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交差点に沈む影 — Shadows at the Crosswalk
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赤信号に足を止めた瞬間、視界の端に見覚えのある背中があった。
濡れたアスファルトの上に、黒いコートの裾が張りつく。雨の匂いを孕んだ風が吹き抜け、街灯の下で黒髪が揺れた。
桐生瑛司——。
大学時代の同級生で、今も彼の経営する会社と俺の勤め先に取引があるため、仕事上のやりとりが時折ある。大学の同窓会が近づくと、私的なLINEのやりとりもすることがあった。だから知っている。彼がどれだけ冷静で、感情を表に出さない人なのかを。
その瑛司が、誰かの手首を強く掴んでいた。
口元が険しく歪み、吐き出すように何かを言っている。
——あんな表情、初めて見た。
相手は女性ではなく、彼より年下に見える金髪の、美しい青年だった。たぶん、ハーフなのだとこの距離からでも分かる。街灯に照らされたその横顔は一瞬で闇に溶け、残像だけを瞼に焼きつけて消える。二人が友人や同僚といった関係ではないのは、空気の張りつめ方で分かった。
冷静沈着なはずの瑛司が見せたのは、必死で縋りつくような熱と痛みを宿した視線。
人波が動き出す。俺は立ち尽くしたまま、瑛司と青年を目で追った。交差点の外側へ、角を曲がり、視界から消えていく。
雨の最初の粒が頬を打ち、冷たい点となって滲んだ。
胸の奥がざわつく。あれはきっと、他人事ではない。瑛司の視線に射抜かれた熱が、俺の中の恐怖を映し出す。
——永遠なんてない。
誰かの言葉が、耳の奥で反芻される。
陽翔と再会して、まだひと月も経っていない。唇が触れるたびに心が揺れて、立場も年齢差も崩れていく。もしこの先さらに深く関わったら——俺たちは、どこへ行き着くのか。ゴールの見えない恋の行方に、すでに怯えている。
その感覚は、記憶の奥に眠っていた古い日々を呼び覚ました。
陽翔が小学校に上がったばかりの頃。俺の実家の近所に、彼の家族が引っ越してきた。母親に手を引かれ、頼りなげに挨拶をしていた小さな子。
俺が大学受験に追われていた頃、陽翔はよく遊びに来ては、勉強机の横で宿題を広げていた。
「兄ちゃん、これ分かんない」
漢字ドリルを指さして情けない顔をする。俺が書き順を示すと素直に真似して鉛筆を動かすが、すぐに失敗しては拗ねる。
「兄ちゃんがやると簡単に見えるのに」なんて生意気を言って、最後には悔し涙をにじませた。
その小さな頭を撫でながら「大丈夫だ」と笑った感触を、今も指先が覚えている。
陽翔は女の子のように整った顔をしていた。大きな瞳と長いまつげ、白い肌。だから近所の悪ガキに「女顔」「人形」などとからかわれることが多かった。
ある日、コンビニの前で彼が泣きそうな顔をしているのを見つけた。年上の子どもたちに囲まれ、ランドセルを押されていたのだ。
「やめろ」
割って入った俺に、悪ガキたちは舌打ちして散っていった。陽翔は唇を噛み、震える声で「ありがとう」と言った。
「陽翔は俺が守る」
あのときの言葉には、何の迷いもなかった。あくまで弟みたいに思っていたし、それ以上の感情なんて考えもしなかった。
けれど、時は流れる。
中学生になった陽翔は背丈がぐんと伸び、部活帰りのジャージ姿で「兄ちゃん」と声をかけてくる。その横顔に、幼さの影は徐々に消えていった。
高校生になると、女の子に声をかけられているのを見かけることも増えた。俺が冗談めかして冷やかすと、陽翔は耳まで赤くして怒った。あの頃からだったかもしれない。——もう「弟」ではなくなりつつあると感じたのは。
靄に滲む信号機の灯りが、現実へと引き戻す。
人々が傘を差して歩いていく中で、隣に立つ陽翔は、もうあの頃の頼りなさを置き去りにしていた。まぶたに彼の姿が映る。雨に濡れた街灯の下で笑う彼は、大人の男の顔をしている。
怖いほどに、誰かが必要だ。怖いほどに、陽翔が必要だ。
だが同時に、怖い。瑛司が見せた必死の表情を思い出す。冷静沈着な彼でさえ誰かに縋らなければ立っていられないなら、愛とはそんなにも脆いものなのか。
俺には分からない。ただ、この胸の奥に疼く感情だけは否定できない。
ポケットからスマホを取り出すと、陽翔とのメッセージスレッドが一番上にあった。「今、どこ?」と打ちかけて、消す。
今ならまだ、傷は浅く済むはずだ。そう思えば思うほど、指は動かない。
そのとき、不意に通知が鳴った。
画面には、短いメッセージ。
『夜食、作った。寄る?』
簡単な一文のはずなのに、指先が震えた。
俺は深く息を吸い、濡れたシャツを握りしめる。
——答えは、分かっている。
**************
この物語は、YouTubeで配信中の楽曲「交差点に沈む影 — Shadows at the Crosswalk」をベースに作成したものです。良かったら楽曲の方も聴いてみてくださいね♫
「交差点に沈む影 — Shadows at the Crosswalk」はこちら⇒https://youtu.be/3IZGwJHySfc
また、このお話の冒頭に登場する桐生瑛司は、「指先が覚えている — What My Fingers Remember」に登場する攻めキャラで、第三話 交差点に沈む影(https://www.alphapolis.co.jp/novel/332389240/894986379/episode/10036543)とリンクしています。
第三話 交差点に沈む影とリンクする楽曲はこちら⇒https://youtu.be/3IZGwJHySfc
濡れたアスファルトの上に、黒いコートの裾が張りつく。雨の匂いを孕んだ風が吹き抜け、街灯の下で黒髪が揺れた。
桐生瑛司——。
大学時代の同級生で、今も彼の経営する会社と俺の勤め先に取引があるため、仕事上のやりとりが時折ある。大学の同窓会が近づくと、私的なLINEのやりとりもすることがあった。だから知っている。彼がどれだけ冷静で、感情を表に出さない人なのかを。
その瑛司が、誰かの手首を強く掴んでいた。
口元が険しく歪み、吐き出すように何かを言っている。
——あんな表情、初めて見た。
相手は女性ではなく、彼より年下に見える金髪の、美しい青年だった。たぶん、ハーフなのだとこの距離からでも分かる。街灯に照らされたその横顔は一瞬で闇に溶け、残像だけを瞼に焼きつけて消える。二人が友人や同僚といった関係ではないのは、空気の張りつめ方で分かった。
冷静沈着なはずの瑛司が見せたのは、必死で縋りつくような熱と痛みを宿した視線。
人波が動き出す。俺は立ち尽くしたまま、瑛司と青年を目で追った。交差点の外側へ、角を曲がり、視界から消えていく。
雨の最初の粒が頬を打ち、冷たい点となって滲んだ。
胸の奥がざわつく。あれはきっと、他人事ではない。瑛司の視線に射抜かれた熱が、俺の中の恐怖を映し出す。
——永遠なんてない。
誰かの言葉が、耳の奥で反芻される。
陽翔と再会して、まだひと月も経っていない。唇が触れるたびに心が揺れて、立場も年齢差も崩れていく。もしこの先さらに深く関わったら——俺たちは、どこへ行き着くのか。ゴールの見えない恋の行方に、すでに怯えている。
その感覚は、記憶の奥に眠っていた古い日々を呼び覚ました。
陽翔が小学校に上がったばかりの頃。俺の実家の近所に、彼の家族が引っ越してきた。母親に手を引かれ、頼りなげに挨拶をしていた小さな子。
俺が大学受験に追われていた頃、陽翔はよく遊びに来ては、勉強机の横で宿題を広げていた。
「兄ちゃん、これ分かんない」
漢字ドリルを指さして情けない顔をする。俺が書き順を示すと素直に真似して鉛筆を動かすが、すぐに失敗しては拗ねる。
「兄ちゃんがやると簡単に見えるのに」なんて生意気を言って、最後には悔し涙をにじませた。
その小さな頭を撫でながら「大丈夫だ」と笑った感触を、今も指先が覚えている。
陽翔は女の子のように整った顔をしていた。大きな瞳と長いまつげ、白い肌。だから近所の悪ガキに「女顔」「人形」などとからかわれることが多かった。
ある日、コンビニの前で彼が泣きそうな顔をしているのを見つけた。年上の子どもたちに囲まれ、ランドセルを押されていたのだ。
「やめろ」
割って入った俺に、悪ガキたちは舌打ちして散っていった。陽翔は唇を噛み、震える声で「ありがとう」と言った。
「陽翔は俺が守る」
あのときの言葉には、何の迷いもなかった。あくまで弟みたいに思っていたし、それ以上の感情なんて考えもしなかった。
けれど、時は流れる。
中学生になった陽翔は背丈がぐんと伸び、部活帰りのジャージ姿で「兄ちゃん」と声をかけてくる。その横顔に、幼さの影は徐々に消えていった。
高校生になると、女の子に声をかけられているのを見かけることも増えた。俺が冗談めかして冷やかすと、陽翔は耳まで赤くして怒った。あの頃からだったかもしれない。——もう「弟」ではなくなりつつあると感じたのは。
靄に滲む信号機の灯りが、現実へと引き戻す。
人々が傘を差して歩いていく中で、隣に立つ陽翔は、もうあの頃の頼りなさを置き去りにしていた。まぶたに彼の姿が映る。雨に濡れた街灯の下で笑う彼は、大人の男の顔をしている。
怖いほどに、誰かが必要だ。怖いほどに、陽翔が必要だ。
だが同時に、怖い。瑛司が見せた必死の表情を思い出す。冷静沈着な彼でさえ誰かに縋らなければ立っていられないなら、愛とはそんなにも脆いものなのか。
俺には分からない。ただ、この胸の奥に疼く感情だけは否定できない。
ポケットからスマホを取り出すと、陽翔とのメッセージスレッドが一番上にあった。「今、どこ?」と打ちかけて、消す。
今ならまだ、傷は浅く済むはずだ。そう思えば思うほど、指は動かない。
そのとき、不意に通知が鳴った。
画面には、短いメッセージ。
『夜食、作った。寄る?』
簡単な一文のはずなのに、指先が震えた。
俺は深く息を吸い、濡れたシャツを握りしめる。
——答えは、分かっている。
**************
この物語は、YouTubeで配信中の楽曲「交差点に沈む影 — Shadows at the Crosswalk」をベースに作成したものです。良かったら楽曲の方も聴いてみてくださいね♫
「交差点に沈む影 — Shadows at the Crosswalk」はこちら⇒https://youtu.be/3IZGwJHySfc
また、このお話の冒頭に登場する桐生瑛司は、「指先が覚えている — What My Fingers Remember」に登場する攻めキャラで、第三話 交差点に沈む影(https://www.alphapolis.co.jp/novel/332389240/894986379/episode/10036543)とリンクしています。
第三話 交差点に沈む影とリンクする楽曲はこちら⇒https://youtu.be/3IZGwJHySfc
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