ひとりぼっちのラパン

沢本新

文字の大きさ
23 / 26
7.遠くへと

23 わからない

しおりを挟む
 捜索隊によると、僕は山の中腹あたりで倒れていたらしい。僕は自分で考えていた以上に衰弱していたようで、発見されてすぐ病院に搬送され、そのまま一週間ほど意識が戻らなかったそうだ。
 昏睡している間はずっと、ゆくえと歩き続ける夢を見ていた。それは、幸せな夢などほとんど見たことがない僕にとっては、とても幸福な類の夢だった。目が覚めて、ゆくえが僕の前から姿を消したという現実を受け止めるには相応の時間が必要だった。
 結局のところ、捜索隊は父さんからの通報によって組織されたようだった。仮住まいにしていたあの平屋からぷっつりと消息を絶った僕たちを見つけるため、想像を絶する規模の捜索隊が組織されたらしい。

 しかし、通常なら大ニュースとして扱われたはずの僕らの失踪と発見は、ある時点からさらに大きなニュースに取って代わられ、ぷっつりと報道されなくなったという。

 〈ラパン〉、突然のサービス終了――そのニュースは日本中を大混乱に陥れた。
 テレビのワイドショーを流せば、報じられるのは寝ても覚めても〈ラパン〉のことばかりだった。それらの報道がどこまで真に迫ったものだったかは定かではないが、サービス提供していた会社はダミー企業で開発や運営に関わった人間も一人として見つからず、まるで全てが幻だったかのように消えてしまった――というのが、大まかな世間の理解だったようだ。

 当然だ。
 〈ラパン〉は、佐倉ゆくえという天才が、たった一人で作り上げたものなのだから。

 ゆくえがどこまで自分の身元を完璧に隠したかはわからないが、僕が回復してきた頃を見計らったかのように、よくわからない大人たちが代わる代わる僕の病室にやってくることがあった。
 彼らは一様にゆくえとはどういう関係だったのか、ゆくえがどこに消えたのかを訊いてきたが、僕は「それは僕の方が知りたい」と言う他なかった。「なぜあなたたちはゆくえを探しているのか」と訊いてみたが、彼らはまるで判で押したかのように「それは言えない」と口を噤むばかりだった。 

 入院していた二週間の間に、僕は意外な人物の訪問を受けた。「会ってほしい人がいるの」と緊張した面持ちの母さんが僕の病室に通したのは、父さんと一人の女性だった。僕はその人の顔を知っていた。

「……古澤、美代子」

 父さんとこの春に再婚することになったのだと、彼女は深々と頭を下げた。少し前まではテレビでよく見た顔だったが、こうして近くで見ると、その長い黒髪はよく手入れされていて美しく、それなりの年齢ではあるはずなのに、外見上からは年齢以上の若さと凛々しさを感じずにはいられなかった。

「……どうも」

 困惑していた。
 父さんと僕は血の繋がりこそあれ、もう他人だ。そんな人間の婚約者をわざわざ紹介されても、どんな顔をしたらいいのかわからない。しかも、それが古澤美代子だと言われても。
 彼女は「樹さんと二人で話したいことがあります」と、父さんと母さんに席を外すよう促した。

「あなたに渡すものがあります」

 彼女はポーチの中から落ち着いた柄の封筒を取り出し、僕に手渡した。封筒の表には特徴的な文字で『沢村樹さま』と書かれていた。封は切られていなかった。何気なく裏返し、差出人の署名を見た瞬間、僕の呼吸が一瞬止まった。
 ――佐倉ゆくえ。

「……あなたがなぜ、これを?」
「佐倉ゆくえは、私の娘です」

 彼女は封筒を手に目を白黒させている僕に、滔々と語り始めた。
 ゆくえは彼女と別れた夫の間に生まれた一人娘で、ゆくえが話していた通り、娘と二人で長い間アメリカで暮らしていたこと。人並外れて優秀だったゆくえは、普通よりも大幅に早く独り立ちをし、それとともに母親の庇護をまるで必要としなくなったこと。母親としても、そして人間としてもゆくえに必要とされなくなった彼女は、アメリカで研究を続けるゆくえを置いて単身日本に帰ってきたこと。日本に帰ってきてからしばらくして、『ラパン』を使って父さんと出会ったこと――

「ゆくえから連絡があったのは、ちょうどその頃だったわ」

 ふらりと現れたゆくえは、「今は日本で研究をしている。久しぶりだから顔を見に来た」などと話していたようだ。何度か家に来ては特に何をするでもなく帰っていく娘を、彼女は嬉しくもどこか疑わしく見ていたそうだ。
 そして彼女は、沢村樹――婚約者の息子と自分の娘が揃って行方不明になったことを報道で知った。大規模な捜索の末に沢村樹は発見されたが、自分の娘はそのまま姿を消したということも。

「……すみません、でした」

 どうしていいかもわからないまま頭を下げると、

「いいのよ。あなたは悪くない。それはわかってるから」
「どういうことです?」
「これが届いたの。あなたが見つかってから二日後くらいに」

 投函されたのが都心に位置する郵便ポストであることと、この封書を婚約者の息子である沢村樹に渡してほしいと書かれたメモが同封されていたこと――わかっていることと言えばその程度だ、と。

「読んでも、いいですか?」
「もちろん。そのために、私はここに来たんだもの」

 一度開封された跡のある封筒を丁寧に開き、中に入っている便せんを広げる。初めから終わりまで目を通し、また初めに戻って繰り返す。何度も何度も同じことを繰り返した。

「一つ、訊いてもいいですか」
「どうぞ」
「どうして父さんと結婚しようと思ったんですか」
「決まってるじゃない。〈ラパン〉が彼を選んだからよ。ちっともいいことのない人生だったけど、〈ラパン〉がなくなる前に彼と出会えたことは幸運だったと思うわ」

 やがて父さんと母さんが戻ってきて、古澤美代子は父さんと連れ立って病室を出て行った。
 結局僕は父さんと一度も目を合わせなかったし、父さんもそれは同じだった。

 彼らが出て行った後も、僕は何度もゆくえの手紙を読み返した。
 窓の外の街に、太陽が沈んでいった。
 太陽は何度沈んでも、何もなかったかのように朝になればまた昇る。
 地べたを這いつくばるしかない虫の気持ちなんて、まるで知ろうともしないで。

「今日はもう帰るね」

 ベッドの脇に座ってずっと本を読んでいた母さんは、面会時間の終わりを告げるチャイムとともに立ち上がった。

「母さん」

 その背中を、思わず呼び止めてしまう。母さんは「何?」と、もう一度脇の丸椅子に座り直した。

「父さんと結婚して、よかった?」
「この前もそれ訊いたね」
「うん」

 でも、もう一度訊いてみたいと思った。

「わからない」

 言葉とは裏腹に、母さんは実に朗らかに笑っていた。

「あの人と一緒にいて楽しかったこともあったし、悲しいこともあった。許せないことも。殺してやろうかと思うぐらい恨んだこともあったわ。でもね」

 長らく見たこともないような顔で、母さんは続ける。

「でも、何があったとしても、あの人と過ごした時間が全て嘘になってしまうわけでもないと思うの。あの人といて、幸せだなって思った瞬間は確かにあって、樹がいるのがその何よりの証拠だもの。今でも恨んでるし、許せないって気持ちもあるけど、それとこれとは、別」

 母さんは先ほどの熱を放ち終わって、普段の色を取り戻しつつあった。
 退院すれば、またあの日々が始まる。僕と母さんの二人で過ごしていく退屈な日々。何もなくて、灰色で、それでもいつかは終わってしまう、愛すべき日常。

「僕も、父さんを許さなくてもいいのかな」
「もちろん」

 母さんは大きく頷いた。

「あなたは父さんとは違う人間よ。父さんを許してもいいし、許さなくてもいい。それは、あなたの心が決めること」

 母さんはもう一度だけ笑うと、ぱらぱらと手を振って行ってしまった。
 暮れてしまった街の至るところに明かりが灯り始めていた。どの明かりの下にも人がいて、僕らと同じ退屈な日常を過ごしているのだろう。その薄皮の下に、許せないものも、変わっていくものも、全てひっくるめて抱え込みながら。

 僕は立ち上がる。
 いまだにおぼつかない足元。
 よたよた歩き、部屋の電灯を灯し、もう一度、ゆくえの残した便せんに目を通し始める。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ト・カ・リ・ナ〜時を止めるアイテムを手にしたら気になる彼女と距離が近くなった件〜

遊馬友仁
青春
高校二年生の坂井夏生(さかいなつき)は、十七歳の誕生日に、亡くなった祖父からの贈り物だという不思議な木製のオカリナを譲り受ける。試しに自室で息を吹き込むと、周囲のヒトやモノがすべて動きを止めてしまった! 木製細工の能力に不安を感じながらも、夏生は、その能力の使い途を思いつく……。 「そうだ!教室の前の席に座っている、いつも、マスクを外さない小嶋夏海(こじまなつみ)の素顔を見てやろう」 そうして、自身のアイデアを実行に映した夏生であったがーーーーーー。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

学園のアイドルに、俺の部屋のギャル地縛霊がちょっかいを出すから話がややこしくなる。

たかなしポン太
青春
【第1回ノベルピアWEB小説コンテスト中間選考通過作品】 『み、見えるの?』 「見えるかと言われると……ギリ見えない……」 『ふぇっ? ちょっ、ちょっと! どこ見てんのよ!』  ◆◆◆  仏教系学園の高校に通う霊能者、尚也。  劣悪な環境での寮生活を1年間終えたあと、2年生から念願のアパート暮らしを始めることになった。  ところが入居予定のアパートの部屋に行ってみると……そこにはセーラー服を着たギャル地縛霊、りんが住み着いていた。  後悔の念が強すぎて、この世に魂が残ってしまったりん。  尚也はそんなりんを無事に成仏させるため、りんと共同生活をすることを決意する。    また新学期の学校では、尚也は学園のアイドルこと花宮琴葉と同じクラスで席も近くなった。  尚也は1年生の時、たまたま琴葉が困っていた時に助けてあげたことがあるのだが……    霊能者の尚也、ギャル地縛霊のりん、学園のアイドル琴葉。  3人とその仲間たちが繰り広げる、ちょっと不思議な日常。  愉快で甘くて、ちょっと切ない、ライトファンタジーなラブコメディー! ※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。

処理中です...