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第三章 煩悶の冬
第3話「破壊」
ガキを踏みつけた足を切りつけると、オットーとかいうゲスい悪魔祓いはバランスを崩してよろめく。
その隙に、神父様がゲス野郎の右腕に噛み付いた。
「クソがッ! 二人がかりかよ!」
剣を持ち替え、ゲス野郎は神父様の頭めがけて刃を振り下ろす。
神父様がギリギリで刃を避け、ゲス野郎は自分の腕を切り落としかける。……が、さすがに腕に刃がくい込む寸前で止めた。
「……チッ、小賢しい手を使いやがって……」
ゲス野郎は舌打ちしつつ、体勢を立て直す。
二人がかりの何が悪ぃんだよ。こちとら生きるのに必死なんだっての。
しかしこいつ、銃も使わねぇしヘンな能力もなさそうだし、変わった戦い方だな……?
「賊だろうが異形だろうが、人様に迷惑かけるんならとっとと死ねよなァ!」
ぶんぶんと剣を振り回し、ゲス野郎は文句を垂れる。
威嚇のつもりだろうが、神父様は多少肌が切れようが構わず突っ込んでいく。……あんまりそういう戦法は取って欲しくねぇけど、頑丈さでゴリ押して相手の懐に飛び込めるって意味じゃ、特徴を活かした戦い方だ。実際、マルティンとの戦闘じゃ勝ったも同然だった。
……とはいえ、神父様は人を殺せない。そこが厄介なんだよな。その戦い方を選ぶんなら、迷わず勝負を決めなきゃ不利になる。
「……悪意が透けていますよ。八つ当たりの的にしているようにしか見えません」
神父様は様子を伺いつつ、少し掠った時点で身を引いた。……自分には殺す覚悟が決まってないと踏んだんだろう。
「だから何だ? クズどもに八つ当たりしようが何しようが、クズがクズってことに変わりはねぇだろ?」
ゲス野郎は神父様の言葉を鼻で笑い、いつの間にか隅の方に逃げてたガキを怒鳴りつける。
「おいボンクラ!! 盾になる努力ぐらいしたらどうだ!?」
「む、無茶言わないでよオットーさん……! し、死んじまうよ!!」
「あァ? ゴミカスの癖して、まだ自分に生きる価値があるとでも勘違いしてんのか?」
「ひ……っ、そ、そんなこと、言われても……」
ガキはガタガタと震えつつ、頭を抱えて蹲る。
うわ、ひっでぇ。さすがにオレもムカついてきた。
神父様はなおのこと腹に据えかねているらしく、舌打ちした音がこっちにまで聞こえる。
「その少年が罪人であることと、貴方が彼を捨て駒として扱うことはまったくの別問題です」
真っ赤な瞳がゲス野郎を睨みつける。
「……これだから聖職者は好かねぇんだ。甘っちょろいことばっか言いやがって」
……ん? 聖職者は好かない……?
こいつ、もしかして悪魔祓いじゃねぇのか……?
じゃあ、また金で雇われた刺客か……? いや、でも今更そんなことあるか? 専門家ですら始末できてねぇのに……?
「坊さんはいい立場だよなァ。俺の苦労も知らずに、薄っぺらい理想論ばっか並べやがる」
「……貴方は悪魔祓いではないのですか」
「ハッ、冗談言うなよ! 俺が神とやらに仕えるタマに見えるか? 強いて言うならアレさ」
ゲス野郎はげらげらと笑い、言葉を続ける。
「一般市民の味方……ってとこだな」
えー。それは一般市民が可哀想だろ。いや、俺は一般市民のことなんかよく知らねぇけどさぁ。
「いつの時代も、悪党のせいで被害を被るのはか弱き一般市民だ。だから、そんなクソ共から守ってやらなきゃいけねぇ。……そうだろ?」
澱んだ瞳で、ヤツは恍惚と語る。……守るため? 嘘つくなよ。どう考えても自分に酔ってるだけだろ。
隙だらけに見えたが、神父様はあえて動かない。あからさま過ぎて、どう考えても罠だしな。
「……チッ、慎重なこって。でも……もう遅いぜ」
「あ……!?」
「もう遅い」……その言葉と同時に、神父様は膝をついた。頭を抑え、苦しそうに呻いている。
……は? 攻撃も何も当たってねぇじゃん。何をしたってんだよ……?
「残念だったなァ。掠っただけで充分なんだよ」
「……! 毒か!!!」
神父様に駆け寄る。どんな毒かはわからないが、掠った程度で効くってのは神父様と相性が悪すぎる。早く処置しねぇと……
「あ……ぐ……っ、う、うぅううう……ッ」
「神父様……?」
毒を摂取したにしては、様子がおかしい。
神父様はひたすら頭を抑え、呻いている。
「てめぇ、いったい何を……!?」
「何だろうなァ? 当ててみろよ」
ゲス野郎はニヤニヤと笑い、長剣を器用に片腕で弄ぶ。
隅っこで震えてたガキが、「今だ」とばかりに逃げ出す。
「おい、誰が逃げていいっつった」
「ぎゃっ!?」
ガキの首根っこを掴み、オットーはためらいなく剣を振りかぶった。
血飛沫が壁に散り、まだ小さな頭がオレたちの足元に転がる。
その瞬間、神父様の苦悶が更に大きくなった。
「あぁあぁあぁあっ」
「し、神父様……?」
「ハハ……どうだ? 頭をぶっ壊される気分はよォ……! 良かったなァ小僧! ゴミでも最期は役に立ったぜ!!」
はぁ、はぁ、と荒い息を吐き、神父様は刺客を睨みつける。
「……こ、の……外道が……ッ!」
真っ赤な瞳は、激しい怒りに染まっている。
「この剣は俺愛用の剣でなァ、クズの血を吸えば吸うほど、クズ達の怨みや憎しみが根付く。……お前の頭を食い潰そうとしてるのは、そういうドス黒い思念さ」
即座に骨の刃を構え、ゲス野郎の目玉に突きつけた。ずいぶんと余裕をぶっこいてるが、今なら殺れる。
どうやら毒じゃなく術っぽいし、こいつさえ殺せば……!
「……残念。俺を殺しても、なんなら傷つけても呪詛は強まるぜ。……俺の分が加わるからなァ」
「な……っ!?」
「今でさえこの苦しみようだ。下手すりゃ廃人になるかもな……?」
クソ……っ、誘い込まれた時から薄々思っていたが、このゲス野郎……ずる賢いにも程がある。
でも、どうすりゃいいんだよ。呪いなんて目に見えねぇし、傷つけるだけで神父様が危なくなるって……ああ、くそ、下手に動けねぇ。
「そう焦んなよ。すぐには殺さねぇさ。じっくり楽しんでから、嬲り殺してやる……!」
「が……ッ!?」
長剣で神父様の胸を貫き、ゲス野郎は舌なめずりをする。
「野郎……!!」
せめて神父様から引き剥がそうと、敵の肩に手をかけた途端……顔面に、生温い感触が伝った。
「…………おいおい……そう、来るのかよ……」
呆然と呟き、血を吐いたのは、オットーの方だった。首が変な方向に折れ曲がり、ミシミシと音を立てる。肉と骨を引き裂く音は止まらず、地面に、今度は大人の……黒髪の頭部が転がった。
神父様は血に染まった指を舐め……うっとりと「嗤う」。
そこで、気付いた。
あの野郎、本当に神父様を壊しちまったんだって。
「……っ、ぁ……、────ッ!」
神父様は自分の胴体から、長剣を造作もなく引き抜き、敵の、首をなくした胴体に突き立てた。その喉は、人の言葉を紡がない。雄叫びのようでいて、泣き叫んでいるようでいて、悦んでいるようでいて……
綺麗な指が血に染まる。真っ赤な瞳が爛々と輝く。何度も、何度も、原型が無くなるまで、神父様は屍を切り刻んだ。
最後に、赤い瞳がちぎれた頭部を捉える。ゲス野郎は鳶色の目を見開き、とうに事切れていた。
おもむろに手を伸ばし、神父様は、その頭を虫のように潰す。
「────ッ、────!!」
そして、人間の言葉を忘れてしまったかのように「吼えた」。
「……神父様」
声をかけると、神父様は返り血に塗れたまま、くるりと振り返る。
まだ剣を握っているが、構わず抱き締めた。
神父様になら、殺されたっていい。……そばにいるって、伝えなきゃ。
「……ヴィ、ル……」
だらりと垂れ下がった腕から剣が落ちる。
震える手が、オレの背中に回る。
「……身体洗って……宿、探しましょ。話は、その後っす」
「……ああ……」
ぼんやりとした声で……それでも人の言葉で、神父様は呟く。
「……あたたかい……」
そのまま神父様は、オレの腕の中で意識を失った。
その隙に、神父様がゲス野郎の右腕に噛み付いた。
「クソがッ! 二人がかりかよ!」
剣を持ち替え、ゲス野郎は神父様の頭めがけて刃を振り下ろす。
神父様がギリギリで刃を避け、ゲス野郎は自分の腕を切り落としかける。……が、さすがに腕に刃がくい込む寸前で止めた。
「……チッ、小賢しい手を使いやがって……」
ゲス野郎は舌打ちしつつ、体勢を立て直す。
二人がかりの何が悪ぃんだよ。こちとら生きるのに必死なんだっての。
しかしこいつ、銃も使わねぇしヘンな能力もなさそうだし、変わった戦い方だな……?
「賊だろうが異形だろうが、人様に迷惑かけるんならとっとと死ねよなァ!」
ぶんぶんと剣を振り回し、ゲス野郎は文句を垂れる。
威嚇のつもりだろうが、神父様は多少肌が切れようが構わず突っ込んでいく。……あんまりそういう戦法は取って欲しくねぇけど、頑丈さでゴリ押して相手の懐に飛び込めるって意味じゃ、特徴を活かした戦い方だ。実際、マルティンとの戦闘じゃ勝ったも同然だった。
……とはいえ、神父様は人を殺せない。そこが厄介なんだよな。その戦い方を選ぶんなら、迷わず勝負を決めなきゃ不利になる。
「……悪意が透けていますよ。八つ当たりの的にしているようにしか見えません」
神父様は様子を伺いつつ、少し掠った時点で身を引いた。……自分には殺す覚悟が決まってないと踏んだんだろう。
「だから何だ? クズどもに八つ当たりしようが何しようが、クズがクズってことに変わりはねぇだろ?」
ゲス野郎は神父様の言葉を鼻で笑い、いつの間にか隅の方に逃げてたガキを怒鳴りつける。
「おいボンクラ!! 盾になる努力ぐらいしたらどうだ!?」
「む、無茶言わないでよオットーさん……! し、死んじまうよ!!」
「あァ? ゴミカスの癖して、まだ自分に生きる価値があるとでも勘違いしてんのか?」
「ひ……っ、そ、そんなこと、言われても……」
ガキはガタガタと震えつつ、頭を抱えて蹲る。
うわ、ひっでぇ。さすがにオレもムカついてきた。
神父様はなおのこと腹に据えかねているらしく、舌打ちした音がこっちにまで聞こえる。
「その少年が罪人であることと、貴方が彼を捨て駒として扱うことはまったくの別問題です」
真っ赤な瞳がゲス野郎を睨みつける。
「……これだから聖職者は好かねぇんだ。甘っちょろいことばっか言いやがって」
……ん? 聖職者は好かない……?
こいつ、もしかして悪魔祓いじゃねぇのか……?
じゃあ、また金で雇われた刺客か……? いや、でも今更そんなことあるか? 専門家ですら始末できてねぇのに……?
「坊さんはいい立場だよなァ。俺の苦労も知らずに、薄っぺらい理想論ばっか並べやがる」
「……貴方は悪魔祓いではないのですか」
「ハッ、冗談言うなよ! 俺が神とやらに仕えるタマに見えるか? 強いて言うならアレさ」
ゲス野郎はげらげらと笑い、言葉を続ける。
「一般市民の味方……ってとこだな」
えー。それは一般市民が可哀想だろ。いや、俺は一般市民のことなんかよく知らねぇけどさぁ。
「いつの時代も、悪党のせいで被害を被るのはか弱き一般市民だ。だから、そんなクソ共から守ってやらなきゃいけねぇ。……そうだろ?」
澱んだ瞳で、ヤツは恍惚と語る。……守るため? 嘘つくなよ。どう考えても自分に酔ってるだけだろ。
隙だらけに見えたが、神父様はあえて動かない。あからさま過ぎて、どう考えても罠だしな。
「……チッ、慎重なこって。でも……もう遅いぜ」
「あ……!?」
「もう遅い」……その言葉と同時に、神父様は膝をついた。頭を抑え、苦しそうに呻いている。
……は? 攻撃も何も当たってねぇじゃん。何をしたってんだよ……?
「残念だったなァ。掠っただけで充分なんだよ」
「……! 毒か!!!」
神父様に駆け寄る。どんな毒かはわからないが、掠った程度で効くってのは神父様と相性が悪すぎる。早く処置しねぇと……
「あ……ぐ……っ、う、うぅううう……ッ」
「神父様……?」
毒を摂取したにしては、様子がおかしい。
神父様はひたすら頭を抑え、呻いている。
「てめぇ、いったい何を……!?」
「何だろうなァ? 当ててみろよ」
ゲス野郎はニヤニヤと笑い、長剣を器用に片腕で弄ぶ。
隅っこで震えてたガキが、「今だ」とばかりに逃げ出す。
「おい、誰が逃げていいっつった」
「ぎゃっ!?」
ガキの首根っこを掴み、オットーはためらいなく剣を振りかぶった。
血飛沫が壁に散り、まだ小さな頭がオレたちの足元に転がる。
その瞬間、神父様の苦悶が更に大きくなった。
「あぁあぁあぁあっ」
「し、神父様……?」
「ハハ……どうだ? 頭をぶっ壊される気分はよォ……! 良かったなァ小僧! ゴミでも最期は役に立ったぜ!!」
はぁ、はぁ、と荒い息を吐き、神父様は刺客を睨みつける。
「……こ、の……外道が……ッ!」
真っ赤な瞳は、激しい怒りに染まっている。
「この剣は俺愛用の剣でなァ、クズの血を吸えば吸うほど、クズ達の怨みや憎しみが根付く。……お前の頭を食い潰そうとしてるのは、そういうドス黒い思念さ」
即座に骨の刃を構え、ゲス野郎の目玉に突きつけた。ずいぶんと余裕をぶっこいてるが、今なら殺れる。
どうやら毒じゃなく術っぽいし、こいつさえ殺せば……!
「……残念。俺を殺しても、なんなら傷つけても呪詛は強まるぜ。……俺の分が加わるからなァ」
「な……っ!?」
「今でさえこの苦しみようだ。下手すりゃ廃人になるかもな……?」
クソ……っ、誘い込まれた時から薄々思っていたが、このゲス野郎……ずる賢いにも程がある。
でも、どうすりゃいいんだよ。呪いなんて目に見えねぇし、傷つけるだけで神父様が危なくなるって……ああ、くそ、下手に動けねぇ。
「そう焦んなよ。すぐには殺さねぇさ。じっくり楽しんでから、嬲り殺してやる……!」
「が……ッ!?」
長剣で神父様の胸を貫き、ゲス野郎は舌なめずりをする。
「野郎……!!」
せめて神父様から引き剥がそうと、敵の肩に手をかけた途端……顔面に、生温い感触が伝った。
「…………おいおい……そう、来るのかよ……」
呆然と呟き、血を吐いたのは、オットーの方だった。首が変な方向に折れ曲がり、ミシミシと音を立てる。肉と骨を引き裂く音は止まらず、地面に、今度は大人の……黒髪の頭部が転がった。
神父様は血に染まった指を舐め……うっとりと「嗤う」。
そこで、気付いた。
あの野郎、本当に神父様を壊しちまったんだって。
「……っ、ぁ……、────ッ!」
神父様は自分の胴体から、長剣を造作もなく引き抜き、敵の、首をなくした胴体に突き立てた。その喉は、人の言葉を紡がない。雄叫びのようでいて、泣き叫んでいるようでいて、悦んでいるようでいて……
綺麗な指が血に染まる。真っ赤な瞳が爛々と輝く。何度も、何度も、原型が無くなるまで、神父様は屍を切り刻んだ。
最後に、赤い瞳がちぎれた頭部を捉える。ゲス野郎は鳶色の目を見開き、とうに事切れていた。
おもむろに手を伸ばし、神父様は、その頭を虫のように潰す。
「────ッ、────!!」
そして、人間の言葉を忘れてしまったかのように「吼えた」。
「……神父様」
声をかけると、神父様は返り血に塗れたまま、くるりと振り返る。
まだ剣を握っているが、構わず抱き締めた。
神父様になら、殺されたっていい。……そばにいるって、伝えなきゃ。
「……ヴィ、ル……」
だらりと垂れ下がった腕から剣が落ちる。
震える手が、オレの背中に回る。
「……身体洗って……宿、探しましょ。話は、その後っす」
「……ああ……」
ぼんやりとした声で……それでも人の言葉で、神父様は呟く。
「……あたたかい……」
そのまま神父様は、オレの腕の中で意識を失った。
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