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第三章 煩悶の冬
第1話「失意の淵に」
駅って場所は、今までスリをする以外に立ち寄ったことがない。人が多いから盗みには打ってつけだけど、汽車に乗ったことはなかった。
金がなけりゃ無賃乗車するって手もなくはなかったけど、狭い汽車の中じゃ、オレの「うっかり」が出ちまった時に逃げ場がないしな。
道行く人を見ているとついついポケットを見ちまうけど、ぶるぶると首を振って気を引き締める。
神父様の方はというと、落ち着かない様子で人混みを見つめていた。
血が欲しいのか、それとも人間不信からか……どちらの理由が強いのか、オレには分からない。
「兄上……」
ポツリと漏れた声音には、確かな絶望が浮かんでいた。
「なぜ……」
真っ青な顔で呟く神父様の肩を抱き寄せる。
……なんて言えばいいのかわからないけど、とにかく、支えになりたかった。
冷えきった肩は小刻みに震えていて、神父様が、また心に傷を負ったことが嫌でも伝わる。
「オレ、そばにいますんで」
どうにか捻り出した言葉に、神父様がどう思ったかはわからない。
「……ああ……」
掠れた声が白い息とともに吐き出される。それきり、神父様は何も言わなかった。
***
修道院を出る少し前、神父様はマリアさんにあることを尋ねた。
「新聞はありますか」
情勢を知るのに必要だった……とのことだけど、それが不味かった。
目を通すうちに、神父様の顔がさあっと青ざめていき、新聞紙を持つ手もガタガタと震え始める。
信じられない、といった声で、神父様は文面を読み上げた。
「ギルベルト・ダールマン……死去……?」
ダールマン……は、確か、神父様の実家だ。
どっかの悪魔祓いが、神父様のことを「コンラート・ダールマン」って言っていたのを覚えてる。
「……ご家族っすか」
「……兄だ……」
オレには兄弟はいない。……ほんとはいたのかもしれないけど、物心ついた時には一人きりだった。
だけど、「家族を亡くすのが悲しい」っていうのは、何となく覚えてる。
「兄上が‥‥‥亡くなった……?」
神父様は信じられないって顔で、呆然と呟く。
記事には「ギルベルト・ダールマンという商人が死んだ」ことと、「事業は学者である弟が引き継いだ」「警察は妹および弟の取り調べを行っており、長弟は先日死去済み」……といった内容が書かれていたらしい。
マリアさんは心配していたけど、神父様は平気なふりをして修道院を出た。
それでも、マリアさんは駅までは着いてきてくれた。
神父様も最初は困っていた様子だったけど、敵が襲ってこないのを見て少し気が抜けたらしく、大人しく駅までの道のりを教えてもらっていた。
「どうか、ご無事で。……くれぐれも、命を大切になさってくださいね」
マリアさんは、神父様に処刑された知人の面影を見たって言ってた。……灰色の瞳を見つめ、泣きそうな表情をしていたように見えたのは……きっと、気のせいじゃない。
「……ご厚意、本当に感謝します。どうか、息災でお過ごしください」
神父様は無理やり笑顔を作り、胸の前で手を組んだ。……やっぱり、上手く笑えてない。
「マジでありがとな、マリアさん。もらった本、読めるようになっとくから!」
マリアさんは心配そうにこちらを見ていたが、オレが笑いかけると十字を切って祈ってくれた。
***
神父様は太陽の下だとやっぱりしんどいみたいだから、なるべく日陰を探す。
マリアさんと別れてから、神父様はずっと口数が少ない。何か話しかけても上の空で、「ああ」とか、「そうか」とかしか言わなくなっちまっていた。
マルティンの言っていたことは本当だったらしく、マリアさんといた時も人混みにいる時も、誰一人襲ってこない。
……ただ、神父様は人混みが苦手なのか、ただでさえ青白い顔色がどんどん悪くなっていくのが見て取れた。
「私は……死者、ということになっているらしい」
……と、神父様は思い出したようにぼやく。新聞に、そんなことも書いてあったんだっけか。
「みたいっすねぇ。……だから、ほら、お兄さんも死んだとは限らないんじゃ?」
「…………」
「……あー……考えても仕方ないっすよ。えーと、これからご実家の方に行くんでしょ? そん時に確かめましょ」
顔見知りがいた方が、追っ手は襲撃しにくい……そう仮説を立て、神父様は故郷に一度戻ることにした。もちろん大っぴらに実家に帰ることはできないけど、家族には会えるかもって踏んでいたかもしれねぇ。……で、その矢先に兄貴が死んじまった知らせを聞いたってことになる。
そりゃあ、元気もなくなるってもんだ。
「……でも、神父様って弟なんすね。てっきりお兄さんかと思ってました」
「下にも……二人、いる」
「あっ、そうなんすか。お兄さんでもあるんすね」
「四人兄妹だ。兄が一人、妹が一人、弟が一人……」
「へぇー……会えたら挨拶しねぇとなぁ」
「……くれぐれも、余計なことは言うな」
「エッチしてるとか?」
「こ、声を潜めろ愚か者……!」
何気ない話をして気が紛れたのか、神父様の顔色が次第にマシになる。
余裕が出てきたのか、これからヘッセンの方に向かって、ヴァッサーシュピーゲルって場所で降りるってことも教えてくれた。
まあ地名言われても全然わかんねぇんだけど、着いてったらどうにかなるだろ。
「へぇ……これが汽車っすか。なんかすごいっすね。思ったより広いし」
「……目立つような所作は慎め」
汽車に乗り込むと、見かけより広くてびっくりした。
汽車って、鉄の塊なんだろ? こんなに人乗せて、どうやって動いてんだろうな……?
席に座ると、神父様はうとうとと舟を漕ぎ始めた。傷も癒えたばかりだし、疲れてるのかもな……。
「肩、貸しますよ」
「……ああ……」
オレの肩にもたれかかる神父様が可愛くて、ついつい頬が緩む。
「……おやすみ、神父様。あとはオレに任せてくれな」
……さて、汽車の中に「敵」がいねぇか……目を光らせておかねぇとな。
金がなけりゃ無賃乗車するって手もなくはなかったけど、狭い汽車の中じゃ、オレの「うっかり」が出ちまった時に逃げ場がないしな。
道行く人を見ているとついついポケットを見ちまうけど、ぶるぶると首を振って気を引き締める。
神父様の方はというと、落ち着かない様子で人混みを見つめていた。
血が欲しいのか、それとも人間不信からか……どちらの理由が強いのか、オレには分からない。
「兄上……」
ポツリと漏れた声音には、確かな絶望が浮かんでいた。
「なぜ……」
真っ青な顔で呟く神父様の肩を抱き寄せる。
……なんて言えばいいのかわからないけど、とにかく、支えになりたかった。
冷えきった肩は小刻みに震えていて、神父様が、また心に傷を負ったことが嫌でも伝わる。
「オレ、そばにいますんで」
どうにか捻り出した言葉に、神父様がどう思ったかはわからない。
「……ああ……」
掠れた声が白い息とともに吐き出される。それきり、神父様は何も言わなかった。
***
修道院を出る少し前、神父様はマリアさんにあることを尋ねた。
「新聞はありますか」
情勢を知るのに必要だった……とのことだけど、それが不味かった。
目を通すうちに、神父様の顔がさあっと青ざめていき、新聞紙を持つ手もガタガタと震え始める。
信じられない、といった声で、神父様は文面を読み上げた。
「ギルベルト・ダールマン……死去……?」
ダールマン……は、確か、神父様の実家だ。
どっかの悪魔祓いが、神父様のことを「コンラート・ダールマン」って言っていたのを覚えてる。
「……ご家族っすか」
「……兄だ……」
オレには兄弟はいない。……ほんとはいたのかもしれないけど、物心ついた時には一人きりだった。
だけど、「家族を亡くすのが悲しい」っていうのは、何となく覚えてる。
「兄上が‥‥‥亡くなった……?」
神父様は信じられないって顔で、呆然と呟く。
記事には「ギルベルト・ダールマンという商人が死んだ」ことと、「事業は学者である弟が引き継いだ」「警察は妹および弟の取り調べを行っており、長弟は先日死去済み」……といった内容が書かれていたらしい。
マリアさんは心配していたけど、神父様は平気なふりをして修道院を出た。
それでも、マリアさんは駅までは着いてきてくれた。
神父様も最初は困っていた様子だったけど、敵が襲ってこないのを見て少し気が抜けたらしく、大人しく駅までの道のりを教えてもらっていた。
「どうか、ご無事で。……くれぐれも、命を大切になさってくださいね」
マリアさんは、神父様に処刑された知人の面影を見たって言ってた。……灰色の瞳を見つめ、泣きそうな表情をしていたように見えたのは……きっと、気のせいじゃない。
「……ご厚意、本当に感謝します。どうか、息災でお過ごしください」
神父様は無理やり笑顔を作り、胸の前で手を組んだ。……やっぱり、上手く笑えてない。
「マジでありがとな、マリアさん。もらった本、読めるようになっとくから!」
マリアさんは心配そうにこちらを見ていたが、オレが笑いかけると十字を切って祈ってくれた。
***
神父様は太陽の下だとやっぱりしんどいみたいだから、なるべく日陰を探す。
マリアさんと別れてから、神父様はずっと口数が少ない。何か話しかけても上の空で、「ああ」とか、「そうか」とかしか言わなくなっちまっていた。
マルティンの言っていたことは本当だったらしく、マリアさんといた時も人混みにいる時も、誰一人襲ってこない。
……ただ、神父様は人混みが苦手なのか、ただでさえ青白い顔色がどんどん悪くなっていくのが見て取れた。
「私は……死者、ということになっているらしい」
……と、神父様は思い出したようにぼやく。新聞に、そんなことも書いてあったんだっけか。
「みたいっすねぇ。……だから、ほら、お兄さんも死んだとは限らないんじゃ?」
「…………」
「……あー……考えても仕方ないっすよ。えーと、これからご実家の方に行くんでしょ? そん時に確かめましょ」
顔見知りがいた方が、追っ手は襲撃しにくい……そう仮説を立て、神父様は故郷に一度戻ることにした。もちろん大っぴらに実家に帰ることはできないけど、家族には会えるかもって踏んでいたかもしれねぇ。……で、その矢先に兄貴が死んじまった知らせを聞いたってことになる。
そりゃあ、元気もなくなるってもんだ。
「……でも、神父様って弟なんすね。てっきりお兄さんかと思ってました」
「下にも……二人、いる」
「あっ、そうなんすか。お兄さんでもあるんすね」
「四人兄妹だ。兄が一人、妹が一人、弟が一人……」
「へぇー……会えたら挨拶しねぇとなぁ」
「……くれぐれも、余計なことは言うな」
「エッチしてるとか?」
「こ、声を潜めろ愚か者……!」
何気ない話をして気が紛れたのか、神父様の顔色が次第にマシになる。
余裕が出てきたのか、これからヘッセンの方に向かって、ヴァッサーシュピーゲルって場所で降りるってことも教えてくれた。
まあ地名言われても全然わかんねぇんだけど、着いてったらどうにかなるだろ。
「へぇ……これが汽車っすか。なんかすごいっすね。思ったより広いし」
「……目立つような所作は慎め」
汽車に乗り込むと、見かけより広くてびっくりした。
汽車って、鉄の塊なんだろ? こんなに人乗せて、どうやって動いてんだろうな……?
席に座ると、神父様はうとうとと舟を漕ぎ始めた。傷も癒えたばかりだし、疲れてるのかもな……。
「肩、貸しますよ」
「……ああ……」
オレの肩にもたれかかる神父様が可愛くて、ついつい頬が緩む。
「……おやすみ、神父様。あとはオレに任せてくれな」
……さて、汽車の中に「敵」がいねぇか……目を光らせておかねぇとな。
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