【完結済】敗者の街 ― Requiem to the past ―

譚月遊生季

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第2章 Create for Blood

38.「さまよう軍人 Ro-」

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「……悪意は、死ぬ間際に分かたれたものが独立してしまったから……彼にもコントロールできないし、確固とした人格にもなれない。……どれだけお人好しなのか、よくわかるよね」
「……違うよ、カミーユ。……抗ってるから、ちゃんとした人格にならないんだよ」

 当然、兄さんにだって悪意はある。独立した人格になれるほどの恨みつらみだって溜まってるはずだ。……独立するには足りないなんてこと、絶対にない。

「そう……。よく利用されはするけど、確かに……そこまで大きな悪さはしない気もする」

 複雑そうに目を伏せて、カミーユは僕に手を差し出した。

「次、どこに行くつもり?」

 躊躇なく握って立ち上がりながら、投げかけられた問いに答える。

「警察署だよ。アドルフに会いに行く」
「ああ……あの人ね。なら僕もついてく」
「……それは助かるけど……いいの?」
「画集、回収しに行きたいから。あいつ絶対興味ないし」

 毒づきながら、僕が立ち上がった途端ぱっと手を離す。
 以前の僕なら、ムッとしていたかもしれない。

「……。……もしかして潔癖症?」
「いや……あんまり長く触れてると僕のアイデンティティを揺らがせるほど君の感情へのシンパシーが」
「ごめん全然わかんない」
「あー……まあとにかく、人に触るの苦手なんだよね」
「そっか……君も大変だね」

 優しいけど、ちょっと(どころじゃなく)変で、性的に倒錯している……方が、生きやすいこともあるのかもしれない。
 ……いや、死人なんだっけ?この人?よく分からないから置いておこう。

「死体だけど生きてるんだよ。生、およびに芸術への執着と慢性的な他者からの殺害を懸想し快楽に耽ることで錯綜した精神が、世界の理を覆したとも言えるかも」

 だから表情から読まないでほしい。というか、何言ってるのか本当にわからない。

「……殺されたかったけど生きたかった……?」

 キース、それは流石に矛盾してる。

「違うかな。殺されるという事象に憧憬と悦楽を覚えるけど、生存しなければ得られない俗世の歓びをまだ味わいたかったんだよ」

 …………。やっぱり、わからない……。

「……まあ、そこら辺は僕のプライバシーに関わるから置いておいて……ブライアンには会ったの?」

 プライバシーの問題なの?いや、まあ確かに特殊性癖はプライバシーかな。プライバシーなら仕方ない……のかな。とりあえず忘れよう。うん、それがいい。

「……いい子だよね、ブライアン。僕と同じで弟なのに、全然違う」
「同じじゃないから。人間各々あらゆることが違うからね?あとブライアンの場合は特に天使だし」
「ええー……」

 いや、勇気づけてくれてるのかな、これは。天使発言はスルーするけど。

「別に、君が特別悪い弟ってわけでもないでしょ。……ローランドくんはブライアンのこと嫌いみたいだし」

 ……やっぱり勇気づけてくれてたんだ。
 待って?サラッと意外すぎること聞いたような!?

「えっ、ロー兄さん、ブライアンのこと嫌いなの!?」
「見てたらイライラするんだって。黒人格くんに至ってはよく殴ってるの見かけるから止めてるし」

 そんな兄の姿は知らなかった……。というか、黒人格ってロー兄さんの悪意のこと……?

「……そ、それはご迷惑を……」
「それで灰人格くんが知ったら壮絶に自責して、無自覚に影響受けた白人格くんの自己犠牲がすごいことになる。具体的に言うと轢かれそうな子供助けるために轢かれたり……。あ、確かレヴィくんの目の前でそれ起こして胴体千切れたから、死人だと知らないレヴィくんが目を隠したまま「いいか!!とにかく身体を見るな!!」って叫んでたんだっけ」
「あ、それで知り合いだったんだね……!?」

 ロー兄さん、その地獄絵図を接触って表現してたんだ……。それは……確かにレヴィくんも同情するだろうなぁ……。
 ふと、カミーユは立ち止まり、携帯を取り出した。……「ある罪人の記憶」と画面に映ったのが見える。

「……君たちの事情……まだ僕にも見えてないところがあるんだけど……ロジャーさんは亡くなってるの?」

 何度も落としたのかひび割れが目立つ画面を見つめ、眉をひそめて聞いてくる。

「…………階段からの転落死、だったはず。……葬儀のことは、全然覚えてない」

 確か、その時の僕は……10歳だったか、11歳だったか……。

「……なら、大家さんは……誰……?」

 画面を見たまま、独り言のように告げる。

「え?」
「学生時代に住んでたアパルトマンで会ったことあるんだよね。レヴィくんとも知り合いだったはず」

 記憶を辿るように、カミーユは空を見上げる。そう言えば、レヴィくんもロジャー兄さんの名前を出してた。……確かに、おかしい。

「……でも、ロー兄さんの件もあるし。……君だって、ほら……」
「…………まだ分からないかな。アイツにやられたのかもだけど……ロジャーさんに関しては記憶が本当にダメになってる」

 アイツ……きっと、ロナルド兄さんのことだろう。
 雨の音が響く。けれど、あえて「それより前」に思いを馳せた。

 ──黙りなさい!貴方達みたいな愚か者にはわからないわ……!ロジャーが、ローランドがどれだけ苦しんだか……!

 ローザ姉さんは、その後、いつからかぱったりと姿を消した。
 確か母さんが、あの小娘は死んだと言った。それと同時期に、ドーラ・アンダーソン……つまり、ローザ姉さん、ロッド兄さん……ロナルド兄さんの母親の死体が見つかって騒然となった。
 僕は……ただただ理解が追いつかなかった。だから、この時期の記憶が混乱したんだと思う。

 ──ロジャーが死ぬはずがない

 その言葉を、何度も聞いたのは覚えている。

 ──ロジャーが死ぬはずがない。彼は僕より優れていなくてはいけない。何があっても、僕を圧倒していく存在だ。

 そうでなければ、

 ──そうだろう?ロバート。君の兄は立派な存在だ。誰より優秀で、誰より憧れの的で、何事もそつなくこなす……だから、階段から落ちた程度で……

 あの人も、なにかを保てなかったのかもしれない。
 まだ、記憶の中で顔がない、あの人……。

「……そこまで」
「え?」
「下手に思い出さない方がいいよ。……少年への洗脳はアイツの得意分野だから……既に罠があったら困る」

 険しい表情で、彼は、僕の足元の影を見つめていた。
 ……背筋に悪寒が走る。

「……アイツの顔面……普段は、君やローランドくんとどこか似てるのを覚えてるんだけどね……」



 ***



「……ロジャーから、何を奪いたいの」

 椅子に腰掛け、黒髪の女は兄を見つめていた。

「もちろん、すべてに決まっているじゃないか。……顔も、名前も、立場も……」
「理解できないわ。どうしてそこまで執着するの?」
「あの男が、私の期待を裏切ったからだよ」

 彼の羨望はやがて理想となり、理想はやがて劣等感になり、劣等感はやがて……憎悪になった。

「……ローランド、そこにいるんだろう?また、くれないかい?」

 その言葉を聞いて、呼ばれた「俺」は髪を上げる。ロジャー兄さんと同じ髪型で似たような顔。目の前の男は今、兄さんと同じ顔……正確には、兄さんが正しく老けたような顔をしている。……本当の顔は、確か自分で焼いたんだったっけ。

「ロジャーになってくれ、だと?笑わせるな。私こそがロジャーだ。……勝手に殺さないでくれたまえよ」

 兄さん、俺は……ちゃんと、兄さんらしく振る舞えているかな?
 兄さんの姿を守れているかな?

「どうした、ローザ。不服な顔をして。また、過去の私と別人だとでものたまうのかね?」
「いいえ。流石そこの下衆野郎とは違うわ。ローランドが真似するロジャーは、いつでも完璧よ。……まるで、まだ生きてるみたいにね」

 ローランド・ハリスの4人目の人格は、在りし日の兄の姿だ。
 ……彼は、「私」の姿を記憶に留めるために、「私」を作り出した。
 頼りにしていたからでもあり、ローザの悲しみを癒したかったのもあるだろう。

 だが、

「ロジャー……ああ、会いたかったよ。まだ生きているんだね。流石はしぶとい君らしい」

「私」を奴が憎む限り、「私」は奴に殺される。

「ふん、ただで殺されてやるものか。ローがかつて君を殺したのを忘れたかね?ロン。……レヴィやカミーユにまで手を出すなんて、愚かなことをしたものだ」

 Rolandという名は、レックス・アンダーソンが友人の息子の名付け親になったものだ。……本来は実の息子であることを、隠しきれなかったのだろう。
 先に産まれていた「Ronald」とのアナグラムにし、呪いを刻んだ。
 ローランドは、産まれた時から呪われていたというわけだ。

「まさか、あのお人好しが人を殺せるとは思っていなかったからね……。……ローランドほど優しい人間に人を殺させたことに、罪悪感はないのかい?」

 この男は、自分の欲望のためなら、他者を犠牲にすることを、利用することを、厭わない。
 ……そんな人間だからこそ、

「ロジャー……君は、私より優れていなければならなかった。何度でも殺してあげよう、その存在すら消し炭になるまで穢してあげよう。……昔から見下していた存在に踏みにじられて、さぞ屈辱だろうね……!」

「私」に歪んだ羨望を抱いた。
 ロナルド・アンダーソンでなく、ロジャー・ハリスになりたがった。その挙句、過去には「ロジャー・ハリス」の死体を「ロナルド・アンダーソン」に偽装しようとまで考えた。……実際、替え玉になったのは墓から暴かれた死体だったが。

「……こっちまでおかしくなりそうだわ」

 ローザがボソリと呟く。

「私はね、ロジャーの名前で事業を展開した覚えはないわ。……もっとも、これが私への罰ってことだろうけど」

 死んだ夫、自殺した弟、殺された兄……その喜劇を見せつけられることが、彼女への罰なのだろう。

「私は後悔していないわ……。母を殺し、弟を見捨て、強引な手腕すら使ってそれでも成り上がったのだもの……。後悔するほうが罪悪よ……!」

 ……嗚呼、ローザ。本当に君の顔は、かつてのロンによく似てきたね。……残酷なことだ。
 だから、「私」は昔のように君を愛することができないのだよ。
 ロジャーが愛したローザと、他ならぬ君自身がかけ離れてしまっているのだから。
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