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第四章「完璧な物語」
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私の言葉を受け、イザベラ様は優雅に一つうなずいた。その所作には、これから尋問を受ける者とは思えないほどの落ち着きがあった。
「ヴァレンティス公爵家の長女、イザベラ・ド・ヴァレンティス。……いえ、今はただのイザベラ、とでも申しましょうか」
自嘲するようで、しかしどこか芝居がかった響きを帯びた声。私の隣では、コレット嬢がペンを走らせるカリカリという音だけが、やけに大きく響いていた。背後のヴィクトリア殿下は、沈黙を守ったままだ。
私は空気に呑まれまいと、意識して事務的な声を作った。
「では、イザベラ様。単刀直入にうかがいます。あなたが我が国への亡命を希望された理由を、お聞かせください」
イザベラ様はわずかに目を伏せると、記憶を辿るようにゆっくりと語り始めた。
「……それは、ある晴れた日の午後のことでした。何の前触れもなく、婚約者である王子殿下が私の屋敷を訪れたのです。その手には、身に覚えのない孤児院基金の偽造帳簿が握られていました」
彼女の声は、悲しみに震えていた。
「殿下は『このようなことをする人間とは思わなかった』と私を激しく罵り、その場で婚約の破棄と断罪を宣言されました。あまりのことに、私は声も出ませんでした」
「その場は、駆けつけた父がなんとか殿下をなだめ、一旦収まりました。ですが後日、私が不正を働いたという噂が、貴族社会に広まっていると知ったのです。調べてみれば、それは殿下の側近の方が意図的に流したものでした」
彼女は悔しそうに唇を噛む。
「やがて国王陛下に呼び出され、騒動を起こしたことへの叱責を受けました。『これより、そなたの身柄を拘束し、尋問と調査を行う』と」
「さらに後日、王子殿下の立ち会いのもと、正式な沙汰が下されました。婚約の破棄、貴族籍からの追放です。殿下は最後まで一言も口を開かれませんでした」
そこまで語ると、彼女は顔を上げる。
「私は辺境の修道院へ送られることになりました。ですが、その道中、私を大切に思ってくれる者たちの手引きで助け出され、この国へ亡命するに至ったのです」
長い証言が終わった。
私はその流れを頭の中で反すうする。それは彼女の亡命直後に作成された予備調書と完全に一致していた。一分の隙もない、完璧な物語だ。
背後のヴィクトリア殿下に視線を送ると、殿下は静かに腕を組んだまま、小さくうなずいた。――今はまだ口を挟む時ではない、という合図。
公式の物語は語られた。次は、その中に潜む「空白」と「嘘」を一つずつ暴き出さねばならない。
私は聴取の第一段階として、核心部分から切り込むことにした。
「では、イザベラ様。証言を順に確認させていただきます。まず、王子殿下が屋敷を訪れた日のことです。あなたに突きつけられたという『不正』の内容とは、具体的にどのようなものでしたか?」
イザベラ様は淀みなく答える。
「私が運営を任されていた孤児院の基金に関するものでした。帳簿は巧みに偽造され、多額の使途不明金がすべて私的な支出に繋がるように仕組まれていたのです」
「なるほど。では、最も重要な点を伺います。――あなたはその不正を、ご自身で行いましたか?」
「誓って、ございません」
イザベラ様はきっぱりと、しかし悲しげに首を振った。
「私は、そのようなことに手を染めてはおりません」
その答えを受け、私はさらに踏み込んだ。
「では、こうは考えられませんか? あなたの近しい人物……例えば基金の管理を手伝っていた者が自ら不正を働き、その罪をあなた一人になすりつけた可能性は」
その瞬間、イザベラ様の笑みがすっと消えた。部屋の空気が数度下がったような錯覚に陥る。
「調査官殿」――氷のように冷たい声だった。「そのようなことは決してありません」
紫の瞳が鋭く私を射抜いた。それは激情ではなく、揺るぎない意志だった。私は一瞬押されるが、気を取り直して問いを続ける。
「失礼いたしました。では、その後の経緯を。王子殿下に糾弾された後、どうなりましたか」
「騒ぎを聞きつけた父が部屋に駆けつけ、殿下を必死に宥めました。しかし殿下の怒りは収まらず、帰り際に『この件、直ちに国王陛下にご報告申し上げる!』と吐き捨て、嵐のように去っていかれました」
「翌日には、あなたが不正をしたという噂が広まっていた、とのことですが」
「はい」
「それは、王子殿下ご自身が?」
「いえ」イザベラ様は首を横に振る。「殿下はそのようなことをなさる方ではありません。すべて側近の方の独断だったようです」
「その目的は?」
「さあ……。私の信用を地に落とし、完全に孤立させようとしたのでしょう」
彼女は遠い目をして続ける。
「その後、国王陛下に呼び出され、叱責を受けました。『これより、そなたの身柄を拘束し、尋問と調査を行う』と。抗議はいたしましたが、受け入れられませんでした」
「そして、王子殿下立会いのもとで沙汰が下されたのですね」
「はい。王子が提出した書類を精査した結果、私が不正を働いていたのは間違いないとされました。正式に婚約は破棄され、貴族籍からの追放、そして辺境の修道院への送致が言い渡されたのです」
淡々と、しかし言葉の端々に悲哀を滲ませながら、彼女は語る。
「修道院に向かう途中で救われ、この国に亡命することになりました」
これで、彼女の物語はひとまず完結した。私は最後に最も重要な質問を投げかける。
「その、あなたを助けたという方々は、一体どなたですか?」
イザベラ様は固く口を閉ざし、静かに首を横に振った。
「誠に心苦しいのですが、そのお名前を申し上げることはできません」
「ですがイザベラ様」私は食い下がる。「亡命の手助けをした人物が誰なのか、それはこの聴取に不可欠な情報です。どうか、お教えください」
しかし彼女は再び、ゆっくりと首を横に振った。その瞳には頑なな意志が宿っている。
「私の口からお答えすることはできないのです」
私はさらに言葉を続けようとしたが、もはや無駄だと悟った。彼女はこの話題に一切の扉を閉ざしている。
彼女が守ろうとしているのは、恩人たちの安全なのか。それとも、決して口にできない別の秘密なのか――。
完璧に整えられた物語の最後に現れたのは、最初にして最も強固な壁だった。
「ヴァレンティス公爵家の長女、イザベラ・ド・ヴァレンティス。……いえ、今はただのイザベラ、とでも申しましょうか」
自嘲するようで、しかしどこか芝居がかった響きを帯びた声。私の隣では、コレット嬢がペンを走らせるカリカリという音だけが、やけに大きく響いていた。背後のヴィクトリア殿下は、沈黙を守ったままだ。
私は空気に呑まれまいと、意識して事務的な声を作った。
「では、イザベラ様。単刀直入にうかがいます。あなたが我が国への亡命を希望された理由を、お聞かせください」
イザベラ様はわずかに目を伏せると、記憶を辿るようにゆっくりと語り始めた。
「……それは、ある晴れた日の午後のことでした。何の前触れもなく、婚約者である王子殿下が私の屋敷を訪れたのです。その手には、身に覚えのない孤児院基金の偽造帳簿が握られていました」
彼女の声は、悲しみに震えていた。
「殿下は『このようなことをする人間とは思わなかった』と私を激しく罵り、その場で婚約の破棄と断罪を宣言されました。あまりのことに、私は声も出ませんでした」
「その場は、駆けつけた父がなんとか殿下をなだめ、一旦収まりました。ですが後日、私が不正を働いたという噂が、貴族社会に広まっていると知ったのです。調べてみれば、それは殿下の側近の方が意図的に流したものでした」
彼女は悔しそうに唇を噛む。
「やがて国王陛下に呼び出され、騒動を起こしたことへの叱責を受けました。『これより、そなたの身柄を拘束し、尋問と調査を行う』と」
「さらに後日、王子殿下の立ち会いのもと、正式な沙汰が下されました。婚約の破棄、貴族籍からの追放です。殿下は最後まで一言も口を開かれませんでした」
そこまで語ると、彼女は顔を上げる。
「私は辺境の修道院へ送られることになりました。ですが、その道中、私を大切に思ってくれる者たちの手引きで助け出され、この国へ亡命するに至ったのです」
長い証言が終わった。
私はその流れを頭の中で反すうする。それは彼女の亡命直後に作成された予備調書と完全に一致していた。一分の隙もない、完璧な物語だ。
背後のヴィクトリア殿下に視線を送ると、殿下は静かに腕を組んだまま、小さくうなずいた。――今はまだ口を挟む時ではない、という合図。
公式の物語は語られた。次は、その中に潜む「空白」と「嘘」を一つずつ暴き出さねばならない。
私は聴取の第一段階として、核心部分から切り込むことにした。
「では、イザベラ様。証言を順に確認させていただきます。まず、王子殿下が屋敷を訪れた日のことです。あなたに突きつけられたという『不正』の内容とは、具体的にどのようなものでしたか?」
イザベラ様は淀みなく答える。
「私が運営を任されていた孤児院の基金に関するものでした。帳簿は巧みに偽造され、多額の使途不明金がすべて私的な支出に繋がるように仕組まれていたのです」
「なるほど。では、最も重要な点を伺います。――あなたはその不正を、ご自身で行いましたか?」
「誓って、ございません」
イザベラ様はきっぱりと、しかし悲しげに首を振った。
「私は、そのようなことに手を染めてはおりません」
その答えを受け、私はさらに踏み込んだ。
「では、こうは考えられませんか? あなたの近しい人物……例えば基金の管理を手伝っていた者が自ら不正を働き、その罪をあなた一人になすりつけた可能性は」
その瞬間、イザベラ様の笑みがすっと消えた。部屋の空気が数度下がったような錯覚に陥る。
「調査官殿」――氷のように冷たい声だった。「そのようなことは決してありません」
紫の瞳が鋭く私を射抜いた。それは激情ではなく、揺るぎない意志だった。私は一瞬押されるが、気を取り直して問いを続ける。
「失礼いたしました。では、その後の経緯を。王子殿下に糾弾された後、どうなりましたか」
「騒ぎを聞きつけた父が部屋に駆けつけ、殿下を必死に宥めました。しかし殿下の怒りは収まらず、帰り際に『この件、直ちに国王陛下にご報告申し上げる!』と吐き捨て、嵐のように去っていかれました」
「翌日には、あなたが不正をしたという噂が広まっていた、とのことですが」
「はい」
「それは、王子殿下ご自身が?」
「いえ」イザベラ様は首を横に振る。「殿下はそのようなことをなさる方ではありません。すべて側近の方の独断だったようです」
「その目的は?」
「さあ……。私の信用を地に落とし、完全に孤立させようとしたのでしょう」
彼女は遠い目をして続ける。
「その後、国王陛下に呼び出され、叱責を受けました。『これより、そなたの身柄を拘束し、尋問と調査を行う』と。抗議はいたしましたが、受け入れられませんでした」
「そして、王子殿下立会いのもとで沙汰が下されたのですね」
「はい。王子が提出した書類を精査した結果、私が不正を働いていたのは間違いないとされました。正式に婚約は破棄され、貴族籍からの追放、そして辺境の修道院への送致が言い渡されたのです」
淡々と、しかし言葉の端々に悲哀を滲ませながら、彼女は語る。
「修道院に向かう途中で救われ、この国に亡命することになりました」
これで、彼女の物語はひとまず完結した。私は最後に最も重要な質問を投げかける。
「その、あなたを助けたという方々は、一体どなたですか?」
イザベラ様は固く口を閉ざし、静かに首を横に振った。
「誠に心苦しいのですが、そのお名前を申し上げることはできません」
「ですがイザベラ様」私は食い下がる。「亡命の手助けをした人物が誰なのか、それはこの聴取に不可欠な情報です。どうか、お教えください」
しかし彼女は再び、ゆっくりと首を横に振った。その瞳には頑なな意志が宿っている。
「私の口からお答えすることはできないのです」
私はさらに言葉を続けようとしたが、もはや無駄だと悟った。彼女はこの話題に一切の扉を閉ざしている。
彼女が守ろうとしているのは、恩人たちの安全なのか。それとも、決して口にできない別の秘密なのか――。
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