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神託
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――ねぇ……。
微かな羽ばたきの音。
ほとんど聞こえないくらいの小さな物音にまぎれて、さらに小さな声が聞こえる。
――ねぇ、リョータロウ。
幼い子供が甘えるような口ぶり。
舌ったらずの声は、奇妙に響きがいい。まるで子守歌のようだ。油断すると、そのまま寝入ってしまいそうになる。
俺は、髭を剃りながら、その声を黙って聞いてた。
――だからさぁ、聞いてよ。リョータロウ?
俺だけに聞こえる小さな声は、俺が返事をするまで囁き続ける。
とは言え、よくよく注意していないと、聞き逃しそうなほどの細い小さな声だ。
「聞いてるよ」
今の時間は、寮の中でも人がいない。だから、俺も普通に返事をする。
――キミってば、どうして、なんだろうね。
小さな声は、耳もとで、なおも囁く。いかにも楽しそうに。
それを聞き流しながら、カミソリを水で洗い流す。
タオルで顔を拭くと、鏡に写る自分の顔を見た。
色素の薄い瞳に、赤茶けた猫毛の髪。
男のくせに、日焼けしない生白い肌。年齢を重ねると、髭も濃くなるかと思ったが、残念ながら俺には、そんな気配はない。
髭を剃るという行為も、自己満足でやっているだけだ。
童顔のせいだろうか。子供のころは、よく女の子と間違えられた。
男にとって『カワイイ』とは、誉め言葉にはならないのだ。
だが、立場上、女性や高齢者。特に子供の警戒心を与えないというのは、ある意味、長所かもしれない。
「なんだよ。セキレイ」
俺は、自分の左肩の上にのっているはずの小さな友人を振り返る。
残念ながら、彼の姿は鏡に映らない。
でも、俺の意識には、ちゃんと認識されている。
妖精。ガリバー旅行記ならリリパット国の小さな人。それとも小さな天使だろうか。
顔は、俺の子供の頃によく似ている。大きさは、手のひらにすっぽり収まるほどしかない。
時おり、彼は、自分の気分しだいで、その姿を変える。
小鳥やモルモット。モモンガ。トカゲやカメなどの小動物。幻想的なドラゴンやグリフォンにもなった。
それでも身体の大きさを変えることはできないのだろう。いつも俺の肩の上にとまっていられるほどのサイズで収まっている。
その中でも、彼のお気に入りは、小鳥の姿のようだ。
尾が長く、頭から背は黒色か灰色。腹と翼は広く白色をしているから、白鶺鴒に似ている。
だから、彼の呼び名もそのまま『セキレイ』
今もこうして、俺の肩の上にのっている。
彼は、空想の遊び友達だ。心理学や精神医学ではそう呼ばれるものらしい。要するに、俺の妄想の産物だと思う。たぶん。
――ヨハネス。こっちだ。
今度は、右肩から別の声が聞こえた。
少し低めの落ち着いた声音。
彼の声には不思議な響きがあって、とびっきりのインスピレーションを与えてくれそうな気分にさせる。
「今度は、フクロウか。なんだよ」
右肩にいるのも、同じく俺の小さな友人。
いや、『友人』というより『友鳥』というべきか。
セキレイと違って、彼の方は、いつも同じ鳥の姿で現れる。真っ白なフクロウだ。
そのせいだろうか。俺は、彼の羽ばたきの音を聞いたことがない。
ただ、フクロウにしては小さい。彼もまた、手のひらほどのサイズなのだ。
――用がなければ、いかんのか?
フクロウは、小さな身体でふんぞり返るようにして言った。いつも、この調子だ。
「イカンってことはないんだけど……その呼び方、いくら聞いても慣れないよ」
――何を言っている。これこそが、そなたの洗礼名であろうが!
「いや、日常で、そんなふうに呼ばれることってないからな」
――何を言ってるのかね。教皇猊下と同じ名をいただきながら……!
フクロウは、俺の肩の上で怒り出した。小さくても猛禽類が暴れると、ちょっと怖い。
俺が洗礼を受けたのは、10歳のころだ。
キリスト教徒の母親は、入信は本人の自由意志だと言って、幼児洗礼を受けさせなかったらしい。幼児洗礼というのは、7歳未満で受ける洗礼だから、本人の意思とは無関係に行われる。
当時の俺としても、まだ小学生のことだから、あまり深くも考えずに、なんとなく洗礼を受けた。
日曜ごとに教会へ行って勉強して、シスターに褒められたり、お菓子をもらったりするのが単純に嬉しかっただけだったのかもしれない。
そんな俺が、神父になるために神学校へ通っているのだから、人生とはどう転ぶか分からないものだ。
――何を呑気なことを言っているのか。そなたは、司祭となるのだろう。
「まだ、学生だよ」
――5年生になれば、助祭叙階を申請するだろう?
「するよ」
――では、そなたは、カトリックの司祭である。
厳かにフクロウは言うけど、そう簡単になれるものではない。
神学校は6年制だ。最終学年で、助祭になれるかは、成績にもよる。
さらに司祭叙階は、卒業後のことだ。
「まだ、助祭にもなっていないよ」
――今は、まだ、神学生でもいずれ、司祭になる。
「……そうなるべく、頑張っているんだけどね」
――いずれ、そなたは、恋をするだろう。
フクロウの言動は、古いくさい。
言葉が足りなくて、何を言っているのか、理解に追いつかないこともある。
「そうは、ならないよ。だって、神学校に入る前に、彼女とは別れたんだからね」
俺だって生まれた時から、神父になりたいと思っていたわけではない。だから、女の子と付き合っていたこともある。
俺は、そう言ったけど、フクロウはもう、何も答えなかった。
神父……という目標を定めたのは、じつに単純にことだ。
人生について、なんの指針もなく、ただぼんやりと日々を過ごす俺に『そのままでいいのだ』……と、教えてくれたのは、カトリックの神父だった。
神様は、こんな俺でも、丸ごと引き受けてくれる。
俺のすべてを知り、すべてを包み込んでもらえる安心感。それを与えてくれた神様に、俺はついて行きたいと思ったのだ。
崇高な思想があったわけでもなく、ただ『神父』になろう――と、思ったのだ。
微かな羽ばたきの音。
ほとんど聞こえないくらいの小さな物音にまぎれて、さらに小さな声が聞こえる。
――ねぇ、リョータロウ。
幼い子供が甘えるような口ぶり。
舌ったらずの声は、奇妙に響きがいい。まるで子守歌のようだ。油断すると、そのまま寝入ってしまいそうになる。
俺は、髭を剃りながら、その声を黙って聞いてた。
――だからさぁ、聞いてよ。リョータロウ?
俺だけに聞こえる小さな声は、俺が返事をするまで囁き続ける。
とは言え、よくよく注意していないと、聞き逃しそうなほどの細い小さな声だ。
「聞いてるよ」
今の時間は、寮の中でも人がいない。だから、俺も普通に返事をする。
――キミってば、どうして、なんだろうね。
小さな声は、耳もとで、なおも囁く。いかにも楽しそうに。
それを聞き流しながら、カミソリを水で洗い流す。
タオルで顔を拭くと、鏡に写る自分の顔を見た。
色素の薄い瞳に、赤茶けた猫毛の髪。
男のくせに、日焼けしない生白い肌。年齢を重ねると、髭も濃くなるかと思ったが、残念ながら俺には、そんな気配はない。
髭を剃るという行為も、自己満足でやっているだけだ。
童顔のせいだろうか。子供のころは、よく女の子と間違えられた。
男にとって『カワイイ』とは、誉め言葉にはならないのだ。
だが、立場上、女性や高齢者。特に子供の警戒心を与えないというのは、ある意味、長所かもしれない。
「なんだよ。セキレイ」
俺は、自分の左肩の上にのっているはずの小さな友人を振り返る。
残念ながら、彼の姿は鏡に映らない。
でも、俺の意識には、ちゃんと認識されている。
妖精。ガリバー旅行記ならリリパット国の小さな人。それとも小さな天使だろうか。
顔は、俺の子供の頃によく似ている。大きさは、手のひらにすっぽり収まるほどしかない。
時おり、彼は、自分の気分しだいで、その姿を変える。
小鳥やモルモット。モモンガ。トカゲやカメなどの小動物。幻想的なドラゴンやグリフォンにもなった。
それでも身体の大きさを変えることはできないのだろう。いつも俺の肩の上にとまっていられるほどのサイズで収まっている。
その中でも、彼のお気に入りは、小鳥の姿のようだ。
尾が長く、頭から背は黒色か灰色。腹と翼は広く白色をしているから、白鶺鴒に似ている。
だから、彼の呼び名もそのまま『セキレイ』
今もこうして、俺の肩の上にのっている。
彼は、空想の遊び友達だ。心理学や精神医学ではそう呼ばれるものらしい。要するに、俺の妄想の産物だと思う。たぶん。
――ヨハネス。こっちだ。
今度は、右肩から別の声が聞こえた。
少し低めの落ち着いた声音。
彼の声には不思議な響きがあって、とびっきりのインスピレーションを与えてくれそうな気分にさせる。
「今度は、フクロウか。なんだよ」
右肩にいるのも、同じく俺の小さな友人。
いや、『友人』というより『友鳥』というべきか。
セキレイと違って、彼の方は、いつも同じ鳥の姿で現れる。真っ白なフクロウだ。
そのせいだろうか。俺は、彼の羽ばたきの音を聞いたことがない。
ただ、フクロウにしては小さい。彼もまた、手のひらほどのサイズなのだ。
――用がなければ、いかんのか?
フクロウは、小さな身体でふんぞり返るようにして言った。いつも、この調子だ。
「イカンってことはないんだけど……その呼び方、いくら聞いても慣れないよ」
――何を言っている。これこそが、そなたの洗礼名であろうが!
「いや、日常で、そんなふうに呼ばれることってないからな」
――何を言ってるのかね。教皇猊下と同じ名をいただきながら……!
フクロウは、俺の肩の上で怒り出した。小さくても猛禽類が暴れると、ちょっと怖い。
俺が洗礼を受けたのは、10歳のころだ。
キリスト教徒の母親は、入信は本人の自由意志だと言って、幼児洗礼を受けさせなかったらしい。幼児洗礼というのは、7歳未満で受ける洗礼だから、本人の意思とは無関係に行われる。
当時の俺としても、まだ小学生のことだから、あまり深くも考えずに、なんとなく洗礼を受けた。
日曜ごとに教会へ行って勉強して、シスターに褒められたり、お菓子をもらったりするのが単純に嬉しかっただけだったのかもしれない。
そんな俺が、神父になるために神学校へ通っているのだから、人生とはどう転ぶか分からないものだ。
――何を呑気なことを言っているのか。そなたは、司祭となるのだろう。
「まだ、学生だよ」
――5年生になれば、助祭叙階を申請するだろう?
「するよ」
――では、そなたは、カトリックの司祭である。
厳かにフクロウは言うけど、そう簡単になれるものではない。
神学校は6年制だ。最終学年で、助祭になれるかは、成績にもよる。
さらに司祭叙階は、卒業後のことだ。
「まだ、助祭にもなっていないよ」
――今は、まだ、神学生でもいずれ、司祭になる。
「……そうなるべく、頑張っているんだけどね」
――いずれ、そなたは、恋をするだろう。
フクロウの言動は、古いくさい。
言葉が足りなくて、何を言っているのか、理解に追いつかないこともある。
「そうは、ならないよ。だって、神学校に入る前に、彼女とは別れたんだからね」
俺だって生まれた時から、神父になりたいと思っていたわけではない。だから、女の子と付き合っていたこともある。
俺は、そう言ったけど、フクロウはもう、何も答えなかった。
神父……という目標を定めたのは、じつに単純にことだ。
人生について、なんの指針もなく、ただぼんやりと日々を過ごす俺に『そのままでいいのだ』……と、教えてくれたのは、カトリックの神父だった。
神様は、こんな俺でも、丸ごと引き受けてくれる。
俺のすべてを知り、すべてを包み込んでもらえる安心感。それを与えてくれた神様に、俺はついて行きたいと思ったのだ。
崇高な思想があったわけでもなく、ただ『神父』になろう――と、思ったのだ。
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