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「英才教育」編

128話 「サナの試練組手」

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「おはようございます」


 朝、ホロロが一番に起きてきた。

 その顔には昨晩のような不安な様子はなく、自信と自負が漲っている。


「おはよう、ホロロさん。もうすっかり大丈夫みたいだね」

「はい、ご主人様のメイドとして生きていく覚悟が決まりました。もう迷うことはありません。これからもよろしくお願いいたします」


(ご主人様…だと!!)


 さりげなくホロロが放った言葉に激震が走る。

 威厳を保つために表情には出さなかったものの、男として一度は言わせてみたい呼び名ランキングトップ3には入るだろう。思わず悶える。


「サナのことを頼むよ。あの子には母性が必要だ。何があっても絶対の味方であってほしい」

「私でよろしければ喜んでご奉仕いたします。ですがその…夜はまた…ご主人様に甘えてもよろしいでしょうか?」

「もちろんだよ!! それなら三人一緒に寝れるもんね!」


 昨晩気づいたのだが、サナがホロロのところに行くのならば、自分も一緒に寝ればよいだけだ。

 それならば愛らしいサナと色っぽいホロロを両方堪能できる。まさに天才の発想である。

 そして、ここからホロロは変わった。

 元からある強さと真面目さに加えて、拠り所となる神を得た今、彼女に怖れるものはない。

 料理の味も格段に良くなり、物静かな中にも余裕と微笑みを交え、何があっても動じない精神力を持つに至る。人間は気持ちが整えば、行動や結果にも表れるものなのだ。

 彼女はもうアンシュラオンとサナのメイドであり、もはや家族と呼べる存在になりつつある。


「お二人の足手まといにならぬよう、私にも鍛錬をさせてください。最低限の体力はつけたいのです」


 そのせいか、こんな提案も上がってきた。

 ギャングの下っ端相手にも格闘で負けてしまうのが現実だ。これではいざというときにサナを守ることもできない。


(サナも強くなれたのならホロロさんも強くなれるのかな? まあ、本業はメイドだから過酷な訓練はさせないけど、ファテロナさんみたいに強いメイドは萌えるな)


「わかった。ホロロさんは基礎訓練から始めよう。昼間は一緒に走って体力をつけてもらって、合間に銃器とダガーの訓練もやろうか。術符の使い方も教えるね。まだ賦気を施すのは難しいから、できるだけオレと一緒にいること。こっちはまあ、一緒にお風呂に入ったり寝たりしていれば、自然と受け入れる準備ができていくはずさ」

「はい、よろしくお願いいたします」


 ホロロにとってみれば、神たるアンシュラオンと一緒にいられることは至福の時間だ。

 厳しいはずの訓練も、恍惚な表情で嬉しそうにこなしていたのが印象的である。

 そして、肝が据わっているのと物覚えがよいこともあり、わずか数日でロリコンを組み伏せられるくらいにはなった。


「いたたた! まいった、まいったよ!」

「ロリコン…さすがに弱すぎだろう。こんなに弱かったなんて引くわぁ」

「俺は戦闘訓練なんて受けていないんだからさ! 少しは手加減してくれよ!」

「敵が手加減なんてしてくれるわけないじゃん。ロリ子ちゃんもいるんだから、もっと強くなりなよ。明日からホロロさんと一緒に訓練だね」

「いやいやいや、こっちは商人だぞ!?」

「世の中には戦う商人だっているはずだぞ。というか、アロロさんにも負けてただろう」

「あの人もおかしいのよ! なんか俺より腕力あるし! 斧を普通に振り回すしさ!」

「女性は逞しいんだ。少しは見習おうよ」


 ホロロが新しい人生に目覚めたことを喜び、母親のアロロも一緒に鍛錬に参加していたのだが、元から身体能力が高いらしく、最初からロリコンを張り倒すことができていた。


「ほんと、若返った気分ですよ! こんな若い男性と組んず解ぐれつしたら、また若くなるかもしれませんね! あはは!」

「アンシュラオン、助けてくれぇええええ!」

「人生、いろいろあるよな。がんば!」


 幼女好きのロリコンにとって、歳を取った女性と絡み合うのは苦痛だろうが、これもまた人生経験である。ぜひともがんばってほしいものだ。



 こうしてホロロたちも追いつくためにがんばっているが、サナはそのさらに先の段階に進もうとしていた。

 アンシュラオンとサナだけ交通ルートを離れて、誰もいない荒野に足を踏み入れる。

 周囲にあるのは小さな森と荒れた大地だけの殺風景な場所だ。


「サナ、これから『試練組手』を行うよ。お兄ちゃんに全力で向かってきな。あらゆる道具。あらゆる武器を使っていい。殺す気でくるんだ」

「…こくり」

「そうだな、ゴールはオレの背後三百メートルにある岩だ。そこまで上手く逃げ切ってごらん。反対側に三百メートル離れたら勝負開始とする」


 アンシュラオンがこれから始めるのは、師匠直伝の【陽禅流組手】だ。

 組手の中にもいくつか種類があり、技の練習のための軽い組手や通常の組手、本気で戦う組手、そして評価審査を交えた『試練組手』がある。

 アンシュラオンが受けた免許皆伝の最終試練も、この試練組手の最高峰のものだ。これにクリアすることで次のステップに入ったとみなされる。

 今回の目標は、敵に狙われた状態でのおよそ六百メートルの走破である。


(サナにはグラス・ギースを出てからずっと戦闘訓練を積ませてきた。オレなりに精一杯教えたつもりだ。その結果をこれで見定める)


 火怨山では姉弟子のパミエルキや兄弟子のゼブラエスが、アンシュラオンの試練組手を担当してくれたものだ。

 それが今、ようやくにしてアンシュラオンが導く番が来た。これはこれで感慨深い。


 両者が三百メートル離れて、組手開始。


 当然この距離ではサナに攻撃手段がないため、普通に走って目標に接近を試みる。

 賦気と『韋駄天足』で強化されているため、かなりの速度で向かってきていた。


(今のサナの脚力だと、ゴール到達まで十秒くらいか)


 だが、この十秒を埋めるのが、対武人戦においては気が遠くなるほどの苦行なのである。

 アンシュラオンは、ポケットから何百個という弾丸を取り出すと、それらを宙に放り投げた。

 バラバラになった弾を―――指で弾く

 地に落ちる前にすべてを弾き、一斉に弾丸がサナに襲いかかった。

 アンシュラオンの『指弾』は、銃に組み込まれている風のジュエルよりも強力だ。クロップハップが使った機関砲を上回る速度で向かっていく。

 サナは回避。

 左右に動きを散らしながら的を絞らせず、迂回しながら向かってくる。

 その目は一度も瞬きをすることはなく、じっとこちらを注視していた。


(なんて真っ直ぐで綺麗なんだ。オレのことを何一つ疑っていない純粋な瞳だ。その目で見つめられるだけで、もう昇天してしまいそうだよ。でもね、敵が前から攻撃してくるとは限らない。敵が独りとは限らないぞ)


 弾丸を避けるサナの背後の地面から、身長二メートル以上はある『鎧人形』が出現。

 ロードキャンプに防具屋があったので、そこで全身鎧を購入したのだ。女子供ばかりの一行でこれを着られる者はいないが、そもそもの用途が違った。

 鎧の中に戦気を注入して遠隔操作して操れば、即席の練習相手の完成だ。より人間らしい弾力を出すために、命気を入れた革袋を中に入れて操作している。

 その鎧人形がサナに拳を振るう。

 サナは弾丸をよけながら回避。

 直後、サナがいた場所が拳で抉られ、地面に直径三メートルほどの大きな穴が生まれる。

 もし一撃でも直撃すれば、今のサナでは大ダメージを負うだろう。


(鎧人形はクロップハップの能力値を参考にしてある。かなりの強敵だぞ)


 クロップハップは、下界ではそれなりに強い武人だ。体力とパワーだけならばブラックハンターに匹敵するだろう。

 技は発動できないものの戦気の強さは自在に調整できるので、いくらでも擬似的な対戦が可能となる。

 それに対してサナは、鎧人形を巧みに誘い出し、こちらとの間に入れることで射線を切る。

 アンシュラオンは引き続き指弾を放っているので、その壁に利用したのだ。

 だが、これで終わるほど試練組手は甘くない。

 続いて登場したのが、長剣を持ったもう一体の鎧人形である。

 剣人形が鋭い横薙ぎの一閃。

 サナは脇差と剣を抜くと、その攻撃を回転しながらいなす。

 こちらの剣人形のモデルは、やはりというべきかジリーウォンである。あの時は相手が短気だったがゆえに勝機が生まれたが、今回はアンシュラオンが操るものだ。

 人形は冷静にサナの動きを見極め、追撃の蹴りで吹き飛ばす。

 相手が剣だけを使うとは限らない。ガンプドルフのように蹴りを使う可能性がある。

 吹き飛ばされたサナは体勢を整えるが、すでに拳人形がサナを捉えていた。

 サナは『無限盾』を展開して相手の攻撃を鈍らせつつ、剣でガードしながら跳躍。拳を回避することに成功する。

 しかしながら、この攻撃は彼女を宙に誘導するためのものだ。


 逃げ場のないサナに―――機関砲


 容赦なく大量の弾丸が襲いかかり、被弾。

 幼い少女の身体が指弾を受けるたびに、空中にあるにもかかわらず、身体が何度も跳ね上がっていく。

 そのたびに皮膚と肉が抉られるが、必死に剣と腕で頭と心臓を防御してダメージを最小限に減らす。

 もし耐銃壁による『銃耐性』がなければ、この段階で落ちていただろう。

 サナは着地と同時に再び無限盾を展開しつつ、回避運動を続行。

 それを人形たちが追撃。拳人形がパワーで押し込み、よけたところを剣人形が狙っていく。さらに擬似機関砲がサナを狙って攻撃を続け、回避の邪魔をする。

 これによって三対一の状況が生まれ、じりじりと削られる展開になる。

 これは厳しい。すべてにおいて相手のほうが上なので、まともに攻撃する余裕もない。


「…はぁはぁ! きょろきょろ」


 サナは常に周囲を見回しながら最適なポジションを模索する。

 ただし、その判断に許された時間は、0.01秒程度。目で見てからでは遅い。

 肌で感じる風を切る感触と、自身に注がれる殺気を直感の速度で把握し、即座に身体に意思を伝達しなくてはならない。

 常人ならばパニックになるところだが、サナは呼吸を荒くしながらも脳と感覚をフル回転させる。


 死を伴う攻撃に、思考速度が―――加速


 サナの瞳に無数の煌きが移り込み、さまざまな未来を映し出す。

 前は駄目だ。圧力で潰される。

 横も駄目だ。剣で狙われる。

 宙も駄目だ。じりじり削られる。

 残るは、背後しかない。

 サナは下がりながら『雷貫惇らいかんとん』の術符を起動。

 雷貫惇は射程が長いうえに倍率補正が二倍の術式だ。強烈な雷が迸り、弾丸を蒸発させながらアンシュラオンに向かってくる。

 ただし、距離があるため回避は簡単。軽くステップを踏んでかわす。

 だが、これでいい。

 今の攻撃は銃撃を一度止めるための時間稼ぎにすぎない。

 その間に背後の森に突っ込み、身を隠す。

 再度銃弾が襲いかかるが、木々が上手く盾となって威力を軽減。自身からも相手の攻撃が見づらくなる反面、まともに戦うより数倍ましである。


(周囲にある環境をすべて使う。それでいい。教えた通りだ。だが、その程度で追撃は止まらないぞ)


 当然、鎧人形たちはサナを追う。

 木々を薙ぎ、切り倒しながら森を削っていく。

 アンシュラオンも『火痰煩かたんはん』の術符を取り出し、発動。

 サナが扱うと大人の上半身を包むくらいの炎の塊が出るだけだが、魔力Sで扱うと、もはやナパーム弾。

 動画で空爆の映像が見られると思うが、あれの三倍以上の爆炎を巻き上げながら森を焼いていく。

 火と煙がサナをあぶり出そうとする。このままではいずれ焼き殺されるか、煙で意識を失ってしまうだろう。あるいは追手の鎧人形に殺されて終わりだ。


「…じー」


 しかし、戦況はサナに不利なように見えるが、それによって時間を得たのも間違いない。

 相手の位置を確認してから、一気に反撃を開始。

 『風圧波』の術符を取り出すと、向かってきた拳人形に放つ。

 強烈な風が吹き荒れ、台風で空き缶が飛んでいくように巨体が浮き上がり、剣人形にぶつかって転がっていく。

 相手の位置が一直線になったところを狙って放つことで、一度の攻撃で二体の足を止めることができた。

 サナは追撃で爆発矢を鎧人形に撃ち込むと、『火鞭膨かべんぼう』の術符を使い、森を大火事にして自ら火と煙を生み出す。

 次に再び『風圧波』を発動。強制的に風向きを変えることで、白煙が森の外にまで立ち込めて視界が急激に悪くなった。

 サナは十分に外の視界が悪くなったことを確認すると、森を飛び出してアンシュラオンに向かってきた。

 同時に大納魔射津もばら撒き、大量の爆発を引き起こすことで土埃も上げていく。


(オレを狙ってきたか。いい判断だ。この中で一番厄介なのは、遠距離から動きを阻害する存在だ。こいつを仕留めなければ離脱のチャンスはない)


 設定上では、アンシュラオンはレッドハンター級の武人が重火器を操っていることになっている。

 圧力をかける戦士、仕留めにくる剣士。それを援護する射手といったところだろうか。

 この組み合わせは戦場でもよく見られる形式で、ジルたちがパミエルキを追い込んだフォーメーションと同じだ。(あの場合は、射手役は術士のザンビエル)

 この中で実際に戦況を操っているのは、何のプレッシャーもなく後方から全体を見回し、相手が嫌なところに銃弾を撃ち込む射手である。サナは的確にそれを見抜いたのだ。

 アンシュラオンは指弾でサナを迎撃。

 本来の実力ならば波動円で相手の場所と動きがわかるが、今は視力を落とした視覚だけでサナを捉えているため、揺れ動く影を完全には捉えられない。

 白煙を突き抜け、サナが飛び込んでくる。

 アンシュラオンは剣を抜いて迎撃。サナを切り裂く。


 が、これは―――フェイク


 白煙が一番濃い場所で、すでにサナは分身符を発動させていたのだ。

 そして、それに続くように反対側からサナが突っ込んでくる。

 アンシュラオンは返す動きで、上段から剣を叩きつける。

 が、それも―――ぶわっ

 剣で斬った瞬間に姿が掻き消え、剣圧で裂かれた大地だけが残る。

 そこに本物のサナが急接近。

 完全に無防備になったアンシュラオンの首に脇差で一撃を見舞い、攻撃は見事命中。

 さすがに視界が悪い中で二回のフェイクを入れられると、レッドハンター級では回避は不可能だろう。

 防御の戦気もまず間に合わないタイミングだ。おそらく首に致命傷を与えたと判定していい。


(これはファテロナさんの動きか。よく真似たもんだ)


 彼女は領主城で、ファテロナの分身の使い方を間近で見ていた。それをトレースしたような動きだった。

 サナは動きを止めず、『水渦濫すいからん』の術符を発動。

 大量の水が渦を巻いて包み込み、相手の動きを止めつつ―――爆発

 事前に宙に投げていた大納魔射津ごと術に巻き込み、水の中で誘爆させたのだ。

 その間にサナは離脱。

 アンシュラオンが最初に立っていた場所を突っ走り、相手の射程範囲外に逃げおおせた。

 鎧人形が戻ってきた頃には、すでに手遅れ。

 サナは岩にタッチ。



「試練組手、これにて終了。合格だ!」



 アンシュラオンが、ゴールしたサナと合流。


「…ふー、ふー」

「よくがんばったな。今の段階でここまでやれれば十分だ」

「…こくり」


 今回の試練組手は、最初にサナに教えたかった「生き延びる戦い方」ができるかを試すものだ。

 これによってサナは、強い武人が複数いても逃げ切れることを証明したのである。


(射手がもっと強ければ難しかったが、その場合は仕方がない。それ以前に、単独で三人と相対する場面を作らないことが重要だ。ひとまず三人に囲まれてもなんとかなれば大丈夫だろう)


「次の課題は【戦気】の修得だ。苦手だろうけど、がんばるんだよ。サナならできる。オレは信じているよ」

「…こくり」


 実はこの時、アンシュラオンはまだ気づいていなかった。

 自分が強すぎるがゆえに、今のサナがどれだけ強くなっているのか、いまいち実感が湧いていなかったのだ。

 だがそれは、夕食後に明らかになる。


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