためにも、いただくとしましょうか」
――そして翌朝。
「こ、これは……いったい何の拷問なのでしょうか……」
光秀は結局、一睡もできずに朝を迎えた。
信長から差し入れられたものの効果はてきめんで、身体中に生気が漲り、体調はあっという間に回復したのだが……。
「ね、眠れぬほどの効き目とは……しかも目が冴えて体力も漲っているのに、仕事もできぬとは……」
仕事禁止を了承してしまった以上、光秀は明日までは仕事をすることは許されない。
「さて……今日一日、私はいったいどうすれば良いのでしょうか……」
漲る身体をもてあまし、光秀は途方に暮れるのだった。
三日三晩徹夜をして考えた策をまとめた書類を信長に手渡すと、光秀は力尽きたように倒れた。
「光秀……大丈夫か?」
書類を受け取った信長が聞いてみても、光秀は倒れたまま答えず、動きもしない。
信長は光秀の手首に触れてみる。
「脈はあるようだな……坊主ではなく医者を呼べ」
とりあえず脈を取ってみて脈があるのは確認できたので、信長は医者を呼ぶように小姓に命じた。
光秀が提出した書類を確認していると、信長に命じられて彼の様子を見に行っていた藤吉郎が戻ってきた。
「光秀殿はとりあえず過労と睡眠不足ということで、病の疑いはないそうでござりました。今はぐっすりと眠っておられます」
「そうか、あやつはいつになったら加減というものを覚えるのだろうな……」
「光秀殿は集中されると周りも見えなくなってしまうようでござりますから……でも、あそこまで集中できるのは、尊敬できるところでもあるかもしれません」
「そんなところは尊敬しなくて良いぞ、藤吉郎。むしろ、光秀がそなたから学ぶべきだ」
「は、はい……わ、分かりました……」
信長は書類から目を離し、ため息をつく。
「まあ、後で見舞ってやるか。何か精のつきそうなものを見繕っておいてくれ」
「はい、かしこまりました」
藤吉郎が出て行くと、信長は再び目の前の書類に目を向ける。
光秀を見舞うにしても、ひとまず目の前の仕事を片付けてしまわなくてはならなかった。
ようやく仕事を片付け終えた夜、信長は光秀の部屋へ行き、彼を見舞った。
光秀は青白い顔をして、布団の上に横たわっている。
溜まりに溜まった睡眠不足を解消するように、光秀はまるで死人のように静かに眠っていた。
しかし、信長が傍に座ると、光秀は目を覚ましたようだった。
「起きたか」
信長が声をかけると、光秀はまだぼんやりとしていた。
「信長様……? それに私はどうしてここに……」
どうやら光秀は、今の状況がよく理解できていないようだった。
「倒れたのだ、そなたは。覚えておらぬのか?」
信長がそう告げると、光秀はようやく思い出したようだった。
「ああ……そうだったのですね。申し訳ありません……本日の業務が……」
起き上がろうとする光秀を、信長は押しとどめる。
「良い。そのまま寝ておけ」
「は、はい……無様な姿をお見せして申し訳ありません……」
「そんなことは気にせず、とにかく休養せよ。今日だけでなく明日も休養するが良い。とりあえず頼んでいたものは仕上げてくれているし、明日一日そなたが休養したところで問題はない。今日も明日も、そなたは仕事をしてはならぬ」
そんな信長の言葉に、光秀は不服そうに眉を寄せる。
「しかし、せっかく休暇をいただけるのでしたら、溜まっている仕事を片付けてしまいたいのですが……」
「そういうことをするから、そなたはこのように倒れるのだ。いい加減に気づかないか」
信長が静かに……しかし強く叱責すると、光秀は少し怯んだような顔をする。
光秀は不思議な気持ちになる。
信長は自分よりも年下だし、とても子どもっぽく見えることもあるのに、時折こうして主としての器を見せることがある。
そうした時、光秀は今までに感じたことのない畏怖を感じ、自分らしくもなく怯んでしまうことがこれまでにも何度かあったのだった。
今もそうした不思議な畏怖のようなものを感じている。
「俺としても、そなたに倒れてもらっては困る。今の織田家はそなたに頼るところも大きい。負担もかけているであろうが、そなたがいてこそ、俺もこうして十六であっても何とか当主としてやっていけるのだ」
「信長様……」
「だから身体を労って養生せよ。明日いっぱいまでは仕事は禁止だ。良いな」
あの仕事、この仕事……とさまざまな気がかりはあったが、主にここまで言われてしまっては、光秀もそれ以上抗単語うことはできなかった。
「分かりました。では、今日と明日一日、静養に努めさせていただきます」
光秀がそう告げると、信長はようやく笑みを浮かべる。
「うむ、それで良い。回復したらまたやってもわらなくてはならないことが山積みだ。しっかり静養せい」
「はい」
「それから、これは見舞いだ。どうせそなたのことだから、食事にもさほど気を遣っておらぬのであろう。滋養のつくものを集めさせたから、栄養を補給しておけ」
「これは……ありがとうございます。では、後でいただきます」
信長は光秀に頷くと、部屋を出て行った。
それと当時に、光秀は肩をすくめ、ため息をつく。
「まったく……なぜか逆らえない時があるのですよね、あの人には……」
将来的には信長を弑して自分がこの織田家を乗っ取り、天下を取るつもりでいるのだから、こんなことではいけないと思いつつも、気がつけば信長の手のひらの上で転がされてしまっているような自分を感じるときがある……。
「本気で天下を取るつもりなら、もっと精進しなければなりませんね、私も」
そう呟いてから光秀は、信長の置き土産を見た。
「何か食べ物や薬がいろいろ入っているようですが……気力を回復するためにも、いただくとしましょうか」
――そして翌朝。
「こ、これは……いったい何の拷問なのでしょうか……」
光秀は結局、一睡もできずに朝を迎えた。
信長から差し入れられたものの効果はてきめんで、身体中に生気が漲り、体調はあっという間に回復したのだが……。
「ね、眠れぬほどの効き目とは……しかも目が冴えて体力も漲っているのに、仕事もできぬとは……」
仕事禁止を了承してしまった以上、光秀は明日までは仕事をすることは許されない。
「さて……今日一日、私はいったいどうすれば良いのでしょうか……」
漲る身体をもてあまし、光秀は途方に暮れるのだった。
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