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【最終章―3】空位の玉座(働かせる封印)
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「東の魔女よ」
ヴァルターが東の魔女の本体を見上げる。
「君の目的は理解している。世界から無駄を削り、すべてを効率化すること」
「そうだ」
東の魔女が答える。
「混沌は苦しみを生む。揺らぎは不安を生む。ならば、すべてを統一し、すべてを管理すればよい」
「でも、それじゃあ人間じゃなくなってしまう」
イヴリンが鈴を握りしめる。
「人間は不完全だからこそ美しいのよ」
「美しさなど不要だ」
東の魔女が手を振ると、周辺の空間に完璧な格子模様が現れた。すべてが直線と直角で構成された、機械的な空間。
「これこそが理想の世界。すべてが予測可能で、すべてが管理可能」
でも、その時だった。
「待って」
立花が前に出る。
「あなたに提案があります」
「提案?」
「あなたを破壊するのではなく、雇いたいんです」
東の魔女が困惑する。
「雇う......だと?」
「はい」
立花がタブレットで、浜松市の地図を表示する。
「『空位の玉座』の管理人として」
地図には、市内の様々な場所に椅子のマークが表示されている。商店街、学校、公民館、図書館......
「これらは全て、『誰も座ってはいけない椅子』です」
「何の意味がある」
「完璧を阻止する装置です」
ヴァルターが説明を続ける。
「商店街では毎時55分に、BGMを誰かの選曲でランダムに差し替える」
「学校ではチャイムのテンポを毎日微妙に揺らす」
「行政では信号制御に微小なノイズを許容する」
イヴリンが微笑みながら付け加える。
「そして、あなたの仕事は、これらの『不完全』を守ることです」
『つまり』
時風タロウが理の縄を振り回す。
『完璧を求めるお前の本能を、完璧に不完全を維持する仕事に向けるのじゃ』
「矛盾している......」
東の魔女が混乱する。
「私は完璧を求める存在。それなのに不完全を守れというのか」
「そうです」
時の魔女の風が優しく吹く。
『それが、あなたにとって最も困難で、最もやりがいのある仕事よ』
「困難......?」
「完璧主義者にとって、不完全を維持することほど難しいことはない」
立花が真剣に言う。
「でも、それこそがあなたの新しい存在意義です」
ヴァルターが右手の刻印に触れる。
「そして、この封印には時限がない」
東の魔女が振り返る。
「時限がない?」
「任期は『未定』です。いつまで続けるかは、あなた次第」
イヴリンがエコー・オブ・クラリティを鳴らす。
「でも、仕事を放棄したら、街が完璧になってしまう。それはあなたにとって屈辱でしょう?」
東の魔女の結晶の身体が微かに震える。
「つまり......私は永遠に、完璧を阻止し続けなければならないのか?」
「そういうことになりますね」
立花がにっこりと笑う。
「世界で最も皮肉な仕事です」
『決着をつけようぞ』
時風タロウが理の縄で大きな輪を作る。
『封印術式、開始じゃ』
ヴァルターが右手の刻印を空中に向ける。すると、そこに半透明の義手が現れた。それは光でできた「時義手・真打」------時片と楔片を素材として作られた、影の義手だ。
「これで『影座』をつかむ」
義手が東の魔女の後ろにある、見えない玉座の輪郭を掴む。
同時に、イヴリンが名前の連呼を始める。
「東の魔女、効率化の権化、秩序の体現者、管理の化身......」
座りたがる衝動を名前で縫い合わせ、玉座への執着を固定化していく。
「そして立花さん」
「はい」
立花がタブレットから、膨大なデータを魔術式に流し込む。
「空席の履歴......この百年間、誰も座らなかった椅子のデータベースです」
データが光となって東の魔女を包み込む。
「空席だった歴史を、未来へ延長する......」
魔術式が完成すると、東の魔女の周りに無数の空っぽの椅子が現れた。どの椅子にも「立入禁止」の札が貼られている。
「これが......私の新しい職場?」
「そうです」
ヴァルターが時義手を使って、正式な辞令書を手渡す。
『浜松市特別行政区 空位の玉座管理人 東野完子(とうの かんこ)殿 任期:未定 職務:完璧の阻止』
「東野完子......?」
「あなたの新しい名前です」
イヴリンが微笑む。
「『東の野に完璧な子』......でも、その子の仕事は完璧を阻止すること」
東の魔女......いや、東野完子が辞令書を見つめる。
「矛盾している......」
「矛盾してるから面白いんです」
立花がタブレットで勤務マニュアルを表示する。
「月曜日は商店街のBGM管理、火曜日は学校のチャイム調整、水曜日は信号機のノイズ監視......」
「なんとも忙しそうじゃな」
タロウがくすくす笑う。
結晶の身体が少しずつ人間らしい姿に変化していく東野完子は、困惑しながらも、どこか興味深そうに辞令書を眺めていた。
「これほど困難な任務は......初めてだ」
『困難でしょうね』
時の魔女の風が優しく包む。
『でも、きっとやりがいがあるわ』
「やりがい......」
完子が呟く。その声に、初めて感情らしきものが混じっていた。
【最終章―4】時義手の真価(0.7秒の遅延)
封印が完成すると、ヴァルターの右腕に変化が起こった。
「これは......」
光でできた義手が、より具体的な形を取り始める。でも、完全に元通りになるわけではない。
影のような、半透明の義手。
光が当たると濃く見え、暗がりでは薄くなる。
「完全再生ではなく『影の義手』」
ヴァルターが新しい右手を見つめる。
機能も独特だった。
〈拍同期握り〉------相手の心拍に合わせて握力を調整。
〈視差触〉------見た目と触覚に微妙なズレを作り、錯覚を誘発。
〈短秒巻き戻し〉------三秒以内の動作を一度だけやり直し。
でも、最も重要なのは------
「常に0.7秒の遅延がある」
『それが封印維持の条件じゃ』
タロウが説明する。
『完全同調すると、東野完子の封印が緩む。だから意図的に不完全を選ぶのじゃ』
「つまり、僕も『不完全』を受け入れるってことか」
ヴァルターが苦笑いする。
でも、その代償も受け入れていた。
強力な技を使うたびに、白髪が一本ずつ増える。以前は一度に増えていたが、今度は季節ごとに一本ずつ。
「永遠に『少しずつ』生きる方を選んだってことね」
イヴリンが兄の髪を見つめる。確かに、白髪が数本混じっているが、それもまた一つの美しさだった。
「ヴァルターさん」
立花が感動の表情で言う。
「あなたの決断が、この街の未来を決めたんですね」
その時、川面から龍神が顔を出した。
「みんな、ありがとう」
龍神の鱗には、確かに人々の名前の画数が刻まれている。不揃いだが、美しい模様。
「約束通り、毎週水曜日の夕方に川霧を吐こう」
「川霧の花火ですね」
イヴリンが楽しそうに言う。
「治水の合図でもあり、街のみんなへの挨拶でもある」
『よし、これで一段落じゃな』
タロウが満足そうに尻尾を振る。
新たに雇われた東野完子は、既に最初の職務に取りかかっていた。
商店街の無人椅子の前で、座ろうとする来訪者に「申し訳ございません、この椅子は空席管理のため使用禁止です」と丁寧に案内している。
「なんだかシュールな光景ね」
イヴリンが商店街の様子を見て微笑む。
「でも、確実に『完璧』が阻止されてる」
【最終章―5】ゆらぎ祭の創設(永久未満の勝利)
一か月後。浜松市で「第一回ゆらぎ祭」が開催された。
「うわあ、すごい人出ですね」
立花が感嘆の声を上げる。
商店街には、色とりどりの風鈴がぶら下がり、その音が不揃いなリズムを奏でている。
「一時間に一度だけ、すべての時計が合わない」
ヴァルターが時義手で公園の時計を確認する。確かに、どの時計も微妙に異なる時刻を示している。
「でも、それが面白いのよね」
イヴリンが子ども合唱隊の指揮をしている。子どもたちは不揃いなテンポで、お互いの名前を呼び合っている。
「田中くーん」「はーい」
「佐藤ちゃーん」「はいはいー」
完璧な合唱ではないが、だからこそ温かみがある。
『我の出番じゃな』
タロウが小学校の名札点呼式で名誉隊長を務めている。鋭い嗅覚で「忘れかけた名前」を感知し、その子の鼻先をそっと押して記憶を呼び戻している。
「タロウ隊長、ありがとうございます」
小学生たちがぺたぺたとタロウを撫でまわす。
『くすぐったいぞ』
でも、嬉しそうに尻尾を振っている。
立花は「揺らぎ研究所」の展示ブースで、来場者に説明をしていた。
「日替わりノイズ計画について、ご質問はありませんか?」
「毎日、微妙に信号の間隔が変わるんですよね?」
「そうです。でも、その変化が事故を減らすんです。完璧すぎる規則性は、かえって油断を生みますから」
科学的なアプローチで、ゆらぎの重要性を市民に説明している。
そして、祭りの目玉は龍神の「川霧の花火」だった。
夕方五時ちょうど。天竜川から立ち上がった霧が、まるで花火のように美しい形を作る。
「きれいー」
子どもたちが歓声を上げる。
龍神の鱗に刻まれた人々の名前が、霧の中にうっすらと浮かび上がって見える。
「完璧ではない、でも美しい」
ヴァルターが時義手で空を指す。0.7秒の遅延があるが、それもまた味わい深い。
『時の魔女も喜んでおるぞ』
タロウが風鈴の音に耳を傾ける。
確かに、風鈴越しに時の魔女の声がかすかに聞こえる。
『みんな......ありがとう......』
『完全に戻らないことを選んで......正解だったわね......』
風の魔女として、街を見守り続けることを選んだ時の魔女。
その選択もまた、「不完全」への愛だった。
* * *
祭りの終盤、東野完子が資料館の無人椅子の前で仕事をしている姿が話題になった。
「申し訳ございません」
来館者が座ろうとすると、完子がそっと椅子を引く。
「この椅子は空位管理のため......」
「空位管理?」
「はい。完璧な空席状態を維持するのが私の職務です」
来館者は最初困惑するが、やがて面白がって写真を撮り始める。
「浜松の新しい名物だね」
「『座れない椅子の管理人』って、なんかアーティスティック」
完子は真面目に職務を遂行しているが、結果的に街の新しい観光名所になってしまった。
これもまた、予期しない「ゆらぎ」である。
* * *
祭りが終わると、四人と一匹は静かな夜の天竜川で語り合った。
「結局、僕たちは何を成し遂げたんだろう」
ヴァルターが川面を見つめる。
「龍神は守り神になったし、東の魔女も働き者になった。でも......」
「でも?」
「完全勝利じゃない。どこか中途半端で、どこか不完全」
イヴリンが微笑む。
「それでいいのよ、お兄様」
「完全勝利なんて、東の魔女の発想じゃない」
立花が頷く。
「僕たちは『永久未満の勝利』を選んだんです」
『永久未満......面白い言葉じゃな』
タロウが理の縄で水切りをしながら言う。
『完璧に勝つのではなく、ほどほどに勝つ』
『永遠に戦うのではなく、ときどき戦う』
時の魔女の風が頬を撫でていく。
『それが......この街の新しい魔法よ』
ヴァルターが時義手を見つめる。
「0.7秒の遅延か......」
「でも、その遅れがあるから、相手のことを考えられる」
イヴリンが兄の手に触れる。
「急がなくてもいい、完璧じゃなくてもいい。大切な人と一緒に、ゆっくり歩けばいい」
四人と一匹は、星空の下を歩いて帰った。
明日からも、この街の「ゆらぎ」を守る日々が続く。
完璧ではないけれど、美しい毎日。
東の魔女は空席の管理に追われ、龍神は週一回の川霧で水循環を支え、時の魔女は風となって街を見守る。
そして、四人と一匹は小さな時計修理店を営みながら、必要な時だけ「非常招集」に応じる。
エピローグ:遠い日の記憶
一年後------大雨の日。
龍神が三度だけ息を吐くと、川霧が雨雲を調整した。予想された大洪水は、小規模な増水に留まる。
「龍神様、ありがとうございました」
住民たちが川岸でお礼を言うと、龍神は照れたように水中に潜っていく。
十年後------時計修理店にて。
「また風鈴が増えましたね」
お客さんが苦笑いする。
確かに、店内には大小様々な風鈴がぶら下がっている。梅雨の時期だけ、歩くのも大変なほどだ。
「時の魔女が調子に乗って......」
ヴァルターが時義手で風鈴を整理する。0.7秒の遅延があるが、もう慣れた。
「でも、きれいな音でしょう?」
イヴリンが微笑む。彼女は「名を二度と忘れない」代償を背負っているが、それを苦に思ったことはない。
街の人々すべての名前を覚えている彼女は、みんなから愛されている。
百年後------資料館にて。
「完子さん、まだお仕事ですか?」
来館者が声をかける。
東野完子はまだ空席のマニュアル改訂に追われていた。
「はい。『完璧な空席』を維持するのは、想像以上に困難で......」
彼女の仕事は、自ら均質化しないよう、愚直に不揃いを点検する皮肉な内容だった。
でも、その矛盾こそが彼女の存在意義であり、街の平和の礎でもあった。
ずっと先の、ある夏の夕立の日------
雨上がりの街に、懐かしい香りが漂った。
時の魔女が、一瞬だけ濃い存在感を放つ。
『また会えたわね......』
風鈴が特別に美しい音を立て、川霧が虹色に輝く。
時計修理店の壁には、ヴァルターの右腕の影の型が額装されている。
それは今でも静かに二拍を刻んでいる。
来客には聞こえないが、確実にそこにある。
未決は、今日も静かに続いていく。
完全でないことを守る------それが、この街の新しい魔法だ。
右袖の影が二拍を刻んだ。
ヴァルターが東の魔女の本体を見上げる。
「君の目的は理解している。世界から無駄を削り、すべてを効率化すること」
「そうだ」
東の魔女が答える。
「混沌は苦しみを生む。揺らぎは不安を生む。ならば、すべてを統一し、すべてを管理すればよい」
「でも、それじゃあ人間じゃなくなってしまう」
イヴリンが鈴を握りしめる。
「人間は不完全だからこそ美しいのよ」
「美しさなど不要だ」
東の魔女が手を振ると、周辺の空間に完璧な格子模様が現れた。すべてが直線と直角で構成された、機械的な空間。
「これこそが理想の世界。すべてが予測可能で、すべてが管理可能」
でも、その時だった。
「待って」
立花が前に出る。
「あなたに提案があります」
「提案?」
「あなたを破壊するのではなく、雇いたいんです」
東の魔女が困惑する。
「雇う......だと?」
「はい」
立花がタブレットで、浜松市の地図を表示する。
「『空位の玉座』の管理人として」
地図には、市内の様々な場所に椅子のマークが表示されている。商店街、学校、公民館、図書館......
「これらは全て、『誰も座ってはいけない椅子』です」
「何の意味がある」
「完璧を阻止する装置です」
ヴァルターが説明を続ける。
「商店街では毎時55分に、BGMを誰かの選曲でランダムに差し替える」
「学校ではチャイムのテンポを毎日微妙に揺らす」
「行政では信号制御に微小なノイズを許容する」
イヴリンが微笑みながら付け加える。
「そして、あなたの仕事は、これらの『不完全』を守ることです」
『つまり』
時風タロウが理の縄を振り回す。
『完璧を求めるお前の本能を、完璧に不完全を維持する仕事に向けるのじゃ』
「矛盾している......」
東の魔女が混乱する。
「私は完璧を求める存在。それなのに不完全を守れというのか」
「そうです」
時の魔女の風が優しく吹く。
『それが、あなたにとって最も困難で、最もやりがいのある仕事よ』
「困難......?」
「完璧主義者にとって、不完全を維持することほど難しいことはない」
立花が真剣に言う。
「でも、それこそがあなたの新しい存在意義です」
ヴァルターが右手の刻印に触れる。
「そして、この封印には時限がない」
東の魔女が振り返る。
「時限がない?」
「任期は『未定』です。いつまで続けるかは、あなた次第」
イヴリンがエコー・オブ・クラリティを鳴らす。
「でも、仕事を放棄したら、街が完璧になってしまう。それはあなたにとって屈辱でしょう?」
東の魔女の結晶の身体が微かに震える。
「つまり......私は永遠に、完璧を阻止し続けなければならないのか?」
「そういうことになりますね」
立花がにっこりと笑う。
「世界で最も皮肉な仕事です」
『決着をつけようぞ』
時風タロウが理の縄で大きな輪を作る。
『封印術式、開始じゃ』
ヴァルターが右手の刻印を空中に向ける。すると、そこに半透明の義手が現れた。それは光でできた「時義手・真打」------時片と楔片を素材として作られた、影の義手だ。
「これで『影座』をつかむ」
義手が東の魔女の後ろにある、見えない玉座の輪郭を掴む。
同時に、イヴリンが名前の連呼を始める。
「東の魔女、効率化の権化、秩序の体現者、管理の化身......」
座りたがる衝動を名前で縫い合わせ、玉座への執着を固定化していく。
「そして立花さん」
「はい」
立花がタブレットから、膨大なデータを魔術式に流し込む。
「空席の履歴......この百年間、誰も座らなかった椅子のデータベースです」
データが光となって東の魔女を包み込む。
「空席だった歴史を、未来へ延長する......」
魔術式が完成すると、東の魔女の周りに無数の空っぽの椅子が現れた。どの椅子にも「立入禁止」の札が貼られている。
「これが......私の新しい職場?」
「そうです」
ヴァルターが時義手を使って、正式な辞令書を手渡す。
『浜松市特別行政区 空位の玉座管理人 東野完子(とうの かんこ)殿 任期:未定 職務:完璧の阻止』
「東野完子......?」
「あなたの新しい名前です」
イヴリンが微笑む。
「『東の野に完璧な子』......でも、その子の仕事は完璧を阻止すること」
東の魔女......いや、東野完子が辞令書を見つめる。
「矛盾している......」
「矛盾してるから面白いんです」
立花がタブレットで勤務マニュアルを表示する。
「月曜日は商店街のBGM管理、火曜日は学校のチャイム調整、水曜日は信号機のノイズ監視......」
「なんとも忙しそうじゃな」
タロウがくすくす笑う。
結晶の身体が少しずつ人間らしい姿に変化していく東野完子は、困惑しながらも、どこか興味深そうに辞令書を眺めていた。
「これほど困難な任務は......初めてだ」
『困難でしょうね』
時の魔女の風が優しく包む。
『でも、きっとやりがいがあるわ』
「やりがい......」
完子が呟く。その声に、初めて感情らしきものが混じっていた。
【最終章―4】時義手の真価(0.7秒の遅延)
封印が完成すると、ヴァルターの右腕に変化が起こった。
「これは......」
光でできた義手が、より具体的な形を取り始める。でも、完全に元通りになるわけではない。
影のような、半透明の義手。
光が当たると濃く見え、暗がりでは薄くなる。
「完全再生ではなく『影の義手』」
ヴァルターが新しい右手を見つめる。
機能も独特だった。
〈拍同期握り〉------相手の心拍に合わせて握力を調整。
〈視差触〉------見た目と触覚に微妙なズレを作り、錯覚を誘発。
〈短秒巻き戻し〉------三秒以内の動作を一度だけやり直し。
でも、最も重要なのは------
「常に0.7秒の遅延がある」
『それが封印維持の条件じゃ』
タロウが説明する。
『完全同調すると、東野完子の封印が緩む。だから意図的に不完全を選ぶのじゃ』
「つまり、僕も『不完全』を受け入れるってことか」
ヴァルターが苦笑いする。
でも、その代償も受け入れていた。
強力な技を使うたびに、白髪が一本ずつ増える。以前は一度に増えていたが、今度は季節ごとに一本ずつ。
「永遠に『少しずつ』生きる方を選んだってことね」
イヴリンが兄の髪を見つめる。確かに、白髪が数本混じっているが、それもまた一つの美しさだった。
「ヴァルターさん」
立花が感動の表情で言う。
「あなたの決断が、この街の未来を決めたんですね」
その時、川面から龍神が顔を出した。
「みんな、ありがとう」
龍神の鱗には、確かに人々の名前の画数が刻まれている。不揃いだが、美しい模様。
「約束通り、毎週水曜日の夕方に川霧を吐こう」
「川霧の花火ですね」
イヴリンが楽しそうに言う。
「治水の合図でもあり、街のみんなへの挨拶でもある」
『よし、これで一段落じゃな』
タロウが満足そうに尻尾を振る。
新たに雇われた東野完子は、既に最初の職務に取りかかっていた。
商店街の無人椅子の前で、座ろうとする来訪者に「申し訳ございません、この椅子は空席管理のため使用禁止です」と丁寧に案内している。
「なんだかシュールな光景ね」
イヴリンが商店街の様子を見て微笑む。
「でも、確実に『完璧』が阻止されてる」
【最終章―5】ゆらぎ祭の創設(永久未満の勝利)
一か月後。浜松市で「第一回ゆらぎ祭」が開催された。
「うわあ、すごい人出ですね」
立花が感嘆の声を上げる。
商店街には、色とりどりの風鈴がぶら下がり、その音が不揃いなリズムを奏でている。
「一時間に一度だけ、すべての時計が合わない」
ヴァルターが時義手で公園の時計を確認する。確かに、どの時計も微妙に異なる時刻を示している。
「でも、それが面白いのよね」
イヴリンが子ども合唱隊の指揮をしている。子どもたちは不揃いなテンポで、お互いの名前を呼び合っている。
「田中くーん」「はーい」
「佐藤ちゃーん」「はいはいー」
完璧な合唱ではないが、だからこそ温かみがある。
『我の出番じゃな』
タロウが小学校の名札点呼式で名誉隊長を務めている。鋭い嗅覚で「忘れかけた名前」を感知し、その子の鼻先をそっと押して記憶を呼び戻している。
「タロウ隊長、ありがとうございます」
小学生たちがぺたぺたとタロウを撫でまわす。
『くすぐったいぞ』
でも、嬉しそうに尻尾を振っている。
立花は「揺らぎ研究所」の展示ブースで、来場者に説明をしていた。
「日替わりノイズ計画について、ご質問はありませんか?」
「毎日、微妙に信号の間隔が変わるんですよね?」
「そうです。でも、その変化が事故を減らすんです。完璧すぎる規則性は、かえって油断を生みますから」
科学的なアプローチで、ゆらぎの重要性を市民に説明している。
そして、祭りの目玉は龍神の「川霧の花火」だった。
夕方五時ちょうど。天竜川から立ち上がった霧が、まるで花火のように美しい形を作る。
「きれいー」
子どもたちが歓声を上げる。
龍神の鱗に刻まれた人々の名前が、霧の中にうっすらと浮かび上がって見える。
「完璧ではない、でも美しい」
ヴァルターが時義手で空を指す。0.7秒の遅延があるが、それもまた味わい深い。
『時の魔女も喜んでおるぞ』
タロウが風鈴の音に耳を傾ける。
確かに、風鈴越しに時の魔女の声がかすかに聞こえる。
『みんな......ありがとう......』
『完全に戻らないことを選んで......正解だったわね......』
風の魔女として、街を見守り続けることを選んだ時の魔女。
その選択もまた、「不完全」への愛だった。
* * *
祭りの終盤、東野完子が資料館の無人椅子の前で仕事をしている姿が話題になった。
「申し訳ございません」
来館者が座ろうとすると、完子がそっと椅子を引く。
「この椅子は空位管理のため......」
「空位管理?」
「はい。完璧な空席状態を維持するのが私の職務です」
来館者は最初困惑するが、やがて面白がって写真を撮り始める。
「浜松の新しい名物だね」
「『座れない椅子の管理人』って、なんかアーティスティック」
完子は真面目に職務を遂行しているが、結果的に街の新しい観光名所になってしまった。
これもまた、予期しない「ゆらぎ」である。
* * *
祭りが終わると、四人と一匹は静かな夜の天竜川で語り合った。
「結局、僕たちは何を成し遂げたんだろう」
ヴァルターが川面を見つめる。
「龍神は守り神になったし、東の魔女も働き者になった。でも......」
「でも?」
「完全勝利じゃない。どこか中途半端で、どこか不完全」
イヴリンが微笑む。
「それでいいのよ、お兄様」
「完全勝利なんて、東の魔女の発想じゃない」
立花が頷く。
「僕たちは『永久未満の勝利』を選んだんです」
『永久未満......面白い言葉じゃな』
タロウが理の縄で水切りをしながら言う。
『完璧に勝つのではなく、ほどほどに勝つ』
『永遠に戦うのではなく、ときどき戦う』
時の魔女の風が頬を撫でていく。
『それが......この街の新しい魔法よ』
ヴァルターが時義手を見つめる。
「0.7秒の遅延か......」
「でも、その遅れがあるから、相手のことを考えられる」
イヴリンが兄の手に触れる。
「急がなくてもいい、完璧じゃなくてもいい。大切な人と一緒に、ゆっくり歩けばいい」
四人と一匹は、星空の下を歩いて帰った。
明日からも、この街の「ゆらぎ」を守る日々が続く。
完璧ではないけれど、美しい毎日。
東の魔女は空席の管理に追われ、龍神は週一回の川霧で水循環を支え、時の魔女は風となって街を見守る。
そして、四人と一匹は小さな時計修理店を営みながら、必要な時だけ「非常招集」に応じる。
エピローグ:遠い日の記憶
一年後------大雨の日。
龍神が三度だけ息を吐くと、川霧が雨雲を調整した。予想された大洪水は、小規模な増水に留まる。
「龍神様、ありがとうございました」
住民たちが川岸でお礼を言うと、龍神は照れたように水中に潜っていく。
十年後------時計修理店にて。
「また風鈴が増えましたね」
お客さんが苦笑いする。
確かに、店内には大小様々な風鈴がぶら下がっている。梅雨の時期だけ、歩くのも大変なほどだ。
「時の魔女が調子に乗って......」
ヴァルターが時義手で風鈴を整理する。0.7秒の遅延があるが、もう慣れた。
「でも、きれいな音でしょう?」
イヴリンが微笑む。彼女は「名を二度と忘れない」代償を背負っているが、それを苦に思ったことはない。
街の人々すべての名前を覚えている彼女は、みんなから愛されている。
百年後------資料館にて。
「完子さん、まだお仕事ですか?」
来館者が声をかける。
東野完子はまだ空席のマニュアル改訂に追われていた。
「はい。『完璧な空席』を維持するのは、想像以上に困難で......」
彼女の仕事は、自ら均質化しないよう、愚直に不揃いを点検する皮肉な内容だった。
でも、その矛盾こそが彼女の存在意義であり、街の平和の礎でもあった。
ずっと先の、ある夏の夕立の日------
雨上がりの街に、懐かしい香りが漂った。
時の魔女が、一瞬だけ濃い存在感を放つ。
『また会えたわね......』
風鈴が特別に美しい音を立て、川霧が虹色に輝く。
時計修理店の壁には、ヴァルターの右腕の影の型が額装されている。
それは今でも静かに二拍を刻んでいる。
来客には聞こえないが、確実にそこにある。
未決は、今日も静かに続いていく。
完全でないことを守る------それが、この街の新しい魔法だ。
右袖の影が二拍を刻んだ。
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