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第一章 秘密の始まり
04.竜月草と焼菓子
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王立図書館の午后の鐘が、遠くで響く。
昼の休憩時間だ。
「危険なのは、読んだ人間の心、ねえ。ちょっと格好つけすぎじゃない?」
背中をパシパシ叩きながら、リゼット・デュポンは笑った。
(……言わなきゃよかった)
ルネがむくれると、リゼットは慌てて手を振った。
「ごめん、ごめん。でも、ほら、ルネにお菓子が届いてるわよ」
テーブルには、黒パンと、豆のスープ。
チーズに、水で割った安ワイン。
そして、籠に入ったマカロンと竜月草の蒼い花。
カードはない。
けれど、この花は彼の瞳の色と同じ、蒼銀の光を帯びていた。
(ゼファー様ってば、バレバレです)
嬉しくて、気づいたら頬が緩んでいた。
(嬉しいけど、嬉しいんですけど、もう少し隠す努力をしてほしいというか、そもそも立場を考えてください閣下!)
「……ルネ」
リゼットが呆れた声を出す。
「顔、出過ぎ。ニヤケすぎ。恋する乙女通り越して、変質者レベル」
慌てて両手で頬を押さえ、口角を必死で下げた。無理やり真顔を作る。
「こ、これは……別に……厨房が、勝手に……」
「厨房が、わざわざ禁書庫の司書にだけ、作りすぎたマカロンを届けるの?」
リゼットは肩をすくめ、籠の中を覗き込んだ。
「ずいぶん偉い『物好き』を捕まえたじゃない」
(ゼファー様、変なところで抜けてるのよ)
笑って誤魔化そうとしたが、口元が引きつる。
とうとうリゼットが吹き出した。
「由緒ある帯剣貴族が、それでいいの?」
「実家の伯爵家はともかく、私は庶子よ。二十を過ぎて、立派に嫁ぎ遅れた……いわば『賞味期限切れ』なんだから」
ルネは、小さく肩をすくめる。
「まあ、世間の眼が厳しいのは仕方ないけど、そのおかげでこの仕事ができるもんね」
「確かに、男社会で生きていくのは大変よ」
リゼットは黒パンをむしり取り、ため息まじりに言った。
夫の手伝いをしながら写本や翻訳をしている彼女は、ルネにとって唯一の同僚のような存在だった。
世間は、夫の手伝いをする妻を『正しい』と頷いてくれる。
未婚の女性が、しかも貴族の娘が、書物に囲まれて賃金を得ている。それは『正しくない』と世間は鼻で笑う。
けれど、昨夜のゼファーは言った。
――この指が、古い羊皮紙の匂いがするのが好きだ。誰にも媚びない、君の誇りの匂いがする。
(……あんなこと言うなんて、やっぱりあの人、相当な変わり者なのよ)
「未婚の女ってだけで、信用されないところもあるし」
ルネはそう言いながら、パンをスープに浸す。
どっしりと重い、大麦とライ麦の混じったパンだ。
これを見たゼファーが、以前ひどく不機嫌になった。
(貴族の食卓じゃ、白パンが当たり前だものね)
とはいえ野菜もあるし、スープは温かい。
言うほど悲惨な食事でもないのに。
「でも、無理に結婚させられなくて、よかったじゃない」
「その代わり、縁談も来ないけどね」
ルネは肩をすくめた。
「地味で、愛想もなくて、禁書庫勤め。条件としては最悪よ」
「問題は、その修道女みたいな格好でしょ」
「この仕事でお洒落しても、埃まみれになるだけよ」
「でも、その地味な司書に、せっせとお菓子を届ける恋人がいるじゃない」
リゼットがにやりと笑う。
(確かに……)
一国の宰相相手に『働く者としての食事』についての理屈を並べた結果、届くようになったのは白パンではなく焼き菓子だった。
(ゼファー様なりに、折れたつもりなのよね)
もちろん宰相の名で贈れるはずもなく、『厨房が作りすぎたお菓子のお裾分け』という、いかにもな建前付きで。
ルネは、マカロンにそっと視線を落とした。
(本当に、気づいてないのかな……それとも)
そう思いながら、口元はどうしても緩んでしまう。
「職場でも家でも、都合良く扱われてる感じがするけど、まあ、この仕事も嫌いじゃないし」
「日も差さない薄暗いお墓みたいな部屋で、一人で閉じこもってるのが?」
ずいぶんな言われようだが、確かに言えてる。
暗くてジメジメしていて、夕暮れになると、ちょっと怖い。
でも、口うるさい上司がいないのは助かる。
それに照明は、臭いのきつい獣脂ではなく蜜蝋だ。本来なら教会や宮廷でしか使われていないような高級品。
(これもゼファー様が……)
夜に訪れるゼファーが、自分のためだと言って用意してくれた。
「お洒落する必要もなくて、化粧品代とか、かからなくていいわよ」
本当は、恋人の前で化粧をしないのはどうなのか、とも思う。
少しでも綺麗に見られたい気持ちは、もちろんある。
(でも、それは贅沢よ)
給金は、実家の伯爵家で消えていくのだから。
「化粧品どころか、ルネ! あなた、ほとんど修道女よ!」
「ちゃんとコルセットも着けてるわよ。あの部屋、寒いしね」
「それ、防寒具じゃないから。体型矯正よ」
リゼットは半ば呆れ顔だ。
「で、その恋人は何も言わないの? お金持ちなんでしょう?」
その言い方が、なぜか胸に刺さる。
「……わ、私がいらないって言ったの!」
口に出してから、しまった、と思った。
リゼットの目が、獲物を見つけた肉食獣のように光る。
「へえ? 恋人じゃないって言ってたのに」
「ち、違……だから、その……恋人じゃなくて……」
(やばい、墓穴掘ってる)
「……愛人、とか?」
リゼットが、ゆっくりとルネを見る。
「その、修道女もどきの格好で?」
「ちょっ――」
「どこの物好きよ! 夜な夜な口説きに来る男が!」
声が跳ね上がった瞬間、ルネはリゼットの口にマカロンを突っ込んだ。
「もがっ……ふ、ふふぅ!」
「声、大きい」
周囲を警戒しながら、ルネはリゼットを睨む。
(どこの物好き……って、それがあの冷酷な宰相閣下で、おまけに巨大な『竜』になるなんて知ったら、リゼットは今ごろ卒倒してるでしょうね)
ルネは、竜月草の蒼い花をそっと指でなぞった。
彼の瞳と同じ色――この秘密は、誰にも渡せない。
昼の休憩時間だ。
「危険なのは、読んだ人間の心、ねえ。ちょっと格好つけすぎじゃない?」
背中をパシパシ叩きながら、リゼット・デュポンは笑った。
(……言わなきゃよかった)
ルネがむくれると、リゼットは慌てて手を振った。
「ごめん、ごめん。でも、ほら、ルネにお菓子が届いてるわよ」
テーブルには、黒パンと、豆のスープ。
チーズに、水で割った安ワイン。
そして、籠に入ったマカロンと竜月草の蒼い花。
カードはない。
けれど、この花は彼の瞳の色と同じ、蒼銀の光を帯びていた。
(ゼファー様ってば、バレバレです)
嬉しくて、気づいたら頬が緩んでいた。
(嬉しいけど、嬉しいんですけど、もう少し隠す努力をしてほしいというか、そもそも立場を考えてください閣下!)
「……ルネ」
リゼットが呆れた声を出す。
「顔、出過ぎ。ニヤケすぎ。恋する乙女通り越して、変質者レベル」
慌てて両手で頬を押さえ、口角を必死で下げた。無理やり真顔を作る。
「こ、これは……別に……厨房が、勝手に……」
「厨房が、わざわざ禁書庫の司書にだけ、作りすぎたマカロンを届けるの?」
リゼットは肩をすくめ、籠の中を覗き込んだ。
「ずいぶん偉い『物好き』を捕まえたじゃない」
(ゼファー様、変なところで抜けてるのよ)
笑って誤魔化そうとしたが、口元が引きつる。
とうとうリゼットが吹き出した。
「由緒ある帯剣貴族が、それでいいの?」
「実家の伯爵家はともかく、私は庶子よ。二十を過ぎて、立派に嫁ぎ遅れた……いわば『賞味期限切れ』なんだから」
ルネは、小さく肩をすくめる。
「まあ、世間の眼が厳しいのは仕方ないけど、そのおかげでこの仕事ができるもんね」
「確かに、男社会で生きていくのは大変よ」
リゼットは黒パンをむしり取り、ため息まじりに言った。
夫の手伝いをしながら写本や翻訳をしている彼女は、ルネにとって唯一の同僚のような存在だった。
世間は、夫の手伝いをする妻を『正しい』と頷いてくれる。
未婚の女性が、しかも貴族の娘が、書物に囲まれて賃金を得ている。それは『正しくない』と世間は鼻で笑う。
けれど、昨夜のゼファーは言った。
――この指が、古い羊皮紙の匂いがするのが好きだ。誰にも媚びない、君の誇りの匂いがする。
(……あんなこと言うなんて、やっぱりあの人、相当な変わり者なのよ)
「未婚の女ってだけで、信用されないところもあるし」
ルネはそう言いながら、パンをスープに浸す。
どっしりと重い、大麦とライ麦の混じったパンだ。
これを見たゼファーが、以前ひどく不機嫌になった。
(貴族の食卓じゃ、白パンが当たり前だものね)
とはいえ野菜もあるし、スープは温かい。
言うほど悲惨な食事でもないのに。
「でも、無理に結婚させられなくて、よかったじゃない」
「その代わり、縁談も来ないけどね」
ルネは肩をすくめた。
「地味で、愛想もなくて、禁書庫勤め。条件としては最悪よ」
「問題は、その修道女みたいな格好でしょ」
「この仕事でお洒落しても、埃まみれになるだけよ」
「でも、その地味な司書に、せっせとお菓子を届ける恋人がいるじゃない」
リゼットがにやりと笑う。
(確かに……)
一国の宰相相手に『働く者としての食事』についての理屈を並べた結果、届くようになったのは白パンではなく焼き菓子だった。
(ゼファー様なりに、折れたつもりなのよね)
もちろん宰相の名で贈れるはずもなく、『厨房が作りすぎたお菓子のお裾分け』という、いかにもな建前付きで。
ルネは、マカロンにそっと視線を落とした。
(本当に、気づいてないのかな……それとも)
そう思いながら、口元はどうしても緩んでしまう。
「職場でも家でも、都合良く扱われてる感じがするけど、まあ、この仕事も嫌いじゃないし」
「日も差さない薄暗いお墓みたいな部屋で、一人で閉じこもってるのが?」
ずいぶんな言われようだが、確かに言えてる。
暗くてジメジメしていて、夕暮れになると、ちょっと怖い。
でも、口うるさい上司がいないのは助かる。
それに照明は、臭いのきつい獣脂ではなく蜜蝋だ。本来なら教会や宮廷でしか使われていないような高級品。
(これもゼファー様が……)
夜に訪れるゼファーが、自分のためだと言って用意してくれた。
「お洒落する必要もなくて、化粧品代とか、かからなくていいわよ」
本当は、恋人の前で化粧をしないのはどうなのか、とも思う。
少しでも綺麗に見られたい気持ちは、もちろんある。
(でも、それは贅沢よ)
給金は、実家の伯爵家で消えていくのだから。
「化粧品どころか、ルネ! あなた、ほとんど修道女よ!」
「ちゃんとコルセットも着けてるわよ。あの部屋、寒いしね」
「それ、防寒具じゃないから。体型矯正よ」
リゼットは半ば呆れ顔だ。
「で、その恋人は何も言わないの? お金持ちなんでしょう?」
その言い方が、なぜか胸に刺さる。
「……わ、私がいらないって言ったの!」
口に出してから、しまった、と思った。
リゼットの目が、獲物を見つけた肉食獣のように光る。
「へえ? 恋人じゃないって言ってたのに」
「ち、違……だから、その……恋人じゃなくて……」
(やばい、墓穴掘ってる)
「……愛人、とか?」
リゼットが、ゆっくりとルネを見る。
「その、修道女もどきの格好で?」
「ちょっ――」
「どこの物好きよ! 夜な夜な口説きに来る男が!」
声が跳ね上がった瞬間、ルネはリゼットの口にマカロンを突っ込んだ。
「もがっ……ふ、ふふぅ!」
「声、大きい」
周囲を警戒しながら、ルネはリゼットを睨む。
(どこの物好き……って、それがあの冷酷な宰相閣下で、おまけに巨大な『竜』になるなんて知ったら、リゼットは今ごろ卒倒してるでしょうね)
ルネは、竜月草の蒼い花をそっと指でなぞった。
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