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第一章 秘密の始まり
03.神竜守の影
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王宮の長い回廊を抜けた、そのさらに奥。
昼の光が届かない、薄暗い場所。
そこに、禁書庫はある。
巷では、『地獄』などと呼ばれているらしい。
(大げさすぎでしょ。地獄って……)
ルネは、心の中でツッコミを入れる。
(おまけに湿気がすごいし)
ルネは、棚の奥から羊皮紙を取り出し、木製の台に並べる。
湿気からインクを守るための、地味で根気のいる作業。
誰にも邪魔されず、古い本を修復する——これが、ルネの好きな時間だった。
(夜は、邪魔されるけど……ってか、腰が重くてだるい……)
ゼファーの顔が浮かんで、ルネは慌てて首を振った。
(仕事中に何考えてるのよ、私)
作業に夢中になっていて、回廊の石床を踏む足音に気づくのが遅れた。
突然、ルネの背後の重いオーク材の扉がきしむ。
古書の修復中には、扉に鍵を掛けているのだが、今日に限って失念していた。
ここは、王立図書館と違う。
訪れる者は限られている。
(大司教の代理人か、王の命を受けた学者ならいいけど……)
ルネが本当に困るのは、好奇心と権力を履き違えた若い貴族だ。
怪奇趣味の魔導書や、年代物の艶本を期待してやってくる。
そして、決まって言う。
「違うんです! 純粋な研究ですから!」
(はいはい、研究研究)
「決して邪な気持ちからでは……!」
(うんうん、分かった、分かった)
ということが、年に二、三回は起こる。
ルネは息を整え、背筋を伸ばした。
内心の皮肉は胸にしまい、司書の顔を作る。
「閲覧許可証を」
感情を削ぎ落として、事務的に声を低く。
(こちらが女だと侮られないように)
修道女みたいな頭巾に、濃い灰色のローブ。
視線は伏せがちに。
(存在感、皆無。まるで書庫の備品)
誰も二度見しない、地味な司書の出来上がり。
閲覧者は、若い神官だった。
差し出された封蝋を見て、ルネはわずかに眉を顰める。
閲覧希望の書籍は『太古の竜についての伝承』
(……よりにもよって、これ)
この国の初代王が、人ではなく銀の竜だったという伝説。
世間ではおとぎ話だと思われているが、ルネは知っている。
竜は、実在する。
あの美しい銀髪が光を放ち、蒼銀の鱗に覆われていく姿。
昨夜、自分を激しく求めてきた、あの熱い質量がその証拠だ。
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
同時に、不安もよぎる。
(もし、他の人にバレたら……)
王弟であり宰相でもある彼が、常人を遥かに超越した存在だと知られれば――
(……やめ。考えても仕方ない)
ルネは細かい金網が張られた書架の奥へ進んだ。
鍵束の中から、最も古い一本を選ぶ。
扉を開くと、湿り気を帯びた古い空気が流れ出した。
白手袋をはめた手で、書を抜き取る。
(あの人が竜になるのも、私の前だけなんだから……たぶん……きっと、そう)
でも、もし――
(他の人の前で変身するなんてことがあったら……)
想像しただけで、体中が燃え上がるような気がした。
(……絶対に、嫌。あの姿は、私だけのもの)
ルネは息を吐き、本を抱え直す。
何事もないように閲覧者の前に立ち、本を差し出す。
躊躇するように、わずかに手を止める。
「扱いは慎重になさってください」
ルネの言葉に、神官が首から提げた神竜守の印章を施したメダイヨンを示した。
竜の血を持つ者を神として崇める教派の印だ。
「分かっています。我らにとって、竜は神に等しい存在ですから」
(……だから、余計に質が悪いのよ)
彼らにとっては、研究書というより教典に近いのだろう。
閲覧者が去ると、書庫は再び沈黙を取り戻した。
ルネは椅子に腰を下ろし、ろうそくの芯を整える。
胸の奥には、消えないざわめきが残っていた。
神官の、あの獲物を探すようなギラついた目。
もし彼らが『本物の竜』を探しているのだとしたら。
この部屋にあるのは、危険な本ではない。
問題があるとすれば……。
ルネは、それを振り払うように、首を振った。
(大丈夫。危険なのは、本じゃない。読む人間の心、なんだから)
自分に言い聞かせながら、ルネは自分の首筋をそっと指でなぞった。
ローブの下、ゼファーが残した消えない口づけの痕が、まだ熱を持っているような気がした。
昼の光が届かない、薄暗い場所。
そこに、禁書庫はある。
巷では、『地獄』などと呼ばれているらしい。
(大げさすぎでしょ。地獄って……)
ルネは、心の中でツッコミを入れる。
(おまけに湿気がすごいし)
ルネは、棚の奥から羊皮紙を取り出し、木製の台に並べる。
湿気からインクを守るための、地味で根気のいる作業。
誰にも邪魔されず、古い本を修復する——これが、ルネの好きな時間だった。
(夜は、邪魔されるけど……ってか、腰が重くてだるい……)
ゼファーの顔が浮かんで、ルネは慌てて首を振った。
(仕事中に何考えてるのよ、私)
作業に夢中になっていて、回廊の石床を踏む足音に気づくのが遅れた。
突然、ルネの背後の重いオーク材の扉がきしむ。
古書の修復中には、扉に鍵を掛けているのだが、今日に限って失念していた。
ここは、王立図書館と違う。
訪れる者は限られている。
(大司教の代理人か、王の命を受けた学者ならいいけど……)
ルネが本当に困るのは、好奇心と権力を履き違えた若い貴族だ。
怪奇趣味の魔導書や、年代物の艶本を期待してやってくる。
そして、決まって言う。
「違うんです! 純粋な研究ですから!」
(はいはい、研究研究)
「決して邪な気持ちからでは……!」
(うんうん、分かった、分かった)
ということが、年に二、三回は起こる。
ルネは息を整え、背筋を伸ばした。
内心の皮肉は胸にしまい、司書の顔を作る。
「閲覧許可証を」
感情を削ぎ落として、事務的に声を低く。
(こちらが女だと侮られないように)
修道女みたいな頭巾に、濃い灰色のローブ。
視線は伏せがちに。
(存在感、皆無。まるで書庫の備品)
誰も二度見しない、地味な司書の出来上がり。
閲覧者は、若い神官だった。
差し出された封蝋を見て、ルネはわずかに眉を顰める。
閲覧希望の書籍は『太古の竜についての伝承』
(……よりにもよって、これ)
この国の初代王が、人ではなく銀の竜だったという伝説。
世間ではおとぎ話だと思われているが、ルネは知っている。
竜は、実在する。
あの美しい銀髪が光を放ち、蒼銀の鱗に覆われていく姿。
昨夜、自分を激しく求めてきた、あの熱い質量がその証拠だ。
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
同時に、不安もよぎる。
(もし、他の人にバレたら……)
王弟であり宰相でもある彼が、常人を遥かに超越した存在だと知られれば――
(……やめ。考えても仕方ない)
ルネは細かい金網が張られた書架の奥へ進んだ。
鍵束の中から、最も古い一本を選ぶ。
扉を開くと、湿り気を帯びた古い空気が流れ出した。
白手袋をはめた手で、書を抜き取る。
(あの人が竜になるのも、私の前だけなんだから……たぶん……きっと、そう)
でも、もし――
(他の人の前で変身するなんてことがあったら……)
想像しただけで、体中が燃え上がるような気がした。
(……絶対に、嫌。あの姿は、私だけのもの)
ルネは息を吐き、本を抱え直す。
何事もないように閲覧者の前に立ち、本を差し出す。
躊躇するように、わずかに手を止める。
「扱いは慎重になさってください」
ルネの言葉に、神官が首から提げた神竜守の印章を施したメダイヨンを示した。
竜の血を持つ者を神として崇める教派の印だ。
「分かっています。我らにとって、竜は神に等しい存在ですから」
(……だから、余計に質が悪いのよ)
彼らにとっては、研究書というより教典に近いのだろう。
閲覧者が去ると、書庫は再び沈黙を取り戻した。
ルネは椅子に腰を下ろし、ろうそくの芯を整える。
胸の奥には、消えないざわめきが残っていた。
神官の、あの獲物を探すようなギラついた目。
もし彼らが『本物の竜』を探しているのだとしたら。
この部屋にあるのは、危険な本ではない。
問題があるとすれば……。
ルネは、それを振り払うように、首を振った。
(大丈夫。危険なのは、本じゃない。読む人間の心、なんだから)
自分に言い聞かせながら、ルネは自分の首筋をそっと指でなぞった。
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