【R18】禁書庫の未亡人と竜血の宰相〜秘密の夜に、怪物は人となる〜

真守 輪

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第一章 秘密の始まり

04.竜月草と焼菓子

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 王立図書館の午后の鐘が、遠くで響く。
 昼の休憩時間だ。
「危険なのは、読んだ人間の心、ねえ。ちょっと格好つけすぎじゃない?」
 背中をパシパシ叩きながら、リゼット・デュポンは笑った。
(……言わなきゃよかった)

 ルネがむくれると、リゼットは慌てて手を振った。
「ごめん、ごめん。でも、ほら、ルネにお菓子が届いてるわよ」
 テーブルには、黒パンと、豆のスープ。
 チーズに、水で割った安ワイン。
 そして、籠に入ったマカロンと竜月草の蒼い花。
 カードはない。
 けれど、この花は彼の瞳の色と同じ、蒼銀の光を帯びていた。

(ゼファー様ってば、バレバレです)
 嬉しくて、気づいたら頬が緩んでいた。
(嬉しいけど、嬉しいんですけど、もう少し隠す努力をしてほしいというか、そもそも立場を考えてください閣下!)
「……ルネ」
 リゼットが呆れた声を出す。
「顔、出過ぎ。ニヤケすぎ。恋する乙女通り越して、変質者レベル」
 慌てて両手で頬を押さえ、口角を必死で下げた。無理やり真顔を作る。
「こ、これは……別に……厨房が、勝手に……」
「厨房が、わざわざ禁書庫の司書にだけ、作りすぎたマカロンを届けるの?」

 リゼットは肩をすくめ、籠の中を覗き込んだ。
「ずいぶん偉い『物好き』を捕まえたじゃない」
(ゼファー様、変なところで抜けてるのよ)
 笑って誤魔化そうとしたが、口元が引きつる。
 とうとうリゼットが吹き出した。
「由緒ある帯剣貴族が、それでいいの?」
「実家の伯爵家はともかく、私は庶子よ。二十を過ぎて、立派に嫁ぎ遅れた……いわば『賞味期限切れ』なんだから」
 ルネは、小さく肩をすくめる。

「まあ、世間の眼が厳しいのは仕方ないけど、そのおかげでこの仕事ができるもんね」
「確かに、男社会で生きていくのは大変よ」
 リゼットは黒パンをむしり取り、ため息まじりに言った。
 夫の手伝いをしながら写本や翻訳をしている彼女は、ルネにとって唯一の同僚のような存在だった。
 世間は、夫の手伝いをする妻を『正しい』と頷いてくれる。
 未婚の女性が、しかも貴族の娘が、書物に囲まれて賃金を得ている。それは『正しくない』と世間は鼻で笑う。

 けれど、昨夜のゼファーは言った。
 ――この指が、古い羊皮紙の匂いがするのが好きだ。誰にも媚びない、君の誇りの匂いがする。
(……あんなこと言うなんて、やっぱりあの人、相当な変わり者なのよ)

「未婚の女ってだけで、信用されないところもあるし」
 ルネはそう言いながら、パンをスープに浸す。
 どっしりと重い、大麦とライ麦の混じったパンだ。
 これを見たゼファーが、以前ひどく不機嫌になった。
(貴族の食卓じゃ、白パンが当たり前だものね)
 とはいえ野菜もあるし、スープは温かい。
 言うほど悲惨な食事でもないのに。

「でも、無理に結婚させられなくて、よかったじゃない」
「その代わり、縁談も来ないけどね」
 ルネは肩をすくめた。
「地味で、愛想もなくて、禁書庫勤め。条件としては最悪よ」
「問題は、その修道女みたいな格好でしょ」
「この仕事でお洒落しても、埃まみれになるだけよ」
「でも、その地味な司書に、せっせとお菓子を届ける恋人がいるじゃない」
 リゼットがにやりと笑う。

(確かに……)
 一国の宰相相手に『働く者としての食事』についての理屈を並べた結果、届くようになったのは白パンではなく焼き菓子だった。
(ゼファー様なりに、折れたつもりなのよね)
 もちろん宰相の名で贈れるはずもなく、『厨房が作りすぎたお菓子のお裾分け』という、いかにもな建前付きで。
 ルネは、マカロンにそっと視線を落とした。
(本当に、気づいてないのかな……それとも)
 そう思いながら、口元はどうしても緩んでしまう。

「職場でも家でも、都合良く扱われてる感じがするけど、まあ、この仕事も嫌いじゃないし」
「日も差さない薄暗いお墓みたいな部屋で、一人で閉じこもってるのが?」
 ずいぶんな言われようだが、確かに言えてる。
 暗くてジメジメしていて、夕暮れになると、ちょっと怖い。
 でも、口うるさい上司がいないのは助かる。
 それに照明は、臭いのきつい獣脂ではなく蜜蝋だ。本来なら教会や宮廷でしか使われていないような高級品。
(これもゼファー様が……)
 夜に訪れるゼファーが、自分のためだと言って用意してくれた。

「お洒落する必要もなくて、化粧品代とか、かからなくていいわよ」
 本当は、恋人の前で化粧をしないのはどうなのか、とも思う。
 少しでも綺麗に見られたい気持ちは、もちろんある。
(でも、それは贅沢よ)
 給金は、実家の伯爵家で消えていくのだから。

「化粧品どころか、ルネ! あなた、ほとんど修道女よ!」
「ちゃんとコルセットも着けてるわよ。あの部屋、寒いしね」
「それ、防寒具じゃないから。体型矯正よ」
 リゼットは半ば呆れ顔だ。
「で、その恋人は何も言わないの? お金持ちなんでしょう?」
 その言い方が、なぜか胸に刺さる。

「……わ、私がいらないって言ったの!」
 口に出してから、しまった、と思った。
 リゼットの目が、獲物を見つけた肉食獣のように光る。
「へえ? 恋人じゃないって言ってたのに」
「ち、違……だから、その……恋人じゃなくて……」
(やばい、墓穴掘ってる)
「……愛人、とか?」
 リゼットが、ゆっくりとルネを見る。

「その、修道女もどきの格好で?」
「ちょっ――」
「どこの物好きよ! 夜な夜な口説きに来る男が!」
 声が跳ね上がった瞬間、ルネはリゼットの口にマカロンを突っ込んだ。
「もがっ……ふ、ふふぅ!」
「声、大きい」
 周囲を警戒しながら、ルネはリゼットを睨む。
(どこの物好き……って、それがあの冷酷な宰相閣下で、おまけに巨大な『竜』になるなんて知ったら、リゼットは今ごろ卒倒してるでしょうね)

 ルネは、竜月草の蒼い花をそっと指でなぞった。
 彼の瞳と同じ色――この秘密は、誰にも渡せない。
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