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2 図書館の怪現象

2-3. 図書館の怪現象

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極東を発つ日に預けられた、小さな靴下。
少女は、これをある人に渡して欲しいと、セアノサスにタクした。
だが、セアノサスは迷っていた。
これを渡して、大丈夫な相手なのか、信に足る人物なのかと。
煩悶ハンモンしているうちに数日が経ち、また第三区画でひと騒ぎが起きた。
第三区画で、司書が一人倒れたという。
彼は第四区画のエリア班長をしているレベル4の司書で、担当区画ではない第三区画に訪れては、格下の粗探アラサガしをして、高慢な態度で頭を押さえ込む人物だったらしい。
その日、司書になったばかりの新人に彼が強く当たっていたのが、目撃されていた。ローズとダンデが半べその彼女を慰めていたところ、野太い悲鳴が響き渡って、駆け付けると、男が泡を吹いて倒れていたのだという。
レベル5の司書達が事情を聴いていると、彼は少女の幽霊を見たという。
セアノサスはこの時、倒れていた司書の手の甲に「毒」の印を見た。
その後も、似たような事件は続き、そのたびに「虐殺」「爆弾魔」「独裁」「扇動」の印を見つけることとなった。
以降、司書は必ず二人以上で行動すること、何かを見かけたら追わずに、レベル5以上の者に報告することが義務付けられた。

変わった少女だった。
亡国の民は、ホドコしをよしとせず、布を巻いただけの服に素足で、骨と皮だけの体、そしてとても短い人生を生きていた。
小さな図書館だけが、あらゆるものを遮断シャダンしていた亡国に許された、外からの文化だった。
かつては一億を超える人口を誇っていたとされるが、現在は一万に満たない民で地下に村を形成し、その数は、年々半減して、あと十数年で滅びる計算だ。
昼間は、イグドラシルの若木が発する魔力を浴びに村の人間が訪れることもあった。
逆に夜は、危険だからと、サクを作り影響のある範囲に人を決して近づけさせなかった。
司書の役割はそれが大きかった。
イグドラシルは花も実もつけないが、死んだ大地に根づき、周囲の土を変える。
彼らが認めたのは、その一点に尽きたのだろう。先代の大司書の長い長い説得により、イグドラシルの分木を植えることを認めても、こちらの水や食料、知識の提供は受け付けなかった。
もともと、この世界でも最も高い文化水準にあった国だったという。
水はかつての技術で掘られた地下水を利用し、居住は地中へ、食料も地下にいる昆虫や穴ネズミなどを食している様だった。
彼らの容姿は皆幼く、マレに白い髪の者もいるが、ほとんどが黒い髪に、黒い瞳だった。館長をセイヴの街で見たとき、彼らの顔が浮かんだ。
村人が誰も、図書館の建物に入ってこようとはしない中、ただ一人、毎日のように訪れる少女がいた。本当の年齢は分からない。
彼らは皆痩せていて小さく、子供と大人との区別があまりなかったからだ。
彼女は本を借りに来た。
そして、一つの話をしていく。
あの国で起きた、戦争の話。
その戦争の最中にいた、七人の大罪人の話を。
そして私に、いつもこう尋ねる。
「一番悪いのは誰?」と。

何かにノシし掛かられるような寝苦しさに目を覚ました。
何かがここにいたような気配を感じる。
寝汗を拭い、水差しから水を注いで飲む。
枕元のサイドテーブルに置いていた、ガイドのカギ部分が発光している。
直ぐに司書服を着て、廊下へ出る。
青白い何かが、廊下を過ぎるのを見た。
あれが、ここ最近目撃されている、幽霊なのだろうか。
他のレベル5の司書が滞在する部屋の扉が開く気配はない。今のところ、気づいているのは自分だけのようだ。
青白い浮遊物の後を追い、階下へ飛行しながら追いかける。
途中、対象が壁をすり抜けるのを、迂回ウカイして、何とか第三区画でそれに追いつくことが出来た。
第三区画のこの場所は、まるで本で出来た神殿のような場所だ。ツーフロアをぶち抜きで、本自体が壁や柱のようにぎっしりと詰め込まれ、壮観で静謐なこのイグドラシルでも特徴的な書架と言えるだろう。
地震の少ないイグドラム国だが、本と棚にはそれぞれ落下防止の処置がされている。こんなものが一斉に落ちてきたらと思うとぞっとする。いつもそんな感想を抱いていた場所だ。
そして、今まさに、その恐れが現実となった。

追いつめたと思った、幽霊は、あの少女に似ていた。
何かを訴えるように、怒り叫んでいるようだった。
そして、見渡す限りの幾千幾万の本が、豪雨のように降り注だ。
それは、イグドラシルへ来て、司書となって長い年月を過ごす自分が初めて見る、第三区画の崩壊ともいえる大惨事だった。
地面を揺るがすような大音響と、塵芥のように積み重なる本という本。まるで、怒り狂う大気のような青白い粒子が鼓動のように明滅し、この空間に満ちて、荒れ狂っていた。

柱の陰まで退避して衝撃と、埃にムセびながら、この惨状の要因が自分にあるのだと、震えた。

「頼む、イグドラシルを侵さないでくれ! これらは全て大事な、誰かを救うための知識だ、一つでも欠く事のないよう、守っていかなくてはならない!」
光りは渦を巻き、真偽を問うようにこちらを伺っているのが分かる。
「ちゃんと約束は果たす。だから、もうこれ以上は!」
青白い足から、体、そして顔と、拡散していた光が少女の姿へ集まってくる。
青白い光は照度を落とし、人のような色彩を映す。そして、その顔、その姿はやはり、あの極東にいた少女で間違いないようだ。

司書服にしまった、あの小さな靴下を服の上から握る。
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