【R18】禁書庫の未亡人と竜血の宰相〜秘密の夜に、怪物は人となる〜

真守 輪

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第二章 燃える想い

12.禁書庫の邂逅

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 それは、すべてが始まる三ヶ月前のことだった。



「くっしょい!」
 その日はやけに肌寒く、ルネは何度も鼻をかんでいた。
 司書としてというより、令嬢として、あまり人には見られたくない姿だ。

「司書殿」
 禁書庫のひんやりとした空気を揺するように声が響く。
 ルネはハンカチで鼻を押えつつ、振り返る。
(……うわ)
 白地に銀の縫い取りのある祭服を着た男と、黒衣の神官。
 ルネは、心の中でため息をつく。

 祭服の男は、典礼大司教。
 聖銀竜の典礼庁ル・サンタルジャン・ドラコニスの、頂点に立つ人物で、その権力は王家に匹敵すると言われている。
(金髪碧眼の、整った顔立ち)
 祭礼で、遠くから見たことがある。
(たぶん、この人……だと思うけど)
 四十代半ば、だろうか。
 貴族的な優雅さと、聖職者の威厳を併せ持っている。
 完璧すぎる容姿が、かえって人形めいて見える。
(……なんか、怖いというか、不気味)
 図書館の館長がいたら、大騒ぎするところだろう。
 でも、ルネにはありがたい閲覧者とは思えない。

 黒衣の神官が、居丈高に言った。
「今すぐ、『ドラゴの異端』に分類された写本、『黒い太陽の嘆き』の準備を」
 典礼大司教は、何も言わない。
 ただ、祈りの形に組んだ手を胸元に添え、ルネを見下ろしている。
(うわぁ……面倒くさいやつ……いや、二人とも)

 つい先日、修復を終えたばかりの、あの写本だ。金箔の剥落も、羊皮紙の癖も、内容の危うさも、すべて頭に入っている。
 王権神授説を、根元からひっくり返しかねない代物。
 相手が典礼大司教だろうが、空から神が降ってこようが、正式な許可証がなければ渡せない。

「申し訳ありません。規則により、閲覧は許可できません」
 表情に出さず、淡々と答える。
「それは、典礼庁の権威があっても、かね」
 黒衣の神官が苛立ちを隠そうともせず、声を荒げる。
 二人の視線が、神の名を槍にして突き刺さってくる。
「ご希望に沿えず恐縮ですが、典礼に関する写本でしたら、別のものをご案内できます」
 この手の厄介な閲覧者には、代替案を提示することだが、相手の表情を見る限り、それでは通用しそうもない。

「面白いことを言う。聖銀竜の典礼庁の人間に向って……いかに危険な写本であろうと」
 黒衣の神官が、呆れたように言いかけたのをルネは断ち切った。
「いいえ」
 つい、言葉が口を突いて出た。
「危険なのは、本ではありません。読む人の心です」
(……しまった)
 そう思ったときには遅かった。
(また、言っちゃった。私の悪い癖)
 ルネは、内心で頭を抱えた。
(どうして、黙っていられないの……私ってば)
 神官の眉間に、怒りの皺が刻まれていく。典礼大司教は無言のまま、事の成り行きを見守っている。

「我らが典礼庁の命令に逆らうつもりか! 小娘風情が!」
 拳を振り上げて、神官が机を叩く。
 鈍い音が石壁に響く。
(小娘……?)
 ルネは、内心でツッコミを入れつつ、表情だけは申し訳なさそうに取り繕う。
(図書館の連中、聞いた? 私、小娘だって『未亡人ヴーヴ』じゃなくて、『小娘』!) 
 恐れ入ったように、首を縮めてみせる。
(……でも、今それどころじゃない)

「神の名において命じる! その書を出せ!」
 胸元の神竜守ドラゴ・サクロのメダイヨンを揺らしながら、神官が石床を踏み鳴らす。
 典礼大司教は、視線だけで圧をかけてきた。

(うえぇ……とんでもないこと言い出したな)
 机の前に立ち、ルネは深々と頭を下げる。
「神のお名前は、目録の分類記号にございません」
 神官たちは、まるで異物でも見定めるかのようにルネを凝視し、絶句した。
(ヤバい空気になってきた)

「……戯言を。異端審問の権限を忘れたか」
「忘れたりしません。こちらは、閲覧権限の照合を担当しております」
「小娘、己の立場を弁えよ」
「どうぞ、お静かに……ここは禁書庫です」
(どうしよ……引くに引けなくなってきた)

 地味な衣装もこのような場合に備えてのことだが、今回ばかりは通用しなかった。
 相手が聖職者では、修道女まがいの格好も、ただの挑発にしかならない。
(そりゃそうよね。身内相手じゃ、意味ないもの)
 ルネは、にっこり微笑んで言ってみた。
「では、教父注解の写本はいかがでしょう」
(もう、やけくそ)
「安眠を保証しますわ」
 こんな軽口が通用する相手ではなさそうだが、今さら、取り繕っても仕方がない。

「侮辱か」
 神官の拳が再び机を打つ。
(……通じなかった)
 ルネは、内心で肩をすくめる。
 緊張感が高まり、ルネの神経も擦り切れかけたころ、重い扉が音もなく開いた。
 図書館特有の埃っぽい空気が、一瞬で凍りついたかのような、鋭い『気配』が滑り込んでくる。



 コツ、コツ、と石床を叩く足音。
 それは典礼大司教の放つ静かな不気味さとは違う。
 もっと圧倒的で、生存本能が『逃げろ』と警鐘を鳴らすような、暴力的なまでの重圧だった。
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