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第一章 秘密の始まり
06.守りたいもの
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王立図書館の高い天井には竜の翼を模した梁が走り、壁一面に積まれた書物は、千年の歴史を誇る。
静まり返った書庫の奥で、紙をめくる音に紛れるように、低い囁きがじわりと広がった。
「聞いたか……竜血宰相が、ついに侯爵家を粛清なさったそうだ」
「館は没収、家臣も取り調べ……反対した判事まで姿を消したとか」
閲覧台の陰に身を寄せ、書記官や学者たちは互いの顔色を探るように視線を交わす。
「竜の血が怒れば、周りの者まで巻き込まれる……古い年代記にもそうある」
「馬鹿を言うな。竜の血など伝説だ」
年配の学者が言い捨てたが、その声にもかすかな怯えが滲んでいた。
「だが……あの目を見た者は皆、竜のように冷たかったと言う」
そこへ両手に何冊もの古書を抱えた司書が通りかかった。
まるで修道女のような地味な姿――禁書庫の未亡人。
ルネである。
「失礼いたします」
高く澄んだ声が、静かな図書館に響く。
書記官たちが慌てて道を空けようとするが――ルネは止まらない。
ふわり、と地味な灰色のローブが舞った。
ルネの肩が、計算された角度で書記官に触れる。
抱えていた古書が、宙に浮いた。
見習いが悲鳴をあげる。
(落とすわけがないでしょ、修復師の指先を舐めないで)
ルネは、視線すら向けずに、よろめいた学者の脛を靴の踵で的確に撫でた。
「……っ」
よろめいた男たちの隙間を、ルネは舞うように抜ける。
落下するはずの古書を片手で軽やかに受け止め、その角を書記官の後頭部へ。
「ぐっ!」
声にならない息が漏れる。
(完璧)
ルネは、何事もなかったように眉を下げた。
(古書を落とさずに守った司書、って評価されるべきでしょ。ゼファー様の悪口を言った罰よ)
「まあ……」
声にほんの少しだけ、困惑を滲ませる。
「通路が狭くて……申し訳ありません」
体を横にずらす――その動きで、今度は見習いの足を靴の踵で踏みつけた。
「うぐっ!」
見習いが情けない声を上げる。
「ごめんあそばせ」
ルネは古書を抱え直し、視線だけを彼らに向ける。
「私語は、紙にも人にも、あまりよろしくありませんわ」
閲覧台の端に古書を置き、ぱん、と埃を払う。
その音に、三人とも背筋がそろって伸びた。
声は柔らかく、笑みは上品に整えられている。
「竜王の宰相閣下のお話でしたら……」
ルネは、にこやかに微笑む。
「少々、問題がございましてよ」
(あの人のこと、何も知らないくせに。勝手なこと言わないで)
書記官が気まずそうに咳払いをした。
学者たちは、視線を逸らす。
「ただ……本にも誤読が多いようでしたら、注釈を付けましょうか。ええ、朱で。後世に残るよう、丁寧に」
(あなたたちの名前も一緒に、ね)
「……あ、いや、そんなつもりでは」
「いいえ、わたくしの聞き間違いだったのかもしれませんわね。……今のところは」
彼女は一礼し、書架の間へと歩み去った。
残された学者たちは、もはや何も言わない。
紙の擦れる音だけが、図書館に静けさを取り戻していた。
静まり返った書庫の奥で、紙をめくる音に紛れるように、低い囁きがじわりと広がった。
「聞いたか……竜血宰相が、ついに侯爵家を粛清なさったそうだ」
「館は没収、家臣も取り調べ……反対した判事まで姿を消したとか」
閲覧台の陰に身を寄せ、書記官や学者たちは互いの顔色を探るように視線を交わす。
「竜の血が怒れば、周りの者まで巻き込まれる……古い年代記にもそうある」
「馬鹿を言うな。竜の血など伝説だ」
年配の学者が言い捨てたが、その声にもかすかな怯えが滲んでいた。
「だが……あの目を見た者は皆、竜のように冷たかったと言う」
そこへ両手に何冊もの古書を抱えた司書が通りかかった。
まるで修道女のような地味な姿――禁書庫の未亡人。
ルネである。
「失礼いたします」
高く澄んだ声が、静かな図書館に響く。
書記官たちが慌てて道を空けようとするが――ルネは止まらない。
ふわり、と地味な灰色のローブが舞った。
ルネの肩が、計算された角度で書記官に触れる。
抱えていた古書が、宙に浮いた。
見習いが悲鳴をあげる。
(落とすわけがないでしょ、修復師の指先を舐めないで)
ルネは、視線すら向けずに、よろめいた学者の脛を靴の踵で的確に撫でた。
「……っ」
よろめいた男たちの隙間を、ルネは舞うように抜ける。
落下するはずの古書を片手で軽やかに受け止め、その角を書記官の後頭部へ。
「ぐっ!」
声にならない息が漏れる。
(完璧)
ルネは、何事もなかったように眉を下げた。
(古書を落とさずに守った司書、って評価されるべきでしょ。ゼファー様の悪口を言った罰よ)
「まあ……」
声にほんの少しだけ、困惑を滲ませる。
「通路が狭くて……申し訳ありません」
体を横にずらす――その動きで、今度は見習いの足を靴の踵で踏みつけた。
「うぐっ!」
見習いが情けない声を上げる。
「ごめんあそばせ」
ルネは古書を抱え直し、視線だけを彼らに向ける。
「私語は、紙にも人にも、あまりよろしくありませんわ」
閲覧台の端に古書を置き、ぱん、と埃を払う。
その音に、三人とも背筋がそろって伸びた。
声は柔らかく、笑みは上品に整えられている。
「竜王の宰相閣下のお話でしたら……」
ルネは、にこやかに微笑む。
「少々、問題がございましてよ」
(あの人のこと、何も知らないくせに。勝手なこと言わないで)
書記官が気まずそうに咳払いをした。
学者たちは、視線を逸らす。
「ただ……本にも誤読が多いようでしたら、注釈を付けましょうか。ええ、朱で。後世に残るよう、丁寧に」
(あなたたちの名前も一緒に、ね)
「……あ、いや、そんなつもりでは」
「いいえ、わたくしの聞き間違いだったのかもしれませんわね。……今のところは」
彼女は一礼し、書架の間へと歩み去った。
残された学者たちは、もはや何も言わない。
紙の擦れる音だけが、図書館に静けさを取り戻していた。
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