【完結済】『咲いた花、そして空の鳥へ捧ぐ物語』

譚月遊生季

文字の大きさ
51 / 57
第四章 流転の日々

20. 遊戯

しおりを挟む
 ぎし、と、古びたベッドが音を立てた。
 薄汚れたシーツに散らばる赤髪が、はらりと落ちてきた黒髪と混ざり合う。

「……なぁ、女優さん」
「何だい?」

 引き締まった腹の筋に、白く細い指が這う。
 なだらかな腰の稜線を、生傷だらけの指がなぞる。

「好きな男はいるかい?」
「……男はいないねぇ。惚れた女ならいるけど」
「ああ、あの嬢ちゃんか。色っぺぇ目を向けてやがったもんな」

 ちろり、と舌なめずりをした赤い唇が、わずかに日に焼けた首筋を食む。
 ん、と喉を鳴らし、男は白磁のような背に手を伸ばす。

「驚かないのかい?」
「そんなこともあらぁな。……ティグのはデカいぜ? オンナになるかと思っちまう」
「まーたウソかホントか分かんないこと言っちまって……」

 くつくつと喉を鳴らし、コルネーユはミゲルの耳元に口を寄せた。

「あんた、このままじゃ早死するよ」

 低く響いたその忠告は情からか、それとも、遊び半分か。

「……あんたは賢すぎる。もっと上手く隠しな」

 彼女の演じる理想コルネーユが、「そういう女」だからか。
 おそらくは、女優本人にもわからない。

「そりゃあ、ご忠告どうも」

 ミゲル本人にも、わかっていた。
 己の生がどれほど刹那のものか。どれほど危ういものか。
 ……どれほど、無意味なものか。

「……せっかく早死するってんなら、パーッと楽しく死にてぇもんだぜ」

 肩に落ちて流れる黒髪に指を絡め、口付ける。
 命などどうでもいい。明日のことだってどうでもいい。……ただ、遊びに興じていたかった。
 それは、コルネーユとて同じこと。

「あたしねぇ、死に方は決めてるんだ」
「へぇ……。どんな?」
「ソフィのためになる死に方をするんだ。ソフィの命の糧になれるなら、それほど幸せなことはないからねぇ」

 うっとりと、女はミゲルの指に指を絡める。
 熱い吐息が、ぞくりと身体の芯を撫でる。

「……この手がソフィみたいに、柔らかくて細かったらよかったのに……いくらあの子がペンだこをたくさん作ってたって、これじゃあ無理がある」
「へいへい、野郎の指で悪かったな」

 その遊戯は、傷の舐め合いでしかない。
 叶わぬ恋に焦がれる女と、時の流れに苛まれる男。
 変えられる力を持たないことすらも、彼らにはわかっていた。……わかっていることが、何よりも苦痛だった。



 ***



 足元の血溜まりに祈りを捧げ、ラルフはその場を立ち去った。

「……ルディ……」

 力が欲しかった。……彼女ルディのように凛とした、気高き魂があれば……、
 冷徹になることができただろうか。粛々と、淡々と目的を達することができただろうか。

 いつ、膝を折ったのか、いつ、吐瀉物を地面に撒いたのか、いつ、涙を零したのか、もう分からない。軋む魂が悲鳴をあげている。
 ……このままでは、到底続けられない。

「私は……私は、やり遂げねばならない」

 ブツブツと、かつての友人のような口調で、冷徹な自己をかたどっていく。

「俺は嫌だ。どうしてもやらなきゃいけないのか?」

 その言葉は、ラルフの口から続いて発せられる。……かつての、祖国の言葉だった。
 ひとり遊びのように、自問自答を繰り返す。

「後戻りはできない。私は成すべきことをする。……俺はそんなことのために、この道を選んだのか?」

 ぐちゃり、と、踏んだ塊から、腐臭が広がった。
 ……ツバメの亡骸だった。肉体は大部分が猫か何かに貪られ、生前の形を残していない。

「ああ……ごめんな……気付かなくて……」

 指を組み、祈る。……形ばかりの祈りにならないよう、心を込めて。
 戯れにもならない行為だと……そう、思いながらも、祈らずにはいられない。

「……ルディ……君は……そう名乗ったのか」

 その声が、自分のものでないと気付かないまま、ラルフは言葉を紡ぐ。……軋み、剥がれた隙間に入り込んだ「何か」に気付かぬまま、歩き続ける。

「なら、次は僕がルディになる。……ラルフの支えになる。安らげる居場所を……せめて……」

 ラルフは修羅の道を選び取った。……その先に破滅しか残されていなくとも、幸福な終わりなど存在し得ぬとしても、……魂まで滅ぼす業だったとしても、より良い未来のため手を汚した。

「私は成すべきことを成す。それだけだ」
「なら、僕は、君の慰めになる。……だから、君のことを教えて欲しい」

 時にカラスとして、時にツバメとして、少年は何度も生まれ変わった。
 ……かつて自分と妹を救った聖女に、恩返しをしたかった。
 傷の舐め合いのような、幼い遊戯だった。……けれど、孤独な聖女と魔女は、確かに友情を築き、確かに救われた。

 たとえ時代がその肉体を、その魂を打ち砕こうとも、……その絆を引き裂こうとも、愚かな戯れでしかなくとも、……「ルディ」は、そのあたたかな光を覚えている。

「ラルフ、君の選んだ道が過ちでも、正義でも……僕が、最後まで見届ける」
「いずれ死すとしても……私は……俺は、より多くの民を救う。……そのために……」

 ひび割れた魂に寄り添うよう、魔女と呼ばれた少年は灯火を宿す。
 多くの道筋が絡み合い、「物語」の始まりは刻一刻と近づいていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

クロワッサン物語

コダーマ
歴史・時代
 1683年、城塞都市ウィーンはオスマン帝国の大軍に包囲されていた。  第二次ウィーン包囲である。  戦況厳しいウィーンからは皇帝も逃げ出し、市壁の中には守備隊の兵士と市民軍、避難できなかった市民ら一万人弱が立て籠もった。  彼らをまとめ、指揮するウィーン防衛司令官、その名をシュターレンベルクという。  敵の数は三十万。  戦況は絶望的に想えるものの、シュターレンベルクには策があった。  ドナウ河の水運に恵まれたウィーンは、ドナウ艦隊を蔵している。  内陸に位置するオーストリア唯一の海軍だ。  彼らをウィーンの切り札とするのだ。  戦闘には参加させず、外界との唯一の道として、連絡も補給も彼等に依る。  そのうち、ウィーンには厳しい冬が訪れる。  オスマン帝国軍は野営には耐えられまい。  そんなシュターレンベルクの元に届いた報は『ドナウ艦隊の全滅』であった。  もはや、市壁の中にこもって救援を待つしかないウィーンだが、敵軍のシャーヒー砲は、連日、市に降り注いだ。  戦闘、策略、裏切り、絶望──。  シュターレンベルクはウィーンを守り抜けるのか。  第二次ウィーン包囲の二か月間を描いた歴史小説です。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

処理中です...