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「白い魔人と黒き少女の出会い」編

67話 「王気、それは妹に贈る想花 その1」

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「お待ちなさい!!!」


 イタ嬢が立ち上がって、アンシュラオンを睨む。

 最初はいきなりのことにショックだったようだが、少しずつ場に慣れて状況を把握したようだ。

 その目には、まだ輝きが残っている。


「まだそんな元気があったとはな。話はついた。おとなしく倒れていろ」

「いいえ、まだです!」

「見逃してやると言っているのに、本当の馬鹿だな」

「お嬢様、お願いですからこれ以上、事を荒立てないでください。もう終わったのです」


 慌ててガンプドルフも説得を開始。

 この戦闘自体がガンプドルフには無駄なものである。そのすべての元凶は領主側にあるのだ。

 当然、アンシュラオンという予期できない相手がいたことは不運だが、事を荒立てたのは間違いなく領主であり、この少女である。

 これ以上の面倒は御免。それが本音であった。


「…終わった? これで終わりだなんて、わたくしは納得いたしません! 結局、あの子を渡すことになるのではありませんか!」

「どうしてそこまでこだわるのです。ただのスレイブではありませんか」

「あの子はスレイブではありません! わたくしの友達、大切な『ト・モ・ダ・チ』です! だから見捨てないのです!」


 彼女にとってスレイブは友達であり、連れ去ろうとしている悪者はアンシュラオンのほうである。

 それを見過ごすことは見捨てることと同義なのだ。


「立派なお考えですが、それでも終わったのです。周りを見てください。あなたでも状況はおわかりでしょう。私はもう戦うことはできません」

「お父様から凄い剣士だと聞いておりますわ。なぜ、あいつに勝てないの!」

「これ以上やれば、グラス・ギース自体がただでは済みません。あなたたちを守ることができなくなります。お嬢様は勘違いをしておられる。直接的な戦闘とは守るための手段の一つであり、ワガママを押し通す力ではないのです。その結果がこれです」


 周囲三百メートルは戦闘によって完全に破壊。

 草木どころか何も残っておらず、アンシュラオンが放った衝撃波の影響で大地が大きく抉れてもいる。

 いかに両者の戦いが激しかったかを物語っており、もしここが街の中であったらどれだけの被害が出ていただろう。

 イタ嬢であっても、これが何を意味するかは理解できる。ガンプドルフが自分を守ってくれたということも。


「我々の役目は外敵からグラス・ギースを守ることですが、あくまで部外者ですから助力以上のことはできません。この都市はあなた方のものなのです。あなた自身も自らを守るために努力する必要があります。それが領主の血族の使命ではないのでしょうか」

「そのために友達を見捨てろというの?」

「友達は大事でしょうが家族のほうが大事です。お父上も心配なさっておられます」

「たしかにそうね。お父様には心配をかけてしまった…」

「あなたとて今回のことでおわかりでしょう。一番大切なものは命なのです。まずはご自身の身を案ずるべきです」

「…それは理解しているわ」


 イタ嬢が頭をさすりながら呟く。

 死をリアルに感じるのは、これが生まれて初めてのことだ。領主の娘である自分に誰も危害を加えることはないと思っていた。


 だが、違った。


 目の前には領主という地位、その娘という立場すら気にしない者がいる。

 その存在は、ただ暴力を頼りにすべてを解決しようとしている。残念ながら自分にはそれにあらがう物理的な力はない。

 されど、これで終わりにはできない。ここで諦めてしまっては、今まで自分がやってきたことが無駄になるからだ。


(イタ嬢のおもりまでするとは、あいつも大変だな)


 アンシュラオンは言葉巧みに何とか終わらせようとするガンプドルフに、昔の自分を見て同情の念を覚える。


(ああいうのってストレス溜まるから、あいつはいつかハゲるな。その前に胃がやられるかもしれないけど。…とと、イタ嬢のやつがめっちゃ睨んでいるな。どんだけ不満があるんだよ。生き延びただけでも十分とは思えないのかね)


「しつこいね。まだ言いたいことがあるのか?」

「当然です。あの子は渡しませんわ!」

「前提が違うな。最初からお前のものではない。何度言ったら理解するんだ。そこを認めない限りはずっと平行線だぞ」

「…いいでしょう。認めましょう。あなたが予約していたものを私が横取りしました」

「いまさらという感じだが…まあいい。で、謝罪でもしてくれるのか?」

「いいえ、謝罪はいたしませんわ」

「お嬢様!」

「いいよ、おっさん。馬鹿に何を言っても無駄だ」


 ガンプドルフが諌めようとするが、アンシュラオンが手で制する。

 もう殺意はなかった。

 すでに闘争本能が満たされていることと、彼女たちがそういう存在であることを知っているからだ。


「お前たちに期待することは何もない。このおっさんに免じて見逃してやるから、さっさと消えろ」

「上から目線ですのね。それを嫌ってわたくしをさらった人だとは思えません」

「実際に上だからな。上ではないやつが使うから上から目線なんだ。確実に上の人間が使うことは正しいことだ。こんなふうにな」

「―――うっ!」


 身体を締め付ける強い圧力がイタ嬢を襲う。

 何か特別なことをしているわけではない。殺気を出しているわけでもない。ただ少し強めの眼力でイタ嬢を見ただけだ。

 それだけでイタ嬢は硬直。


(なんて目をしているの!? これが同じ人間だというのですか!? 力では絶対に敵わない。まるで魔獣ですわ)


 生物としての力が違いすぎる。

 たとえばデアンカ・ギースのような強大な魔獣に見られただけで、気持ちの弱い人間ならば卒倒してしまうだろう。

 それと同じく、そもそもの存在が違うのだ。

 生まれもって最高の資質をもった人間を超えた何か。魔人の系譜に連なる少年は眼力からして普通の人間とは違う。

 これこそ真なる『上から目線』。

 アンシュラオンはいつでも彼女を殺せる。領主城ですら破壊できる上位者が、自分よりも遥かに下のつまらない生き物を見る時の視線だ。


(でも、まだ終われない。わたくしとてディングラスの娘。ここで簡単に引き下がったらお父様に迷惑がかかりますわ。そして、友達は絶対に見捨てない。最後の最後までわたくしは闘います!)


 何度も心を叱咤しながら、イタ嬢は少しずつ自分を取り戻す。

 アンシュラオンの冷たい視線に晒されながら、いまだこうして自我を保っていられるのは、当人の意思が強いのか鈍感だからか。

 だからこそ、アンシュラオンもじっと待つ。

 そして、およそ十秒の時を経て言葉が紡がれる。


「まだ…です。まだ……真意を訊いていない」

「真意? お前に語ることは何もないぞ」

「違いますわ。あなたにではありません」

「ん? では、誰だ?」

「それは―――」


 そのアンシュラオンの疑問に対し、イタ嬢は思いがけない相手を指差す。

 まだ地面にじっと座ったままの―――



「あの子です!」



 首に緑の『スレイブ・ギアス〈主従の鎖〉』を付け、自分の意思があるかもわからない『意思無き少女』。

 そんな彼女にイタ嬢が求めたのは、何よりも大切な【当人の意思】であった。


「わたくしたちは、まだ当人の意思を確認しておりません。あの子がどちらの場所にいたいのか、実際に訊いてみるべきでしょう」

「はぁ? お前な、精神制御をしている子に意見を訊いてどうする。どう訊いたって、お前の都合の悪いことは言わないに決まっているだろうが。そもそもあの子は言葉が話せないんだぞ」

「そうかもしれません。ですが、当人の意思こそ一番大切ですわ。意思を確認しないまま連れ去ることは許しません。それではただの誘拐ですもの」

「お前がそれを言うか? 冗談にしても、さすがに呆れるぞ」

「冗談で申しているのではありません。わたくしは友達として、あの子が不幸になるのを見過ごすわけにはまいりません」

「オレが手に入れることが不幸か?」

「その可能性もあります。だって、あなたは変態ですもの。この子に何をするかわかったものではありませんわ。顔を舐めたことが証拠です!」

「オレがどうしようが自由だ。それが白スレイブだろう。お前だって同じように好き勝手やっている。友達かそうでないかの違いだ」

「ですがあなたは、わたくしのようにあの子を人形にはしないと言いました。ならば、どうするのですか? 何にするのですか? その返答いかんによっては、彼女が不幸になることも大いにありえますわ!」

「………」


(何にする…か)


 どう考えてもイタ嬢の発言は苦し紛れではあるが、改めて問われるとサナをどうするかは決めていない。

 行為や処遇ではなく、その【存在】をどうするか、である。

 そんなことは手に入れてから考えようと思っていたので、邪魔されたおかげですっかりと忘れてしまっていた。


(オレはスレイブを欲している。自分の思い通りになる存在だからだ。今にして思えば、それも姉ちゃんに対する反動なんだろうな。オレは姉ちゃんの代わりに心を埋める何かを探しているんだ)


 イタ嬢を見て、それを強く思う。

 ガンプドルフも述べたが、人は環境によって性格が変わってしまうことがある。その体験、圧力が大きなストレスとなって、いつしか爆発するように反対のものを求めるようになる。

 だが、それこそが進化。

 大きなうねりと圧力の中に晒され、人の霊は自分に足りないものを常に探していく。アンシュラオンにとってそれは姉であり、姉を失った今、違うものに移っていく。

 それがスレイブだった。

 では、スレイブをどう位置づけるか。

 イタ嬢はスレイブを人形にした。思い通りになる友達という名の人形にして、心の穴を埋める存在として利用した。

 それはアンシュラオンとて同じ。サナがスレイブであることは間違いない。

 しかし、本当にそうなのか、という疑問も存在していた。


(オレにとっちゃスレイブも人間も変わらない。イタ嬢だって売り飛ばせばスレイブになるからな。何よりもこの子は、スレイブという単純な枠組みでは収まらない。そう、この子はオレの中でもっと大きなものになったんだ。今ならばそれが実感できる)


 こうして奪われた結果、彼女に対する愛着はさらに強まっていった。

 ただの愛玩動物ではなく、それ以上の、もっともっと自分の中でも重要な存在になっていることがわかる。

 それを思えば、こうした苦難があったことは歓迎すべきことだったのだ。


「オレの答えを聞いたら納得するのか?」

「納得するかどうかは、あなたの返答次第ですわ」

「お前が納得するかどうかはオレにとってまったく関係ないが…まあいいだろう。教えてやろう」


 イタ嬢が、ごくりと唾を飲み込んだ。

 もしここで卑猥な発言が出たらどうしよう、などとも思いながら、自分なりに覚悟を決める。

 彼女にとってスレイブとは友達のことである。あるいはファテロナのようなメイドや護衛の騎士くらい。

 それ以外の用途はまったく思いつかない。だからこそ緊張する。

 ならば、アンシュラオンはスレイブをどうするのか。

 あの少女をどうするのか。


「それはな」

「それは…?」

「そう、この子は―――」


 そこで前から考えていたことを口にする。

 初めて彼女を見た時から感じていたこと。

 自分が求めていた何かを埋めるもう一つ存在の名を。




「この子は―――オレの【妹】だ!!」




 はっきりと力強く、それでいて柔らかい響きをもった言葉。

 姉とは正反対でありながら、同時に自分を満たす存在の名。

 それこそ―――妹!


(そう、そうだ。この子はオレの妹だ。べつに姉が駄目だったから妹ってわけじゃない。それじゃあまりにも節操がないからな。ただ、オレは妹も大好きなんだ)


 まったく関係ない話だが、アンシュラオンは姉の次に妹物が好きである。地球で好きだったエロゲーなども姉を堪能したら次は妹で癒されていたものだ。

 姉と妹というダブル属性を同時に押し込んでくるゲームも、当然ながらまったく問題ない。すべてよし! である。


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