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序章 その物語について
0-13. Andleta-Ⅲ
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・やがて冬になると鳥は眠るように命を落とし、薔薇も枯れてしまった。一人になった少年に冬を越える手段などあるはずもない。けれど、神は彼を見ていた。
(とある土地に伝わる民話より)
「主よ……私の、罪は……」
彼が眠っているところなど、あまり見たことがなかった。うわ言のように「主よ」などと呟き苦悶の表情を浮かべる様は、見ていて胸が締め付けられる。
縋るような、救いを求めるような、道しるべを探しているかのような……。そんな声だった。
じっと見つめていると、パチリと傷のない片目が開いた。そのまま彼はすっと身体を起こし、ぼうっと空中を見ている。
「おはよ」
声をかけると、隻眼の瞳がこちらを捉える。……彼が自分の知っている「ルマンダ・アンドレータ」であるなら、勝手に窓から私室に侵入した不届き者に対して激怒するだろうと構えていたが……
「……ああ、君か。……ええと、確か賢者の末裔の……」
ぼんやりとしたまま紡がれた言葉。どうやら、「ルイン」の方だったらしい。
外は今にも雨が降り出しそうで、黒檀のような黒髪はいつもに増して癖がついている。
灰色の瞳は、いつものような鋭い光を放ってはおらず、ぼんやりとどこを見ているのかわからない。
「あちらは、また粛清を?」
「粛清とか言ってるけど、その実暗殺者対策だよ。……もしかして、同じ身体でも理解してねぇとか?」
「……そうだったのか。最近、僕にはあまり教えてくれない。お前は居場所を守れ、と」
「じゃあこの前のはしくじったな。チェロたちの前で出てきちまったし。ま、俺から仕事の時は仕方ねぇんだよって言っといたけど?」
「感謝する。彼も気に病んでいたらしいから」
ルイン・クレーゼは、アンドレータという家にルマンダが養子になる前の名だと以前聞いた。つまりは、そちらが彼の本名。
「それで? どっちが元からいたんだ?」
「……それが、「私」に聞いたところ、見つからないらしい」
「……見つからない?」
「僕にもよく分からない。……もしかしたら、「私」にも分かっていないのかもしれない」
「……ふーん」
赤毛の賢人は少し考えて、目を伏せた「ルイン」を見やる。
彼も、おそらくルマンダと同じく自分を信頼していない。当たり前といえば当たり前だが……
「……相談ぐらいになら乗ってやるぜ?」
なぜ、そんな言葉が出てきたのか。
「……興味本位だと言うなら、僕は断る」
当初の心は、とっくに見透かされていたらしい。ぼんやりしているように見えてこちらも侮れない。
「……でもよ」
何かを言おうとして、真剣な眼差しに射抜かれた。
彼にはったりは、通じない。
「……運命って信じるか?」
なぜそんな言葉が出てきたのだろう。流石にこの場面で「運命」はない。明らかに苦しいと思う。思ったのだが……
「信じる。……それなら、君は僕の友達だ」
あっさりと信じられてしまった。
「……マジで?」
「本当だ。やはり、カルロスはカルロスだ」
「……俺、そんな名前名乗ったっけ?」
「?」
「いやもういいよ。お前の中で俺はカルロスなんだな」
「カルロスはカルロスじゃないのか? 旅の詩人のカルロス」
「……詩人では……ねぇけどなぁ……」
ルインの話は大真面目に明後日の方向に飛んでいく。いつものことではあるが、今回も彼の周りだけが異空間だ。
「でもよ、警戒してたよな」
「カルロスには変に人のことをからかう悪癖がある」
「……ごもっとも」
よく分かってるじゃねぇか。と、自称賢人一族の末裔は内心焦りを隠せない。
読めない。頭の中まで筋肉が詰まった元相棒はともかくとして、欲深く腹黒い元親友よりも読めない。
「……カルロス、僕は、この世界が不思議でならない」
俺はお前が不思議でならねぇよ……などという茶化した言葉を言える空気ではなかった。
「どうして、こんなにも争い合う。そんなに、革命が掲げる理念とやらは素晴らしいものなのか」
「……理想としちゃ充分だろうな」
「だが、そのために人が死ぬ。傷付く。……泣く」
「時代が変わる代償ってもんなのかも?」
「なぜ、時代を変える?僕たちは何一つ変わってないのに」
その言葉には、一種の正しさが含まれているようにも感じた。
「……今が気に食わねぇから、手っ取り早く楽して変えちまいてぇんだろ。人間そんなもんだし、仕方ねぇよ」
仕方ない。何度口にして、いつから口癖になった言葉だろう。
そう幾度となく繰り返すことで、諦めきれない、割り切れない気持ちを誤魔化すのに慣れてしまっていた。
「……なるほど」
声色は、いつの間にか「ルイン」のものより数段低くなっていた。
「……キサマの魔術は、炎ではないだろう」
「……ほんとは風だ。後から炎も足した」
「器用な男だ。ただし、一つのことをやり遂げるのは苦手と見た」
「手厳しいこって」
冷淡な声色で告げる「ルマンダ」。銀色に光る瞳が、金色の瞳を見据える。
「秩序だ。それさえあれば、この土地は守られよう」
「……そう簡単に行くか?」
「無論、簡単ではない。だが、私にも守らねばならんものがある」
「……お前、神に仕えでもしてる?」
「……祈りは毎日欠かしたことがないが、それがどうした」
「あー、やっぱり。つまんなさそうな生き方してんな」
「…………は?」
ぴくり、と眉が動く。心外だとばかりに、怒りを殺した声色が部屋を浸す。
「どういう意味だ」
「楽しいこと全部あっちにでも譲ったか? そんなに堅物でどうすんだよ」
「……誰が堅物だ。良い方策であれば、たとえ私の考えでなくとも」
「すぐ政務に結びつけるあたりカチカチ」
「カチ……っ、俺のどこがカチカチだと言うのだ!」
口調が崩れたのを見て、レヴィと名乗りつつ先程カルロスと呼ばれた男は、満足げに頬を緩める。
「意味のわからん顔をするな。……早く出ていけ」
「っと、悪ぃな。片割れにもよろしくな参謀さん」
「いいから早く行け盗賊崩れ」
「うわ、ひでぇ言いよう」
「…………命が惜しいなら、あまりこちらに肩入れするな」
その言葉は、明らかに差異をつけた温度で発せられた。鳥肌が立ったのをヘラヘラとした笑みで隠し、取り繕う。
「別に、どっちにも肩入れなんかしてねぇけどな」
「……滅びに向かうのがどちらか、お前にはわかっていよう」
「……未来なんか、誰にもわからねぇよ」
「本当に、そう思うか?」
答えることはできなかった。
「……秩序ったって、不満ってのはどうにもならねぇぞ」
「そのようなこと、私がわからぬとでも思ったか」
「思わねぇな。……そんでも、あんたが立ってんのは崩れそうな足場だ」
「元より、腐って崩れ落ちる間際の土台だ。されど、気づいた誰かが何もしなければ、ひび割れた傷が広がっていく」
「……信心深い奴が考えそうなこって」
「文句があるなら言うがいい。誰もやりたがらない役目ならば、私が請け負うほかあるまい」
その凛とした決意を、誰が非難できるだろう。
「……ルインは?」
「言ったはずだ。……我らに情などいらん」
「なぁ、それで幸せなのかよ」
「……キサマもかつて、この国を変えようと願ったのではないか?旅の楽士レヴィ。……いや、一兵卒のモーゼか」
「名前にゃそんなに意味ねぇよ。たくさんあるし」
「だろうな」
冷たい沈黙が、「これ以上話すことなどない」と告げていた。
「じゃ、俺は明日も演奏あるから」
「……王は横笛が気に入ったらしい」
「げ、あれかよ。練習もっとやっとくか……」
軽口を叩きつつひらりと窓の外へ躍り出て、器用に蔦を掴む。
おそらく、彼は知らなかったのだろう。
「……ノア・ストゥリビア。懐かしい名だ」
掠れて消えそうな声を聞き取れるような耳を、私が持っていたことに。
***
1848/1/14
情勢不安定につき、多忙
赤松治五郎氏の日本語訳は、ここで終わりを迎えた。
……ここからが、『咲いた花、そして空の鳥へ捧ぐ物語』の真髄だ。
ボク達が魅せられたのは、ストーリーじゃない。彼らが伝えたかった「真実」だ。
こう言い換えてもいい。
「魂の叫び」とね。
(とある土地に伝わる民話より)
「主よ……私の、罪は……」
彼が眠っているところなど、あまり見たことがなかった。うわ言のように「主よ」などと呟き苦悶の表情を浮かべる様は、見ていて胸が締め付けられる。
縋るような、救いを求めるような、道しるべを探しているかのような……。そんな声だった。
じっと見つめていると、パチリと傷のない片目が開いた。そのまま彼はすっと身体を起こし、ぼうっと空中を見ている。
「おはよ」
声をかけると、隻眼の瞳がこちらを捉える。……彼が自分の知っている「ルマンダ・アンドレータ」であるなら、勝手に窓から私室に侵入した不届き者に対して激怒するだろうと構えていたが……
「……ああ、君か。……ええと、確か賢者の末裔の……」
ぼんやりとしたまま紡がれた言葉。どうやら、「ルイン」の方だったらしい。
外は今にも雨が降り出しそうで、黒檀のような黒髪はいつもに増して癖がついている。
灰色の瞳は、いつものような鋭い光を放ってはおらず、ぼんやりとどこを見ているのかわからない。
「あちらは、また粛清を?」
「粛清とか言ってるけど、その実暗殺者対策だよ。……もしかして、同じ身体でも理解してねぇとか?」
「……そうだったのか。最近、僕にはあまり教えてくれない。お前は居場所を守れ、と」
「じゃあこの前のはしくじったな。チェロたちの前で出てきちまったし。ま、俺から仕事の時は仕方ねぇんだよって言っといたけど?」
「感謝する。彼も気に病んでいたらしいから」
ルイン・クレーゼは、アンドレータという家にルマンダが養子になる前の名だと以前聞いた。つまりは、そちらが彼の本名。
「それで? どっちが元からいたんだ?」
「……それが、「私」に聞いたところ、見つからないらしい」
「……見つからない?」
「僕にもよく分からない。……もしかしたら、「私」にも分かっていないのかもしれない」
「……ふーん」
赤毛の賢人は少し考えて、目を伏せた「ルイン」を見やる。
彼も、おそらくルマンダと同じく自分を信頼していない。当たり前といえば当たり前だが……
「……相談ぐらいになら乗ってやるぜ?」
なぜ、そんな言葉が出てきたのか。
「……興味本位だと言うなら、僕は断る」
当初の心は、とっくに見透かされていたらしい。ぼんやりしているように見えてこちらも侮れない。
「……でもよ」
何かを言おうとして、真剣な眼差しに射抜かれた。
彼にはったりは、通じない。
「……運命って信じるか?」
なぜそんな言葉が出てきたのだろう。流石にこの場面で「運命」はない。明らかに苦しいと思う。思ったのだが……
「信じる。……それなら、君は僕の友達だ」
あっさりと信じられてしまった。
「……マジで?」
「本当だ。やはり、カルロスはカルロスだ」
「……俺、そんな名前名乗ったっけ?」
「?」
「いやもういいよ。お前の中で俺はカルロスなんだな」
「カルロスはカルロスじゃないのか? 旅の詩人のカルロス」
「……詩人では……ねぇけどなぁ……」
ルインの話は大真面目に明後日の方向に飛んでいく。いつものことではあるが、今回も彼の周りだけが異空間だ。
「でもよ、警戒してたよな」
「カルロスには変に人のことをからかう悪癖がある」
「……ごもっとも」
よく分かってるじゃねぇか。と、自称賢人一族の末裔は内心焦りを隠せない。
読めない。頭の中まで筋肉が詰まった元相棒はともかくとして、欲深く腹黒い元親友よりも読めない。
「……カルロス、僕は、この世界が不思議でならない」
俺はお前が不思議でならねぇよ……などという茶化した言葉を言える空気ではなかった。
「どうして、こんなにも争い合う。そんなに、革命が掲げる理念とやらは素晴らしいものなのか」
「……理想としちゃ充分だろうな」
「だが、そのために人が死ぬ。傷付く。……泣く」
「時代が変わる代償ってもんなのかも?」
「なぜ、時代を変える?僕たちは何一つ変わってないのに」
その言葉には、一種の正しさが含まれているようにも感じた。
「……今が気に食わねぇから、手っ取り早く楽して変えちまいてぇんだろ。人間そんなもんだし、仕方ねぇよ」
仕方ない。何度口にして、いつから口癖になった言葉だろう。
そう幾度となく繰り返すことで、諦めきれない、割り切れない気持ちを誤魔化すのに慣れてしまっていた。
「……なるほど」
声色は、いつの間にか「ルイン」のものより数段低くなっていた。
「……キサマの魔術は、炎ではないだろう」
「……ほんとは風だ。後から炎も足した」
「器用な男だ。ただし、一つのことをやり遂げるのは苦手と見た」
「手厳しいこって」
冷淡な声色で告げる「ルマンダ」。銀色に光る瞳が、金色の瞳を見据える。
「秩序だ。それさえあれば、この土地は守られよう」
「……そう簡単に行くか?」
「無論、簡単ではない。だが、私にも守らねばならんものがある」
「……お前、神に仕えでもしてる?」
「……祈りは毎日欠かしたことがないが、それがどうした」
「あー、やっぱり。つまんなさそうな生き方してんな」
「…………は?」
ぴくり、と眉が動く。心外だとばかりに、怒りを殺した声色が部屋を浸す。
「どういう意味だ」
「楽しいこと全部あっちにでも譲ったか? そんなに堅物でどうすんだよ」
「……誰が堅物だ。良い方策であれば、たとえ私の考えでなくとも」
「すぐ政務に結びつけるあたりカチカチ」
「カチ……っ、俺のどこがカチカチだと言うのだ!」
口調が崩れたのを見て、レヴィと名乗りつつ先程カルロスと呼ばれた男は、満足げに頬を緩める。
「意味のわからん顔をするな。……早く出ていけ」
「っと、悪ぃな。片割れにもよろしくな参謀さん」
「いいから早く行け盗賊崩れ」
「うわ、ひでぇ言いよう」
「…………命が惜しいなら、あまりこちらに肩入れするな」
その言葉は、明らかに差異をつけた温度で発せられた。鳥肌が立ったのをヘラヘラとした笑みで隠し、取り繕う。
「別に、どっちにも肩入れなんかしてねぇけどな」
「……滅びに向かうのがどちらか、お前にはわかっていよう」
「……未来なんか、誰にもわからねぇよ」
「本当に、そう思うか?」
答えることはできなかった。
「……秩序ったって、不満ってのはどうにもならねぇぞ」
「そのようなこと、私がわからぬとでも思ったか」
「思わねぇな。……そんでも、あんたが立ってんのは崩れそうな足場だ」
「元より、腐って崩れ落ちる間際の土台だ。されど、気づいた誰かが何もしなければ、ひび割れた傷が広がっていく」
「……信心深い奴が考えそうなこって」
「文句があるなら言うがいい。誰もやりたがらない役目ならば、私が請け負うほかあるまい」
その凛とした決意を、誰が非難できるだろう。
「……ルインは?」
「言ったはずだ。……我らに情などいらん」
「なぁ、それで幸せなのかよ」
「……キサマもかつて、この国を変えようと願ったのではないか?旅の楽士レヴィ。……いや、一兵卒のモーゼか」
「名前にゃそんなに意味ねぇよ。たくさんあるし」
「だろうな」
冷たい沈黙が、「これ以上話すことなどない」と告げていた。
「じゃ、俺は明日も演奏あるから」
「……王は横笛が気に入ったらしい」
「げ、あれかよ。練習もっとやっとくか……」
軽口を叩きつつひらりと窓の外へ躍り出て、器用に蔦を掴む。
おそらく、彼は知らなかったのだろう。
「……ノア・ストゥリビア。懐かしい名だ」
掠れて消えそうな声を聞き取れるような耳を、私が持っていたことに。
***
1848/1/14
情勢不安定につき、多忙
赤松治五郎氏の日本語訳は、ここで終わりを迎えた。
……ここからが、『咲いた花、そして空の鳥へ捧ぐ物語』の真髄だ。
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