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古代ギリシャ語を話す男
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そんなわけで夫をほっといて、あたしは、ハイヒールの踵を鳴らしながら歩き出した。
海沿いの市街地には、昔から大きな魚市場がある。
普通のマーケットとも一緒になっていて、外国人の団体観光客やグループも多い。
新鮮な魚介類に紛れて、カタツムリが売っていた。
カタツムリは、春から夏にかけてよく食べられる。
畑のトマトやメロンを食べる悪いヤツだけど、これを捕まえて、オレガノとトマトソースで煮ると美味しい。どちらかと言えば、家庭料理なのかな。
食に関しては、今も昔も変わらないのが嬉しい。
古代のローマ人は、食用カタツムリの養殖場まで作っていたほどだ。
カタツムリは、小さなもので小指の先ほど。
大きいものなら、あたしの掌ぐらいはあるだろう。
これが箱の中に山のようにいた。
見ていると、カタツムリはうぞうぞと、触覚を動かしながら箱の中からこぼれるように抜け出してくる。
それを店番の男性が、素手で押さえ込んでいるのだ。
興味津々で見ていると、買い物客らしい老婆が、ものすごい早口で説明してくれる。
気持ちは嬉しいのだが、何を言っているのか、さっぱり判らない。
これは、シチリア特有の方言のようだ。
あたしの知っているシチリアの言葉と違うのは、かなり下町のものだろうか。
にこやかに老婆は、話しかけてくれるので邪険にするわけにもいかず、なんとなく相手をしてしまう。
相手が夫なら、バッサリ切り捨てて、やるところなんだけど……。
そうこうしているうちに時間だけが過ぎていく。そろそろ飽きてきたな。
さあ、どうやって、話を終わらせようか……そう思っていたとき、背後から肩をつかまれた。
ぎょっとして振り返ると、まるで知らない男がそこにいた。
がっしりとした長身。着崩しただらしない服装は、見るからに怪しげに見える。
綿のシャツの下に革紐でつるした黒い石が、大きく開いた胸元にぶら下がっていた。
マフィアの発祥の地とでもいうべきシチリア島だけあって、そちらの関係者といえばそうかもしれない。
あたしのボディーガードにもこんなタイプはいなかった。
「……どなたですか」
混乱していたあたしは、思わずイタリア語で応対するのを失念してしまった。
あわてて言いなおそうとしたが、先に相手が答える。
「もう、そろそろお家に帰る時間じゃないのかね。お嬢さん?」
男が口にしたのは、意外にもあたしのよく知っている古いギリシャ語だった。
古くて厳めしい言語とは裏腹に、その内容はずいぶんと砕けたものだ。
あたしに向かって、こんな口の利き方をする相手とは、長らく話したことがなかった。
必死で、心当たりを思い浮かべる。
だが、結婚後も前もあたしは、社交場とは縁がない。
それなのに、相手はこっちの身の上を知っている。
これは誰だ。
男は、いやらしいニヤニヤ笑いを浮かべて、あたしを見下ろしている。
「ち、近寄らないで下さい」
「別に、寄っちゃいないさ。俺はあんたにこれを」
そう言いながら、男はポケットをまさぐっている。
まさか飴でもくれようというわけでもあるまい。
あたしは、男の脇をすり抜けて逃げ出した。
海沿いの市街地には、昔から大きな魚市場がある。
普通のマーケットとも一緒になっていて、外国人の団体観光客やグループも多い。
新鮮な魚介類に紛れて、カタツムリが売っていた。
カタツムリは、春から夏にかけてよく食べられる。
畑のトマトやメロンを食べる悪いヤツだけど、これを捕まえて、オレガノとトマトソースで煮ると美味しい。どちらかと言えば、家庭料理なのかな。
食に関しては、今も昔も変わらないのが嬉しい。
古代のローマ人は、食用カタツムリの養殖場まで作っていたほどだ。
カタツムリは、小さなもので小指の先ほど。
大きいものなら、あたしの掌ぐらいはあるだろう。
これが箱の中に山のようにいた。
見ていると、カタツムリはうぞうぞと、触覚を動かしながら箱の中からこぼれるように抜け出してくる。
それを店番の男性が、素手で押さえ込んでいるのだ。
興味津々で見ていると、買い物客らしい老婆が、ものすごい早口で説明してくれる。
気持ちは嬉しいのだが、何を言っているのか、さっぱり判らない。
これは、シチリア特有の方言のようだ。
あたしの知っているシチリアの言葉と違うのは、かなり下町のものだろうか。
にこやかに老婆は、話しかけてくれるので邪険にするわけにもいかず、なんとなく相手をしてしまう。
相手が夫なら、バッサリ切り捨てて、やるところなんだけど……。
そうこうしているうちに時間だけが過ぎていく。そろそろ飽きてきたな。
さあ、どうやって、話を終わらせようか……そう思っていたとき、背後から肩をつかまれた。
ぎょっとして振り返ると、まるで知らない男がそこにいた。
がっしりとした長身。着崩しただらしない服装は、見るからに怪しげに見える。
綿のシャツの下に革紐でつるした黒い石が、大きく開いた胸元にぶら下がっていた。
マフィアの発祥の地とでもいうべきシチリア島だけあって、そちらの関係者といえばそうかもしれない。
あたしのボディーガードにもこんなタイプはいなかった。
「……どなたですか」
混乱していたあたしは、思わずイタリア語で応対するのを失念してしまった。
あわてて言いなおそうとしたが、先に相手が答える。
「もう、そろそろお家に帰る時間じゃないのかね。お嬢さん?」
男が口にしたのは、意外にもあたしのよく知っている古いギリシャ語だった。
古くて厳めしい言語とは裏腹に、その内容はずいぶんと砕けたものだ。
あたしに向かって、こんな口の利き方をする相手とは、長らく話したことがなかった。
必死で、心当たりを思い浮かべる。
だが、結婚後も前もあたしは、社交場とは縁がない。
それなのに、相手はこっちの身の上を知っている。
これは誰だ。
男は、いやらしいニヤニヤ笑いを浮かべて、あたしを見下ろしている。
「ち、近寄らないで下さい」
「別に、寄っちゃいないさ。俺はあんたにこれを」
そう言いながら、男はポケットをまさぐっている。
まさか飴でもくれようというわけでもあるまい。
あたしは、男の脇をすり抜けて逃げ出した。
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