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2 図書館の怪現象

2-4. 図書館の怪現象

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「これは」

後ろから、次々と館内にいたレベル5の司書達が集まって来て、目の前に広がる光景に驚愕し、中には悲鳴を上げる者もいた。

無理もない。
今いるレベル5が誰も経験したことのない事態だ。
何処からともなく、樹精獣も集まってきた。

「どのような理由があれ、これは許せませんね」
サンダーソニアが少女の霊の前に立ちハバカる。
「怪我はありませんか」
アベリアがこちらに声を掛ける。
他の司書たちは、司書長の横に立ち、場合によっては少女の霊を排除しようと交戦態勢だ。
司書は、イグドラシルの図書を傷つけられることを決して許さない。
少女は、一度こちらに目を止め、そして彼方を指さして、あっけなく消えた。
そこには積み重なった、膨大な本の山だけが残った。

「この区域は当面閉鎖しましょう」
「復旧に、半月はかかるでしょうか」
「そんなに掛けられません、ただ、この数万の本を棚に戻すだけでも、全司書を交代制で毎日行ったとして、十日は超えるかもしれませんね」とサンダーソニアがため息を吐く。
「サンダーソニア、怪我人は? 被害はあるか?」
「館長!」
振り返ると、何故か小さな樹精獣を三匹抱えたソゴゥ館長が立っていた。
「いえ、怪我人はありません。視認できる全ての図書が落下していますが、見た限り破損や焼失などの被害はないようです。ですが、原因と思しき霊体は取り逃がしました」
「そうか。それにしても派手にやってくれたな」
「あの館長、ここは我々がやっておきますので、館長は第七区画へお戻りください」
「分かった。では、棚に戻すだけはやっておくから、その後は頼む」
「へ?」
館長が本の山に視線を向けると、積み重なる山から本が次々と生き物の様に飛び出してきて、そして高所にある棚から順に、本が自ら納まっていく。中断から下段と、絶え間なく棚に飛び込んでき、山はどんどん小さくなり、そして柱の陰や、装飾に引っ掛かっていたものまでが全て、棚の中に納まった。
十日を覚悟していた作業が、五分とかからずに終了した。
その場にいたレベル5の司書全員が、夢でも見ていたかの様に呆けている。
館長はガイドの強制コマンドを使用したわけでも、大魔法の詠唱を行ったわけでもない。
ただ、視線を本と棚へ向けていただけだ。

「あとは、ガイドを確認しながら、時間のある時に並べ替えればいい。とりあえず、この状態なら開園には支障ないだろう」
館長はそう言うと、首にしがみ付いていた、樹精獣を抱えなおした。
「館長!」
感極まって抱きつかんとするアベリアの襟首エリクビを、護衛の悪魔が掴む。
「樹精獣がつぶれるであろう」
行動は雑だが、至極真っ当な事を言う。
「では、他の者も早く休むように」
「館長、後で、いや、明日お話がございます」
「分かった」
確かに彼は、尋常ではない能力を持った、優秀なエルフのようだ。
もう認めないわけにはいかないだろう。
彼ならもしかして、いや、過度な期待はよそう。ただ、約束を守るだけだ。

翌朝、ソゴゥは開館前にヒドく緊張して執務室に訪れたセアノサスを迎え入れ、見下ろされることを避けるため、椅子を勧めた。
テーブルを挟んで、真向いではなく少し斜めになるようこちらも座り、彼の緊張が、どういう種類のものなのか観察する。
先日の人間に対する差別的な発言についてか、後から上司と分かった者へ難癖をつけたことに対しての後悔か。
どちらにせよ、あの時のセアノサスの言動や行いは許せるものではない。ああいったことは、差別意識がなくならない限り、繰り返される恐れがある。

「ソゴゥ館長、私は、とんでもない事をいたしました」
セアノサスが声をシボり出すようにして続ける。
「ここで、先日のことを謝罪すれば、貴方が館長であったためと取られて当然ではございますが、それでも、まずは謝らせていただきたい。誠に申し訳ございませんでした」
続く言葉が、こちらの期待するものであるといいのだが。
ソゴゥは無言で続きを促す。
「私は、あの日、人間の国があった島、極東から戻ってきたところでした。極東は、言葉に尽くしがたい、酷い有様でした。言い訳をしたいわけではございません。ただ、今でも、私は彼らを、あのような目に合わせた人間が憎く、また、彼らが不憫フビンでならないのです」
「百年前にタンハッした極東の戦争で、五十年前完全に不可侵領域となった土地ですね」
「五十年の長きを戦時下とし、ついに国が崩壊したのが五十年前。その後、かの領地をどこの国からも退けたのが、亡国の民の母と言われる者です。今は病にせり、誰とも会うことはありません。かの国で最も長く生きている者でもあります」
「イグドラシルの若木を受け入れてくれたのだったね、ただ、民を思うなら、何故支援を受け入れないのだろう」
「それは、私にも分かりません。ただ、彼らは、命を繋ぐためでも、繫栄するためでもなく、滅びるまでの間を、殉教者のように祈りと懺悔ザンゲに身を置いて過ごしているかのようです。イグドラシルの若木を受け入れたのは、土地のため、土地に住む動物のためという事なのだと思います」
「そうか、悩ましいな、生きることをアキラめてしまっているかのように聞こえる」
「戦争は人の性質を大きく変容させます。戦争の記憶は、いまだに彼らに絶望を与え続けているようです」
「そうだったのか」
「その極東に赴任していた際、大司書あてに預かった物がございます。前大司書が現役を退かれている今は、これは現イグドラシルの最高位である、ソゴゥ館長にお預けするのが正しいかと思い、お持ちいたしました。これは、図書館へよく訪れていた少女から預かった物で、その少女というのが、ここ連日霊体で現れていた少女です」
「幽霊からの預かり物?」
「極東にいた際は、決して幽霊ではございませんでした」
「では、何かあったのだろうか?」
「連絡は取り合っておりません。彼女が生霊なのか、それとも私が発った後に何かあったのかはわかりません」
「そうか、それで、預かり物とは?」
「こちらです」
セアノサスは司書服から大事そうに紙にくるんだ、小さな靴下を取り出した。
赤子が履く靴下だ。
それを両手で受け取る。
「私には、これがどういうものか分からない。だが、歴代の大司書なら、誰か分かる者がいるかもしれない。私からそれぞれに確認してみよう」
「はっ、ありがとうございます。どうか、よろしくお願いいたします」
「ああ、可愛い靴下だね、きっと女の子の赤ちゃんの物だったのだろう」

セアノサスは深く、頭を垂れていた。
彼の心には、深いトラウマが刻まれているのだろう。
そのトラウマと、彼の人間に対する拒否反応が薄まる日が来るといい。
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