五族協和を成した《勇者》の末裔と《勇者》嫌いのはぐれ《竜》

広海智

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第五章 再び会うために 二

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          二

 なだらかに続く丘の向こうの空に、まだ鳳を駆る雷竜一族達の姿が見える。離されてはいない。
(ユテ、ユテ――)
 親友の名を胸中で繰り返し呼びながら、スカイは馬を走らせた。ユテは確かに目を開いた。スカイのほうを見た。ちゃんと生きていたのだ。そのことが何より嬉しい。だが、二人の雷竜一族は、ユテを《天災》にさせ、《聖罰》にするつもりなのだ。何故そんなことを考えたのかは知りたくもないが、絶対に、その前にユテを取り戻さねばならない。
(あの頭環を着けてる限り、ユテは大丈夫だ。そして、ユテを《天災》にさせるつもりなら、あの二人はユテから離れるはず)
 ウツミから聞いた《天災》の話からも、実際、ユテが結界の中で放置されていたことからも、それは確実だろう。
(その隙を狙うしかない。結界を張られるなら、一緒に中に入ってやる。何が起きようが、おれはもう二度と、おまえの傍から離れない――)
 歯を食い縛り、スカイは一心に馬を駆った。


――「ユテ」
 呼ばれて目を開くと、大きな岩陰に狭く張った結界の外、夕焼け空を背に青年が立っていた。翠玉色の双眸に、気遣う色を湛え、真っ直ぐにユテを見つめている。
――「おれの顔を見たくないのは分かるが、姿が見えないと、心配になる」
 率直に告げられて、ユテは座ったまま青年から視線を逸らし、答えた。
――「身を守る結界くらい張っている。問題ない」
――「その結界で、おまえの気配が感じられない。せめて、見えるところにいてくれないか。……おまえまで、失いたくないんだ」
 青年の懇願に、ユテは険しく顔をしかめた。半ば以上は、敵に対するというより、この青年に気配を悟られたくないから張っている結界だ。ニギテを失ったところだというのに、その原因となったこの青年に、心配などされたくない。優しくなどされたくない。だが、結界でも抑えつけられぬ感情は、自らを裏切り、涙となって両眼から溢れてしまった。心が崩れると同時に、精気で保つ結界も崩れてしまう。滲んだ視界の中、青年は無言で歩み寄ってきて、手を伸ばし、ユテの頬に触れた。ユテができる限り顔を背けたにも関わらず、頬を伝う涙を拭った青年は、そのまま腕を伸ばす。
――(やめろ……)
 ユテの思いは声にならず、大した抵抗もできなかった。青年も――ミストも、泣いていたからだ。
――「ごめん。全部、おれのせいだ……」
 ミストは、両腕でユテの肩と頭をそっと抱き寄せ、体から直接響く声で詫びた。
――(そうだ。全て、あなたのせいだ)
 思うと、また、両眼から涙が溢れた。
 地老族、夜行族、そしてマホラ王国との同盟を取りつけた《勇者》一行に脅威を感じたアース帝国は、軍を以って攻撃を仕掛けてきた。激戦の最中、ニギテはミストに《加護》を与え、そうして体力が落ちていたところを、アース帝国軍兵士の野生族に殺された。つい昨日のことだ。
――(許さない)
 ユテは、ミストの腕の中で、唇を噛んだ。知っている。この青年に責任はない。ニギテが心奪われたのも、命を落としたのも、この青年に責のあることではない。だが、紛れもなく、この青年が原因なのだ。
――(おれは、あなたを許さない)
 固く両眼を閉じて、ユテは誓った。決して許さない。決して心許さない。ニギテが愛し、命を懸けて守ったこの青年を、終生、心安く思うことなどしない――。
【ユテ、大丈夫か? クレヴァスだ】
 懐かしい声に、ユテは、ふっと過去の夢から目覚めた。同時に、まどろみの直前の記憶が蘇る。そう、悲痛な声で自分を呼んだのは、ミストではなく――。
(スカイ……!)
 一気に頭が覚醒して、ユテは目を開いた。自分は、太い腕に後ろから抱えられて、鳳の背に乗せられている。鳳はほぼ滑空しながら、時折羽ばたいて高度を保っている。背後の気配は、あの精悍な外見の雷竜一族だ。――声の主の姿は見えない。
【今は声だけだ。こいつらに気づかれる訳にはいかないからな。あたしは、今おまえが着けてる頭環に宿ってる。この頭環は、《天災》になるのを防ぐために精気をほぼ封じる呪具で、スカイが着けさせた。二千年前にも、あたしが着けろと言った代物だ。覚えてるか?】
 ユテは、鳳の羽ばたきの揺れに紛れて微かに頷いた。覚えている。それをずっと、チムニーが持っていたことも知っていた。
(道理で、体が異様にだるい訳だ……)
 純血の天精族は、単純に体を動かす時にさえ、無意識に精気を使っている。それが使えないとなると、最早、弱々しい真人族にすら劣る存在だ。
【こいつらは、おまえをどこかへ連れてって《天災》にさせる気らしい。後ろから、馬でスカイが追ってきてるが、こいつらは強い。精気を使えないおまえが逃げられる機会は、こいつらが離れた時だろう。この頭環にさえ気づかれなければ、その機会は充分狙える】
(確かに)
 ユテは鳳の羽ばたきの揺れに紛れて、また頷いた。再びユテを結界の中に閉じ込めて、この二人は傍を離れるだろう。《天災》を知っていれば、傍にいるという選択肢はない。ただ、追ってきているのがスカイだけでは、結界を破れない。精気を使えないユテも結界を破れない。
(結界を張られたら、ウツミが来るまで待つしかないか)
 ウツミは、結界を張ることこそできないが、破るのは巧い。逃げられる可能性は充分あるだろう。問題は、頭環の働きに気づかれた場合だ。頭環を外されれば、今の自分はすぐにでも《天災》となってしまうだろう。それほどに穢れを溜め込んだ感覚がある。その場合、《天災》の威力で結界は破れるが、自力では後戻りできなくなり、巨大な竜巻となって死ぬだけだ。
(その時は――)
 ユテは、目を閉じた。スカイには、《加護》を与えてある。傷ついても、死ぬことはない。その他大勢は巻き込んでしまうかもしれないが、スカイだけは守れる。
(――おまえに、《加護》を与えておいてよかった)
【……そう言えば、おまえ達、スカイに、伝説の呪具師クレヴァスの血を引いてるんだって、伝えてなかっただろう!】
 また、クレヴァスが話し掛けてきた。そう、故意に隠していた。スカイが、《勇者》に憧れるのを防ぐために。
【あたしが言ったら、きょとんとしてたよ。全く、感動の対面が台無しだった】
 拗ねたように告げてから、クレヴァスは、しみじみと言う。
【でも、スカイ、やっぱり、あいつに似てるな】
 〈あいつ〉――ミスト・レイン。そう何度も頷く訳にもいかず、ただ聞き流すユテに、構わずクレヴァスは話し続ける。
【あいつ、本当はおまえのことが好きだったんだ】
 何を、と思わず訊き返しそうになって、背後の雷竜一族に悟られないよう、ユテは言葉を飲み込んだ。こんな時に、クレヴァスは一体何を言い出すのか。
【ニギテのことがあったから、あいつは生涯、その思いを隠し通した。おまえに、受け入れられるはずもない、と――。あたしは、その思いを知ってて、それも含めて、あいつのことが好きで、あいつの子どもが欲しかったから、一緒になった。ただ、あいつの思い、やっぱりおまえに知っといてほしかったんだ】
 今更、そんなことを知って、どうしろというのか。
【あいつの分まで、スカイを、そして自分を、大切にしてほしい――】
 クレヴァスは一方的に話を締め括り、代わるように、隣で鳳を駆るもう一人の雷竜一族が口を開いた。
「何か、そいつ、大人しいね」
「《休眠》明けで朦朧としているんだろう」
 体が接している背後の雷竜一族が、低く響く声で答えた。しかし、納得しない口調で、隣の雷竜一族が言った。
「まあ、穢れも限界まで溜め込んでるんだろうし、感電の影響もあるかもしれないけど、それにしても、ちょっと大人し過ぎる気がする」
「おれ達二人相手に逃げようとしても仕方ないと観念したか」
「そんな殊勝な性格かな……?」
 呟くように疑問を口にしたきり、隣の雷竜一族は黙った。


「ひどい傷だな」
 頭巾と外套で全身を覆った少女が、ぽつりと話し掛けてきた。
「まあな」
 ウツミは、両腕に精気を集中させて、じわじわと火傷を治療しながら苦笑いする。
「けど、さすがにあいつは大して怪我してなかったな」
「スカイ?」
「ああ。おれ以上に雷竜一族に向かってってたのに、感電だけで済んでた。《天精族の加護》を受けてるって凄いな」
「《加護》?」
「ああ。あいつの中に、天精族の精気が感じられるだろう? あれだよ」
「妙な気配だと思っていたが、そういうことか。だが、おまえも、追わないといけないんじゃないのか? また結界を張られたら、おまえが必要だろう?」
 ヌバタマに真面目に問われて、ウツミは微笑んだ。
「勿論、この傷を治療したら行くさ。でも、多分、悠長に結界を破るとか、そんな余裕はない。あいつらは、《休眠》のことまで知ってる様子だった。純血の天精族について、おれ達より詳しいんだ。そんなあいつらがユテの状態を観察してたら、すぐに精気を使えないことに気づいて、あの頭環の役割を知るだろう。そうして、頭環は外され、ユテは《天災》になる」
「防げない、と?」
「そこからが、スカイの出番なんだよ。スカイにしかできないことがいろいろあるんだ。本当に、いろいろな。クロガネは、そんなスカイをできる限り助けてくれるだろう。おれの出番があるのは、雷竜一族が頭環に気づかなかった場合だけ。その時は、少々遅れてっても、ちゃんと間に合うよ」
「――いろいろ考えているんだな」
 ヌバタマに、無表情なまま感心したように言われて、ウツミはにっと笑った。
「まあ、これでも二百年以上生きてるんでね」
「――それを言うなら、純血の天精族はもっとだな」
 微かに目を細めたようなヌバタマの返しに、ウツミは相好を崩す。確かにそうだ。
「成るほど。二千年生きてるユテも、一筋縄じゃいかないはずだな!」


「一日鳳に乗りっぱなしで、いい加減、お尻が痛いよ」
 再び口を開いたニコカミの言葉に、コワカミは鼻を鳴らした。
「馬より随分速い。それで充分だろう」
「きみは、結構何でも素直に受け入れるよね」
 ニコカミは呆れたように言って微笑んだ。
「何か悪いか」
 憮然としてコワカミが応じると、華奢な青年は首を横に振った。
「いや、羨ましいな、と思って。ぼくは、何でも捻くれて受け取ってしまうから」
 コワカミは、眉をひそめて、ニコカミの横顔を見遣った。この華奢な青年は、時々、訳の分からないことを言う。恐らく、自分よりも物事を深く考えてしまう性質なのだろう。
「別に、それも悪いことではないだろう?」
 コワカミが問いかけるように言うと、ニコカミは振り向き、にこりと笑った。
「ありがとう。きみは、身内には優しいよね。いずれ、みんながきみの身内になるといいな、と思うよ」
 やはり、訳の分からないことを口にして、またニコカミは前を向いた。コワカミも前を向き、片腕で抱えた風竜一族の様子を窺う。まだ、意識がはっきりしないのか、力なく目を閉じたままだ。もうすぐ、あの穢れた罪深い町に戻る。そこで、この《竜》を《大聖罰》にして、今回の任務は完了だ。
(そうすれば、聖主様の理想が、この西大陸にも更に広がっていく)
 聖主ムナカミ。聖教会を束ねる貴い存在。純血の天精族水竜一族の血筋でありながら、《竜》達とは一線を画し、コワカミ達混血の側に立って、自ら雷竜一族を名乗った心ある人。二千年生きていながら、少年のような麗しい姿を保った、まさに神。
(必ず、あなた様の御期待に添います)
 誓いを新たにして、コワカミは手綱を操り、鳳の飛行を速めさせる。隣のニコカミも同様に鳳を駆る。背後から、あの真人族と地老族との混血が馬で追ってきているのが気配で分かる。その後ろからは、あの天精族と夜行族との混血も追ってきている。余ほど、コワカミの腕の中の《竜》が惜しいのだろう。
(警告はした。後はおまえの責任だ)
 あの少年も、《混ざり者》と呼ばれ、混血であることに苦しんできたはずだ。聖教会の教えが広がり、〈正しい〉五族協和がなされて不幸な混血が生まれなくなれば、世界はもっと幸福になるだろう。
(将来の世代のために、理想が実現されるまで、われらは躊躇しない――)
 それは、西大陸を出た時からコワカミの胸の内にある熱い思いだった。
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