身代わり濃姫~若き織田信長と高校生ヒロインが、結婚してから恋に落ちる物語~

梵天丸

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第一章

身代わり濃姫(17)

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 光秀は美濃から戻ると信長に道三の意向を伝えた。
「そうか。しゅうと殿は協力を約束してくれたか」
 報告を聞いた信長は、どこか嬉しそうな様子だった。
「思う存分にやれと、道三様は申しておりました」
「うむ。やってやろう」
「まずは、準備を整える必要がありますね」
「ああ、とりあえずは清洲きよすを攻める口実作りだな」
 信長たちは清洲攻めの準備に取りかかることになった。
 しかし、当主である信秀に清洲攻めの許可を得るまでは秘密裏に動く必要があり、相変わらず光秀は信長と美夜の寝室にやって来ては、密談を続けた。
 そして、光秀が道三に協力を図ってから十日後。
 信長は父信秀の居城である末森すえもり城へ、光秀を伴って訪れた。
 信長が信秀に差し出したのは、清洲城の信友が今川と通じ、末森城への攻撃を仕掛けようと画策していることを伝える密書だった。
 信長は、これが義父の斎藤道三を通じてもたらされたとの説明を付け加える。
「また信友め……儂を謀ろうとしておるのか。許せんな」
 実は信友には前科があり、このおかげで信秀は密書を疑うことなく信じた。
 これが光秀が巧妙に作らせた偽物であることには気づきもせずに……。
「父上、清洲攻めを俺に任せてもらえませんか? 俺が必ず清洲を落とします」
「しかし、城攻めだぞ?」
「分かっています。必ず落とします」
 信長が自信たっぷりにそう言うので、信秀も頷いた。
「ふむ……良いだろう。城攻めはそちにとっても良い経験になるだろうしな。しかし、城攻めは難しいぞ。人数も必要だ。どの程度の援助が必要だ?」
 かつて、だまし討ちをして少人数で那古野城を奪った父の逸話を何度も聞かされた信長は、苦笑するしかない。
「父上が俺に人数の大事を説くとは驚きです。しかし、ご心配には及びません。父上のお力を借りするまでもなく、清洲城を落として見せます」
「そうか。そこまで言うのなら、まあ、やってみるが良いだろう。しかし、無理はするな。そちは織田の跡目であることをゆめ忘れてはならぬぞ」
「無論、勝算あってのことです」
 これで話はまとまり、信長が清洲城を攻めることは正式に許可された。

 城攻めの許可を得た信長は、すぐに那古野なごや城へ戻り、今度は堂々と準備に取りかかった。
 美濃の道三からは、戦で使うようにと多くの防具などが次々に送られてきた。
「これはありがたいな。さすがは美濃だ。財力が違うな」
 兵たちに防具を与え、当日の作戦を詰めていく。
 おそらくもう信行の耳にも、信長が清洲を攻めることは伝わっているだろう。
 ともかく、余計な妨害が入る前に、素早く事を終わらせる必要があった。
 準備は父の信秀の許可を得てから二日で整った。
 そして、いざ出陣となるその朝、思いもかけぬ客が那古野城へやって来たのだった。
 夜明け前から慌ただしく出陣の準備をしていた信長と美夜みや、そして光秀は、その報告を聞いて慌てて城門へと向かった。
「兄上、父上の命により、加勢に参じました」
 それは信長の実弟の信行だった。
 信長よりも少し幼く見える美少年……それが美夜の信行に対する第一印象だった。
 信行は確かに信長の実弟というだけあって、顔のつくりは似ている気がする。けれども、その雰囲気はまったく異なっていた。
 戦のために来たというのに、髪は綺麗に結われ、その具足から馬の鞍にまで信行の美意識が反映されているかのようで、美夜には場違いにも見えてしまう。
 それに、信長もたいがい睫毛が長いが、信行のそれはまるでまつエクでもしているのではないかと美夜が思うほどだった。
 信行の見た目は、確かに噂の通りに美しく、一分の隙もないように見えるが、美夜にはかえってそれが何だか薄気味悪く思われた。
 信行が連れてきたものと思われる多くの兵たちが、城を取り囲むように待機している。
 それを見て、信長は一気に不機嫌になった。
「父上には加勢は必要ないと言っておいたはずだが」
「しかし、父上もご心配だったのでしょう。やはり行って兄上を助けてやれとの厳命を受けましたので、参上した次第ですが」
「加勢は必要ない。帰れ」
 信長がそっけなく言うと、信行は周囲の家臣たちを見る。
 家臣たちは頷いて、さらに信長に食い下がるように信行を促したようだった。
 信行はその表情をきりりと引き締め、さらに詰め寄ってくる。
「ですが、父上のご命令です、兄上。父上のご命令に兄上は逆らうおつもりなのですか?」
 ここで織田の当主である信秀の命令であると言い張られれば、信長は加勢を断ることはできない。
「信長様、早馬を飛ばして信秀様のご意思を確認させて参りましょうか?」
 光秀の囁きに、信長は首を軽く振る。
「いや……」
 難しい顔で黙り込んだ信長は、しばらく考えた後に美夜を振り返る。
 そして、信行にも聞こえるほどよく通る声で、美夜に告げた。
帰蝶きちょう、そなたを俺が戻るまで那古野城の城主に任ずる。俺に代わってこの城を宰領さいりょうせよ」
 美夜は一瞬、信長が何を言っているのか理解できなかった。
 そして、理解したとたん、混乱した。
 当然ながら美夜ばかりでなく、周囲にいた家臣たちも混乱しているようだった。
「は? ちょ、ちょっと待ってください……私が城主って……」
「さ、さすがにそれは信長様……」
 光秀もさすがに困惑したように口を開こうとしたが、それを押しとどめて信長は続ける。
「帰蝶、そなたを信用するから俺は任せるのだ。良いな?」
 何か考えがあってのことだろうと思い、美夜はさまざまな不安を飲み込んで頷いた。
「分かりました。城主としてお城を預かります。信長様が帰ってくるまで」
「よし、それでいい」
 信長は笑うと、再び信行に向き合った。
「那古野城は俺が戻るまで帰蝶が宰領する。そなたは帰蝶の命に従い、この那古野城に待機しておれ」
「し、しかし、兄上……私は兄上をお助けするようにと父上から命を……」
「だからだ。今日は手勢だけを連れて清洲へ向かう。信友を油断させ、その後で全兵力を一気につかって清洲を落とす。信友を油断させるためにも、兵が多くては困るのだ。そなたは総攻撃の時のために兵を温存し、待機していてもらいたい」
「で、ですが……」
「これが清洲攻めの作戦だ。今日は大勢の兵はいらぬ。邪魔だ」
「で、でも……父上は兄上の戦をお助けするようにと……」
「くどい。俺の兵も大多数は城に残して行くのだ。そして、しかるべきときに一気に出す。俺の作戦に従えぬとでも言うのか?」
 信長の言葉に、信行は綺麗な眉毛をゆがめたが、まだ諦めきれないように口を開く。
「では、私も幾名かの手勢を連れて兄上のお供を……」
「……必要ない」
「ですが、兄上……それでは……」
 さらに食い下がろうとする信行を、信長は苛烈なほどの視線で押さえつける。
「この戦の総大将は俺だ! 本来であれば、父上であっても指図することは許されぬ! 総大将の俺の指示が聞けないというのであれば、父上のもとへ戻れ、信行!」
 信長に一括され、信行は押し黙った。
 綺麗に整った顔が歪んでいくのが、美夜にはいっそう不気味に思えた。
「分かりました。兄上がそうまで仰るのでしたら、今日はおとなしくしていましょう」
 どう訴えても兄の考えは曲がらないと理解したのか、信行は諦めたように目を伏せる。
 その様子を見て、信長はようやく笑みを浮かべた。
「明日、明後日にはそなたにも働いてもらわねばならぬ。今日は兵を休ませ、英気を養っておれ」
「はい。では、私はこの城で兄上の指示を待っております」

 慌ただしく信長についていく兵たちの編成が行われ、信長が言ったとおり、本当に手勢程度の人数だけが出陣することになった。
 城攻めには多くの人数が必要だと事前に聞かされていた美夜は、さすがに不安になってしまう。
「信長様、必ず戻ってきてくださいね」
「ああ、もちろんだ。そなたを城主に任じてしまったのだから、そのままにして俺だけ逝くわけにはゆかぬ」
「そうですよ。この件に関しては戻ってからたっぷり苦情を言います」
 美夜がそう言うと、信長は苦笑いを浮かべる。
「分かった。苦情は戻ってからいくらでも聞く。城内には信用できる者たちも多く残している。何かあればその者たちを頼って構わない。俺の家臣たちは、城主であるそなたの言うことを必ず聞く」
「はい。分かりました」
「戻ってきたら城を引っ越すぞ。忙しくなるから、覚悟しておれ」
 そんな軽口を最後に、信長は美夜に背を向けた。
「信長様……」
 もう少し話をしたかったという思いを飲み込んで、美夜も覚悟を決める。
 信長が戦っている間、美夜はこの那古野城で戦わなければならない。
(信長様は必ず帰ってくると約束してくれた。だから、私もしっかりお城を守らないと)
 ほどなく、信長は清洲に向けて出立した。
 信長が出立すると、口々に信長の悪口を言う声が美夜の耳にも聞こえた。
「やはりうつけじゃな」
「ああ、信行様のほうがよほど当主に向いておられる」
「あの人数では、ついていく者たちが気の毒だ」
「ああ、たわけ殿も含めて、戻ってはこれぬだろうな」
 美夜がそこにいるというのに、信長の悪口を言い続ける家臣たちに、腹が立った。
 そこに残っているのはほとんどが信行の連れ来た者たちなので仕方がないのだろうが、それにしてもあまりにもあからさますぎて酷い。
(負けていられない……!)
 ぱんぱん、と美夜が大きく手を叩くと、家臣たちが驚いたように静まった。
 美夜は咳払いをしてから告げる。
「信長様はあなたたちに休息をとるようにと命じました。こんなところに突っ立って、だらだら喋りなさいとは命じていません。すみやかに城に入り、指示があるまで休息しなさい!」
 美夜の言葉に、家臣や兵たちはぽかんとしている。
 信行も呆気にとられた顔をしている。
「何をしているのです? 休息も戦いです。城主の私の命令を聞かないというのは、それなりの覚悟があると見なして良いのですね?」
 美夜がそう告げると、信行が苦笑気味に自分の兵や家臣たちを振り返る。
「城主の命令は絶対だから、ここはおとなしく義姉上あねうえの言うことを聞いておこう。皆、城に入りなさい」
 信行がそう命じると、戸惑いながらも兵たちはぞろぞろと那古野城の中へと入っていく。
 そして、信行は美夜に向き直って、美しく完璧な微笑を浮かべて見せた。
「義姉上、お久しぶりです。婚儀の時にお会いしたきりですね」
 信行のその言葉を聞いた美夜が、今度は思わずぽかんとしてしまう。
「えっと……婚儀の時にお会い……しましたっけ?」
 美夜は婚儀の時にあまりにも多くの人に会いすぎて、誰が誰なのか、その顔さえもほとんど覚えていない。
 もちろん、信行とも会っていたのかもしれないが、美夜の記憶の中からは完全に抜け落ちていた。
 信行は少しむっとしたような顔をした。
「私の顔を忘れる女子おなごなど、義姉上ぐらいのものでしょう」
「女子とかそういうのは関係なく、あの日はとても多くの人とお会いしたので忘れてしまったのかもしれません……すみません……」
「まあ、そういうことにしておいてあげましょう」
 何だか言い方がいちいちかちんと来る、と美夜は苛立った。
「私は義姉上のことを気に入っていましたし、さっきのでますます気に入りました。兄上にもしものことがあった時は、側室として面倒を見てさしあげても良いですよ?」
「は……?」
「では、私もここまで夜を徹しての強行軍でしたので、城主殿の命令に従って少し休ませていただきます。おやすみなさい」
 信行はそう告げて微笑むと、美夜に背を向けて城の中へと入っていった。
(な、な、な、何なのよ、あいつ――!!!!)
 見た目は天使のようだが、中身は完全に悪魔だと美夜は思った。
 信長にとって信行は天敵のようだが、美夜にとっても天敵となりそうな予感がする……そんな信行との出会いだった。
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