身代わり濃姫~若き織田信長と高校生ヒロインが、結婚してから恋に落ちる物語~

梵天丸

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第四章

身代わり濃姫(76)

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 蔵ノ介は信長の姿を認め、馬を止めた。
 そしてまず、信長の前にいる男の姿を確認する。
「貴方は確か……」
 信長は頷いて、目の前にいる源三郎げんざぶろうについて紹介した。
「この男は柴田勝家しばたかついえの使いのものだそうだ。末森城では柴田勝家たちが帰蝶きちょうの救出に動いてくれているらしい」
「そうですか……では、信長様は今すぐに清洲きよすへ……」
 当然のように言いかけた蔵ノ介の言葉を、信長は遮るようにして否定した。
「いや、戻らぬ。俺はこのままこの源三郎とともに末森城へ行く」
「信長様! 貴方はご自身の立ち場を分かっておられるのですか!」
 珍しく声を荒げる蔵ノ介に、信長は笑った。
「もちろん、分かっておる。だが、俺は織田家の当主である以前に一人の人間でもある。人並みの愛情も持ち、感情もある。そういうものをすべてなくせというのは、俺に死ねと言っておるのと同じだ」
「しかし、信長様に万が一のことがあれば、織田家は立ちゆかなくなります」
「帰蝶とその腹の子も救えぬのに、どうやって織田家を率いていけというのだ」
「私が今から源三郎殿と一緒に末森城へ行き、必ず帰蝶様を取り戻します」
「そなたでは駄目なのだ。俺が行く必要がある」
「帰蝶様のお腹に……信長様の子が……」
 傍にいた源三郎が、呆然と呟いた。
「そうだ。だから俺は何としても今、行く必要があるのだ」
「お気持ちは分かりますが、信長様が行かれるのは危険です。もしものことがあった場合、どうなさるおつもりなのですか?」
「誰が行っても、もしものことはあるだろう。だが、俺は帰蝶とその子を救いたいという気持ちでは誰にも負けぬ。だから行くのだ」
 信長と蔵ノ介の話はどこまで行っても平行線で、交わるところはなさそうに見えたのだが……。
「あの、蔵ノ介殿、完全に大丈夫とは言い切れませんが、今すぐに末森城へ向かえば、帰蝶様をお連れできる可能性は十分にあります。夜半で警護が手薄だというのに加えて、今宵は宴が開かれておりましたゆえ、警護の者たちも酒が入っている者が多いのです。ですから、私も誰にも見つからずに末森城を抜け出してくることができました」
「宴か……良い気なものだな……」
 信長が呆れたように言うと、源三郎は目を伏せる。
「はい……勝家様は戦に勝ったわけでもないのに宴など……と顔をしかめておられましたが……」
「そういうことなら、急ぐより他はない。蔵ノ介、そなたは清洲へ戻っても構わぬぞ。俺に義理立てする必要はない。別に後からとがめたりもせぬ」
「信長様……そのお言葉は、それこそ私に死ねと仰っておられるも同然です。主を守らずして、臣であることの意味がどこにあるのでしょうか」
「まあ、そうであろうが……今回のことは俺が自分の立ち場も顧みずに行う身勝手な行動であることは承知している。だから、そなたが臣としての義理を貫く必要もない」
「分かりました。そういうことであれば、私も臣としてではなく、一人の人間として信長様と共に参ります。もともと単独で末森城に入るつもりでしたから」
 蔵ノ介の言葉に、信長は思わず目を見開いた。
「単独で末森城に入るつもりであったなど、そなたも俺に説教するような立ち場ではないではないか」
「主がこのような方ですから、仕方がありません」
 と、蔵ノ介は珍しく個人的な不満を口にした。
 蔵ノ介が『おおやけ』を捨てた行動を取ろうとしていたことに、信長は驚いていた。
 蔵ノ介にとっては里の長である立ち場、そして織田家の長を守るという立ち場が絶対で、それを覆すようなことは絶対にない男だと信長は考えていたのだが、それとは違う一面も、この男は持っているようだった。
「分かった。では、俺は帰蝶の夫として頼みたい。帰蝶を救うためにそなたの力を貸して欲しい」
「分かりました」
 二人の話が落ち着いたところで、源三郎が口を挟んだ。
「帰蝶様が身ごもっておられるというのなら、なおさら急ぐ必要がありますね。私も覚悟を決めました。勝家様の臣として、必ず今夜、帰蝶様を信長様にお返しします」
「ああ、頼む」
 三人は再び馬に乗り、末森城への残りの道を一気に駆けた。

 源三郎とともに、信長と蔵ノ介は末森城までやって来たのだが……。
(妙な雰囲気だな……)
 と、信長は思った。
 末森城は父の信秀が亡くなった時に来て以来だが、まださほどの時間は経っていない。
 なのに、何となく気の抜けたような雰囲気が、城全体に漂っているのだ。
 それは今夜は宴を開いていたからというような理由だけでは決してないのだろう。
 信秀という主を失い、信行が主となったということも大きいのだろうと信長は感じた。
 主が誰かということによって、城の空気は変わる。
 それは城の中だけではなく、城の外見も同じことだった。
「少し中の様子を見参りますので、こちらでお待ちください」
 源三郎はそう言ったが、信長は首を横に振った。
「いや、俺も一緒に行く」
「信長様、ですが……さすがにそれは……」
 源三郎は困り果てたように言ったが、信長は譲らなかった。
「俺は一刻も早く帰蝶を連れ出してやりたい。そなたが行って戻ってくる間にも帰蝶が苦しんでいるのだと思うと、ここでおとなしく待っているわけにはいかぬ。俺も連れて行け、源三郎」
 源三郎が途方に暮れたように背後の蔵ノ介を見ると、蔵ノ介は頷いた。
「私も一緒に行きますので大丈夫です。よろしくお願いします、源三郎殿。途中に障害があれば私が片付けますので」
 蔵ノ介までがそう言ってくるので、源三郎としてはこれ以上説得するのは無理だと諦めるしかなかった。
 勝家から自分に与えられた主命しゅめいは、信長に言づてを届けることだけだったはずだ。
 それすら、現在交戦状態であるから命がけの仕事ではあったのだが、源三郎は万が一のことがあっても、勝家の臣として見事に散ろうとまで考えていたのだ。
 しかしまさか途中で信長と出会い、連れてきてしまうことになるという事態はまったく想定していなかった。
 勝家がこのことを知ったら驚くだろうと思いつつも、最終的な自分たちの目的は、帰蝶を無事に城から脱出させ、信長の元へ返すことなので、結果が一致しているのならやむを得ないと源三郎は腹をくくった。
 それに、帰蝶が今身ごもっているというのなら、なおさらだ。
 そんな女性を、これ以上あの劣悪な環境に置いておくということを、主の勝家は決して望まないだろうし、源三郎自身の正義にも反することだった。
「分かりました。では、速やかに移動しましょう」
 源三郎に続いて、信長と蔵ノ介も末森城の中へと続く抜け道に入った。

 信長たちは源三郎の案内で、城の抜け道を通り、無事に末森城の中へと入ることに成功した。
 城の抜け道を行く途中、一度だけ信行の手の者に見つかったが、それは蔵ノ介が速やかに排除した。
 なので、ここへ来るまでの間はまったく騒ぎにはなっていない。
 抜け道から城の中へ入ってからは、源三郎が先を行き、誰もいないことを確認してから信長たちが続くということを繰り返した。
 信長としてはまどろっこしい気はしたが、確実に美夜みやを助けるためには、ここで騒ぎになってしまっては困るという事情がある。
 ただ、源三郎が言ったとおり、今宵は宴があったということで酒の入っている者が多いようで、侵入者の可能性に目を光らせる者たちは少ないようだった。
(これでは……信行も難儀なんぎであろうな……こんな守りの緩い城では、いざという時にすぐに落とされるだろう……)
 あまりの城の中の雰囲気のだらしなさに、信長は珍しく信行に同情した。
 信行自身にも問題はあるのだろうが、信行の下についている家臣たちにもそれはあるのだろうと信長は思う。
 信行を決して許すつもりはないが、こうした家臣たちに囲まれ、自身で信頼できる家臣を育てる術を持たない信行に対しては、少なからず同情できる部分が信長にはあった。
 信長自身は生まれてすぐに母から離され、父の信秀から、当主としてのあらゆる知識と技術を与えられて育ったが、信行は母親の土田御前どたごぜん庇護ひごの元で育ち、信長のような教育は受けずに育ってきた。
 それが信行の傲慢さや矜持きょうじだけがやたらと高い性格にも繋がり、その割には俯瞰ふかんして物を見つめることができないという決定的な欠点にもなってしまっている。
 やがて、地下牢に通じる階段までやって来ると、源三郎は信長たちを振り返った。
「この先には牢屋番ろうやばんがいます。それを速やかに排除してしまう必要があるのですが……」
「私がやります。大丈夫ですよ」
 蔵ノ介がそう答えると、源三郎は安堵あんどしたようだった。
「はい。先ほど遭遇した相手とは違ってかなり手強いと思いますが、よろしくお願いします」
 地下に続く階段を、蔵ノ介を先頭にして降りていく。
 ここに来るまでの話の中で、この場所へは信行もたびたび訪れているということを聞き、信長は拳を握りしめた。
 信行が美夜に何を言ったのか、何をしたのかと考えるだけで、身体が震えてきそうになる。
 しかし、そんな感情は今は遠くへ置いておき、美夜を速やかに救出することに集中しなければならない。
「見張りは二名のようです。どちらも排除して良いのですね?」
 蔵ノ介が囁くように問うと、中の二人の見張りの姿を確認し、源三郎は頷いた。
 蔵ノ介が素早く片方の男をまず片付けると、向かってきたもう片方の男の動きも封じ、あっという間に排除してしまった。
 物音すらほとんどさせずにすべてを終わらせてしまった蔵ノ介の動きに、源三郎は目を見開いている。
「すごい……」
「帰蝶の居場所はどこだ?」
 蔵ノ介の働きに面食らっている源三郎を急かすように、信長は言った。
「あ、はい、こちらです」
 牢のまたさらに奥……その場所に鍵のかけられた扉があり、源三郎は牢屋番から奪った鍵でその中へと入る。
 中には他の牢とは趣の異なる牢がひとつあった。
 そこに信長は美夜の姿を見つけ、駆け寄った。
「美夜……!」
 信長がその名を呼ぶと、布団に身を横たえていた美夜がはっとしたように起き上がった。
「信長……様……?」
 信じられないような顔で見つめてくる美夜は、信長が清洲城を出発したときよりもやつれて見えた。
 けれども、思ったよりもしっかりとした足取りで、美夜は格子のほうに歩み寄ってくる。
 格子越しに、二人は手を重ねた。
 互いにその温もりを感じ、美夜の瞳からも、そして信長の瞳からも熱いものが溢れた。
「あの、ここの鍵を持っていないのですが、格子を壊しましょうか?」
 牢の格子を壊そうとする仕草を見せた源三郎を、蔵ノ介が制した。
「いえ。私が鍵を開けます。あまり物音を立てたくありませんので」
 蔵ノ介はそう言い、持ってきた道具を使い、格子にはめられた鍵を器用に外した。
 格子の扉が開けられ、美夜がその中から出ると、信長が美夜の身体を強く抱きしめた。
 その温もりが伝わってきて、美夜が生きている……という実感を、ようやく信長は感じることができた。
「恐ろしい目に遭わせてすまなかった……」
「いえ……信長様にもう一度会うまでは死ねないって……ずっと思ってました……」
 本当ならもっと抱きしめていてやりたいと思いつつも、美夜の身体を離した。
 今は一刻も早くこの城を脱出する必要がある。
「清洲へ戻ろう……」
「はい、信長様……」
 信長が手を差し出すと、美夜はその異変に気づいたようだった。
 信長の手には布が巻かれ、そこには赤い血が痛々しく滲んでいるからだ。
「信長様……怪我をされています……」
「これは大したことない。気にするな」
「はい……でも……」
「それよりも急ごう。途中で倒れている者があるから、誰かが異変に気づいてやって来るかもしれぬ」
「分かりました……」
 美夜は頷いて、信長の手が痛まないように、そっとその手を握りしめる。
 そして、牢の外へと向かおうとしたのだが……。
「誰かが来ます」
 蔵ノ介が静かにそう告げて、信長たちを手で制した。


※お知らせ
明日、明後日は少しばたつきますために、本編の更新をお休みさせていただきます。
小咄のほうは更新できると思いますので、よろしくお願いいたします。
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