婚約破棄された令嬢、亡命聴取を受ける

ゆりんちゃん

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第五章「二つの派閥」

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「私の口からお答えすることはできないのです」
 イザベラ様のその一言で、これ以上の追及は無意味だと、部屋にいる誰もが悟った。

「……よかろう。一区切りついたところだ。一旦、休憩を挟もう」
 殿下の一声で、張り詰めていた空気がわずかに緩む。私たちはイザベラ様に一礼すると、彼女の部屋を後にし、本邸の別室へと移動した。

 ***

 扉が閉まり三人きりになると、ヴィクトリア殿下は早速ソファに腰掛け、私に問いかける。
「さて、調査官。話を聞いてみて、気になることはあったか?」

「はい」
 私は頷き、手元のメモに視線を落としながら答えた。
「彼女の証言は予備調書の内容とも一致しており、表向き矛盾はありません。しかし、所々に気になる点がございます」
 顔を上げ、殿下をまっすぐに見据える。
「一番大きな違和感は、事態の進展があまりに早すぎることです」

 殿下の眉がわずかに上がる。私は続けた。
「イザベラ様の証言によれば、王子殿下が彼女の元を訪れてから、婚約破棄と追放の沙汰が下るまで、ほんの数日しか経っていません。特に国王陛下による調査は、当人への尋問と王子が提出した書類の精査のみで終わっているように聞こえます。殿下、そのようなことはあり得るのでしょうか?」

 ヴィクトリア殿下は鼻で笑うように息を吐き、きっぱりと首を振った。
「あり得んな。王子の婚約者であり、公爵家の令嬢だぞ? 通常ならまず第三者による調査委員会が設置され、物証の裏取り、金の流れの追跡、関係者全員への聴取が行われる。地位の高い貴族であればあるほど、手続きは慎重に進められるものだ。数日で結論が出るはずがない」

 殿下の言葉が、私の違和感を裏づけてくれる。
 その時だった。それまで黙って記録を取っていたコレット嬢が、おずおずと口を開いた。
「あ、あの……わたくしのような者が、口を挟んでよろしいのでしょうか」

 ヴィクトリア殿下が目で続きを促すと、彼女は意を決したように言った。
「お話を聞いていた限りですが……王子殿下を落ち着かせようとはしても、お父様である公爵閣下ですら、イザベラ様の無実を訴えたり庇ったりすることを、一切なさっていないように聞こえました」
 彼女は自分の胸に手を当て、必死に言葉を紡ぐ。
「もし、わたくしが同じ状況に陥ったら、父も母も、きっと私の無実を信じて奔走してくれるはずです。それなのに……」

 コレット嬢の切実な言葉は、論理ではなく情愛から導き出されたものだった。しかしそれは、何よりも鋭い指摘だった。
 ヴィクトリア殿下はしばし黙していたが、やがて「……なるほどな」と深く頷いた。

「エリアナの言う『早すぎる処断』。そしてコレット嬢の言う『不自然な家族の対応』。二つを合わせると、一つの悍ましい仮説が浮かぶ」
 殿下はソファから立ち上がり、まるで盤上の駒を眺めるかのように、部屋の中をゆっくりと歩く。
「王子の告発から始まった一連の流れ……。あまりにも手際が良すぎる。まるで国そのものが、たった一人の令嬢を『罪人』に仕立て上げるため、一つの意志を持って動いていたかのようだ」

 私は息を呑んだ。そうだ――私が感じていた違和感の正体は、まさにそれだった。
 個々の出来事はあり得ても、それらが数日のうちに障害なく一直線に進んでいく。それは、まるで予め書かれた脚本通りに役者が動いているかのような、不自然な調和。
 国全体が寄ってたかって一人の令嬢を貶めようとしている。だとしたら、その目的は――。

 私が顔を上げた時、ヴィクトリア殿下が低く告げた。
「助言役らしいことをしてみようか」

 まるで教師が生徒に諭すように、殿下は語り始める。
「我が国とイザベラの国が、かつて一つの大国であったことは知っているな? 我が国を宗主国として、彼女らの国は一地方にすぎなかった。それが動乱の末に独立し、今に至る。その後、両国は長く戦争を繰り返してきた。今は落ち着き、それなりに安定しているがな」

 殿下はそこで一度言葉を切り、声を低めた。
「そして我が国には今も、イザベラの国を『失地』と見なし、取り戻そうとする時代錯誤な者たちがいる。……我々は彼らを『奪還派』と呼んでいる。ここまでは良いな?」

 私はごくりと喉を鳴らして頷いた。
「そしてイザベラの国にも、それに近い考えを持つ者がいる。我が国ほどではないが、国力がつき安定してきた今、元は一つであった我が国と再び統合すれば、大陸最大の国家になれると夢想する者たちがな。人々は彼らを『合一派』と呼ぶ」

 殿下の瞳が鋭く光る。
「だが、分裂から長い歳月が流れ、文化も思想もすでに異なる国同士が、今さら統合すればどうなるか。終わりのない内戦に突入するのは火を見るより明らかだ。だから我々は『奪還派』を中央から遠ざけているし、イザベラの国もまた、『合一派』を外患誘致――特に我が国からの干渉を招きかねない危険分子として厳しく取り締まっている」

 そして、殿下は恐ろしい結論を告げた。
「もし公爵令嬢であるイザベラが、そんな『合一派』に染まっていたとしたら? それは国家の一大スキャンダルだ。そう考えれば、国がこぞって彼女を罪人に仕立て上げ、追放したという筋書きにも、一応の説明はつく」

 そのあまりに悍ましい仮説に、私とコレット嬢は絶句した。
 ヴィクトリア殿下は、まるで答え合わせをするように私を見て言った。
「そしてそれならば、お前が指摘した『早すぎる処断』にも説明がつく。公爵令嬢が国家反逆の思想に染まっていたなどという不祥事――世間に知れる前に、騒ぎが大きくなる前に、わずか数日で決着をつけたとすれば、な」

 全てが繋がる、完璧な仮説。だが私は首を横に振った。
「……殿下。そのご説明では、説明のつかないことがございます」

 殿下の眉が面白そうに跳ね上がる。
「ほう。言ってみろ」

「はい。まず、王子殿下と側近の動きが、あまりに統制が取れていないように思えます」
 私はイザベラ様の証言を思い返しながら、自らの分析を述べた。
「もし国としてイザベラ様を罪人に仕立てることが目的なら、もっと静かで確実な方法があったはずです。しかし実際に行われたのは、あまりに拙速で感情的なやり方でした」

「発端は王子殿下が単身で公爵家の屋敷に乗り込み、不正を糾弾したこと――これは公的な断罪ではなく、痴情のもつれのような、極めて個人的で感情的な行動です。事を荒立てるだけで何の得もない」
 一息置き、さらに続ける。
「さらに不可解なのは、側近が独断で不正の噂を広めたという点です。王子が国王陛下に報告すると言っているのですから、正式な手続きで進むはず。にもかかわらず、独断で流布したというのは、統制の取れた国家の意思とは思えません。むしろそれぞれが場当たり的に動いているかのような……酷いチグハグさを感じます」

 殿下は黙って聞いている。私はさらに核心を突いた。
「そして、何より不可解なのはイザベラ様ご自身の態度です」
 私は聴取での彼女を思い返す。
「私が『近しい者が罪を着せたのでは』と仮説を述べた時、彼女は強く否定しました。あれは単なる否定ではありません。忠義の者たちの名誉を汚されたことへの、静かな、しかし絶対的な怒りでした」

 私は殿下を見据えて問う。
「殿下。もし国に、そして家族にまで裏切られた人間が、それでもなお、自分の周囲の者たちの名誉を、あれほどまでに守ろうとするものでしょうか」
 殿下が押し黙る。

「そして最後に、修道院へ送られる途中で助けられた、亡命の手引きをした者の名を問うた時の、あの頑なな拒絶。言わないのではなく、『できません』と。まるで、誰かに口止めされているかのようでした」
 私の最後の言葉が静寂に溶ける。

 やがて、腕を組んだまま壁にもたれていたヴィクトリア殿下が、ゆっくりと口を開いた。
「……そんなことができるのは、彼女の父である公爵か、それ以上の地位の者くらいだろうな」

 その決定的な一言に、部屋の空気が凍りつく。
 最初に沈黙を破ったのはコレット嬢だった。震える手を挙げて、おずおずと声を絞り出す。
「要するに……これはもう、お国同士のお話、ということになりますのよね? そのようなことに、一領主の娘にすぎないわたくしが関わっていても、よろしいのでしょうか……?」
 その言葉には、この場から逃れたいという切実な願いがこもっていた。

 私も心の中で強く同意する。――そうだ。これはもはや一人の亡命者の聴取ではない。もし亡命が王や公爵によって仕組まれたものなら、調査局の一調査官である私の管轄など遥かに超えている。
 だが殿下は静かに首を振り、私とコレット嬢を交互に鋭い瞳で射抜いた。
「残念ながら、そうはいかんな」
 その声は冷徹で、有無を言わせぬ響きを帯びていた。
「理不尽に聞こえるだろうが、今後を考えれば、一度関わった以上、途中で抜けて中途半端な知識でいるより、全てを知っておく方が、お前たち自身の身のためだ」

 その言葉が最後の追い打ちとなった。コレット嬢の体からふっと力が抜け、ぐらりと傾ぐ。私は慌ててその体を支えた。
「ありがとうございます、エリアナ様……」
 か細い声で礼を言う彼女に、私は複雑な感情を抱く。(いっそ、このまま卒倒していた方が、彼女は幸せだったのではないか)

 私は彼女をソファに座らせ、殿下に向き直る。
「殿下。会話の途中で、侍女の記録や日記に感じていた違和感の正体が分かりました」
「ほう」
「それは、彼女の故郷や家族、そして婚約者であった王子殿下に関する記述が一切なかったことです。イザベラ様の置かれた状況を考えれば、何かしら思うところがあって然るべきなのに、まるで最初から存在しなかったかのように、完全に欠落しているのです。日記はまだしも、身の回りのお世話をした侍女たちの記録にすら、故郷を懐かしむような発言が一つもないのは、あまりに不自然です」

 私は推論を口にする。
「もしかしたら、それこそが彼女からのメッセージではないでしょうか。この『空白』こそが、彼女が本当に語りたいこと。『ここを突け』と、そう示唆しているのでは」

 殿下は初めて心底面白くなさそうに顔を歪めた。
「……気に入らんな。まるで用意された答えに、こちらが誘導されているようだ」
 しかしすぐに表情を消し、私をまっすぐに見据えて告げた。
「だが、お前が本件の担当官だ。その判断に任せる」
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