【完結済】敗者の街 ― Requiem to the past ―

譚月遊生季

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第2章 Create for Blood

37.「さまよう軍人 Roland」

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 彼は優しき御仁にござる。その双眸に宿すものが果てしなき深淵なれど……ん、わかった……日本語、やめる……。
 ……ちゃんと喋るのは、苦手、だけど……んと……ローランドは、優しい。それは確か、だけど……我慢、しすぎた。だから……なくした。
 なくしたもの、探して、さまよってる……のかな。ローランド。

 ほんとうの自分を、探してるのかも。



 ***



 一泊した医院を出て、アドルフの元に向かう。彼のところにいろんな調書があることは間違いない。それの真偽がどうであれ、きっと、街に関係あることばかりのはずだ。
 キースはアドルフと顔を合わせたくないらしいが、まあ、背に腹は変えられない。

 ……正直なところ、僕も心細い。さっき、送られてきたメールを見ていたのもあるけど……気持ちがどこか不安定だ。       
 こんな時、ロー兄さんがいてくれたら……

 そう、思ってしまったから、

「ロブ、呼んだ?」

 心の準備もなく、呼んでしまった。

「……あ、いや、今は、特に……」
「どうしたのロブ?体調でも悪いの?」
「……兄さん、その……」

 とにかく、謝らなければいけない気がした。

「ごめんね、本当に。甘え過ぎてたんだと思う。……ごめん……」

 きょとん、と、兄さんの目が丸くなる。
 何を言われているのかわかっていないのか、それとも、

「ロブ?なんで突然……」
「……っ、だって、死んでなお、僕達に縛られること……ないのに……」

 その瞬間、僕の首に兄さんの手が伸びた。
 喉元を掴んだその表情は、怒りでも、悲しみでもなく、
 ただひたすら何かに怯えていた。

「黙れよ……黙れ……」
「ご、ごめんね、兄さん……!」
「ちが、ロブ、俺は……俺は、お前のことを憎んでなんか……!だってお前も……大変、で……!」

 その表情を、見たのは何年ぶりだろう。
 笑顔でなく、人間らしく怯え、苦しむ表情を……僕は、直視してきただろうか。

「…………平気だと思ったのか?」

 その声は、聞いたことがないほど、感情がなかった。
 ドロドロと影が差すように濁る瞳。消えていく表情。

「兄、さん……」
「私が平気だと思ったのか?てめぇらとんだお花畑な頭してんだな!ううん、思ってなかったよね?流石に気づいてましたよねぇ!!」

 コロコロと変わる口調。変わる表情。それでも、共通しているのは、
「悪意」があふれ出していること。

「兄さん!!落ち着いて!!」
「俺は……ッ、あの時……死にたかった……!!なんでみんなして……必要としたんだよ……」

 悲痛な声と共に、涙が落ちる。赤い涙がダラダラと頬を伝う。
 口の端からも赤黒い血があふれて、顎を伝って地面を汚す。ぼたりぼたりと、赤黒い跡を残していく。

「なんで今更……ッ」

 その悲鳴に、その顔に、覚えがあった。

 ──あんたが死ねばよかったんだ……!

 母さんにそう告げられて、兄さんは、俯いてただ一言「ごめんなさい」と呟いた。

 ──実の息子によくそんなことが言えるわね!!

 ローザ姉さんは激昴して母さんを責めた。その横で、ロナルド兄さんが息を飲んだのを覚えている。「馬鹿め」と、小さく毒づいたような気もする。

 ──違う。そいつは、そいつは私の子じゃないッ!あの汚らわしい男の血を引いた、別のなにかだ!!恥知らずのアンダーソンの子だ!!私の腹に宿ったのは何かの間違い……前から好きだったなんて知るものか……私は不貞なんかしてない……あの男が勝手に私を汚したんだ!!
 ──ナタリー、黙りなさい。人前でそんな話をするんじゃない。
 ──あ、あなた、あなたのくだらない見栄のために、私がどれだけ苦しんだか……ッ
 ──黙れと言っているのがわからないのか!!わざわざ恥を晒すな!!

 追い詰められた母さんの叫びが、父さんの怒号が、兄さんを壊した。立ち尽くしたまま見開いた瞳から涙すら落とさず、なにかが崩れた音が確かに聞こえた。

 ──なんで

「なんで今更なんだよ……」

 その日から、兄さんはよく笑うようになった。
 常に笑顔で、滅多なことでは怒らなくて……そして、いつも僕達のことを思いやってくれた。

 その時からきっと、もう壊れていた。

「痛い痛い痛い痛い痛い痛い……ッ」

 腹を抑えて、

「殺して……こ、ころして、殺してくれよぉおおお……」

 もがくように喚く。

「殺して……殺せ……殺せよぉおお……ッ」

 初めて、兄さんから、

「それすら……してくれない……!お、お前らが……お前らが……憎い……殺してやりたい……ッ」

 殺意を向けられた。

 ああ、きっと僕は、この日を待っていたんだ。
 心が痛い。それでも……それでも、一番つらいのは、兄さんだ。
 キースがなにか言おうとする。ダメだ。これは僕の問題だ。僕が、言わなきゃいけない。

「ごめんね、兄さん。……ありがとう」

 血にまみれた身体を抱きしめた。僕より少し大きくて、ちゃんと鍛えてる体。

「…………ロブ、俺……最期に、呪っちゃったんだ」
「うん」
「馬鹿だよなぁ……自分で選んだくせに……俺……今死んだら逃げれるし……みんな、苦しむってさぁ……」
「……うん……」
「……でも、お、れは……ずっと……わ、わらって……笑って、い、いた……かった……」

 がくりと、兄さんが膝をつく。それに合わせて、僕も座り込んだ。必死に体を支え、倒れないようにする。
 ……重い。重いけど、離したくない。

「……ありがとう、兄さん。もう……いいんだよ……」
「……本当に?」

 子供のような声で、兄さんはそう聞いた。……僕に、僕なんかに、許しを求めた。

「うん、だから……今度は僕が、兄さんを助けたい」

 精一杯、笑えただろうか。
 泣き笑いで、不格好な気がする。

「……助けて……助けて、ロブ……」

 弱々しい声で、初めて兄さんは僕に縋った。
 さまよい続けて擦り切れたような、か細い声。

「……うん、絶対助けるから……だから、今は……眠って……」

 苦しい。胸が苦しい。けど、兄さんはこんなものじゃなかった。
 兄さんは、こんな苦痛の中で、ずっとさまよってきたんだ。
 僕の腕の中でゆっくりとまぶたを閉じると、透明な涙が、赤い雫に続いてハラハラと落ちた。

「……ローランドくんには、大きく分けて4つの人格がある」

 兄さんの背後から、足音がする。

「こうありたいと願った幻想、本来の姿、そして……不安定なまま、本体から裂けてしまった悪意」

 片脚を引きずるような、足音。

「もう一つは……たぶん、僕は見たことがない」

 ゆっくりと、霧のように溶け、静かに消えていくロー兄さんの姿。
 それを見つめながら、カミーユは大きくため息をついた。
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